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校長室から

222 本に親しむ(23.5.26)

 年2回(6月・12月)の保護者アンケートで、「お子さんは進んで読書活動に親しんでいるか」と問う項目があります。令和2年度第2回目から評価を始めましたが、肯定評価が60%前後で大きな変化がないことから、今年度の重点課題の一つに設定しています。評価が低迷する原因として考えられることは、「自宅で読書する姿が見えないこと」や「学校での子供の様子がそれぞれの家庭に伝わっていないこと」などが挙げられます。それを打開するために、学校司書ほか教職員が様々な取り組みを考え実践するとともに、いろいろな方法でその周知を図ります。子供の読書傾向や習慣などを今以上に気にしてほしいと思います。

 さて、妻の読書量は半端ではありません。これまでは文庫本を月に何冊も買っていました。でも本を何度も読み返すことをあまりしませんからもったいないですし、本棚が足らなくなりそうです。そこで、最近は専ら図書館の利用です。1回に7~8冊借りて3週間もあれば読み終えてしまいます。土日しか行けませんから、残りが少なくなるとウルトラマンのカラータイマーが点滅するときのような心境で、読む量をセーブするのだとか。ですから、たくさん借りられた当日は満足顔。ただ、前にも借りた本をまた借りてしまうなんてことが頻発します。そうすると、カラータイマーの容量も自ずと少なくなるわけで、そのタイミングで私に依頼が舞い込みます。「PCで読書リストを作って!」というもの。今では、そのリストを自分で更新しながら、図書館に行くときにはカバンに忍ばせて、きちんと確認してからカウンターに持って行っているようです。

 一方、珍しく何度も読み返してしまう本だってあります。『時生』(東野圭吾)、『流星ワゴン』(重松清)、『地下鉄に乗って』(浅田次郎)の3冊がそれ!なんとなく似た内容と言われればそのとおりかもしれません。今も『時生』を通勤カバンに入れて読み返しています。

 校長室の蔵書が、最近は動いていません。『ダレンシャン』シリーズ全11巻や『ロード・ロス』などデモナータシリーズ全7巻を読破しようと思う高学年の児童はいないでしょうか?そのほかにもいろいろありますが、やっぱり部屋に入って手に取ってみることは、子供には敷居が高すぎるのかも。もっと気軽にめくってみられる環境が必要だと思う今日この頃。

221 辣韭・らっきょう(23.5.25)

 千葉県有数のたまねぎの産地である白子町で4年ぶりに「白子たまねぎまつり」が開催された様子が報道されました。5月いっぱいやっているようなので、ドライブがてらに掘り取り体験をするなら今週末が最後になります。一方、スーパーなどでは生らっきょうを袋詰めして売っています。洗って皮を剥くなどして手間をかけて醤油漬けにして食べますが、旬であることを実感しています。調べてみると、らっきょうには冬から春にも旬があるそうです。越冬して、寒さに泣けないように頑張る若いもので、葉らっきょう(=エシャレット)と呼ばれます。タマネギの一種である「エシャロット」とは全く別の野菜といいますから紛らわしい!このらっきょうで自家製漬物を作るのもよいですが、「焼きらっきょう」もおすすめらしいのです。焦げ目がつくまでフライパンで乾煎りすれば、辛みが和らぐとともにホクホクした食感も楽しめるらしいので、次は試してみようかと思います。

 カレーライスの付け合わせでもおなじみのらっきょうですが、古くから薬としても利用されていたといいます。ビタミンCを含むので皮膚や血管の老化を防ぐ効果があります。また、成分のカリウムはむくみ効果や高血圧予防に期待できそうです。さらに、らっきょうは水溶性食物繊維が豊富で、野菜の中でもトップクラスというのです。特にフルクタンと呼ばれる成分は、食後血糖値上昇を緩やかにし、血中コルステロールの低下作用、便通改善の効果があるようです。血行をよくして疲労回復にも役立つといいますから、まさか私のためにあるような食材ではありませんか。

 1日4粒程度を食前に食べるのが効果的でおすすめだとか。たとえそのくらいでも口の中が十分らっきょう味で占領されてしまいます。あらっ嬉しい。

220 揺れ~る~思い~(23.5.24)

 最近は補聴器をつけていることを忘れてしまうほどになりました。朝出かけるときに、「あっ、忘れた!」と思って耳を確認すると、装着済みであることに気づく始末。眼鏡と同じです。逆パターンですが、かけていないのに眼鏡をはずそうとしてしまったり指で押し上げる動作をしてしまったり…。そんな経験のある人は少なくないはず。感覚が麻痺するわけではありませんが、当たり前になりすぎるとわからなくなってしまうことは多々あります。匂いも各家庭の特有のものがありますが、自分では気づきにくいものです。味もまた然り。

