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2023年10月の記事一覧

298 米菓(23.10.28)

 先週電車に乗ったら、車両のどこに目をやっても『サク山チョコ次郎』の広告で溢れていました。中吊りや動画など、チョコとビスケットの間にミルククリームの入った菓子のコマーシャルだらけ。チョコ側の面には、チョコジローのいろいろな表情29種類が浮き彫りになっており、ビスケット面にはおしゃべりする言葉が96種類。それぞれにシークレットがあるようです。「組み合わせは、何通りでしょう?」と投げかければ、6年生の算数の問題にもなります。似たような菓子がこれまでもあったように思いますが、これほど大々的な宣伝は初めてかもしれません。でも、その日以降は一度も見かけません。あの日だけの広告だったのか、あるいはその車両だけだったのか不明です。ただ、甘いものが欲しくなる季節です。手元に置こうものならすぐに1袋食べ切って、罪悪感に苛(さいな)まれそうです。

 一方、米菓の代表といったら柿の種と答える人も少なくないはず。一粒ずつ食べる人もいるでしょうが、私の場合は手のひらに少量出してそのまま口へ入れるものだから、容器に出して一緒に食べる場面では「一粒ずつ食べなさい」と、毎回指導が入ります。あっ、チョコでコーティングされた柿ピー食べたい!

 さて、スーパーなどでいろいろな品種の新米が並ぶ季節になりました。食の多様化によって、一人が一日に食べる米の量は明らかに少なくなっています。でも、やはり日本人として生まれた以上、コメの味を楽しまないというのはとても残念なこと。大事な主食であることに変わりはありません。自宅近隣の田んぼは、ほぼ刈り取りが終わった跡が広がります。

 そういう私の場合、米の味の違いが正直ほとんどわかりません。「やっぱりこのおコメは美味しい」と言われると、硬さ以外はどれも同じように感じてしまうこの舌が恨めしい。恥ずかしい話、朝食がパンかご飯かで昼までの腹持ちが違うことにしか関心が向きません。

 来週7日に5年生が、田植えからかかわった稲の刈り取りと脱穀を体験します。集まった白米は、調理してみんなで食べるといいますから、たくさん収穫できるといいなぁ。

 今日の授業参観とひらたっ子まつり、よろしくお願いします。

297 食いしん坊万歳(23.10.27)

 朝晩の冷え込みと寒暖差による体調不良が気になるところです。少し寒くなると、たちどころにパジャマや夜具に反映されます。長袖を着て、靴下のほかフリースの上着まで登場した先日は笑われました。布団だって「重み」が大事。羽毛布団の暖かさはよいのですが、軽いのはいけません!ずっしり包まれている感が好きな私は、やっぱり古い人間なのでしょう。

 さて、教員になりたての頃は自宅から車で通勤していました。朝に弱い私は、車の中で母が作ってくれたおにぎりを頬張っていたのです。3つあれば、それぞれに具材が違いました。「最後に食べたのが○○だったら、今日はよい一日になる」などと縁起を担いでいた20代。

 子供たちが好きなおにぎりの具は何でしょう?同じ質問に、多くの人がシャケを一番に挙げています。2位以下梅干し、昆布、おかか、たらこと続きます。手軽に作れて手軽に食べられるのが人気のおにぎりですから、おにぎりバーといった専門店もあるくらいです。

 先日、我が家では珍しくツナマヨのおにぎりが出てきました。海苔無しでしたが、温かいご飯に入ったツナマヨもなかなかよいものです。ふと、「ツナマヨを具にしたとき、おにぎりで食べたいか、手巻きずしで食べたいか」という問いが浮かびました。酢飯で食べるのもいいしなぁ。選ばせようとすること自体愚問なのかもしれません。

 愚問ついでに、もう一つ。私が見るインスタに、最近やたらと「千葉の知られざる名店・名所」の類が現れます。先日何気なく見ていたら、厚切りロースかつ定食を提供する本八幡の店が紹介されているではありませんか。その店の前を歩くこともよくあり、昼前から列ができているのを見たこともあります。食べに行きたいと思って妻に話すと、「その値段なら、私はう・な・ぎ!」ときっぱり言われました。価値観の問題ですが、仮に同じ3千円を出すなら、とんかつ?それとも鰻?私にとっては究極の選択。

 食べ物がおいしく感じる季節は、危ない危ない…。

296 新聞(23.10.26)

 「字違い句」と聞き慣れない言葉が、読売新聞の編集手帳にありました。「なごり雪と名古屋行き」は一字違い。「三連休とせんねん灸」は二字違い、といった言葉遊びです。違いがないものならば、「5期ぶりとゴキブリ」がすぐに思い浮かびます。

