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校長室から
428 マネキン(24.6.6)
6月6日といえば、『かわいいコックさん』のフレーズを思い浮かべる人もいるでしょう。「♪棒が1本あったとさ 葉っぱかな 葉っぱじゃないよ カエルだよ カエルじゃないよ アヒルだよ…♪」という絵描き歌。同じ歌なのに、描き手が違うとコックさん一人一人違った表情を見せてくれるから不思議です。コックさん以上に、「つるニハ○○ムシ」「つるサンハ○○ムシ」と言いながら描いた顔の出来映えは、人それぞれで表情豊かです。そんな今日は、コックさんの日。ヨーヨーの日でもあり、補聴器の日でもあります。もう一つ、怒りを鎮める6秒ルールをもじって、アンガーマネジメントの日ともされています。どれも関係ないかぁ~。
さて、表情や顔といえば、四半世紀ほど前にテレビ放送された『Oh!Mikey(オー!マイキー)』をふと思い出しました。出演するすべてがマネキン人形なのです。その主人公のマイキーは、インターナショナルスクールの3年生。パパは、アメリカから東京に転勤になったサラリーマンという設定で、1話3分の短編。ブラックユーモア含む内容と常に明るい表情が好きでした。
マネキンは、店頭で各種商品の販売促進にあたる販売員を指す場合もありましたが、一般的には衣服展示に使われる等身大の人形の呼称の方が主流のような気がします。でも最近では、リアルマネキンの人形を見なくなったような気がします。頭部がのっぺらぼうのものや首だけがないヘッドレスマネキン、腰から下の下半身マネキンばかりです。こんなことを考えながら、昨日の帰りの電車の貴重な読書タイムに、『オー!マイキー』をYouTubeでチラッと見てしまいました。そういえば、洋裁が趣味だった母の部屋にあったものも首から腰辺りまでの人形でした。「ジンダイ」と呼んでいましたが、「人台」という字でよいのかどうか。ちなみに、マネキンの日は3月24日でした。
427 チンプンカンプン(24.6.5)
5月中旬に、D・サンボーンさんが亡くなったと報道されました。ジャズ界の大物サックス奏者です。すかさず家族から依頼されて、古いアルバムCDを購入しました。昔好きだったフュージョン系の懐かしい音楽が流れ、幸せな気分になります。
日本を代表するサックス奏者と言えば、「ナベサダ」こと渡辺貞夫さんでしょう。アニメ『赤き血のイレブン』でサントス選手が海岸で故郷を思って吹くトランペットも憧れでしたが、ダイナミックに動きながら演奏するサックスは別格に見えたものです。だから、アルトやテナーサックスの形が好き!ウクレレではなくて、サックスにしておけばよかったかと思いながらも、楽器音痴で譜面がチンプンカンプンの私には高嶺の花であり、高望み以外の何物でもありません。音も相当響くでしょうから、家で練習するのは近所迷惑になること必至。畑の中に車を停めて、窓を閉め切ってサックスの練習をする人をたまに見かけますが、そうするしかないのかもしれません。そういう意味で、ウクレレなら夜だって練習できます。こう考えると、吹奏楽部の子供たちの練習機会は、きっと学校しかないのだろうと思い至ったのでした。
やはり5月のある日、読売新聞掲載の『コボちゃん』(植田まさし作)を見ていて、数十年ぶりに思い出したことがあります。コボちゃんが一番風呂に入る前に、「湯かき棒」で風呂の湯をかき混ぜる場面がまさにソレ!草津温泉の湯もみではありませんが、上と下とで温度が全然違ったため、私世代はこの棒で湯をかき回して湯温を均一にしてから入ったものです。全自動が一般的になった現代、風呂上がりのように綺麗さっぱりと忘れていました。