 さて、先週の運動会実施の判断は難しいものがありました。前日からずっと天気予報とにらめっこが続きましたが、いつまで降り続くのか読めません。当日も6時過ぎに学校に着いた時点でまだ霧雨が降っています。一度止んでもまた昼近くまで降りそうな雨雲データも散見されます。悩み迷っていたのは私だけではありません。近隣校の校長も同じ。情報交換しながら早めに実施を決めた学校もあります。ただ、翌日にすれば雨の心配なく確実に実施できます。どのタイミングかは不明ですが、日曜日に延期した学校も複数あります。だんだん弱気になっていく自分に気づきます。だから、「延期しようか?」と体育主任にボソッと尋ねました。すると、少し考えて「僕はやりたいです」とはっきり言ったのです。この気持ちを汲んでというか後押ししたい気持ちが膨らんで、実施に舵を切ったというのが正直なところです。

 運動会に限らず、判断・決断が求められる場面は数々あります。どんな場合でも子供たちの健康や安全などを最優先にします。土曜日の運動会の場合、仮に日曜日に延期すれば、それを賢明と考える人もいれば、結果から「できたじゃないか」と思う人だっています。今回は、昨日の段階で子供たちには「やる方向でいる」と伝えていたので、最高潮に達する子供たちのやる気を、延期によって萎ませてしまいたくないという気持ちが強かったので悩んだのです。

 でも、やってよかった。だって、あんなにキラキラした子供の顔がたくさん見られたのですから。ただ、翌日からコロナ感染が多数報告されていることに、再び思いは揺れます。

219 疑問から実験・調査へ(23.5.23)

 運動会は生憎の天気の中でしたが、応援ありがとうございました。体調を崩した子や教職員がいないかどうかが心配です。

 さて、街中に点在する公園。遊具がたくさんある場所もあれば、ベンチとまたがって揺らす遊具だけと割り切った箇所もあります。このまたがるタイプの遊具の中にエビフライにしか見えないものがあります。実は冒険好きなミツバチをイメージしてデザインされたとか。名称は「ハニー」。他にも青いカブトムシやピンクの蝶、緑のバッタがあるといいますが、エビフライ遊具の数が圧倒的に多いというのが私の勝手な見解。平田学区の公園にはどんな遊具が多いか、足を使って調べ統計をとってみたいと素朴な疑問というかくだらない考えが沸き上がってきます。3年生が国語の学習で「ひみつを調べる」ために、タブレットを使って検索する姿を見ましたが、3年生なりの素朴な疑問をいくつも目にしました。

 例年、田植えが終わった水田の水面が黄緑色に濁って見えることがあります。2~3ミリの水草が広がって浮かんでいるからです。この水草を採集して理科の実験に使うことが以前ありました。植物の成長の条件を調べるためです。発芽条件は、温度・空気・水の3つですが、成長には肥料や光を含めて必要な要素があるか確かめるためです。カップに水草を入れて、液体肥料の有無で成長具合を観察します。水草は分裂して増えるので個体数を数えればよいことになります。でも、そううまくはいかないのです。肥料を入れたほうが枯れるなんてことも…。同じように理科では、予備実験を事前に行いますが、なかなかの曲者!授業になると、白となるはずの結果が子供が試すと黒になってしまうなど、「あれっ?」と何度つぶやいたことか。

 家でイチゴを育てていることは少し前に書きました。このイチゴ、最初の一粒の収穫を最後に実が大きくならず変色して枯れてしまいます。たくさん花を咲かせたので、収穫を大いに期待していたのに不思議でなりません。ある日枯れた葉にハサミを入れると株がぐらつき、スポッと抜けてしまいました。鉢から土を出してみると、憎きコガネムシの幼虫が根を全部食べていました。でも、うまくすれば再生するのではないかと期待半分、鋭意実験・観察中!

