ブログ

2024年5月の記事一覧

423 歯磨き(24.5.30)

 一日のうちで、「今」に意識を集中している時間、「今」を感じている時間はどのくらいあるのでしょう。そうした間には、物事のマイナス面(後悔や不安、心配事など)が頭の中に入り込む余地がなくなるといいます。例えば、スマホから離れて「ながら行為」をしない時間は、不安などから解放されるとともに、聴覚・嗅覚・視覚・触覚が研ぎ澄まされるといわれます。

 さて、昭和の腹痛薬といえば、ラッパのマークの「正露丸」というのが、私の中の既成概念?!真っ黒で丸々して、まるで消しゴムのかすを丸めたような錠剤です。主成分がクレオソートというものなので、そのまま呼ぶ人もいるみたいです。手の上に出して飲むと、しばらくは掌が正露丸臭になります。これを歯に詰めて歯痛を抑える使い方もあったのです。幾度となく歯に詰められて、苦虫を潰したような顔になっていた経験は、知る人のみぞ知るといった感じ。一時的に痛みが治まる効果はあるようですが、治療薬ではありません。

 先週、偶数学年の歯科検診が行われました。6年生女児2名が「健歯児童」に選ばれて、虫歯予防大会の審査に臨みます。虫歯や歯周病がなく、歯並びがキレイで汚れがないなんて、正露丸にお世話になった者としては羨ましい限り。一方、歯磨きを疎かにして歯垢が目立つ子も少なくないようです。「ながら歯磨き」ではないにしても、上の空で歯ブラシを咥えているだけ、動かしているだけという姿も想像できそうです。ブラシの先が歯のどこに当たっているのかをイメージしながら歯磨きすることが大事であると学校歯科医は話してくれました。そのためには、歯ブラシの持ち方を「鉛筆持ち」にすることが望ましいといいます。

 『ノンタンのはみがき』という幼児向け絵本があります。「はみがきハ~ミ~、シュコシュコシュッシュ」と、子供が小学2年生くらいまで歌いながら仕上げの歯磨きをしていたのを思い出します。学校歯科医の先生曰く、8歳くらいまでは、親が子の歯磨きに気を配る必要があるとのこと。一生使う歯だからこそ、親も子も口腔衛生に関心を持ってほしいと思います。さぁ今日は、奇数学年の歯科検診です。

422 初夏(24.5.29)

 シャポーの花屋の前に「紫陽花」「芍薬」という文字が、少し前まで見られました。学校のアジサイは徐々に色づき始めてこれからが楽しみです。蕾で買ってきたシャクヤクも見事です。花弁の多さと繊細さには驚かされます。終わりに近づくと、その花びらが小さな塊になって落ちます。テーブルに重なる花弁は、まるで薄く小さく剥いた玉ねぎのよう。

 1ドルが160円を超えたときにはビックリ。30数年ぶりの円安とも言われます。では、30年前と今とでどれだけ違うのかを比較してみました。消費税(3%→10%)、ディズニーランド(4,800円→最大10,900円)、ビッグマック(210円→480円)、セブンスター220円→600円)、郵便はがき(50円→63円→85円)と、ざっと挙げただけでも驚異的な物価上昇率です。学校給食も例に漏れません。決められた金額の中で必要な栄養価を維持し、品数や見た目、味にもこだわりたいはず。これを担う栄養士にとって物価高は胃が痛くなる社会現象以外の何物でもありません。

 キャベツも高い!スーパーでは一玉300円強。気軽に使える金額ではありません。キャベツの千切りやご飯のお替り自由のとんかつ屋がありますが、お詫びの貼り紙だってありそうな気がします。

 運動会前にはたくさん生っていた平田小のサクランボは、食べる前に全部落ちてしまったようです。一方、スーパーではアメリカンチェリーが出始めました。その一角に「佐藤錦」と書かれた、握りこぶし程度の量かつ高価なサクランボが数パック。必然的に色が濃くて安価な方が買い物かごに入れられます。そして、ヨーグルトに数粒入れて食べるという経済的な食し方になってしまいます。最近の果物は種無しばかりになっています。チェリーと同じくらいの大きさのブドウもそうですから、種を出すのを忘れそうです。ある時、手の上に乗せた錠剤を、チェリーの種と間違えてごみ袋に捨てそうになったことも。あぶねぇ~。

 子供たちの目には、今の季節がどんなふうに映っているのでしょう。花でも野菜でも果物でもよいのです。大人になっても感覚として思い出すような豊かな感性をはぐくんでほしいと願います。

421 color(24.5.28)

 自宅近くに栗林が点在します。細長く花を咲かせて、独特の匂いを振りまきます。特に、今日のような雨の日は…。近づいてその花をじっくりと見てみましたが、花の季節が終わると、黄緑色の実をつける頃まで関心が失せてしまいます。だから、どうやってあのイガイガトゲトゲの栗の実になるのだろうと不思議でなりません。先日、栗の花を接写してきました。1週間ごとに写真に収めて、実になるまでを観察記録にまとめようかと思ったくらいです。