「赤き血のイレブン」とか「湯かき棒」なんて、きっとチンプンカンプン?いや、この「チンプンカンプン」なんて言葉すら使わないか。
426 思いを馳せる(24.6.4)
一昨日の日曜日、前任の市川小創立150周年を記念して行われた、学校の歴史をたどる回遊展に足を運びました。祝賀会だけでは声をかける範囲が限定されてしまうので、それとは別にできるだけ多くの人と一緒に祝したいという同窓会の皆さんの思いから生まれたようです。会場となった体育館というか講堂には、様々な展示がされており、老いも若きもが懐かしそうに見て回っていました。妻も創立100周年の時に6年生だったことから一緒に出かけました。久しぶりに見る学校のシンボルであるプラタナスが「こんなに大きかったっけ?」と思うほどの大きさで校庭にそびえ立っていました。その反対に校庭の狭さは…。思い出すのは、掃いても掃いても落ちてくるプラタナスの落ち葉に閉口したこと。そしてそれが終わる頃、すぐそばにある銀杏の大樹の下が黄金の絨毯を敷き詰めたように染まること。そんな巨木に護られて、コロナに振り回される中であっても、多くの人の支えあって2年間を過ごすことができました。お礼も碌にできないまま異動しましたので、今回久しぶりにお世話になった方々にお会いして話をすることができ、有意義な時間でした。そして、平田小が100周年となったときに思いを馳せる私がいます。29年後ということは…。
さて、その市川小に向かう時短ルートをナビの案内で走っていた時、「鮮魚街道」と表示がありました。よく見かける文字で、ずっと「せんぎょかいどう」とばかり思っていました。でも、「右折して、〈なまかいどう〉に入ります」というナビの音声案内に、「えっ、そうだったの?」とびっくり。目からウロコ!
江戸時代、夕方に銚子港に揚がった魚を利根川の水運で布佐(我孫子)まで運び、翌朝そこで馬に積み替えて松戸まで陸送し、再び船で行徳を経て夕方以降に日本橋の河岸まで運んだといいます。これは、魚の鮮度を保つための時間短縮の知恵であり、使用された陸路が「なまかいどう」とか「なまみち」と呼ばれたそうです。「森」という文字の「木」をすべて「魚」に換えた文字「鱻」を「なま」「せん」と読ませる場合もあるようです。いずれにせよ、自分の住む身近に経済的に重要な経路があったという事実を、ナビ様のお声によって知った一日でもありました。
学校や地域の歴史って、やっぱりおもしろい!
425 トトロ(24.6.3)
庭に緑と黒茶2種類のカメムシを発見しては退治する週末。報道によると、全国30の都府県で大量発生するカメムシ注意報が出されています。カメムシをおびき寄せて捕獲する器具もあるそうですが、私の場合はカメムシ退治に特化したスプレー剤。家族が言うには、ゴキブリ用だと瞬殺に近いとか。まだまだ格闘が続きます。
虫といえば、3年生男児2人が校長室に来て、「アゲハの幼虫はいませんか?」と尋ねます。急な訪問に驚きましたが、レモンの葉につく卵や幼虫を「今度持ってきてあげるね」と返すと喜んで去っていきました。すると翌日、「持ってきてくれたぁ?」と朝一番に問われました。「ごめん!休みの日にしか捕まえる時間がないんだ」と答えましたが、カメムシを持ってきたら喜ぶかなぁ?