218 運動会だよ!全員集合(23.5.20)

 テレビドラマを見ていると、同じ俳優が同時期に別の番組でも見ることがあります。「あれ?ここにも出演している」と思いながら、ほかの番組ではどんな役だったかすぐに出てきません。例えば野間口徹さん。嫌な役もおかしなキャラクターもなんでもござれ!売れっ子のバイプレーヤーです。

 今日は運動会。天気が心配で朝早くから詰めています。運動会といえば、梅田俊作さんが書いた絵本『よーいどんけついっとうしょう』が思い浮かびます。“きょうは運動会。いよいよ、ぼくたちの50メートル競走だ。むねがドキドキ。なんだ、おしっこにいきたくなっちゃった…!”で始まる心温まるお話。トイレに向かう途中で、けがをして一人で泣いている小さな子を発見。放っておけず…。あとはぜひ読んでみてください。

 コロナ前のように全体で実施できるのは、私自身は4年ぶり。校庭の広さや児童数によっては実施できた学校もありますが、決して多くはありません。全体練習では、450人が校庭に並ぶだけで一苦労。毎年実施できていれば低学年以外は勝手知ったという感じでしょうが、経験がないとなれば自ずと時間がかかります。児童の係も同様ですから、予定していた時間よりオーバーすることも想定内です。指導する立場の先生だって片手の人数は未経験者の部類。手際より経験を積むことが大事です。練習でも準備でも、先輩教員が随所で指導・アドバイスする姿が見られるなど、今日まで全員で創ってきました。

 学校における運動会は一大イベント。それを計画・運営する体育主任は花形とも言えます。以前、運動会前日には有志で前夜祭を行って体育主任のこれまでの苦労を労いました。そして運動会当日の打ち上げは、「体育主任が全員を労う場」と言われて何十年も過ごしました。今年は終わった後、全校で実施できたことを皆で喜び合いたいと思います。

 リレーがないのは少し寂しいですが、火曜日以降、運動会の絵や作文に取り組む子供たちの姿を楽しみにしたいと思います。まずは、今日の子供たちの精一杯を目に焼き付けます!

217 小銭(23.5.19)

 新型コロナによる黙食の見直しが昨年度末にあり、有志の子供プロジェクトチームで話し合って全校に周知したのは次のこと。①前向きでの食事の継続、②必要な時だけすぐそばの人との会話は可、③声は相手にだけ聞こえる大きさ、④マイアクリル板を作成したり会話時のマスク着用したりしてもよい。これは、新年度になって2類から5類に移行するまでは継続することを教職員でも共有してきましたが、この先給食時間を子供たちはどんなふうに過ごしたいと思っているのでしょう。

 5類となっても電車内のマスク着用者はほとんど減っていない状況です。そんな中で、人の持ち物にふと目が行くことがあります。紙袋に社名が書いてあったりビニル袋から菓子箱の商品名が見えたり。週明けなどに「ずんだ」とか「萩の月」なんていう文字を見ると、仙台方面に出張か旅行で行ったのだなと一人合点してしまいます。

 さて、還暦を過ぎた今でも、時々見る夢があります。道を歩いていると、百円玉が落ちているのを発見します。拾い上げると、その近くに十円や百円がいくつも見えます。こうするうちに、両手が硬貨でいっぱいになるのですが、不思議と誰も気づかないという夢。こんな場合、夢判断ではなんと出るのでしょう?

 以前は、自動販売機の下に硬貨が落ちていることがよくありました。拾ったお金を交番に届けたこともあります。でも、電子マネーが普及した現在、小銭を持ち歩く習慣がなくなったようです。背広やズボンのポケットからジャラジャラと小銭登場~なんていう場面は皆無といってよいでしょう。ある調査では、五十円硬貨以下の小額貨幣の需要が低下していると伝えています。駅構内で飲料水を買うのも簡単ですし、電車やバスの自動改札やコンビニの支払いなどの煩雑さがなくなり、利便性の高さが窺われます。

 一方で、暗算力に影響はないでしょうか。子供がまだ低学年だったころでしょうか、車の中で待っているような隙間時間に「タクシー屋さん」をやりました。私が運転手で、子供がお客さん。目的地について支払いの段になり「料金は1870円です」と金額を伝えます。そして「2000円お預かりします。おつりはいくらお返しすればよいですか?」と暗算させます。計算が苦手な娘は、この遊びが嫌いだったようです。将来的に算数の文章題に、切符を買ったり店舗で硬貨による支払いをしたりする場面が消えているのではないかと思ってしまいます。

216 正しいのは?(23.5.18)

 どちらが正しい?