 さて、栗にも和栗と洋栗があるようで、晩秋になると和栗を使ったケーキが出回ります。そんな「和」「洋」ある中で、「わしょく」という響きは、頭の中で「和食」という文字に一瞬で漢字変換されます。ワープロ変換も和食一択です。しかし、「和色」という言葉が存在することを、ひょんなことから知りました。日本の伝統的な色の名前とカラーコードが一目でわかる色見本『和色大辞典』なるものがあるのです。そこには、桜色に始まり暗黒色までの465色の名前が載っています。さらに、原色として140色、洋色には285色が取り上げられています。

 先の栗の花の色を和色で例えるなら、「蒸栗色」「女郎花」「枯草色」「淡黄」あたりかと…。どれも聞き慣れない色言葉ですから、栗の花を知らない人にはイメージできないかもしれません。ただ、歴史の流れの中で名づけられた和の色の名称は、どれも美しく風雅です。

 昨日、プール脇の道路沿いにビワの実を見つけました。オレンジ色のビワがたくさん生っていることに気づいたのです。体育館脇のサクランボを食べ損ねた私は、ビワとザクロ、そしてヤマモモの実を食すことを今楽しみにしています。このビワをオレンジ色と表現しましたが、洋色だとほかに「マンダリンオレンジ」「マリーゴールド」が近いかもしれません。和色では「金茶」「蜜柑色」「黄赤」「黄丹色」あたりかと思いますが、自然の作り出す色を表現することは、和・洋の言葉でも絵の具でもとても難しいものです。

 初土俵から7場所目という最速優勝を果たした大の里関にあっては、どんな色の相撲を見せてくれるでしょうか。

420 卒業生(24.5.27)

 3月に卒業した中学生2人が、ひょっこり校長室に訪ねてきました。「あ~、ここなんだか好きなんだよねぇ」とソファに腰掛けて中学校生活について語りだします。そして、カバンから『さがしもの』(角田光代著)という1冊の文庫本を取り出します。漢字の書き取りは苦手でも、本を読むのは好きなのだそうです。「これ、貸してあげる」と気前よく置いて行ってくれました。

 短編集の中のお気に入りの話も教えてくれたので読んでみました。その中の登場人物が言う「いつだってできごとより、考えのほうが何倍もこわい」という言葉に、なるほどと首肯します。死ぬことより死ぬのを想像するのが怖いし、彼氏彼女にふられるよりふられるかもしれないと思うことのほうが怖い。試験の合否より、不合格になるのではないかとネガティブに考えている時のほうがよっぽど怖い。確かにその通りだと思ってしまいます。できごとは、起こってしまえばただのできごとでしかないのですから。だから、本を貸してくれた中学生も変に考え過ぎず、自分の思うままに突き進んで、失敗も成功も笑い飛ばせるようであってほしいなぁと願います。

 また、中学生になった別の生徒からは手紙と写真が封書で届きました。卒業式4月以降の写真と近況が添えられています。ありがたいことに、お母さまからの手紙もあります。数人で業間、昼休み、下校後に校長室へやってきた中の一人。野球部に入部した綴られた箇所には、その意外さに驚きましたが、始終笑って読み終えました。最後に、自分たちが卒業したあと、「校長室の新しいお客さんができたか」と尋ねます。残念ながら、まだまだ敷居が高いのでしょう。でも、校長室前のクイズに頭を悩ませ、「わかった!!」と言いながらドアをノックする子や廊下を歩きながら手を振ってくれる子ならいますよ。

 今日、第八中学校は体育祭の振替休業日。初めての体育祭は盛り上がったかなぁ。

419 ためになる人、ダメになる人(24.5.24)

 代休日に、娘が結婚式を挙げた場所にある素敵なカフェでランチと洒落こみました。雰囲気はよいし、平日なので昼前に入れば空いています。正午の時報とともにどんどん席が埋まるのを横目に、おいしい食事でお腹も心も満たされました。

 実は、この2週間ほど前にもSNSで見た食堂に妻と行っています。舟盛の揚げ物が安価で食べられると紹介されていたからですが、見ただけでお腹が膨れてしまい、3分の1は持ち帰った次第です。妻の横顔は、「もうこんなところは嫌だ」と言っているかのようで、今回もチキン南蛮定食が人気の店を提案しましたが、即却下!そうした経緯があって、カフェになったのでした。

 さて、時々「ハチスガさん」と呼ばれることがあります。気にせず返事をしますが、濁らない「ハチスカ」が正しい。「須賀」だけなら「スガ」と読むからかもしれません。でも、名字を清濁どちらで読むか悩む場面はちょくちょくあります。「崎」「島」「原」「田」「沢」が付くと、例えば「ヤマサキ」なのか「ヤマザキ」なのか…。

 少し前の読売新聞のコラムに、「世の中は澄むと濁るで大違い」と始まる狂歌の言葉遊びがあることを紹介していました。清濁の違いだけで全く反対の意味になってしまうわけで、うまいなぁと感心しながら検索してみました。どうもこんな風に続くようです。

 「刷毛(はけ)に毛があり、禿(はげ)に毛が無し。福に徳あり、ふぐに毒あり。人は茶を飲む、蛇(じゃ)は人を飲む。意思が濁ると意地になり、口が濁ると愚痴になり、徳が濁ると毒になる。」といった感じ。

 学校も「害」ではなく、「怪」でもなく、「快」でありたいと思います。そして、そこに集う人々は、「ダメになる人」ではなく「ためになる人」であり、「怒る保護者に驕る校長」といった関係図にならないように気を引き締めたいものです。いろいろ考えたら脳疲労!