5月のカンヌ映画祭で、スタジオジブリが名誉パルムドールに選ばれ、表彰会場は総立ちとなって祝福される場面がテレビに映し出されました。『となりのトトロ』は大好きですが、それ以上に宮崎駿&高畑勲コンビが手がけた『パンダコパンダ』が好きです。日本がパンダに沸いていた1972年公開ですから、ジブリという会社設立前かもしれません。天真爛漫な主人公の女の子とパンダ父子の不思議でユーモラスな生活が描かれています。初期の作品ですから、ストーリー性より娘や息子と一緒になって「かわいい」と言いながら観ていたこと自体が好きだったのかもしれません。
不思議なキャラクターのトトロとサツキ・メイの姉妹の心温まる交流を描いたアニメ『となりのトトロ』が、36年の年月を経て舞台化され、海外公演でとても人気だといいます。あの不思議な世界観を舞台で表現するのは、役者も大道具も大変だと想像しますが、ニュースで目にした「まっくろくろすけ」の動く様には感嘆の声を漏れそうでした。
大トトロ・中トトロ・小トトロがなんとも愛らしいアニメですが、初期の段階で大トトロは「ミミンズク」と名付けられ、1302歳といいます。ちなみに中トトロは「ズク」で679歳、小トトロは「ミン」で109歳の設定らしいのです。「ミミンズク」という呼称から連想するのは「ミミズク」。それがトトロのモデルかなと思いながらも、似ても似つかないような気が…。
なかよし広場でチョウを追うことも林間学校で富士の大自然に浸る時間も、都心の子供たちには有意義で貴重な体験だと思います。
424 所作(24.5.31)
今日行われる将棋の「叡王戦」の第4局に注目しています。藤井八冠が1勝2敗とリードされ、負けると伊藤七段にタイトルを獲られてしまうからです。「黄信号」と報道されますが、ここからの巻き返しも期待できます。
一方、先日の「名人戦」では、豊島九段との対局でした。4勝1敗で藤井棋士が初防衛を果たしましたが、将棋盤上で駒をさばく際の澄んだ駒音が好きという人も少なくないようです。NHK『美の壺』でも「駒と盤」が取り上げられたことがあるほどです。
なぜこんな話を始めたかというと、駅の自動改札でSUICAやPASMOなどのICカードをタッチさせる際に、「パチン!」という音を立てる人を時々見るからです。どうもタッチの仕方に性格あるいは気分が表れるような気がします。翳すだけで通過する人もいれば、私のように静かに面タッチする人もいます。極たまにですが、「これでもか!」という具合に強く叩きつける人もいます。時には反応せずに赤く点滅する改札機に、イライラを隠そうともせずにバシバシ押し付ける場面も。それが、なぜかしら将棋の「王手!」のような駒音に聞こえるのです。
さて、所作が美しいと好感がもたれ、魅力的に見えるものです。所作とは、立ち振る舞いや身のこなしですが、椅子に座ったり物を取ったり歩いたりするすべての動作に通じます。私たち日本人は、そうしたことに敏感であるともいわれます。少し意識するだけで周りの印象を変えることができるなら、子供にあっても大切にしてほしいものです。
そういう目で藤井名人の一挙手一投足を見てみるのも面白いかもしれません。
423 歯磨き(24.5.30)
一日のうちで、「今」に意識を集中している時間、「今」を感じている時間はどのくらいあるのでしょう。そうした間には、物事のマイナス面(後悔や不安、心配事など)が頭の中に入り込む余地がなくなるといいます。例えば、スマホから離れて「ながら行為」をしない時間は、不安などから解放されるとともに、聴覚・嗅覚・視覚・触覚が研ぎ澄まされるといわれます。
さて、昭和の腹痛薬といえば、ラッパのマークの「正露丸」というのが、私の中の既成概念?!真っ黒で丸々して、まるで消しゴムのかすを丸めたような錠剤です。主成分がクレオソートというものなので、そのまま呼ぶ人もいるみたいです。手の上に出して飲むと、しばらくは掌が正露丸臭になります。これを歯に詰めて歯痛を抑える使い方もあったのです。幾度となく歯に詰められて、苦虫を潰したような顔になっていた経験は、知る人のみぞ知るといった感じ。一時的に痛みが治まる効果はあるようですが、治療薬ではありません。