 「キヤノンとキャノン」、「シヤチハタとシャチハタ」、「ビックカメラとビッグカメラ」、「キユーピーとキューピー」、「ブルドックソースとブルドッグソース」、「バーミヤンとバーミアン」「サイゼリヤとサイゼリア」などいろいろ。耳で聞いた音をそのまま正しいと勘違いして表記を誤るケースは少なくありません。(正式表記はすべて前者)

 また、漢字を見ただけでは判別しにくいものもあります。例えば苗字。「角田」さんと書いた場合、「かくた」なのか「つのだ」なのか「かどた」なのか、はたまた「すみだ」や「すみた」なのか悩みます。清音濁音もまたしかり。「はちすが」さんと呼ばれることに慣れてしまいましたが、本当は「はちすか」です。子供たちだって正しく呼んでほしいはず。フリガナ入りの全校児童名簿をきちんとチェックするように努めます。でも間違えていたら優しく指摘してください。

 さて、伝説的サッカー選手と言ったら、ディエゴ・マラドーナ(アルゼンチン)・ヨハン・クライフ(オランダ)・ジダン(フランス)・ロナウド・ロナウジーニョ(ともにブラジル)・ベッケンバウアー(ドイツ)などが挙げられますが、だれもが認めるのはやはりブラジルの英雄・ペレを除いていないでしょう。昨年12月に亡くなりましたが、様々な功績を称えてブラジルの辞書に追加されたと聞きます。「別格の」とか「無比の」といった意味で、比類のない人物を表す「形容詞」だそうです。日本でも、現代用語辞典などに新語が登場します。ただ、形容詞としてどんな使い方をするのかと思って示された例文を見てみると、「彼はバスケットボールのペレだ」とあります。「彼はバスケットボール界における無比なプレーヤーだ」ということでしょうが、違和感があります。まぁ、使わないので正しさを追及する必要もないでしょうが…。

 土曜日の雨マーク。明日の午前中には運動会実施・順延の判断が求められます。

215 超能力(23.5.17)

 週末の天気が気になります。雨に降られない、暑くない、そんな日だといいなぁ。

 さて、学校では4月から様々な検診・検査が続いています。遺伝性難聴の私は、大人になってから聴力検査が大嫌い。ヘッドホンをして遮音室に入っても、聞こえる音が機械から流している音なのか雑音や耳鳴りなのか判別できません。また、検査員が調節ボタンを回しているようなのですが、一向に音が聞こえてこず反応できない自分が恥ずかしく…。人間ドックの聴力や胃部X線検査では、「私はほとんど聞こえません」とか「指示を聞きとれないかも」と最初に申告するようにしています。こんな人間ドックですから、心的ストレスはマックス。待合にいてどの検査部屋から呼ばれるかわからないので、全神経を呼ぶ声に集中させなければなりません。テレビの音と話し声が氾濫する中から呼ぶ声を聞き分けなくてはいけません。時には小さかったり高かったりと、わざと聞こえづらいように意地悪しているのかと疑ってしまいます。終わったころには、疲れがどっと出ています。だから何らかの障害を抱える人の不安に気づける社会であってほしいと願います。

 先の聴力検査にかわいい笑い話があります。子供が家に帰って、耳の検査があったことを家族に報告する場面。「耳の検査、なんていうんだっけ?ちょう…ちょう…」。聴力検査という言葉が出てこない様子。「あっ、超能力検査!」と言ってしまったのです。私も普通に聞こえる超能力が欲しいです。

 話は変わりますが、給食用の先割れスプーンを1本とると、波打つ感じに変形したスプーンに当たることがよくありました。1970年代の超能力ブームの真っ只中。誰もがスプーンの柄の根元をさすって、「念力」と言って必死に曲げようとしていた頃。全然曲がらないので、机の下で力任せに曲げてみたり…。今でも忘れないユリ・ゲラーの登場。「さぁ、皆さんも手元にスプーンをご用意ください」と言う司会者の声に促されて台所にスプーンを探しに立ち、ブラウン管の中から送られる念力で手元のスプーンも曲げようと唸っていた私。自分と同じくらいの年齢の清田少年があれよあれよとスプーン曲げを披露する場面も思い出します。ただ、念力だけでなく透視やUFO、ネッシーなどに人々が熱狂した時代。特集番組が数々放映されるなど社会現象にもなりました。今思うと、日本中がどうかしていたのかもしれません。超えられない壁に不安を募らせ、超常現象や超能力、未知の生命体の存在に希望を見出していたのかもしれません。

 自然災害や戦争などが絶えない世界に再び超能力ブームがやってくるかもしれません。いや、ブームの到来より戦争終結を念じます。

214 手作り(23.5.16)

