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2024年10月の記事一覧
503 ちびくろ・さんぼ(24.10.30)
妻が先週末に具合が悪かったので、夕飯づくりです。一人でできるメニューは限定されるので、それ以外になると指導者を侍らせなければなりません。作ったのはマカロニグラタン!人生初で、ホワイトソースまで頑張りました。ただ、ナビの指示どおりに目的地に行くと道を覚えないのと同様、指示に従っているだけだと次に作れるかどうか…。でもスマホアプリという強い味方もいますから。
風邪がうつったみたいで、昨日から発熱。インフルじゃないといいけど。「おおきなかぶ」をもじるなら、私は妻からうつされて、妻は孫からうつされて、孫は幼稚園でうつされて…。ウントコショ・ドッコイショ、じじぃは元気ありません。
さて、マルチルームに集まって、仕分けされている図書の中に『ちびくろ・さんぼ』を見つけました。日本では昔、教科書にまで採用されるほど世界でも人気の絵本でした。しかしある時、黒人差別を助長するという理由で絶版となりました。日本でも1988年から復刻されるまで十数年を要したという歴史があります。
先の見つけた本に『ちびくろ・さんぼ2』があるではないですか。初めてみました。〈さんぼ〉に二人の弟〈うーふ〉と〈むーふ〉が生まれます。でも、サルに高いヤシの木の上にさらわれます。そこへ大きなワシがやってきて助けてくれたのです。ワシへのお礼に、なんと羊のあしを2本あげたというからリアルでビックリです。一方、さんぼの家では羊肉をあげてしまったので、ホットケーキをいっぱい作ったという、1巻とつながるような展開でした。校長室前に2冊とも置きましたので、ぜひ手に取って読んでほしいものです。
学校で読み聞かせをしたら、子供たちは肌の色に反応を示すのかなぁ。多様性が叫ばれる時代に…。
502 本格的な秋へ(24.10.29)
暑かったり寒かったりが繰り返されるので、半袖の服やパジャマをまだ仕舞えずにいます。逆に、タンスやクローゼットの衣替えのタイミングがなかなかつかめません。先週もスーツの上着を着るか否かで迷う毎朝でした。さすがにクールビズがあと3日で終了して、ネクタイ生活に移行です。
それでも朝晩はだいぶ冷えてきたので、鍋物がそろそろ解禁です。水炊き・寄せ鍋・もつ鍋・ちゃんこ鍋・おでん・しゃぶしゃぶなど様々です。鍋に投入する食材も多岐にわたりますが、白菜や豆腐は多くに使われる王道的存在。我が家も先日は、チゲ鍋風のおかずが器に盛られました。美味しかったのですが、食べ終わってから歯間に詰まったニラとエノキに閉口です。さらに、サツマイモご飯にかけた黒ゴマまで飛び入り参加です。歳をとるにしたがってスポットが拡大しているのか、とても気になります。したがって、歯磨きも入念に行うようになりました。
先週のことです。「今日、“ミンオー”やるよ。録画予約しておいた」「本を読んだっけ?」と尋ねられました。それって、もしかして“タミオウ(民王)”のことですか?正しいことを何度伝えても、ミンオー沼から抜け出せないようです。
池井戸潤さんの作品といえば、半沢直樹シリーズや『下町ロケット』などが有名ですが、本屋でまだ平積みされている『俺たちの箱根駅伝』も気になっています。上下巻あるので、買わずに公共図書館に並ぶのを心待ちにしている最中です。
ところで、箱根駅伝といえば、今月中旬に予選会が行われました。本選出場に1秒差で涙をのんだ東農大ほか、ドラマがたくさんあったはず。43校参加の上位は常連校ばかりが名を連ねますが、下へたどると母校の名前を発見。「えっ」という声にならない声が漏れます。
いつかゆったりできる時間がとれたら、箱根駅伝を沿道で応援して、温泉に入って、その後に食べる郷土料理や鍋物なんて魅力的だなぁ。
501 デジタル時代に(24.10.28)
リビングにはWi-Fiが入るのに、すぐ脇のダイニングや和室だと4Gの表示になってしまう不思議。学校の場合、タブレット導入の初期には同じ教室で全員が同時に使うとつながりにくくなるので、部屋を分けて使用することもありましたが、今は隣の教室で皆が使っていても問題がないようです。でも、校長室も含めてWi-Fi環境の整っていない部屋は数ヵ所あるのが現状です。あと10年もすれば、学校もスマートキーを使用し、音声認識・顔認証などで様々なものを動かせる時代になるのかもしれません。