418 カギ(24.5.23)

 前を走る車のリヤウィンドウに何枚もシールが貼ってあります。ステッカーではなく、何かのキャラクターシール。ポケモンにも見えましたが違ったようです。そういえば、ポケモンシールを貼ってある車が以前よくありました。そういう私も「カラカラ」「ゼニガメ」「コダック」を貼っていたような…。今でも某製パン会社はポケモンパンを販売し、デコキャラシールも健在のようです。

 自動車のエンジンは、プッシュ式スターターに変わり、スマートキーが一般的になっています。それでも、公用車のようにキーホールに鍵を差し込んで回すタイプはまだまだ健在ですが、どんどん便利になっていきます。

 最近では、「錠前」なんて言葉が通じない世代も多いはず。「錠」と「鍵」の違いもあやふやだったりして…。家の場合、扉についていて「鍵」を用いて開けるのが「錠前・錠」です。その鍵などが真鍮製だったりしたのは今は昔。それでも円筒錠は長い間、変遷しながら使用されてきました。最近の新築住宅ではカードをかざしたり暗証番号を入力したりスマホによるスマートロックだったりと様々です。そんな鍵メーカーで真っ先に思いつくのが「美和ロック」。「ゴール」や「アルファ」もよく見かけます。南京錠からスマートロックまで100年以上もの間システム開発を続けてきたと、アルファの新聞広告がありました。

 学校を見渡してみると、ガラス窓はフック状のものを使っていますし、部屋の扉は長短入り混じりますが一般的な鍵。時々、ねじを締めるような古いタイプが現れることもあります。たまに行う校内の戸締りの際には、たくさんの鍵の束をジャラジャラさせながらの巡回です。同じ錠なのに鍵が合わなくて、別のものに何度も差し替えるなんてこともざらにあって、さすがにイライラなんて場面も…。だから、鍵ごとにキャラクターでもぶら下げておけば迷わずに済むかも。ただ、下がるキャラが多すぎて鍵の喧嘩が始まりそう。

 時々学校の落とし物箱に家の鍵を見かけます。ずっと以前に息子が鍵を紛失したときに、錠まで全交換するほど大変だったことを思い出します。お出かけの際の戸締りと鍵の紛失にはご注意を!

417 おからダ(24.5.22)

 おからが体によいのは多くが知る事実ですが、実際その栄養価はどうなのでしょう。食物繊維や大豆イソフラボンをはじめとする、健康体をサポートする栄養豊富な食品です。

 おからは、大豆を原料とする豆腐や豆乳の製造過程で発生する副産物であり、搾りかすの意味です。お茶殻の「がら」などと同じ使い方で、丁寧語の「御」をつけたわけです。その色が今頃から花を咲かせるウツギという花に似ていることから「卯の花」とも呼ばれています。

 でも、驚くのがおからの食用での利用率。おからの年間発生量が70万トンある中、何と1%しかないというのです。ほとんどが、豆腐屋から農業・牧畜業者に無償で引き渡されるらしいのです。そして、5~9%は産業廃棄物として、代金を支払って処分といいますから勿体ない。食品ロスの最たるものと言えなくありません。

 そうはいっても、おからを食べる家庭は激減傾向でしょうか。昔は、近所の豆腐屋に店頭に積まれたおからを買って調理していましたし、ラッパを吹いて豆腐屋が売りに来ていました。でも、豆腐屋自体が見られない昨今、おからも見かけなくなっているかもしれません。子供のころに食卓に乗ったおからは、決して好きな食べ物ではありませんでした。むしろ、避けて通れるなら食べないで済ませたいと思ったくらいです。

 何十年も歳を重ねると嗜好が大きく変わります。最近では、道の駅で100円(700g程度)で買い求めています。量があって劣化も早いので、冷凍しながら何度かに分けて調理してくれます。学校給食でも、おからあるいはおからパウダーを使ったハンバーグやケーキが登場することもあります。おからレシピはいろいろあるので、試してみるときっと大きな発見が…。

 ちなみに、PCに「おから」と入力すると、変換候補の4番目に「お体ご自愛下さい」と表れました。「おからを食べて健康になって!」というメッセージ・優しい心遣いでしょうか?

416 今日もよい一日を(24.5.21)

 今年の運動会は、伝えたいことだけを事前に伝え、あとは体育主任と教頭先生に任せました。すると、子どもたちのもとに行って声をかけたり一緒に何かしたりたくさんすることができました。ただ、昨年も書いたかもしれませんが、この日まで子供と一緒に考え、指導し、汗を流してきた担任の大変さには及びませんし、達成感もきっと違います。それでも、子供たちのはじける笑顔やノリノリ・キレキレダンス、悔し涙や感極まって流す涙を間近で見られたのは喜ばしいことです。また、昨年からの成長を感じる行動も嬉しさの一つ。まだまだ成長の過程。さらに健康で丈夫な体づくりを意識してほしいと思いながら、まだ運動会の余韻に浸っています。

 さて、ウォーレン・バフェットという人のこんな言葉があります。

  あなたが車を1台持っていて、一生でその車にしか乗れないとしよう。

  だとしたら、あなたはその車をどんなふうに扱いますか?