 こんな遊びもあります。てんし(天使)→てんき(天気)→たんき(短期)→あんき(暗記)→あんじ(暗示)→あくじ(悪事)→あくま(悪魔)→あたま(頭)→ふたま(二間)・・・というように、1文字ずつ変えて別の言葉を作るといったもの。隙間時間に一人で頭の体操をしたり、渋滞した車の中で家族が順番に言い合ってイライラを解消したりできそうです。

 今月11日の定例研では、4年1組が「新聞を学習にどのように用いるか」という提案授業を公開しました。そのあと教室に足を運ぶと、壁新聞づくりをしています。紙面には、社会科学習の発展で、「千葉県の魅力」を読者に伝える内容がぎっしり書かれるとともに、新聞の切り抜きが貼られています。グループ内で分担はあるものの、紙面を構成していく上で協議・検討がされたことが窺えます。掲示された際には多くの人に読んでほしいと思います。

 さて、先週19日の新聞に楽譜の一部が掲載された一面広告がありました。『新聞で紡ぐ希望のうた』というものです。全国の73の新聞にそれぞれ異なる楽譜が掲載されています。つなぎ合わせると一つの曲になり、「いきものがかり」が歌うといいます。明るいニュースばかりを取り上げるわけにはいかないが、それでもどこかに希望を見つけて、明日もまた前を向いて生きてほしいという想いが込められた歌です。23日夜、楽曲が公開されました。『新聞で紡ぐ…』で検索すると6分の動画と『誰か』という素敵な歌が聴けます。高学年で歌わないかなぁ?

 校長室に届く新聞も、読後の有効活用がされています。例えば、習字の作品を1枚ずつ挟むホルダーとして…。

295 成長曲線(23.10.25)

 足繁く通う道の駅で先日、車から自転車を下ろしている人を見かけましたが、これ自体はよくあること。でも横顔が知り合いの校長先生に似ているのです。食い入るように見つめていると、やっぱりそうです。確信して駆け寄り、声をかけました。たまたま寄ったのだそうですから、まさに偶然!こんなふうに思わぬところで意外な人に会うことはあるものです。ずっと以前、九十九里に子供を連れて海水浴に行ったときも市内の先生とバッタリ。ある人は、ハワイの海で声をかけられたとか…。どこで誰に会うかわかったものではありません。知り合いの知り合いなんて関係もありますから言動は慎重に!悪いことはできません。

 さて、今日は孫の話。4月から幼稚園に通い始めて、おしゃべりする内容も行動も会うたびにレベルアップ。成長曲線は右肩上がりです。毎朝幼稚園に行くときに会う近所の方が、いつも母子に元気な挨拶をしてくれるのだそうです。孫が母親に「誰かなぁ、お友達?」と尋ねたので、「ご近所さんだよ」って教えたといいます。翌朝、会ったとたんに「ママ見て!見て!ママの金魚さんだよ~」と大きな声で言ったのを聞き、母親は赤面したといいます。なんともかわいい孫です。

 その孫の運動会があるというので見に行きました。小学校のグランドを借りています。園児でしかも年少ですから、勝ち負けなんか考えていません。ゴールで待つ担任の先生に向かってみんなまっしぐら。玉入れは父親と一緒に参加しましたが、1個も入らずに半べそ状態。何に対しても一生懸命な姿は健気です。

 我が子の時もそうですが、小学校の運動会に祖父母が見に来ることは、コロナ前は当たり前でした。孫を見るまなざしは優しさに満ちています。そして、その成長のスピードをうれしく思うのです。たとえ成長とともに健気さは変化していったとしても…。週末の授業参観やおまつりで、成長真っ只中の子供たちを見てください。

294 土台づくり(23.10.24)

 歯医者は嫌いだ!とにかく怖い!痛みのあるなしに関係なく、診察台に座って背もたれが倒れるや否やまな板の上のコイ。両手をお腹の辺りで組んで来るべき様々な刺激に備えます。また、口の中に異物が入ると唾液がボワーっと湧き出てくる感じ。特に、脱脂綿のようなものを奥歯に挟んで強く噛んだ時の味がダメ。歯のかぶせ物や詰め物が取れた日からは悪夢のような治療期間が始まるのです。一方、娘も息子も歯医者とは縁のない生活を30年以上送っています。うらやましいのですが、歯が生え始めた乳幼児期からの親の口腔管理が実を結んだ結果であると、勝手に胸を張っています。

 さて先週、ある学年の習字の授業をやらせてもらいました。サポートではなく自分で指導するのは実に十年ぶり!楽しかったなぁ。タブレットや電子黒板をうまく操作できないので、完全アナログですが、投げかけた言葉が取り組む姿勢になっていることを感じ、うれしく思いました。