ファミレスなどでは、タブレットでの注文が一般的になっています。場所によっては、ロボットが配膳をして、店員は案内や会計、片付けに限定されそうです。教室でもタブレットに触れる機会が、昨年度以上に増えたように思います。2年生でもローマ字入力を素早くこなしているではありませんか。ローマ字の学習は3年生ですが、必要がなくなりそうです。ただ、タブレット端末に向き合う時間は、静かでコミュニケーションがなくなります。そんな中で、授業とは無関係な画像や動画を見ている子もいて、近づくと慌てるなんてことも…。
さて、教科書を含めたデジタル教材先進国のスウェーデンでは、脱デジタルへの舵切りを始めたようです。紙媒体の教科書を使い、ノートなどに書く活動を増やすことで、集中力や考える力が伸びたことを実感しているといいます。現在では、端末を効果的な場面に限定しており、子供からも好評を得ているそうです。日本は10年以上後ろを追いかけている感じですが、ICT活用が目的ではありませんから、ツールとしての最大限の効果と深い学びのために、アナログとデジタルが両輪で機能するようにしたいものです。
500 ひねるとジャー(24.10.25)
世界には約二百の国や地域が存在しますが、安全に水道水が飲める国の割合は10%前後と言われています。つまり、ほとんどの国では安全に飲むことができないということです。言い換えると、蛇口をひねれば流れ出る日本の水道水の品質・安全性は極めて高く、世界でも稀であると言えそうです。
一般的に、水道水を飲まない人が多いと指摘されることがあります。ミネラルウォーターを飲み慣れているからなのか、「おいしくない」「ぬるい」ということを理由にするようですが、果たしてそうなのでしょうか。笑い話のような投書があります。“家族はペットボトルの水を飲む。水道水とは味が違うらしい。でも家族は気づいていない。ペットボトルのミネラルウォーターが少なくなったら、私が水道水を補充していることを”とあります。まさに知らぬが仏です。
こんな声もあります。“風呂・洗濯・洗車・プールetc、使った後の汚れた水を再生する大変さを考えている人がどのくらいいるだろうか”“自分では水を作れない。貴重で大切なものだと周知させ、意識改革するべきだと思う”など。(朝日新聞 beより引用)
さて、4年生の社会科「くらしと水」では、私たちの健康な暮らしを支える貴重な水がどのように確保され、各家庭に提供されるのかなどを追究していきながら、生活の仕方を今一度見直します。学習後に誰もが、水を大切にしようとか節水の必要性などを記します。でも、それをどれだけ実践できているのかは甚だ疑問ですし、そういう私も例外ではありません。
499 自慢できること(24.10.24)
業間や昼休みに校長室にやってきて雑談に興じる子がいます。ある日、急に尋ねられました。「さて、僕の好きなペットボトルのお茶、ベスト5は何でしょう?」と。「伊右衛門」「お~いお茶」「綾鷹」「爽健美茶」など思い浮かぶものを口にしますが、なかなか正解にはたどり着けず降参!すると、「生茶」「烏龍茶」「十六茶」「綾鷹ほうじ茶」…と、商品名を順位とともに教えてくれました。私にはどれも同じなのに、ペットボトル茶の味にこだわりがあるようで、敏感な舌(味覚)を持ち合わせているみたいです。ちなみに私は、血糖値の上昇を抑える「伊右衛門」の緑茶スティックを欠かさず飲んでいます。
さて、バラエティ番組のインタビューだったでしょうか。大学生風の若者が住んでいる町の自慢をする企画です。ある若者は柏在住で、柏市は北西部の頂点だと言います。その理由が周りの街にあるみたいで、「終わっている町・松戸」「本当に田舎の我孫子」「何もない鎌ケ谷」「子育てしかしていない流山」とコケにした後に、「柏は、茨城県民曰く“ちばの渋谷”!」と言うから笑えます。
では、平田小の子供たちはどんな市川自慢をするでしょうか。「梨しかない市川」なんて言わせない魅力をみつけてほしいと思います。市川ユネスコ協会が主催する「わたしの町のたからもの」絵画コンクールに、数名の児童が応募しました。残念ながら原画を見ていないのですが、学習等をきっかけに自慢できる宝物を増やしていきたいと思います。2年生の町探検もその一つ。意義性があったり、知れば知るほど好きになったりすることもあるのではないでしょうか。
