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2024年1月の記事一覧

341 自助・共助(24.1.16)

 朝から隣の席ではスマホを見ながらケラケラと声を上げて笑っています。何事かと思って尋ねると、カピバラの映像に癒されているのだとか。動物や赤ちゃんは人を癒しますが、人が笑う姿は、それを見る者を幸せな気持ちにする効果がありそうです。

 さて、報じられる能登地震の情報は、日が経つにつれて甚大な被害の様子が増すようです。また、正月2日の滑走路上での飛行機同士の衝突も痛ましいものがありました。日航機、海保機、管制それぞれのミスが指摘されますが、379人の乗員乗客全員が無事脱出できたことを「18分間の奇跡」と海外でも称え報道しています。本当に奇跡かどうかは別にして、計画的で緻密な訓練があっての生還だと思います。一刻を争う場面において、パニックコントロールをし、状況を正しく把握・決断するなどということは簡単ではありません。聞くところによると、搭乗していたCAの約半数は23年春採用の新人だったとか。その正確な判断と機転に驚きを隠せません。

 また、奇跡の要因の一つに、乗客全員が勝手な行動をとらず、冷静に乗務員の指示に従ったことが挙げられています。「日本人がとったこの行動は、海外では当たり前とは言えない」という感動の声があるほどです。

 学校においても、地震や火災、不審者侵入、実験・実習中の事故などが考えられます。子供たちの感情と行動をコントロールし、正しく誘導等できるか。関係機関との迅速な連携が図れるか。私を含めた一人一人の職員が、何をすべきか瞬時に判断し機転を利かせた行動をとれるか。正月の大地震や事故を対岸の火事にしてはいけないと強く感じています。

 今週土曜日には、市川市の総合防災訓練が行われます。平田小学校でも担当者が集まりますが、この地域に住まう中高生や将来を担う小学生は、非常変災時の大事な戦力だと考えます。先日の新聞に、避難所生活をする人々に向けて、壁新聞でメッセージや励ましを送った小学校が取り上げられていました。「してもらう」といった受け身の姿勢から、人のために「今できることをする」という能動的意識を段階的に育てていくことが「自助」「共助」につながるように思います。

340 正月気分が抜けて…(24.1.15)

 子供のころ、正月三が日の朝、台所から母親の声が響きます。「お餅、いくつ~?」に「4つ!」などと眠い目をこすって答えていたことを思い出します。雑煮ではなく磯辺巻きにすると、4つ5つなんてペロンと食べられました。今では、「炭水化物をそんなに食べてはダメ!」「がまんしなさい!」と諭されるコドモ大人の私は、小さく「は~ぃ」と返事をします。

 神棚などに飾った丸餅は、鏡開きの日にお汁粉にして食べました。この鏡開き、家族の無病息災を願うものですが、元々は正月の終わりという区切りであり、仕事始めの日だったといわれます。一方、のし餅については、乾燥させてから細かく砕いて油で揚げておやつにしてくれました。揚げ餅が入った袋を抱えて食べていた1月後半。ポテチもそうですが、最後に残ったカスを袋持ち上げ、口に流し込むのが好きでした。

 年末放送していた『イチケイのカラス』を映画とともにまとめ撮りして、年明けに観ました。学校だより『稲穂』20号で子供のウソについて長々と書いてしまいましたが、ドラマの中でも「ウソ」がテーマとなっている話がありました。裁判官を演じる黒木華さんが、9種類のウソについて述べています。挙げると、①悪事のためのウソ、②方便としてのウソ、③優しいウソ、④言い訳や言い逃れ、⑤自己保身、⑥自分をよく見せようとするウソ、⑦守れない約束、⑧冗談、⑨悪意のないウソ、というものです。これらが複雑に入り組んで口から発されるのかもしれませんが、そこ言葉は自分次第で毒にもなるし愛にもなります。ただ、自分の言に責任を持ち、自分の気持ちに正直な子供たちに育ってほしいと願います。

 今日15日は小正月であり、旧成人の日(1999年まで)。早いもので、1月も後半に入ります!