 イングリッシュラベンダーの苗を数株買って鉢植えにしました。作業しながら漂うラベンダーの香りを楽しみます。心落ち着くいい香り~。ラベンダーというと、トイレの芳香剤や入浴剤をはじめアロマオイルに至るまで様々なところで使われます。花の盛期に剪定して束にして、ドライフラワーにすると一味違った楽しみ方ができます。富良野に代表されるようなラベンダー畑を見たいのですが、タイミングが合わずに足を運べていません。だから、小さな鉢植えでひっそり楽しみます。ドライフラワーといえば、アジサイも立派なものが出来上がります。種類によって向き不向きがあるようですが、家に飾られたアナベルのドライフラワーは自慢です。

 さて、秋におまつりが予定される学校はたくさんあります。的当てやヨーヨー釣りなどがあったり焼きそばや野菜販売がされたりして、まるで縁日のようなにぎわいをみせる場面もコロナ前には見かけました。総合的な学習が始まってすぐのころ、モノづくりと価格決定、販売などを学ぶために学年でまつりに出店したこともあります。売上金を募金するためのパンフレットや看板を作って、交代で呼び込みを行いました。大人が子供を楽しませる、あるいは大人と子供の交流をするなど目的は様々ですが、おまつりを学びの場にすることも工夫次第です。あるときは、有志の子供たちが開会式を演出しました。空気砲を作ってパフォーマンスをしたり協力団体や保護者に出店内容の30秒アピールをしてもらったり…。子供たちが創り出すことももっと行われてよいと考えています。

 例えば、昨年度人気だったバザー。でも今の時代、新品の提供品を相当数集めるのはとても難しいと思います。だったらフリマという形にすることも考えられます。子供たちが出店することだってできます。値段交渉したり、集まったお金を何に使うか事前に検討して目標を設定したり。フリマなら無理がなく、まさにSDGs?食べ物を扱うことや子供にお金を持参の可否を考えるより先に、その必要性を検討することも大事だと思うのです。ドライフラワーだって校庭の草花の押し花だって、きっと欲しい人がいるのでは?

213 休みなく働く(23.5.15)

 朝刊2紙が毎朝、校長室のテーブルに届けられます。見やすいような配慮をしてくれる男児もいます。外で安全指導をやって戻るとすでに届けられた後なので、なかなか新聞委員会の児童に会えません。学校に届けられる新聞は、市川市新聞協会の好意で無償配付してくださっているのです。ですから、隅から隅までというわけにはいきませんが時間があるときに目を走らせます。教室でも有効に活用してほしい学習材です。

 新聞は、土日もGWも正月も関係なく配達されます。月1回の休刊日以外ほぼ休みはありません。しかも朝早く、台風だろうが大雪だろうが配達されます。遅れたり届かなかったりすれば販売店に苦情が舞い込みます。大変な仕事だとつくづく感じます。この新聞が大幅な値上げです。これを機にやめようと考える家庭もあるかもしれません。

 9日の新聞に富里スイカの出荷が始まったとありました。ここ数年では最高の出来なのだとか。スーパーでは熊本産スイカを3千円程度で売っていますが、まだまだ手を出せる金額ではありません。もうしばらくの我慢です。だって、富里市でスイカ農家を営む友達がいて、毎年お中元の時期になると、スイカとトウモロコシを送ってくれるからです。これを毎年自分にとっての「初もの」にしています。例年より出荷が早いような気がしますので、もしかすると届くのが早まるかも…。ウシシシシ。

 5年生の社会科で米作り農家や野菜作り農家について苦労や工夫を学びます。3年生では梨作りについて学習します。こうした農家の仕事も1年中休みがありません。そして、よりよいものを作るための準備や工夫も怠らないはず。だから、昨年のような雹害ほか自然災害などの被害に見舞われないよう祈る日々なのかもしれません。

 学校職員の長時間労働や教員不足も話題になります。様々な業務改善を、各学校であるいは行政主導で行っていますが、子供たちを第一に考えると「これで大丈夫」といった線引きはなかなか難しいことがあります。実際、「もっと」「もうちょっとだけ」となりがち。気づくと22時、23時なんてことがあるようです。極度な心身疲労によりその人を取り巻く多の者が悲しむ事態にならないように気配り・目配りは欠かせません。保護者や地域の方々にも、教職員の勤務時間に関してご理解・ご協力を今一度お願いする次第です。

 みんなが忙しいにもかかわらず、校内のアジサイの無駄な枝などを剪定して回った先週。今年は雹にやられることなく、多くの人の心に潤いを与えてほしいなぁと思いながら。そんな今日は休刊日!