 私自身、書道教室に通ったのは小学校の6年間。少人数でしたから、基礎からしっかり教えてもらいました。父も達筆でしたから、字形のとり方をアドバイスしてもらったこともあります。テレビで『ばらかもん』を観ていましたが、書家と呼ばれる人だって基本が身について初めて次のステージへと上がっていったのだと思います。また、高校書道部の巨大な作品を見る機会がありますが、学んだことの上に立って、自分たちの思いをどんな言葉でどのように表現したら相手に伝わるか、そうした願いがぎっしり詰まっているように感じます。だから、感動するのかもしれません。

 高層の建造物だって何だって基礎が大事。子供たちの未来も、現在の土台づくりの上に成り立つと思うとたった45分の授業も手が抜けません。明日は清書。上手と思われる文字より、その人らしさが滲み出る「よい字」「よい作品」を目指します。

293 お~い、老い(23.10.23)

 トイレで手を洗うために蛇口を一ひねり。しばらくすると、どこからか甲高い声のような音が響きます。誰かが廊下で叫び声をあげている様子。何事だろう?と思って、廊下に出るために蛇口を戻すと、音がピタッと止みました。一瞬でも「あの子かな?」と思ってしまったこと、ごめんなさい!

 蛇口は経年劣化ですが、人間が歳をとるのは経験の積み上げで素敵なことはたくさんあります。でも、今までできていたことができなくなったり一人では無理だったりすることが増えていき、老いを感じてさみしくなることもあります。父母を見てきて、高齢になればなるほど顕著になっていくことを感じました。

 千葉県の事業の一環で、5年生が介護について学ぶ機会がありました。導入で「お年寄りへの尊敬」「老いるということ」「介護の仕事とは?」の3点について簡単に説明があり、そのあとデイケアセンター長が「介護の未来案内人」として現場での仕事を紹介してくれました。介護職は、相手を笑顔にできる仕事のプロであり、ヒーローあるいは助っ人であると胸を張って教えてくれましたが、全力で人を笑顔にするという点では、教員も負けてはいないと自負しているのは私だけではないと思います。また、「ありがとう」「みんなが待っています」という言葉に勇気づけられるとも言います。要介護者が生活をする施設においては、さらに厳しさを伴うことが予想されます。ただ、一生懸命頑張る人だからこそ、何気ない一言に力が湧いたり気持ちが沈んだりするのだと思います。だから、どんな仕事であっても言葉のキャッチボールは大事にしたいと改めて思います。

 家族間でも相手への尊敬の念と言葉のキャッチボール、忘れずにいたいと思います。

292 火の見櫓(23.10.20)

 庭仕事をしながら補聴器から鳴る音楽を聴いていると、「よくそんなのでずっと聴いていられるね」と言われます。「BGMじゃん!」と言うと、「GGMでしょ?」と切り返されました。どうもじじぃミュージックらしい。

 そのGGは、最近ランニングよりも専らウォーキングです。家から少し離れた「火の見下」という交差点を通過したとき、ここに火の見櫓があったことを思い出しました。当然のことながらもう使われてはいませんでしたが。上方に半鐘があったのを記憶しています。でも見渡せどそれらしきものが見当たりません。いつ撤去されてしまったのでしょう。市川市では、行徳の旧道周辺に残っているような気がするのですが…。

 この火の見櫓の役割は、火事が近くであることを知らせるもので、天辺にある鐘を続けざまに打ち鳴らして人々の安全を守りました。江戸時代から人々の暮らしを見守ってきた火の見櫓は、町や村のシンボルとして集落ごとに立っていたといわれます。これを中心に、住民は自分たちの手で町や村を守ろうとする郷土愛があったのです。そう考えると、先の火の見櫓もお役御免になったとはいえ、地域の文化遺産が消えてしまったことに一抹の寂しさを感じます。存在するときは何とも思わないのに、無くなってから惜しみ懐かしむことってよくあることです。

 年末が近づいて寒くなると、拍子木を打ちながら「火の用心」の声が冴えて聞こえてくる地域もあります。自治会等の自警団の活動に安心して眠りにつく家庭は少なくないのかもしれません。

291 秋を満喫しよう(23.10.19)

 通勤届は市川工業高校の正門前をぐるっと廻る経路で申請していますが、JR高架下を使わせてもらって通勤する毎日。この高架下にミズヒキやヨウシュヤマゴボウが見られます。ミズヒキを鉢栽培したことがありますが、穂先に付いた赤い種が飛んで、翌年あちこちで発芽するほど生育力旺盛な植物。一方ヨウシュヤマゴボウは、低学年の生活科で色水づくりをして遊ぶために用いられることがあります。そろそろ摘んで活動しようかと思っていた矢先に、誰かに刈られてしまったなんて話を聞くこともあります。