339 過信しない(24.1.12)

 102回を迎えた全国高校サッカー選手権大会は、青森山田高校の優勝で幕を閉じました。そして、第100回の記念大会だった東京箱根間往復大学駅伝競走(正式名称)は、例年よりテレビの前にいた時間が長かったような気がします。それというのも年末に観た、箱根駅伝の裏側を明かす特集番組のせい。年取って涙腺が緩くなっているのか、涙が何度も流れます。そして、大会が終わってしばらくした日に放送された、今大会の陰の場面を観てまた涙。普段スポットが当たらない部分を知ることで新たな興味が湧きます。ちょっとしたことがきっかけになって、勉強もスポーツも音楽も面白さや意欲がアップします。ただ、それが何かは一人一人違うから難しい。ちなみに、前回の箱根駅伝以降大きな大会をすべて制してきた駒澤大を抑えて青学大が優勝。王者に過信はなかったでしょうか。

 さて、暮れも押し迫った30日、シャッター4枚を高圧洗浄機とブラシでせっせときれいにしていました。仕上げのふき取りを脚立に乗って行っていた時、少しバランスを崩しました。それを立て直そうとするうちに体が倒れていきます。右には痛そうなソテツの葉っぱ。そっちはダメ!まるでスローモーションです。結局、倒れる場所が定まらずに後ろにあったアジサイの枝の中にドサッ!晩秋くらいから脚立で転倒する危険性を新聞やテレビで観ていたのに、「自分は大丈夫」という過信があったのは確かです。でも思った以上に体は言うことをきかないようです。腫れがあった左手を休日当番医でレントゲンを撮ってもらいましたが異常なしで一安心。「あ~、来年このアジサイは咲くかなぁ?」って、私とアジサイ両方の心配する声が耳に届きます。気分はビミョー?!

 始業式の日も腕を固定して登校した児童がいました。骨折だそうです。大人でも子供でも思わぬけがや事故に遭います。「注意1秒、ケガ一生」とはよく言ったものです。後悔はしたくありませんね。

338 知ってる?(24.1.11)

 12月下旬の新聞に“安全な道「伊達直人さん」のお陰”という見出しがありました。歩行者や子供の安全を願って、道路側溝の蓋の穴を埋めるための寄付を10年以上続けている、特定できていない人物の表彰の記事です。「伊達直人」の文字で、アニメ『タイガーマスク』を瞬時に思い浮かべ、主人公が自ら育った孤児院へ素性を隠して寄付を行うという内容がわかる人は少ないはずです。「タイガーマスク現象」とも呼ばれ、ランドセルが施設に匿名で寄贈されたニュースを見聞きしたことはあると思います。それでも何のことかわからないことはあるものです。

 お恥ずかしいことですが、トイレで小用するときにズボンの前チャックが開いていたことに気づくことがあります。いつから開いていたのか記憶を辿りますが、思い出せないくらいの時間が経っていたのかもしれません。必然的に相当数の人に対応していたということです。気づいた人もいたのではないかなぁ。教えてほしかったなぁ。そんなことを思いつつ、「社会の窓」は死語となってしまったのか疑問が…。「社会問題の裏側を探る」「普段見られない部分が見える」といった意味合いから、ズボンのファスナーが開いていることを「社会の窓」と言うようになったとのこと(マイナビニュースより一部引用)子供に「社会の窓が開いているよ」と言っても、きっと手はズボンのチャック確認のために動かないのだろうなぁ?

 もう一つ。4年生の習字を指導したとき、筆を洗い忘れてカチンカチンになって字が書けないので困っている子がいました。箱にしまったままの墨を取り出して、硯の上で筆をしごきます。徐々に筆らしくなっていく様子を見ていた他の子が、「それって、そうやって使うんだぁ」と呟くのです。いえいえ、これは墨と言って、水を入れた硯の上で摺って使うものですよ~。墨汁を使って墨を摺る習慣がないのに、習字セットには必ずと言ってよいほど墨が入っていますが無駄では?そういえば、書道がユネスコの無形文化遺産に提案されるといいます。知ってる?