  きっと誰も、一生に1台しかないとしたら、長く乗れるように大切にするでしょう。

  ここで考えてほしいのは、あなたが一生に一つの心と一つの体しか持てないということです。

  あなたの体は、一生お世話になる魂の乗り物なのです。

  今からでも間に合います。大切にしてあげてください。

  何をやめて、何を始めますか?ほんの少しでも、できることをやっておこう!

 誰に向けた言葉かはわかりませんが、子供にも大人にも当てはめられそうです。運動会が終わって一区切りがつきました。次の一歩を踏み出すよいタイミング。今日も、そして明日もよい一日であるために、できることに精一杯力を注いでほしいと思います。

415 運動会だよ!全員集合(24.5.18)

 小学校の同窓会を前に、グループLINEにあがった集合写真が十数枚。全く思い出せない人が多い中、顔を見て名前まで言える人も数人います。遊びの聖地だった公園の今の様子も知らせてくれます。その中の小3か小4のクラス写真にも自分がいます。娘や息子に、大人数の中から親を探し当てられるか試したところ、「楽勝!」「わかりやす過ぎる」という反応です。どうも目が特徴的なようで、当時の自分がえらく濃い顔に見えます。髪がない50数年後の自分でも面影はあるのでしょうか?

 今日は運動会。天気上々、気分も上々!熱中症対策は欠かせません。運動会実施を知らせる花火の空砲が鳴り響くことはありませんが、体育館前のスペースには、万国旗の代わりに鯉のぼりが泳ぎます。倉庫に十数匹の鯉のぼりが保管されていたのを用務員さんが見つけてくれたのはGW後。その大きさは半端ではありません。3年目にして初めて知りましたが、せいぜい4~5匹を泳がせるのがやっとです。でも、時季遅れの鯉のぼりの登場に子供たちが喜んで、演技や競技を頑張ってくれたらうれしいです。

 自分の小学生時代の写真の中に、運動会の応援席で撮られた写真もありました。やはりリレーの選手は花形でした。中学年くらいまでは選手になれていたように思いますが、高学年になると補欠が精いっぱい。悔しさが蘇ります。今はない騎馬戦や中学校での棒倒しも白熱した思い出です。

 地域の運動会も中学校のグランドで秋に開催されていました。町会・自治会対抗で様々な競技がありました。その頃は、小学校でも地域でも景品があったものです。もしかすると、学校名が金字で刻印された鉛筆を持つ人もいるのではないでしょうか。

 今日の運動会を何年経って思い出すくらい、スペシャルな一日にしたいものです。暑さに負けない、熱い応援をお願いします。

414 宇宙人(24.5.17)

 「宇宙人はいると思いますか」というアンケートに2500人以上が回答して、4人に3人は「いる」と答えています。記述による回答者の年齢層は、60代から80代ばかり。確かにUFOブームや宇宙人・未知の生命体への関心が高かった記憶がある我々の世代。日本にUFOブームを巻き起こし、今もなお研究家として活動している矢追純一さんを知る人は、きっと私と同じ年代でしょう。その矢追さんが88歳というから驚きです。

 スピルバーグ監督の『未知との遭遇』は、壮大かつ衝撃的でした。そんな影響もあってか、地球以外に生命体があることは間違いないとずっと思っています。この地球に私たち人類という宇宙人がいるのですから、広大な宇宙に知的生命体が住むのは地球だけとは考えられません。『宇宙戦艦ヤマト』では、沖田十三艦長が亡くなるシーンに涙したことも思い出します。

 そういえば、6年生を担任していた頃の国語の教科書に『人類よ、宇宙人になれ』という教材がありました。人類にとって宇宙とはなんなのか、宇宙はどんな場でありうるのかを読者に問い、人類進化のとるべき道は、地球人から宇宙人へとなることであると結論付けていたのを思い出します。そこには「宇宙船地球号」というワードがあったように記憶します。

 さて、あるお話の世界ですが、一人の男性の告白で平凡な家族が激震に見舞われます。彼は、23年間も一家の四兄妹の次男として家族になりすましてきた宇宙人で、しかも地球を離れるまでに残された時間は、なんとあと3日間。限られた時間の中で人間としてやり残したことに奮闘するというストーリーです。これは、中村倫也さん主演でちょうど1年前に封切られた、家族愛をコミカルに描いた『宇宙人のあいつ』という映画。Primeビデオなら観られるかなぁ。

 もしかすると、目の前にいる見慣れた人は宇宙人かも。だって、そうでないという保証はどこにもありません。時々喉を震わせながら、「ワレワレハ ウチュウジンデアル!」なんて言っていませんか?