 平田小ではキンモクセイが鮮やかなオレンジと芳香な香りを振りまいています。白門脇でそびえる木は、子供たちを迎え、なかよし広場で遊ぶ姿を見守っているように見えます。校庭沿いにも植えられているので、もうしばらくすると辺りはオレンジ色の絨毯になります。また、2・4年生の昇降口から出て目線を上げると、ザクロが実っているのが見えます。食べてみたい子はいるかなぁ。

 我が家では、季節外れのライラックが咲いています。銀葉アカシアの花芽も見事です。鉢植えの他3種のうちの一つは、これまで一度も花を咲かせたことのないブルーブッシュという種類。今春に仙台へ行った際に、「特殊肥料」に分類されるたい肥を買ってきました。というのも、花が咲かないことを相談した園芸店の方が太鼓判を押したように勧めてくれたからです。通常のたい肥の何倍もする値段でしたが効果は抜群!来年の2月から3月にかけての開花が今から楽しみでなりません。

 穏やかな天候が続く今日、4年生は大町自然観察園に行きます。学芸員の方の話にしっかり耳を傾け、平田小学区では味わえない自然のよさや新たな発見をしてほしいと願います。見ようとする気持ちがなければ見えないものはたくさんありますから…。青空の下で食べるお弁当もきっと格別なはず!

290 優しさの連鎖(23.10.18)

 先の日曜日は、雨もあって寒い一日でした。フリースを着込んだり車内では今シーズン初めての暖房を入れたり…。翌日にはまた25度くらいに戻りましたから体がついていきません。

 陸上大会が行われた日も秋晴れの清々しい天気。前の晩に頭を剃っていたので、帽子を忘れたことを後悔しました。陸上競技場の走り高跳びは、スタンドから離れた場所で展開されます。ですから、現在のバーの高さは何センチなのかを知らせるためのボードがあります。これが登場したのはそれほど昔のことではありません。実はこれ(写真)を見ると、ガソリンスタンドのガソリンや軽油の価格ボードに見えてしまうのは私だけ?国府台スポーツセンターへ引率・応援に行ってこんな写真を撮っているのも私だけなのでしょう。

 ある日船橋駅から電車に乗って、空いていた座席に腰を下ろしました。発車前に後期高齢者と思しき男性が乗り込んできました。座れる場所を探している様子。優先席は?若者が占領して動く気配なし。近くにいる人も気づいているのかいないのか誰も譲りません。少し離れて座っていた私が声をかけ、座ってもらいました。昔話だと、家に帰ったおじいさんは、おばあさんから「よいことをしましたなぁ、じぃさんや!」と声をかけられる感じ?そんな私も62!

 「優しさの連鎖」という投稿動画を見ることがあります。思いやりある行動を目にしたほかの人が、別の場面で別の人に思いやりのある別の行動をとります。それを見た別の人は違うところで…といった連鎖ですが、子供たち同士でも優しさの連鎖がたくさん見られたらいいなぁ。でも、願うだけではだめ!意図的に仕組んでいくこと。そこは大人の、担任の腕の見せ所ではないかと思うのです。

289 気持ちでは負けないように(10/17)

 校長同士が顔を合わせる機会は結構あるものです。9月以降は、インフルやコロナの校内での感染状況があいさつ代わりになっている気がします。平田小も若干名の罹患者はいますが、拡大を心配するような状況ではありませんが、「○年生が○日まで学級閉鎖なんですよ~」といった声に意識を高く持つことの必要性を感じます。また、年齢高めの教職員が話し始めると、病気自慢に発展しないとも限りません。ただ、明日は我が身といった感じで互いを案じているのです。

 晩酌はもっぱらビール党の私。それでも平日は350ml缶1本でおしまい!時々ご褒美で酎ハイを二人でもう1本というときはうれしいもの。このご褒美が、ご当地ビールだったり味や香りが芳醇なクラフトビールだったりする場合もあります。350ml缶で300円近くしますからなかなか手を出せません。にもかかわらず、最近飲み始めた薬1錠がこれとほぼ同じ値段なのです。朝晩飲む薬の量も増えたので「晩酌をやめる?」と尋ねたら、「あなただけね」とつれない返事。

 さて、日本中がその快挙を称えるかのような藤井聡太棋士の「八冠」達成。将棋を知らない人でも藤井ブームに巻き込まれていると感じます。でもまだ21歳。14歳でプロデビューして7年での快挙です。タイトルをとることを目標とすることなく、常に研究を続け、目の前の対戦を大事にしていることが偉業につながっていると思います。