自分自身の魅力だって、気づきにくいだけ。だから、誰かがそっと光の下に出してあげることも必要かもしれません。ペットボトル茶の味が判別できることだって、尊敬に値します。
498 食欲の秋(24.10.23)
最近は、高級ブドウをよく見かけるようになりましたが、先日スーパーで見つけたレッドグローブが安かったのでお買い上げ。種無しブドウに慣れ親しんだ私は、何も考えずに口に放り込みます。そして、思い切り噛んだ瞬間に失敗を悟ります。2つ3つの小さな種が、実に鬱陶しい。慣れというのは恐ろしいもので、種がなく皮を剥かずに食べられるのが当たり前となった現在、皮を剥いたり種を口から出したりすることを面倒くさく感じてしまいます。なんと贅沢になってしまったのでしょう。進化や便利さに、忘れてしまったり鈍ってしまったりする感覚もたくさんあるような気がします。
ある日ふと、バームクーヘンを丸ごと食べたい!という衝動にかられました。ドイツのお菓子が、急に頭の中に浮かび上がってきたのです。ショートケーキやシフォンケーキ、カステラのようなふわふわ感とは正反対で、生地がぎゅっと結束しあう感じ。そうかといって硬いわけでもなく、しっとりとした舌ざわりと甘すぎない適度な甘さ。紅茶やコーヒーにも合いますし、牛乳でもよし。当然、日本茶でもおいしく食べられます。知らず知らずのうちに、口の中に唾が…。
そんな気持ちが通じたのでしょうか。ある先生から、コンビニのバームクーヘンをおやつにいただきました。大きさは問題ではなく、ただただ嬉しく、タイミング(勤務時間外です)を見計らってパクリ!しあわせ~。こんなふうに、何の前触れもなく急に、○○が食べたいと思うことが時々あるのは私だけですか?
庭のいちごポットに季節外れのいちごが、小粒ですが5つ実っています。食べる前にナメクジに先を越されるのが癪なので、現在観察中。それにしても可愛い。
497 ありがとうを口癖に(24.10.22)
教員の意識調査にある「どのようなときにやりがいを感じるか」の問いに、「自分の仕事が評価されたとき」が6番目に登場します。また、「働きやすい職場はどのような職場ですか」に対しては、「上司から正当な評価がされること」という文字が見られます。
次の作品は、新聞に掲載された小学2年生の詩です。
じぶんのシューズあらいと / ぞうきんがけをしました
シューズをあらったとき / お母さんがうれしそうに
サイコーっていってくれました /
お母さんのおてつだい / いつもやりたいです
お母さんの言葉とそこに添えられる嬉しそうな表情が、この子をやる気にさせる評価であり、スイッチなのだと思います。同じ言葉であっても、トーンなどの違いで受ける印象が異なりますから、笑顔と一緒に感謝や称賛をちゃんと相手に伝えたいと思います。
先々週、補聴器を点検に出しました。オーバーホールするので1週間かかります。そこで代替器を借り受けて装着してびっくり。進化のスピードは加速度的に伸びているようで、突発音のほか風切り音が低減されています。強い風でもバリバリと割れる音がしないのです。車検や修理の際の代車に、新型車を借りた時の、軽快感・操舵感に驚くのと同じ感覚です。新旧補聴器の違いを実感した先週でしたが、買い換えを検討できる余裕なんかあるはずもなし。
そういえば、病院の受付で大きな声で聞き返していたおじいさんの耳にも外れかけた補聴器が見えました。何年使っているかは不明ですが、未来の自分を見るようです。そのおじいさんが、看護師さんに大きな声で「ありがとう~」と発した響きは、決してうるさく感じないから不思議です。
496 尾頭付き(24.10.19)
今日土曜日は、音楽会の参観とひらたっ子まつり。ワクワクします!
ある日のニュースで、「地域を支えるヤブ医者」というタイトルが映りました。「えっ、どういうこと?」と思いながら見ていると、「ヤブ医者」とは本来名医を表す言葉で、現在言われるような下手な医者のことではないとのこと。兵庫県養父(やぶ)市のHPには、“ある名医が但馬の養父(やぶ)という所にひっそりと隠れるように住んでいて、土地の人に治療を行っていた。死にそうな病人を治すほどの治療を行うことも少なくなかった。その評判は広く各地に伝わり、多くの医者の卵が養父の名医の弟子となった。”とあります。そういう起源があったんだぁ、ガッテン!