413 食に関する雑感(24.5.16)

 野菜売り場に「新」の付く食べ物が並びます。先日は「新にんにく」と「新にんにくの芽」を目にしました。新玉ねぎやらっきょうなど土の下は賑やかです。柿の葉っぱも鮮やかな新緑のライムグリーンが眩しいくらいです。それがいつの間にか深緑の分厚い葉になっていきます。運動会前の子供たちも、旬の「新ひらたっ子」なのかもしれません。

 宮城県内の小中学校の給食で提供された牛乳を飲んで七百人近くの児童生徒が、腹痛や嘔吐を訴えたという報道がGW前にありました。こうした事件があると、「校長は検食で気づかなかったのか」という疑問の声が家族からもあがります。毎日の検食で味の濃淡を感じることがあっても、提供30分前の段階では変更はできません。ただし、味がおかしいと感じれば、提供をひとまず停止して原因等の究明を始めます。しかし、異物が混入するような場面は、検食として提供されたトレイ上のものには乗ってこないことの方が多いかもしれません。今回の牛乳にしても、検食用の牛乳には異状なかったと言わざるを得ません。事実、残った牛乳を調べても何ら問題はなかったといいます。

 低学年の児童から「校長先生の仕事は何ですか」といった質問を受けると、検食について触れることがあります。単に先に給食を食べているだけではないことを訴えます。何百人もの命がわが舌にかかっていると思うと責任重大です。一方で11時半ころの給食に体が慣れてしまって、お腹が空くのが早い気がします。

 オーブンが不調で、入れ替え完了までの1学期いっぱいは焼物メニューが基本、献立から姿を消しています。これは栄養士にとっては一大事なわけですが、今日のメニューは「鶏の香味焼き」。朝の時点で「蒸し」にでもなってしまうのでしょうか?さらに追い打ちをかけるように、点検等のために工事業者が給食室の電源を落としたら、冷蔵庫の電源が入らなくなってしまう大事件発生。次から次へと難題が降りかかります。呪われし給食室?なんて縁起でもない!知恵と多くの人の努力・協力で乗り切っていきます。

412 パラドックス(24.5.15)

 今日5月15日は、セブンイレブンの1号店が豊洲に開店した日。1974年というのでちょうど50周年という記念すべき日のようです。

 さて漫画を読んでいると、「『アキレスと亀』のパラドックス」について触れていました。例えば、タイムパラドックスで有名なのが「親殺しのパラドックス」でしょう。自分が生まれる前の過去に行って、母親を殺してしまったとすると、自分が生まれてこないことになって母親も殺せなくなるというものです。以前テレビで『たて×ほこ』という各分野の対決番組がありました。どんなものでも突き刺してしまう矛(ほこ)と絶対に突き通すことのできない盾(たて)のような矛盾・ジレンマに発想を得た企画でした。こうしたことを慣用句に探してみると、「急がば回れ」とか「負けるが勝ち」などが挙げられるかもしれません。

 「私は嘘つきである」という発言は何の変哲もないような気がしますが、よく考えると矛盾していることに気づきます。私は嘘つきが真であれば、嘘つきであるという発言も嘘になり、私は正直者となってしまいます。逆に、私が正直者と仮定したときも同様の矛盾が生じます。「頭がこんがらがって面倒だ」なんて言わないで、パラドックスの不思議な世界と面白さを知り、考えることの面白さを子供たちにも感じてほしいと思います。

 これに似たパラドックスですが、次の場合あなたはどうしますか?

 あなたは今、2つある分かれ道に立っています。一方は「天国」で、もう一方は「地獄」へつながる道です。あなたには、どちらが天国への道なのかはわかりません。目の前の分岐点には、2人の天使がいて、どちらも天国に通じる道を知っています。天使Aは正直者で、Bは嘘つきですが、あなたにはどちらが正直者なのかはわかりません。あなたが天国に続く道がどちらなのかを知るために、一度だけ天使たちに質問をすることができます。ただし、天使は「YES」または「NO」としか返事をしません。

 超難解なクイズのようです。給食を食べながら頭を悩ませましたが、お手上げ!解答だけ載せますので、その理由は考えてみてください。

 “(どちらかの道を指さしながら)「この道が天国につながる道ですか?」という質問に対して、あなたはYESと答えますか?”と問いかけるとよいのです

411 甘味(24.5.14)

 昨日、運動会のプログラムが児童と保護者に配付されました。今年度のスローガンは『全力で 楽しみつくせ ひらたっ子!!』に決まり、プログラムの表紙や挿絵に多くの児童の作品が採用されています。私がひょっこり体操服を着て登場する絵も児童作品です。

 少し前になりますが、1年生のN学級の学級だよりを目にしました。イラストたっぷりで、ほのぼのとした感じです。自分でササっと描いてしまうというからすごい!うらやましい!文は少なめに抑えて、子供の活動をイラストで紹介したり、子供のつぶやきや様子を手書きで添えたりしたら、子供たちにも好評だろうなぁと勝手に想像してしまいます。

 さて、だんご三兄弟という歌が流行った時がありますが、串団子は4つが一般的です。串に刺す団子は、鎌倉・室町時代からあったそうで、江戸の頃には忙しい庶民が合間に食べられるファストフード、というかフィンガーフードとして受け入れられたようです。元々は5玉だったものが、新しい通貨が発行された後に4玉で落ち着いたとされます。

 団子が入ったパックに、みたらしと餡子があったら少し悩んで、餡子から先に手を出す私。みたらしの甘辛餡を横目に見ながら、パクリと食らいついて水平に串を引くわけです。抜かれまいとする団子の必死の抵抗の甲斐もなく、白い痕跡を串に残したまま数が減っていきます。春先は、摘んだばかりのようなよい匂いがするヨモギ団子がおいしい季節です。GW後半に入る前日に、昼の放送で「しょうぶ湯」の言われ話をしました。触れると体が溶けてしまうため、鬼が忌避するのが菖蒲とヨモギなのだそうです。