 また、先日目にした紙面にはスケートボーダーが数多く紹介されていました。男女とも世界ランク上位者に日本人が名を連ね、10代から20代前半の若者ばかりです。サッカーやスノボ、ボルダリング、ゴルフなど各方面で怪物といわれるような活躍が見られます。

 何かの拍子に腰痛や膝痛に悩まされる60代ですが、気持ちだけは小学生に負けないようでありたいと思うのです。

288 食べたい!(23.10.16)

 先週金曜日に、金木犀の香りを鼻が感知。昨年よりだいぶ遅れたようですが、その後あちらこちらが芳しい匂いに包まれています。

 小学校高学年のときの誕生会だったか、友達の池本君の家の広い庭で食べた焼肉は、これまで食べたことのない味。何より焼肉のタレが美味しかったのをいまだに覚えています。この肉が羊肉であったのだろうとわかったのは大人になってからのこと。そして、虜になったジンギスカンのタレ。十何年ぶりに見つけた時は「君だったのかぁ」と懐かしさが込み上げてきたくらいです。この生の羊肉に最近はお目にかかれません。例年なら今頃の季節になるとスーパーで売っているはずなのに…。

 大人になってというかおじさんになってから知ったのがモツ鍋の美味しさ。こってりした脂たっぷりのモツをたくさんは食べられませんが、野菜と一緒に鷹の爪をたっぷり入れて食すのが好きです。リクエストに応えてもらえるのは年2~3回程度。今回の入院を経て、これがきっと限りなくゼロになるのだろうと思うと切ない!

 さらに、教員になって先輩と一緒に出かけたのが、市川駅前にあった餃子で有名な「ひさご亭」です。家で食べる餃子の3倍はあろうかという大きさもさることながら、皮の厚さと餡の何とも言えない甘さの虜になりました。店で食べられないときはお土産で持ち帰って家族で食べました。市川大野店だけになってからも数度足を運びましたが、ここ十年以上足が遠ざかってしまっています。それでも、「ひさごの餃子、食べた~い」と時々声に出しています。言うは易し、叶うのは難し?いつ行けることやら。

 ところで、何かの理由で「明日がやってこない」と知ったとき、最後に食べたいものは何でしょう?「あったかいおにぎり」と隣でつぶやく声がしますが、皆さんは?池本君はどうですか?

287 どっこいしょ(23.10.13)

 「13日の金曜日」と言って忌み嫌うことが、最近はなくなったようです。子供に聞いても「何それ?」という反応。ホラー映画の主人公ジェイソン登場からすでに40年以上が経過しているのですから…。そんな今日は、4年ぶりの市内陸上競技大会。種目等が限定されましたから、参加者はMax20名。補欠や応援部員は連れていけません。天気も上々ですし、それぞれの精一杯が見られると思います。

 さて、学校の玄関で靴を脱いだり履いたりするとき、腰が痛いときには床に置いた靴を拾ったり靴箱から取り出した靴を床に置いたりするのに一苦労。履くときにはふらついてしまいます。靴下を履くときも同じで、何かに寄りかかっている自分にふと気がつきます。

 学校には年配の方も来校されますが、玄関に手すりがないことがとても不便に感じます。座って履けるわけでもありませんから、渡り板の上に靴を置いて、シューズロッカーに触りながら履くことを勧めることもあります。

 幼稚園や保育園では運動会シーズン。自宅そばの小学校でも9月末に運動会でした。妻に「平田小でも何とかソーランっていうやつ、やったの?」と聞かれました。「自分たちの頃もソーラン節とかやったのと同じだよ」と言いながら、今の踊り方を口頭で説明。「伸脚運動の体勢で綱を引っ張るポーズを左右繰り返して…」と言いながらやってみることを促しますがよく伝わらない様子。そこで自分でやって見せました。ん?すでに伸脚ポーズが辛い!さらに、右から左に移るとき前に手を着かないと動けない!思わず「どっこいしょ」と呟く!あれっ?子供たちも「どっこいしょ~どっこいしょ」とかけ声をかけていたなぁ。でもかけ声の意味が違うけど…。つまり、今更ながらに5年生が演じたソーランの運動量とあのリズムで動き続ける体力に驚いたのです。

286 運動してる?(23.10.12)

 私の出身高校は、少し特異な体育の授業をしていたのだと知ったのは、卒業したあといろいろな人と話をする中で気づかされたのです。

 まずラグビー部があったためか、授業もラグビーが取り入れられました。ヘッドギアをつけてスクラムを組みました。ふざけることは大けがのもと。脊髄損傷だってあり得ますから、みんな真剣です。楕円のボールをうまく回転させながらパスをする技術も自然と身につきます。だから、ラグビーの代表戦は楽しく観ることができます。時々聞きなれない反則があっても、画面上に解説があらわれるので納得です。でも、隣で画面を眺める者にとってはサッカー以上にルールがわからないので、「つまんない!」を連発する始末。