先週、偶数学年の歯科検診が行われました。6年生女児2名が「健歯児童」に選ばれて、虫歯予防大会の審査に臨みます。虫歯や歯周病がなく、歯並びがキレイで汚れがないなんて、正露丸にお世話になった者としては羨ましい限り。一方、歯磨きを疎かにして歯垢が目立つ子も少なくないようです。「ながら歯磨き」ではないにしても、上の空で歯ブラシを咥えているだけ、動かしているだけという姿も想像できそうです。ブラシの先が歯のどこに当たっているのかをイメージしながら歯磨きすることが大事であると学校歯科医は話してくれました。そのためには、歯ブラシの持ち方を「鉛筆持ち」にすることが望ましいといいます。
『ノンタンのはみがき』という幼児向け絵本があります。「はみがきハ~ミ~、シュコシュコシュッシュ」と、子供が小学2年生くらいまで歌いながら仕上げの歯磨きをしていたのを思い出します。学校歯科医の先生曰く、8歳くらいまでは、親が子の歯磨きに気を配る必要があるとのこと。一生使う歯だからこそ、親も子も口腔衛生に関心を持ってほしいと思います。さぁ今日は、奇数学年の歯科検診です。
422 初夏(24.5.29)
シャポーの花屋の前に「紫陽花」「芍薬」という文字が、少し前まで見られました。学校のアジサイは徐々に色づき始めてこれからが楽しみです。蕾で買ってきたシャクヤクも見事です。花弁の多さと繊細さには驚かされます。終わりに近づくと、その花びらが小さな塊になって落ちます。テーブルに重なる花弁は、まるで薄く小さく剥いた玉ねぎのよう。
1ドルが160円を超えたときにはビックリ。30数年ぶりの円安とも言われます。では、30年前と今とでどれだけ違うのかを比較してみました。消費税(3%→10%)、ディズニーランド(4,800円→最大10,900円)、ビッグマック(210円→480円)、セブンスター220円→600円)、郵便はがき(50円→63円→85円)と、ざっと挙げただけでも驚異的な物価上昇率です。学校給食も例に漏れません。決められた金額の中で必要な栄養価を維持し、品数や見た目、味にもこだわりたいはず。これを担う栄養士にとって物価高は胃が痛くなる社会現象以外の何物でもありません。
キャベツも高い!スーパーでは一玉300円強。気軽に使える金額ではありません。キャベツの千切りやご飯のお替り自由のとんかつ屋がありますが、お詫びの貼り紙だってありそうな気がします。
運動会前にはたくさん生っていた平田小のサクランボは、食べる前に全部落ちてしまったようです。一方、スーパーではアメリカンチェリーが出始めました。その一角に「佐藤錦」と書かれた、握りこぶし程度の量かつ高価なサクランボが数パック。必然的に色が濃くて安価な方が買い物かごに入れられます。そして、ヨーグルトに数粒入れて食べるという経済的な食し方になってしまいます。最近の果物は種無しばかりになっています。チェリーと同じくらいの大きさのブドウもそうですから、種を出すのを忘れそうです。ある時、手の上に乗せた錠剤を、チェリーの種と間違えてごみ袋に捨てそうになったことも。あぶねぇ~。
子供たちの目には、今の季節がどんなふうに映っているのでしょう。花でも野菜でも果物でもよいのです。大人になっても感覚として思い出すような豊かな感性をはぐくんでほしいと願います。
421 color(24.5.28)
自宅近くに栗林が点在します。細長く花を咲かせて、独特の匂いを振りまきます。特に、今日のような雨の日は…。近づいてその花をじっくりと見てみましたが、花の季節が終わると、黄緑色の実をつける頃まで関心が失せてしまいます。だから、どうやってあのイガイガトゲトゲの栗の実になるのだろうと不思議でなりません。先日、栗の花を接写してきました。1週間ごとに写真に収めて、実になるまでを観察記録にまとめようかと思ったくらいです。
さて、栗にも和栗と洋栗があるようで、晩秋になると和栗を使ったケーキが出回ります。そんな「和」「洋」ある中で、「わしょく」という響きは、頭の中で「和食」という文字に一瞬で漢字変換されます。ワープロ変換も和食一択です。しかし、「和色」という言葉が存在することを、ひょんなことから知りました。日本の伝統的な色の名前とカラーコードが一目でわかる色見本『和色大辞典』なるものがあるのです。そこには、桜色に始まり暗黒色までの465色の名前が載っています。さらに、原色として140色、洋色には285色が取り上げられています。
先の栗の花の色を和色で例えるなら、「蒸栗色」「女郎花」「枯草色」「淡黄」あたりかと…。どれも聞き慣れない色言葉ですから、栗の花を知らない人にはイメージできないかもしれません。ただ、歴史の流れの中で名づけられた和の色の名称は、どれも美しく風雅です。