 近隣の和菓子店の路上ではためく幟旗が季節によって変わります。GWまではかしわ餅だったような?これからは水羊羹?通りかかるたびに「○○食べてぇ~」と呟くと、スルーされるか「却下!」の一声。日記にイラストでも描いて食べた気になるか、テーブルに描いたイラストを置いて「食べたい光線」を浴びせるか、思案中です。

410 腹は立てず…(24.5.13)

 新らっきょうが出回る時期になりました。初物を買って帰って、皮をむいて醤油漬けにしました。ただ、風呂上がりでも指のらっきょう臭が消えないことには閉口しますが、数日後には味が染みておいしくなっています。なくなる頃にまた袋詰めを買ってこようと思っています。

 月曜朝の雨は、気分が降下気味。学校へ向かう高架脇は傘傾げ(江戸しぐさ)が基本ですが、真ん中を歩いてぶつかってきた輩にイラッ。そういえば最近、通勤時に歩く相手と肩や腕をぶつけることがあります。駅のホームで乗降客がごった返す場面や改札を出たあと改札へ向かう流れと交錯する場面などです。暖流と寒流がぶつかり合う潮目みたいな感じ?でも、向こうから歩く人を見ていると、隙あれば(?)相手にボディーチャージをしようという明らかな気配漂う人がいるのは確か。普通に歩いている(はず)のに、なぜかしらドン!となります。こちらは受け身ですから態勢が不安定になりますが、あちら様は攻撃態勢を整え、心の準備もできていますから平然としたもの。いつものようにイラっとしながらも、「よし、体幹を鍛えねば!」と一瞬思う私。ただ、階段やホームで弾き飛ばされたら、命を落とすことにだってなりかねませんから怖い!

 天気のよい日に墓参りに行きました。水場で作業する男性を見て、私と見間違えたと妻が言います。頭がテカテカだったからです。でも、会話すると口調はとても穏やかで私とは正反対とか。人伝に聞くと、お坊さんだそうです。ガッテン!「心は丸く、気は長く、腹は立てずに、己は小さく、人は大きく、謙虚に」を体現した御仁に見えたのもうなずけます。宮沢賢治ではありませんが、「体当たりや口撃にイライラすることなく、広い心の持ち主に私はなりたい」と思います。思うだけではだめなのもよくわかっていますが…。

409 うらやましい(24.5.10)

 一昨日、前任校の卒業生に登校の見守り中にばったりと会いました。市川工業に通う1年生。4年という歳月でこんなに立派になるのだと、右肩上がりの成長を眩しく感じました。

 さて、山下智久さん主演『ブルーモーメント』の宣伝のためか、9年前のドラマ『5→9 ~私に恋したお坊さん~』を放映していました。9年という歳月をものともせず、劣化しない山Pが羨ましいと思っていると、石原さとみさんの父親役で故 上島竜兵さんも出演しています。それを見て脇でつぶやく声に目を丸くした私。「あっ、この人のコンビ名、レッツゴー三匹だっけ?」。すかさず「ダチョウ倶楽部の間違いです!」ときっぱり。あまりの時代錯誤的認識にしばし唖然。

 「またドラマネタかよ。どれだけ好きなの?!」と云う勿れ。ストーリーに引き込まれるような作品は少ないのに、別の部分に反応して惰性で見続けている自分がいます。あるドラマでは、石原さとみさんが大学生役も演じていました。また、別の番組では広瀬アリスさんの高校生姿の回想場面が毎回のように映し出されます。頑張ってはいるものの、いささか無理があると言ったら失礼でしょうが、アラサーとアラフォーといった老けた高校生と大学生役でも、番組制作上の努力とそれなりの若さを保っているからこそ成り立つのだと思うと、気にしないことが大事だと思えてきます。むしろ、今観ている春ドラマ3本で記憶喪失モノというのは単なる偶然?そんなことを考えている自分の姿を鏡で見ると、肌のたるみ、皺の深さ、髪密度の低下速度にげんなり。いっそのこと過去の記憶を消してしまえば比較対象がなくなるわけですが…。

 そろそろ運動会前日・当日の天気が気になりだす頃となりました。昨年は、実施を決めた時点でも小雨が降っていましたが、今年はどうでしょう。雨でも晴天でも、まずは頭を保護して劣化を防ぎ、子供たちの眩しい笑顔を楽しみたいと思います。

408 五月(24.5.9)

 いつのことだったか、三島食品のふりかけ「ゆかりシリーズ」をここで取り上げたことがあります。「ゆかり」を筆頭に「かつお・うめこ・ひろし・かおり・あかり」といった兄弟姉妹がいるのですが、先日食卓に登場したのが「しげき」君でした。わさびふりかけなのですが、「小さなお子様や辛みが苦手な方の喫食には十分ご注意ください」と促しています。果たして、ふりかけとは思えぬほどの刺激に鼻の奥がビックリ。その顔を見た妻はおもむろに立ち上がって、冷蔵庫から「ゆかり」さんを連れてきたのでした。

 