 次に、レスリング場があったので、レスリングも必修でした。柔剣道は部活のみという感じです。衣服をつかむこともせず、体同士がぶつかりあい、技を掛け合うシンプルな競技です。相手を組み伏せて、両肩をマットに押し付ければ勝ち!相手のバックをとれればポイント!といったルールです。

 最後は、陸上競技。それだけでは普通ですが、指導者が故 小出義男先生となれば別。のちにQちゃんこと、高橋尚子選手の恩師となった小出監督です。当時は有名ではありませんでしたが、秋から行われる授業では、毎回校外に出て10km走をしました。途中ショートカットして林の中で休憩したりアケビを食べたり…。

 コロナでできなかった市内陸上大会が再開した今年度、1000m走や1500m走が種目から姿を消しました。学校のマラソン大会もなくなって久しい感じです。普段の生活や学校生活で長い距離を自分のペースで走るという機会は失われつつあります。運動するにはちょうどよい季節。景色を見ながら走ったりウォーキングしたりすることが習慣になるといいなぁ。江戸川の土手もよいコースかもしれません。

285 初めての入院(23.1011)

 先の三連休にかかる日程で病院でのお泊まり会。その前に検査結果を聞きに行ったとき。16時から16時半で予約したので、いつもながら少し早めに到着しました。受付番号99って悪くない!診察室前の電子画面には、「○番の方、お入りください。△・□・○は、この次にお呼びします」と示されています。待つこと1時間以上、17時を過ぎても画面にそれらしい番号が表れません。隣のおじいさんも随分待っていたらしく、自分の番号が出た時にはホッとした表情でした。時刻は17時10分。次に呼ばれる番号が「95,96,97」になりました。いよいよ来るぞという期待を嘲笑うかのように、97の次に表示されたのがなんと81、さらに85。あらっ?79に下がっちゃったよ!どれだけ待ったことか、いよいよ98が出た時には、小さくガッツポーズ!その次に99番が表れたときにはひときわ輝いて見えたのです。結局、診察に入ったのは17時45分でした。その後、医師からの説明でまさかのお泊まり会の参加が決まったのでした。

 さて、お泊り会当日。初めての経験ですから、不安いっぱいでドキドキです。4人部屋の空きがないらしく個室です。いびきやおなら、トイレなどに悩むことがないのでよしということで。これまで父母の入院に付き添って、点滴を持って移動する姿を目にしましたが、まさか自分がという思いでいっぱい。術後は、挿管部の痛みと枕の硬さ、看護師さんの回診でほとんど眠れないまま朝を迎えましたが、幸いなことに一泊で病院をあとにすることができました。めでたしめでたし。

 年に1回の人間ドックを妄信しないことが大事だとつくづく思ったのでした。

284 おまん、誰じゃ?(23.10.10)

 HPのトップに家庭学習コーナーを紹介しています。その後、どれだけの子供や保護者がリサイクル倉庫前に立ち止まって読んでくれたでしょうか。ある子はハンバーグを丸めて、焼いて、完成したものを食べた記録を写真入りで紹介しています。またある子は、地球や星座、宇宙について気になったことを書いています。そしてある子は、新聞の投書を要約してみたり言葉の意味を調べたりして感想を述べています。中には、『中秋の名月と耳うさぎ』と題したお話を書いています。とても興味深く読ませてもらいました。知識を獲得できる作品でもあり、一読の価値があります。

 こんな中に、『読めそうで読めない漢字』の食べ物編を見つけました。「心太」「玉蜀黍」「御手洗団子」「馬鈴薯」と続く中に、「鹿尾菜」という文字が…。これにはお手上げ!さらに、字形が違うので別の子なのでしょうが、『難しい漢字』動物編もあります。「膃肭臍」はまだしも、「樹懶」「飯匙倩」など読めません。そうなんだぁと解答を見て思いますが、次にまた登場してもやっぱり読めそうもありません。

 大事なのは、楽しんで取り組むこと!やらされる学習からやりたい学びへ昇華させることで長続きするのだと思います。人の目を意識して、「もっと驚かせたい」「喜んでほしい!」といった動機だってアリです!