昨日、プール脇の道路沿いにビワの実を見つけました。オレンジ色のビワがたくさん生っていることに気づいたのです。体育館脇のサクランボを食べ損ねた私は、ビワとザクロ、そしてヤマモモの実を食すことを今楽しみにしています。このビワをオレンジ色と表現しましたが、洋色だとほかに「マンダリンオレンジ」「マリーゴールド」が近いかもしれません。和色では「金茶」「蜜柑色」「黄赤」「黄丹色」あたりかと思いますが、自然の作り出す色を表現することは、和・洋の言葉でも絵の具でもとても難しいものです。
初土俵から7場所目という最速優勝を果たした大の里関にあっては、どんな色の相撲を見せてくれるでしょうか。
420 卒業生(24.5.27)
3月に卒業した中学生2人が、ひょっこり校長室に訪ねてきました。「あ~、ここなんだか好きなんだよねぇ」とソファに腰掛けて中学校生活について語りだします。そして、カバンから『さがしもの』(角田光代著)という1冊の文庫本を取り出します。漢字の書き取りは苦手でも、本を読むのは好きなのだそうです。「これ、貸してあげる」と気前よく置いて行ってくれました。
短編集の中のお気に入りの話も教えてくれたので読んでみました。その中の登場人物が言う「いつだってできごとより、考えのほうが何倍もこわい」という言葉に、なるほどと首肯します。死ぬことより死ぬのを想像するのが怖いし、彼氏彼女にふられるよりふられるかもしれないと思うことのほうが怖い。試験の合否より、不合格になるのではないかとネガティブに考えている時のほうがよっぽど怖い。確かにその通りだと思ってしまいます。できごとは、起こってしまえばただのできごとでしかないのですから。だから、本を貸してくれた中学生も変に考え過ぎず、自分の思うままに突き進んで、失敗も成功も笑い飛ばせるようであってほしいなぁと願います。
また、中学生になった別の生徒からは手紙と写真が封書で届きました。卒業式4月以降の写真と近況が添えられています。ありがたいことに、お母さまからの手紙もあります。数人で業間、昼休み、下校後に校長室へやってきた中の一人。野球部に入部した綴られた箇所には、その意外さに驚きましたが、始終笑って読み終えました。最後に、自分たちが卒業したあと、「校長室の新しいお客さんができたか」と尋ねます。残念ながら、まだまだ敷居が高いのでしょう。でも、校長室前のクイズに頭を悩ませ、「わかった!!」と言いながらドアをノックする子や廊下を歩きながら手を振ってくれる子ならいますよ。
今日、第八中学校は体育祭の振替休業日。初めての体育祭は盛り上がったかなぁ。
419 ためになる人、ダメになる人(24.5.24)
代休日に、娘が結婚式を挙げた場所にある素敵なカフェでランチと洒落こみました。雰囲気はよいし、平日なので昼前に入れば空いています。正午の時報とともにどんどん席が埋まるのを横目に、おいしい食事でお腹も心も満たされました。
実は、この2週間ほど前にもSNSで見た食堂に妻と行っています。舟盛の揚げ物が安価で食べられると紹介されていたからですが、見ただけでお腹が膨れてしまい、3分の1は持ち帰った次第です。妻の横顔は、「もうこんなところは嫌だ」と言っているかのようで、今回もチキン南蛮定食が人気の店を提案しましたが、即却下!そうした経緯があって、カフェになったのでした。
さて、時々「ハチスガさん」と呼ばれることがあります。気にせず返事をしますが、濁らない「ハチスカ」が正しい。「須賀」だけなら「スガ」と読むからかもしれません。でも、名字を清濁どちらで読むか悩む場面はちょくちょくあります。「崎」「島」「原」「田」「沢」が付くと、例えば「ヤマサキ」なのか「ヤマザキ」なのか…。
少し前の読売新聞のコラムに、「世の中は澄むと濁るで大違い」と始まる狂歌の言葉遊びがあることを紹介していました。清濁の違いだけで全く反対の意味になってしまうわけで、うまいなぁと感心しながら検索してみました。どうもこんな風に続くようです。
「刷毛(はけ)に毛があり、禿(はげ)に毛が無し。福に徳あり、ふぐに毒あり。人は茶を飲む、蛇(じゃ)は人を飲む。意思が濁ると意地になり、口が濁ると愚痴になり、徳が濁ると毒になる。」といった感じ。
学校も「害」ではなく、「怪」でもなく、「快」でありたいと思います。そして、そこに集う人々は、「ダメになる人」ではなく「ためになる人」であり、「怒る保護者に驕る校長」といった関係図にならないように気を引き締めたいものです。いろいろ考えたら脳疲労!