337 年賀状(24.1.10)

 昨日久しぶりにホームページを開いてアクセスカウンターを見ると、なんと150万を超えていました。以前100万を超えたと書いたのはいつだったのでしょう。学校のことを知ってもらったり身近に感じてもらったりするために他愛ないことを綴ってきましたが、目にとめてくださることに喜びと感謝です。

 今朝は、歌手の八代亜紀さんが亡くなったことを多く報じていました。スポーツでは、皇帝ベッケンバウワーの死去のニュース。サッカー少年の憧れでした。にもかかわらず、話を振ったら「ドッペルゲンガー?」と声が返ってきます。知らない人には興味ないかぁ。

 さて、年末の賀状作成がない喪中の年末はゆったりでした。そんな折、郵便料金が来秋値上げされるニュースに様々な思いが浮かびます。ハガキは7年ぶりで63円から85円に、定形郵便封書は84円から110円へという、こちらは30年ぶりの大幅な値上げといいます。逆に30年も据え置きだったことにびっくり!57年前(1966年の改定)にはハガキが7円、手紙が15円だったことを知る者としては苦笑するしかありません。ハガキや手紙離れが言われて久しいですが、年賀状など今以上に出さなくなることが目に見えるようです。

 子供のころ、元日の午前中に届く年賀状がとても楽しみでした。フライングしてポストを見に行って、まだ入っていなかったときのがっかり感。そして、輪ゴムで止められたハガキの束を持った時の高揚感。ただ、自分に届く年賀状の枚数は僅かですから、父や母が羨ましかったことも思い出します。

 学校に目を向けると、創立70周年記念関係の諸々がどんどん形になっていくことを感じます。70年前の開校当初と現在の学校や家庭生活を様々な角度から比較して紹介するようなことができたら、子供たちは目がテンになるかも。そうそう、記念の横断幕が出来上がりました。子供たちから募集したイメージデッサンや標語が、素敵な作品となっていますので、2月16日の式典の際には紹介します。この1月から各学年で子供たちのステージ発表(6年生を送る会)に向けて始動します。そのために、職員は今日、文化会館大ホールや経路を夕方下見してきます。

336 「アレ」といえば(24.1.9)

 元日から能登地震・JAL機と海保機の衝突炎上という衝撃的で悲しい始まりとなりました。知り合いに被災された方がいらっしゃるかもしれません。そうであっても新しい1年の始まりには変わりありません。

 さて、新年を迎えて生活用品が新品に入れ替わることもあります。洗面所や浴室で毎日使用する「アレ」もタイミングさえ合えばその一つかも。液体石鹸です。ボトルに入った液体が、フォーム(泡)となって出てくるものと液状のままのものとがありますが、どんな仕組みで一瞬のうちに泡に変わるのか、今さらですが知りたくなります。上部の細かいメッシュを通過することで、空気と合わさって泡になるらしいのですが、ヨシタケシンスケさん風に考えるとボトルの中に小人がたくさんいて、液体石鹸を繊維の上でゴシゴシこすって外へ送り出している絵が描けそうです。

 また、以前、大型トラックのフロントガラス上のルーフにあった「アレ」もふと思い出しました。対向する車などにトラックのスピードを知らせ、注意喚起をしていた緑の3連ランプです。一つ点灯で40キロ未満、三つ点灯すると60キロ以上を意味します。そこでも小人がせっせと操作をしていたはずです。ただ、道路のインフラ整備が進み、2001年以降点灯義務が廃止されていますから、すでに20年以上が経ちます。その小人たちは今…。

 さらに、年末年始恒例といえば、業者の挨拶まわり。来校して持参するのは決まって「アレ」。そう、会社名入りのでっかいカレンダーですが、昨年末にいただいたものを見ると時代の流れを感じます。どこも卓上カレンダーが主流になったようです。あまり邪魔にならず置く場所を選びません。刺繍入りの布製カレンダーもあった数年前までは、カレンダーを筒状にして段ボールに立てた脇に「ほしい方はどうぞ」と書かれている光景を目にしました。あのカレンダーの裏紙は字を書いて掲示したり集会で見せたりするのにちょうどよかったのになぁ。

 それでも、部屋のカレンダーが真新しいと背筋もピンと伸びます。そんな新鮮な気持ちを大事にしながら、今年もよろしくお願いします。