 5月に入ってからナメクジやダンゴムシとの戦いのシーズン開幕です。また、GWに庭仕事をしているとハエが1匹、右腕にまとわりつきます。鬱陶しいので追い払いますが、場所を移動しようが時間が経とうが右腕に止まってくるのです。思わず腕を鼻に近づけてクンクン。特に異常なし!その昼頃にその腕を見て、「パン屑がついているよ」と払おうとした妻が再び声を発します。「あっ、剥けた皮膚だった」と。運動会や水泳の学習が行われる5月以降の紫外線は、乾燥気味のお肌の敵。特に、腕と頭はダイレクトですから劣化注意報がすでに発令中です。

 さて、辞書で「五月」のつく言葉を探してみると、意外にあるものです。もしかすると、他の月に比べて多いのではないかと思ってしまいます。五月人形や五月鯉、五月幟といった端午の節句に関係する言葉のほか、五月晴れや五月雨(さみだれ)、五月躑躅(つつじ)、五月蠅い(うるさい)なども見られます。五月晴れが梅雨の晴れ間を指すように、五月雨は旧暦5月に降る長雨、つまり梅雨を指します。よって、「五月蠅い」ハエは梅雨の時期に飛び回っていて、長雨同様に鬱陶しいものであったことを想像します。あの清少納言もハエが大嫌いだったようで、「憎らしい虫」と書くくらいですから、古来よりハエはうるさいものの代表格だったようです。

 様々な動植物の命を感じる5月。子供たちが生き生きと輝けるためには、私たち大人が「しげき」になるようにしなくては。

407 御三家(24.5.8)

 GWの中休み初日、小学校の同級生だったという男性から学校に電話がかかってきました。蜂須賀の名前で検索したら、平田小にいることを知って連絡してきたそうです。電話を取り次いだ職員には「不審電話」に聞こえたようです。懐かしい名前を半世紀ぶりに聞くこともできました。6月に同窓会を計画しているそうで、グループラインに参加してやり取りも始めました。

 ほぼ1年前に歌手活動から引退した橋幸夫さんが、先月、「歌うことが自分の使命」として、引退を撤回す会見を開きました。私が幼少のころ、橋幸夫と西郷輝彦、舟木一夫の3人を「御三家」と芸能界では呼んでおり、舟木一夫さんの『高校三年生』をテレビの前で歌って、祖母を喜ばせていたといいます。

 その後、郷ひろみ、西城秀樹、野口五郎の3人を「新御三家」と打ち出したり、天地真理、小柳ルミ子、南沙織の3人を「新三人娘」と呼んだりしていたのです。後者に関しては、「新」とあるからには「元祖」もあるわけですが、ここでは省きます。そういえば、さらにその後、あいざき進也や城みちるなんてアイドルも登場しました。こうした目で現在の芸能界を見たときに、グループが多すぎてピンで「令和御三家」「令和三人娘」と呼べそうなひとを探すのが難しい。

 さて、江戸時代の「徳川御三家」といえば「尾張・紀伊・水戸」ですし、中学受験における御三家もあります。偏差値や東大進学率からはじかれたのでしょうが、男子は「開成・麻布・武蔵」、女子は「桜蔭・女子学院・雙葉」といわれ、自ずと「新御三家」もあるわけです。

 そこで、文房具メーカーの御三家を勝手に考察。選考は、私の机にあるものに限ってという極めて偏ったものですが、「パイロット・ZEBRA・UNI」なんていうのはどうでしょう。「三菱・PLUS・ぺんてる」も後を追いかけます。

 ただし、このような見方を面白半分で人に当てはめると、いじめや差別を増長するので注意が必要です。でも、小学生時代にタイムスリップする同窓会では、御三家ならぬズッコケ三人組がいたことを思い出すかもしれません。

406 SNSから(24.5.7)

 先々週、1年生を迎える会を体育館で行いましたが、全員が一堂に会し、1年生が6年生と手をつないで入場するのもコロナ後2回目。同じように、これまで当たり前だったことができなかった経験や試みを別の形で生かした教育実践ができるように工夫をしていきたいと、満面の笑顔を見て思いました。

 笑顔というより笑いについて。SNSの画面を見ていて「プッ」と噴き出してしまったテストの解答がありました。1つ目は、次の文章を読んであなたの思ったことを書きなさいという問題。「父ちゃんは、駅のホームで裸のままお札を差し出した」という文に対して、「父ちゃんはヘンタイかもしれない」と感想を書いた子に思わず納得。また、「大は小を兼ねる」という慣用句の意味を問う設問では、「大便をするときは一緒に小便も出る」と真剣な解説文に花丸をつけたくなります。漢字の読みでは「様子(ようす)」は正解。「女子」を「めす」としたのも、「子」を「す」と読んだ前問からの流れなのでしょう。何度見ても笑えます。

