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2024年1月の記事一覧
351 新聞投書から(24.1.30)
朝の見守りをしながら声かけをしていると、子供から先に挨拶が聞けるようになってきたことを感じます。一方、下を見たまま顔を上げずにいたり、しかめっ面のままだったりなんていうことも…。「福が逃げちゃうよ」と声をかけたくなります。「笑顔は、自分にも相手にも幸せを呼ぶ」と信じているから!
さて、ある日の高校生の新聞投書を目にしました。膝の手術後にコルセットを装着して松葉杖生活が1か月続いたそうです。毎日満員に近い電車の優先席付近に立っても、席を譲ってもらえたのは半分にも満たなかったといいます。ある日、途中の駅からお年寄りが乗って、松葉杖の自分の横に並びました。優先席に座っていた若者が立って、その人に席を譲ったそうです。それを見て驚いたそうです。若者であってもけがをして困っていたのです。時には、人にはわからない病気を抱えている場合もあります。最後に「あなたは誰に席を譲りますか」と結んでいますが、知らんぷりや寝たふりをせず、しっかり向き合いたいと思います。そもそも、疲れていたとしても優先席がある意味を考えられるようでありたいものです。
もう一つ、「家事をしない父、共倒れの不安」と題された30代女性の投書です。両親は60代後半で、父親は家事をやらないといいます。外で父親が働き、母親は家事を担って家庭を守るという典型的な昭和世代。数年前に退職後も、家事の9割を行う母親はこれに納得し、夫婦仲もよいらしいのです。でも、娘は父が母の家事能力に頼り切っている現状を心配し、切ない気持ちで見守っています。共倒れの心配は、亡くなった私の両親への一番の心配でしたし、まるで自分の数年後を見ているようでもあり、危機感があります。子供たちに心配をかけないためにも自立が求められます。と考えながら行動が伴わない自分の弱さよ! (2024.1.16 朝日新聞「声」参考)
350 相撲(24.1.29)
大相撲初場所は、優勝決定戦の結果、照ノ富士の優勝で幕を閉じました。巴戦になったらおもしろいけどなぁなんて淡い期待を抱きましたが…。そんな今場所は、行司も話題を多く提供してくれています。7日目に行われた大関・霧島と北勝富士の一番では、力士とぶつかりそうになった行司が激しく転倒し、烏帽子と草履の片方が脱げるという一幕がありました。同日の序二段同士の一戦では物言いがついて、協議の説明まで7分半という長い時間を要するという場面がありました。この時の行司は若干20歳で、緊張した表情が話題になりました。その装束を見ると足袋も草履もない裸足で、着物の裾は膝下まで。明らかに横綱や大関戦を仕切る立行司とは異なります。
そして、今場所は約9年ぶりに行司最高位の木村庄之助(結びの一番のみを裁く)が土俵に立っています。昨年末の人事で、式守伊之助が昇進したといいます。立行司が身に着けているものを見ると、帯に短刀を携えています。これは「差し違い(間違った判定)」をした場合、切腹をして責任をとるという決意の表れだそうです。つまり、木村庄之助や式守伊之助を名乗る以上、差し違いは許されないということ。テレビでは際どい場面の映像を繰り返し流すことはあっても、VAR(ビデオ・アシスタント・レフェリー)など導入されそうもない相撲界ですから、その重圧たるや想像に難くありません。ちなみに、現在は「木村」「式守」しかいない行司に、かつては「岩井」「服部」「長瀬」「木瀬」「吉田司」などあったらしいです。
さてコロナ禍以降、休会となって開催されていない市内相撲大会。来年度も再開の目途はたっていません。様々なハードルをクリアする必要があります。指導する際の安全面もその一つ。5年間も行っていませんから、指導の仕方だけでなくまわしの締め方など知る者がいない学校だってありそうです。思い出すのは20数年前に優勝した時の喜び。正直、サッカー大会で優勝した時よりうれかったのです。ぶつかり稽古で肋骨にひびが入ったことや砂場で「巨人の星」の歌を歌いながらうさぎ跳びをしたこと、「どすこい倶楽部」を編成して時々学校周辺の吸い殻拾いをしたこと。今でも頼まれたら、「喜んで!」なんて言ってしまいそう。
349 こけし(24.1.26)
2日連続でそれぞれ違った研修に参加してきました。ともに特別支援教育に通ずる講演がありましたので、何かの機会にお伝えできればと思います。昨日の市川市特別支援教育振興大会は久しぶりの開催でした。毎回、手話通訳者と筆記通訳者がいます。特に筆記の大変さを感じます。語ることの要旨を簡潔に読みやすい文字で表記しなければならないからです。私の場合、メモをとるけれどスピードが追いつかないとか書いたはよいけれどあとから読み直すと解読できない文字があるなんていうことがあります。だから感心してチラ見してしまったのです。
全く話題は変わりますが、問題です!鳴子(宮城)・遠刈田〈とおがった〉(宮城)・土湯(福島)といったら何の産地でしょう?日本三大名産地といわれます。正解は「こけし」。こけしが誕生したのは、江戸時代後期の東北の温泉地。余材を利用した子供のおもちゃとして始まった伝統品です。産地ごとに模様や形、技法などそれぞれに特徴があります。
この「こけし」が実家の床の間に多数飾られていました。日焼けしたものから比較的きれいなものまで、大きさもまちまちでした。親戚の家は、大げさに言うと「こけし屋敷」と思うほど所狭し並んでいたのを思い出します。でも、我が家も含めて、現在こけしが飾られる家庭は珍しいのかもしれません。子供に問うても、こけし自体イメージできないなんていうことも?!