 今日から後期が始まりますが、先週の終業式は全校が体育館に集まった中でスクリーンに画像を映して、秋山教頭先生に話をしてもらいました。そのうちの一つに、クリアファイルの下方に切れ目がある理由。普段よく見ている割には気づいていないし考えてもいませんが、頻繁に開いたり閉じたりするので破れにくくするためといいます。こうしたことを含め、家庭学習のヒントなんて身の回りにたくさんあります。まずはよく見たり聞いたり手に取ったりすることが始まりなのではないでしょうか。

 NHKの朝のドラマ『らんまん』を土曜日のダイジェストだけ見ていましたが、主人公の「おまん、誰じゃ?」という問いかけが学びに向かう力になるのだと思うのです。

283 図書室の先生(23.10.6)

 今年度の折り返し地点、前期の終了の日にもかかわらず、私的事情で休まざるを得ないのは残念です。

 さて、学級担任をしていたころ、学校司書の方には様々なお願いをしてきました。学校図書館は、図書の時間での利用より教科指導で活躍する場所でした。社会科授業で使う資料を提供してもらったり、国語の物語文の著者が書いたほかの本を市内の公共図書館や学校から一気に集めてもらったり…。調べ学習の基地になっていたのも学校図書館でした。PCが導入され始めた前後でしたが、インターネットで膨大な量から資料を検索するより、まずは図書の利用です。背表紙だけで使えるかどうか判断するのではなく、目次を追いながら選択していきます。よく文章やグラフを丸写しする子供を見かけますが、大事なのはある事実を自分がどう解釈したか。それをノートに記す子供がどんどん増えていきました。

 こんなことに担任とともに二人三脚で付き合ってくれる学校司書に私は恵まれました。でも、先日の新聞を読むと、小中高に学校司書が配置されているのは6割にとどまるといいます。学校図書館に欠かせない存在ですが、それが現実。関西のある地域では、一人の学校司書が小中5校を兼務しているといいます。掃除や本の整理に追われて、授業に参加する機会がないと嘆いています。また有償ボランティアに依存する地域もあります。幸いなことに市川市では全校に配置されて、子供たちや担任を支えてくれています。今ある形が、必ずしも当たり前ではないことを知っておく必要があると思います。

 私が知る限り、司書の誰もが得意なことやこだわりを持ち、いろいろな工夫を凝らして学校図書館の経営をしています。予算が限られるため蔵書は満足できるほどの充実ぶりではありませんが、それでも子供たちや教員のニーズを大切にして頑張ってくれているのです。

 学校評価を見ると、『お子さんは進んで読書活動に親しんでいる』という項目が毎回6割前後で変化しません。「親の前で本を読んでいるかどうか」ではなく、普段は見えない部分にも目をやってほしいと思います。来月には秋の読書月間がやってきます。学校それぞれで独自の活動が繰り広げられます。そろそろ学校司書や司書教諭の頭の中で、今年度の計画が出来上がってくるのではないでしょうか。

282 できることをやってみる(23.10.5)

 先週末、ラグビーW杯のサモア戦を朝食中に見ていました。タックルしたりされたりする場面で思わず、体を傾け右肩を前に出して力をこめる自分に気づきます。ノーサイドの瞬間、肩の力がやっと抜けるのです。8日は決勝トーナメントをかけてアルゼンチンとの試合。肩が右に傾いた格好で応援です。

 さて、暑い日、寒い日、雨の日も関係なく、予定がない限りは毎朝白門に立ち、見守り隊のジャケットや帽子を被って元気な声を響かせていた、地域の千葉正彦さんを知る方は少なくないはずです。名前は知らなくても、子供たちを見守る姿があるだけで安心できました。

 しかし、9月初旬から姿を見かけなくなり心配をしていました。先日、久しぶりに校長室までやってきてくださりお話できました。「引退させてください」とおっしゃいます。前任の大塚校長の頃から3年半にもわたり力を尽くしてくださったので寂しくなりますが、今度は朝の散歩中の顔を時々見られることを楽しみにしています。

 我が家の近所でも、児童生徒の通学時間帯にいつも同じ場所で見守りをしている女性がいます。子供はすでに小中学校に在籍していないと思います。気持ちさえあればできることはたくさんありそうです。私も引退したなら、そんな部分で地域と関わりたいと思っています。

 話は戻りますが、気持ちのある子供たちに千葉さんへのメッセージを書いてもらえるように、すでに準備は整っています。よろしければ保護者の皆様もご一緒に…。

281 アイドル気分(23.10.4)

 体に気になる所があったので、一昨日一日お休みをもらって病院のはしごをしました。月曜日だったせいもあってか、午前中は9時から11時半までかかり、午後は紹介状を持って別の病院で13時半から18時過ぎまで。待ち時間のほうが長いですから尻が痛くなりました。

