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校長室から
511 短歌(24.11.12)
たまに新聞や雑誌などで名前を見ることのある歌人が木下龍也さん。学校に歌集を贈る活動をしたり、『あなたのための短歌集』を発行したりする気鋭の歌人だといいます。例えば、“教室を生き抜くための短歌をください”というリクエストに、〈違いとは間違いじゃない窓ひとつひとつに別の青空がある〉と返しています。高学年にもなると、ちょっと背中を押してもらえて、救われた気持ちになる子もいるかもしれません。航空大学校の卒業式で餞の詠(うた)にもなりそうなのが、〈思いきり翼をひろげきみはきみだけの空路を颯爽とゆく〉という作品。目の前に大きく広がる青空と未来が広がっている様子がうかがえます。
小学生も短歌を詠む機会があるかもしれません。俳句より難しいと思う人もいるかもしれません。でも、言葉を入れ替えたり、遠回りするような表現をすることで見えてくるものがあったり、自分を見つめ直すことができたりするのかもしれません。つまり短歌を作る時間は、ありのままの自分と向き合い、本当の自分に気づく時間になるのかもしれません。
新聞に投稿された現代短歌を、プロの選者が講評を交えて作品を紹介するコーナーを目にしますが、私はやっぱり俵万智さんの選んだ作品に親しみを感じてしまいます。好みは人それぞれです。
熱があって具合の悪かったある日の夕方、ウトウトしながら夢とうつつを行ったり来たり。ふと、「食べた食器、洗ったまま!」という妻の声が夢の中で聞こえます。キッチンの洗いかごに洗った食器を立てかけたままだったことを思い出して、慌ててベッドから起きだして拭いて食器棚にしまったのは言うまでもありません。いやだいやだ、その場にいない人間の声に動かされるなんて。それ以上に、いつも言われているのにできない自分もいやだ。こうした心の機微というか動きも短歌なら楽しく表現できそうな気がします。