お笑い芸人の川村エミコさんは、こけし70体と一緒に暮らしているといいます。若いころ10cmほどのこけしを持ち歩き、勇気づけられて以来、目が合ったこけしに胸がキュンとなるとお持ち帰りを繰り返したようです。一緒に旅行したり写真を撮ったりする「お供こけし」や季節ごとの推しの「こけし選考会」、出かける前に冷蔵庫に入れて帰ってきたときに迎えてもらう「忍ばせこけし」など、楽しみ方は人それぞれ。逆に怖いと感じる人もいて、見方や思いは違うわけです。
冒頭の講演会を待つ空白の時間に目が行ったのが、前方に座る人の「つむじ」。女性はともかく、つむじを見つけやすい人とそうでない人がいます。言わずもがな、私は後者。こけしにつむじを描いていたずらしたのも私。日本海側は大雪。市川は今日も青空。でも連日、寒風がつむじ辺りを刺すようです。
348 家族で盛り上がろう(24.1.25)
校長室にやって来た子供から「校長先生、もう届いたでしょ?」と問われます。何のことだかさっぱりわからず混乱する頭。よくよく聞くと、大谷翔平選手から贈られたグローブのこと。どうも私が隠しているというか、出し渋っているように疑われている様子です。1月中旬あたりに配送されるといった情報を得ていましたが、もうすぐ1月が終わる来週早々に南部地区で贈呈式が行われるようです。
現在、通勤読書用の本が、『トヨトミの野望』(梶山三郎 著)という巨大自動車企業を舞台とした話。シリーズになっているので、面白かったらまた借りようかと…。そういえば某自動車会社が、安全確認試験で不正を働いていた問題が年末に大きく取り上げられていたのを思い出しました。モノづくりの基本思想に「1ミリ、1グラム、1円、1秒にこだわったクルマづくり」というスローガンを掲げる企業風土だったといいますが、顧客に寄り添うこだわりはどこで捻じれてしまったのでしょう。学校も児童生徒に寄り添い、学びや指導にこだわりを持って協働していますから不正や不祥事ゼロは当たり前ですし、当事者意識・切実感をもって臨んでいます。
さて、昔はあんなに観ていたクイズ番組を、最近はほとんど観なくなりました。それでも『クイズ!あなたは小学5年生より賢いの?』『THE突破ファイル』『有吉クイズ』『チコちゃんに叱られる』などクイズバラエティー番組はまだまだ健在です。
昭和世代に懐かしいのは、『クイズダービー』や『アップダウンクイズ』、『目方でドーン!』、『クイズタイムショック』、『マジカル頭脳パワー』、『世界丸ごとHOWマッチ!!』、『連想ゲーム』、『ぴったしカンカン』、『アメリカ横断ウルトラクイズ』などで、出演者の顔とともに映像が思い浮かびます。視聴者参加型もあり、まさに一家団らんの娯楽でした。でも時代とともに、個人視聴型のバラエティー化をたどっていきます。
現在と昔のどちらがよいかを比較するものではありません。ただ、家族みんなが同じ話題で盛り上がるような場面が失われていなければよいなぁと思うばかり。ボールと言葉のキャッチボールはいかが?
347 心通うコトバ(24.1.24)
人を前に話をしたり文字に残したりすることは少なくありません。コロナ以降、毎月の全校集会がほぼなくなってしまいましたが、そうした機会に話すことや入学式・卒業式の祝辞、卒業文集の原稿、校外学習の出発の会など、内容も話す長さもいろいろです。学校評価に、「入学や行事の際に聞く話は、子供たちを温かく見守りつつ芯の通った方針を感じて安心する」という声を見つけてうれしくなりました。
文科省が示した「教職員向け生成AI利用に関するガイドライン」が暫定的に示されています。活用例の「挨拶文や式辞等の原稿のたたき台」という部分に目が留まりました。確かに儀式的行事における挨拶には頭を悩ませます。負担に感じる人もいるでしょう。園児の延長線上にある新1年生に何をどう伝えるか。6年間で成長をした卒業生が耳を傾けたくなる話し方とその内容をどうするか。当然、子供たちの後ろで保護者も聞いています。堅苦しい話ではなく、ちょっとでも記憶に残る話を心がけます。それでも、私の思いがどのくらい伝わるか人それぞれ。全員なんて大それたことは考えません。きちんと聴いて理解しようと思う人が5割もあれば十分。
「校長先生の話はちょっと長いけど、おもしろいから好き。朝会が楽しみ」って言ってくれた中学年くらいの子がいました。だから、原稿の作成をAIに任せてよいとは思えません。肝心の子供たちを置き去りにしている罪悪感に苛まれますし、子供たちに真剣に向き合って話したいと考えます。教室で毎日・毎時間子供たちと触れ合う学級担任の何気ない話も、もしかすると「恩師の言葉」となって生き続けるかもしれません。日々真剣勝負だからこそ、そうあってほしいと願います。
70周年記念式典や卒業式の校長挨拶の原稿、なかなか筆が進みません。まだ先のことだなんて思っていると、何もしないまま時間ばかりが過ぎていくことになるのが私の悪い癖なので。