 また雑学的な投稿もあります。普段何気なく見ていることが、本当は知らないのだと思い知らされる内容です。説明されればわかるけれど、物の名称だけではそれが何なのかわからないもの 。例えば、①サインポールや②クロージャー(写真)、③ドラキュラマット、④ランチャーム、⑤カルトン、⑥ファイヤーホールド、⑦ガベルなどです。イメージできるでしょうか。どれも「へぇ~」といった感じの領域を出ないものばかりですが、知らないのです。①は床屋の前にある青と赤と白の回るアレで、理髪店であることを示す世界共通のマークです。②は食パンの袋の首部分を止めるためについているプラ製のアレの名称だそうです。③は刺身の下に敷いてあるマット、④は弁当に入っている魚の形をした醤油入れ容器。ランチをチャーミングにという思いからつけられた名前で、モチーフは鯛だそうです。⑤は店の会計時にお金を乗せる四角い皿、⑥はホテルなどトイレットペーパーが三角折りになっている、その部分のこと。⑦は裁判所で「静粛に!」と叩くアレのことなのです。どれもちゃんと名前があったのです。特に、⑥に呼び方があるなんてビックリ。

 

 「学校では間違えないと頭が良いとされる。社会では間違いから学ぶことができると頭が良いとされる」という一文もSNSに。学校でも失敗や間違いから学ぶ人であってほしいと思い、赤門の掲示板に貼ってみました。GW明けの子供たちはどんな姿で登校してくるでしょう。

405 GW後半です(24.5.2)

 下着を悩んだ末、ヒートテックにして正解だったと思う朝です。息子の家に買ってあげたジューンベリーが、毎年たわわな実をつけるのが羨ましくて我が家にも若木を植えて早3年。花が咲きません。よって実がなりません。そこで先日、実つきの苗を並べて植えてしまいました。来年は競い合って…。早く実をつけぬと、ハサミでちょん切るぞ~(猿蟹合戦)。

 さて、今頃の季節になると思い出すのが「こいのぼり」「潮干狩り」「ワラビ採り」の3つ。淡い記憶が、一部美化されていることもありますが、懐かしさとときめきが去来します。こいのぼりは近年、とんと見なくなりました。散歩コースで垂れ下がっているのを見ましたが、逆に強風にあおられて泳ぐ姿は、自分まで飛ばされてしまいそうな感覚に陥り恐怖を覚えます。

 船橋の三番瀬では潮干狩りが始まりました。木更津や富津ではもっと前から解禁となったようですが、足を運ばなくなって半世紀は経ちます。当時は、熊手で掘るところ掘るところからアサリが捕れました。小判がザックザックといった昔話のような感覚でした。したがって、自分はアサリ捕りの名人ではないかと子供心に思ったのです。

 名人といえば、ワラビ採りも得意というか好きでした。なぜか雑木林の中で食べごろのワラビがすぐ見つかるのです。目線が低いせいでしょうか。夢の中で山菜採りをして抱えきれずに当惑するなんてこともあったことを思い出します。私たちの住む地域を見渡すと、雑木林や原っぱが造成されておしゃれな家がどんどん建っていきます。必然的に子供たちの遊ぶ場所が限られ、スペースが狭くなっていきますから、遊び方だって変わるのは当たり前。ボールを投げたり蹴ったり、木登りしたりすることを禁止・制限していない場所を探すことは至難の業です。そうした中であっても、子供たちの創造的な活動や遊びを支援できないものかと知恵を絞っています。

 今でも、田んぼの畔道に足を踏み入れたり雑木林があると気持ちが引きずり込まれたり、BBQの炭の匂いや爆ぜる音にも心躍らせたりします。さぁ、GWが後半に入ります。子供たちの感性を刺激する体験や経験がありますように。

404 よろける(24.5.1)

 今日は「スズランの日」。馴染みない習慣ですが、フランスでは大切な人にスズランを贈って感謝の気持ちを伝えるといいます。というわけで、庭に咲くスズランを仏壇にあげて、ほのかな香りを感じながら手を合わせて出勤です。

 混雑した電車の中で、傘やカバンをもって吊革につかまると本が読めません。ふと隣の男性の手元に目をやると、電子書籍をスマホで読んでいます。登場人物の名前から察するに、歴史小説のようです。1ページの量が多くありませんから、次々とタップしてページをめくりますが、なんか味気ない気がします。紙なんて古いとか重くてかさばるとか言われそうですが、私はやっぱり紙の本が好き!

 新年度が始まった4月1日、上履きを新調しました。これまで履いていたものがだめになったわけではなく、着脱の際の煩わしさから解放されたかったからです。最近、テレビCMでも流れるスリップ-インのタイプ。決して多くはないものの、外に出る機会があります。玄関に戻ってスニーカーに履き替えるとき、踵を入れるために片手で靴箱に触れて体を支えないとよろけます。たったワンモーションであるにもかかわらず面倒なのです。踵のないサンダル状の履物は、緊急時に自分と子供の命を守れませんので却下。そんなわけで、ストレスフリーとなった次第です。

 来客用玄関に腰掛けがあると便利だと思うことがあります。自分も含めて年配者は、片足立ちで靴を履く状況が心もとなくなります。座って靴を履くことができれば安心ですし安全です。図工室や理科室にあるような背もたれのない、物置きにもなりそうな椅子はどうでしょう。いや、普段は物入れで、必要な時に椅子に変身するボックスもいいなぁ。そんなことを考えていると、リサイクルステーションの一角から木を削る匂いがします。用務員さんが何かを製作しています。尋ねると、運動会のラインを引くための秘密兵器だとか。こんな魔法の手に依頼しない手はありませんから、これを機に相談が殺到する予感が…。その前に、玄関の腰掛について相談してみようっと!