スーパーに並ぶサンマは、今年もスリムな体型です。そんな魚たちを眺めていて、ふと思います。子供たちはこうした魚を見て、名前を言えるのでしょうか。切り身や刺身しか目しない子にとって、鯛や金目はわかってもマグロもカツオもブリも同じに見えるかもしれません。でも魚にも顔があって、種類の見分けはつきます。開きになっても、アジなのかホッケなのかもわかります。
一般的に、焼き魚として提供されるものの多くは尾頭付きのように思います。鯛やサンマ、目刺しまで…。私の場合、目刺しは頭から全部食べてしまいますが、妻は皿の隅に置いて口をつけません。美味しいのにと思って手を伸ばそうとすると叱られます。ですから、先日食べたサンマには頭がありませんでした。内臓もなかったので売り場に出される前にカットされたものだったのでしょうが、ちょっと寂しい。頭を食べるわけではないのになぜか寂しい。やっぱり、サンマがサンマであることの証が頭(顔)なのではないかなぁと思うのです。「養父」ならず「目黒」のサンマも、当然尾頭付きだったはず。
495 あの気持ちを再び(24.10.18)
キンモクセイの甘い香りに淡い思い出が浮かびます。一方、味への感動は忘れて久しいように思います。自分で収入を得るようなると、自然と美味しいものを口にする機会が増えます。あれもこれも美味しいと味わっていくうちに、今なら何でもない味に感動したあの時、あの場面が蘇ります。大学生になったころから、新しく知る味がどんどん増えていきました。母の作る味がスタンダードでしたから、「世の中にこんなに美味しいものがあったんだ」というカルチャーショックはたびたびでした。例えば、大学の食堂で食べたサウザンドアイランドが、アルファルファのサラダ(今でいうスプラウト)を絶品に変身させてしまうような錯覚に陥りました。マヨネーズくらいしか知らない舌が、異世界を味わったような感覚。今思えば、たかがそんなことに?と馬鹿々々しくなりますが…。
ユーチューブで、松山千春が歌う『旅立ち』をたまたま聴くことがあり、カラオケで歌ったことを思い出しました。70年代後半のリリースです。この頃のフォークソングは、自分が歌詞の中の主人公のような錯覚に陥ります。時代背景や生活環境が必ずしも合致しないのに、自分と重ねてしまった若かりし頃。
70年代のヒット曲のリストから好きな曲を選んでもらうというアンケート結果を見ると、『なごり雪』『神田川』『心の旅』『22才の別れ』などフォークソングが上位を独占です。そのほかにも、不思議と別れや別れの予感を歌った曲がとても多いことに気づきます。自分の思いどおりにはならない心苦しさと傷つけあう姿を切々と詞にしています。逆に、人とのかかわりや思いが、歌の中に息づいているとも言えそうです。アンケート48位に見つけた、ハイファイセットの『フィーリング』も好きだなぁ。
歌に自分を重ねて感傷に浸るなんてこともなくなったので、子供たちの歌声を楽しみにする今日は、明日に向けたリハーサル兼相互に見合う発表会です。
494 夢を見る(24.10.17)
社会科の授業が始まる時間、他校からの参観者が数名確認できます。でも、子供は7~8名くらいしか教室に戻っていません。どうしたのか心配しながら、仕方なく授業を始めます。グラフを読み取って考えさせようと思っていたにもかかわらず、その資料が教科書のどこにも載っていないことに気づいて焦ります。手元にも印刷資料を用意していません。ふと教室全体に目をやると、子供たちは授業に関係ないものを振り回してやりたい放題。授業は進まず、板書は未だなし。そんな状況を目の当たりにして、参観者がこそこそと話し始めているのが横目でわかります。居たたまれない気持ちになる中、目が覚めました。担任ではない年月が、担任をしていた時代を大きく上回っているにもかかわらず、未だに準備不足の授業場面の夢を時々見るのです。
賞状書士の資格をとってみようかと、通信講座に申し込んだのは何十年前のことだったか。筆などは別にして、手本や道具が一式揃い、取り組んで添削を受けたのは2回くらいでした。時間がないわけではありませんが、一人で黙々と続ける根気に欠ける私。ウクレレが続いているのは、独学ではなく、定期的に先生に習いに行っているからにほかなりません。
似顔絵の通信講座受講を考えた時もありました。特徴をとらえた絵は、何かの役に立つのではないか、描いている時間も楽しいのではないかと思いめぐらせたのですが、申し込みには至りませんでした。好きだったのが、先日亡くなったイラストレーター・山藤章二さんの風刺画。例えば、岸田劉生の『麗子像』を模して描いた大平正芳元首相などの作品はユーモアたっぷり。特徴をとらえた似顔絵が描けたら、全校児童をモデルにできるのにと叶わない夢を見ます。現実は、ワンパターンの自分の似顔絵が限界なのに。