 病院に一日いると、私より年上の人がいかに多いか痛感します。特に個人病院では、待合の椅子に座っているほぼ全員が高齢者。中には、電子体温計を振っている人がいるではありませんか。「水銀式の体温計ではないですよ」と突っ込みたくなりましたが、そこに登場するのが世話好きな女性。隣に寄って丁寧に教え、エラー表示には一緒に悩んでいました。ところで、水銀式の体温計がわかる世代ってどのあたりなのでしょうか。棒温度計の類だって、理科の時間にしか登場しませんし…。

 9月のある日、外国語活動の終わりの場面に3年生の教室にお邪魔しました。入るや否や、英語でどんな果物が好きか尋ねられた気がしたので、Lemonと答えました。答えたあとにサインをねだられます。授業の内容もわからず、なぜサインなのか、ことの成り行きが不明で戸惑っていると、紙片やファイルを持った子に取り囲まれました。最初は似顔絵、そのうちサイン会になっています。結構書いたはずなのにまだ十数人が列を作っています。最後まで、なぜこういうことになったのかわからないまま、アイドル気分で校長室へ戻ってきたのです。そんな3年生の教室の黒板には、私が描いた似顔絵が消されずに残っています。ほんのいたずらの気持ちで放課後に描き残したものが人気なのですから不思議です。似顔絵も以前と少し変わっていきます。上向きの鼻とほうれい線を加えることでちゃんと歳をとります。

280 秋の自然に出合う(23.10.3)

 福岡の河川公園で真っ青な空の下、真っ赤な彼岸花の映像を見ました。別名「曼殊沙華」とも呼ばれます。鮮やかな赤だけではなく、白や黄色の花も時々見ることがあります。球根部分に強い毒をもち、雑草対策で田んぼの畦道などに植えられていることが多いような気がします。気温が20度くらいに下がると突然現れます。葉が花の後に育つので、咲く姿は目立つと同時に不思議な雰囲気を醸し出します。

 一方、マザー牧場ではコキアが色づいてきれいだといいます。また、栃木県真岡市では純白の綿花の摘み取りが本格化したとあります。校長室には、昨年平田小で栽培されていた綿が、はじけた枝のまま白さを保っています。

 この時期は、一般的に「雑草」と呼ばれる植物が繁茂しています。校地内も例外ではありません。放っておけば種が飛び散り、いずれ収拾がつかなくなる事態を招きます。だから、用務員さんが操作する草刈り機にエンジン音が連日校庭に響き渡ります。

 さて、ホームセンターの植物販売所が、そろそろ気持ちが浮き立つ場所になっていきます。色鮮やかな秋の草花がたくさん出回ります。庭に地植えするのはもうお腹一杯ですから、寄せ植えしかありません。

 19日には、4年生が大町の自然観察園へ出かけます。きっと数珠玉やノブドウ、カラスウリ、ミゾソバ、ドングリ類などが見られるはずです。暑い夏を乗り切ったカワセミにだって出会えます。でも、関心がなければ通り過ぎるだけで終わってしまい、もったいない。自然博物館の学芸員さんの説明にも聞く耳を持つこと。これらは普段の生活でもいえること。「見ようとする目や聞こうとする耳、知ろうとする意識」が大事。4年生と一緒に出かけて、そんな姿や場面にたくさん出会えることを楽しみにしています。

279 水を飲むとバテる?(23.10.2)

 EV(電気自動車)が主流になろうという時代、純ガソリン車をずっと乗り続けたいというのは無理なのでしょうか。自動車メーカーでは、経営方針の変更を打ち出したり達成目標を掲げたりしています。古いものを大事にしながら長く乗り続けることは悪いことなのでしょうか。税制だって弱い者いじめのような感じがしてなりません。

 気候がよくなってきましたので、まさにスポーツの秋となっていきます。車がガソリンを飲んで走ると同じように、人間が走ったり運動したりする際の水分補給は欠かせません。マラソンや駅伝の給水のほか、競技を中断して給水タイムを確保することなど当たり前になっています。数十年前では考えられないことです。

 私たちの世代では、「部活動中に水を飲むな!」「水を飲むとバテる!」と教えられてきましたが、どうしてだったのでしょう。多くは根性論が根底を占めていたと思われます。練習は、厳しくしんどいのが当たり前で、それを克服することで上達すると信じられてきたのかもしれません。また、スポーツは根性で立ち向かうという風潮でしたから、具合が悪くなって倒れたとしても「根性が足りない!」と一蹴されていたのかもしれません。また、水を飲めばお腹にたまって体が重くなるとか、体温を下げるのでその分エネルギーを必要とするからとか様々かも…。

 非科学的な理論といえば、「突き指をしたら、引っ張れば治る」というものがありました。みんなやっていましたが、絶対だめですよね。妙なことが信じられていましたが、そうしたことが正された時期やきっかけはわかりません。