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校長室から

314 ゴボウ(23.11.22)

 豚汁、もつ煮、きんぴら、煮物、けんちん汁などに使われる食材といったら「ゴボウ」。八百屋やスーパーで目にするゴボウは根菜です。大根や蕪も根菜ですが、これらのように葉が付いているのを見たことがありません。先日新聞を読んでいると、“ゴボウという植物はアザミに似ていて、とげとげした見た目の花を咲かせる”とあります。早速検索してみると、写真とともに「高さ3mにもなる二年草。キク科ゴボウ属で、根を食用にするほか果実を薬用とする」と説明があります。ついでに生産量を調べてみると、青森県が国内の3分の1以上であることがわかります。

 このゴボウは中国から薬草として渡来し、平安時代には宮廷料理の食材として利用されていたようです。ゴボウを日常的に食すのは日本だけらしく、第二次世界大戦中にはアメリカ人捕虜に食事として出したといわれます。でも「木の根を食べさせた」として、戦後の裁判で死刑になったという悲しい話もあるくらいです。

 また、ゴボウは夏にアザミに似た紫色の花を咲かせるといい、ヨーロッパでは根よりも花のほうが有名です。その花言葉は、「私に触らないで」「しつこくせがむ」だといいますから、ゴボウの花は見なくてもよさそうです。ちなみに、アザミの花言葉にも「触れないで」がありますが、ほかに「厳格」「気品」「権威」「復讐」「報復」と怖い言葉も並びます。やっぱりあの鋭いトゲに由来するのかもしれません。

 一般的にゴボウの旬は11月から2月頃の寒い時期です。気温が下がってきて汁物や煮物、鍋物がおいしく感じられます。様々な料理においてゴボウはバイプレイヤーではありますが、これからも存在感ある味を楽しませてくれるはず。さて今晩の食卓に、ゴボウは登場するでしょうか?

313 あなたは今幸せですか?(23.11.21)

 ドラマ『フィクサー』を観ていたら、なるほどとうなずける主人公のセリフがありました。「自分で決められることを幸せと呼ぶんだ!」と言います。どんなにお金持ちでも地位が高い者でも、自分の意志の外に決定権があったり従わざるを得ない状況にあったりすれば本意ではないはずです。たとえうまくいかなかったとしても、束縛されることなく自分の意志で選択できることはとても大きな幸せと考えてよさそうです。子供だって親の管理下にはありますが、自己決定の場面が多数あります。欲しいものが手に入らないことを、不幸せだと嘆くことではないと思ったのでした。

 こんなことを考えながら、戦闘が絶えず犠牲が拡大している世界の状況を目にすると、いたたまれない気持ちになります。自分で決めて一歩踏み出すことができる私たちにできること、まずは他人事として自分から切り離してしまわないことかな。

 さて、ある期間、寝起きで腰が痛くて堪らない日が続きました。辛いときはベッドから起き上がるまでに時間がかかります。肩も痛くて、快眠とはほど遠い。十数年使っているマットレスのへたりが原因かもしれないと思い、購入を検討しました。○○ウィーヴとかトゥルー○○など見聞きしますが、高価です。そこで「お、ねだん以上」の店に行って寝比べすること3~40分。あれこれ悩んで決めました!後日納品された以降、腰痛に悩むことがなくなりました。

 自分で決めたマットレスでぐっすり眠れて、幸せ~。

312 知らないだろうなぁ~(23.11.20)

 子供心に「これさえあればどこにでも行ける」と思わせてくれた道具(乗り物)が自転車。小学校高学年の時、幼馴染と二人で印旛沼や成田まで冒険の旅に出かけたことは以前書いたとおり。自転車を中心にした漫画といえば、最近では『弱虫ペダル』が有名ですが、半世紀前大好きだったのが『サイクル野郎』(荘司としお 作)です。主人公の輪太郎は中学3年生で、日本一周の自転車旅行を決意するというもの。荷台やその両脇に荷物を積んで走る自転車がとても魅力的だったことを覚えています。

 自転車に後方確認用のミラーを付けていたのも当時の主流。そのミラーの位置をどこにすれば格好よく見えるか工夫もしました。だから自転車の改造もしました。難しいことや違法なことをするわけではなく、他人と違った自分だけの自転車に仕上げたかったのです。今でも年配の男性の乗る自転車にバックミラーが付いているのを見かけますし、その位置が前輪の脇のフレームだったりすると、「おぬしも好きよの~」と思ってしまいます。

 また、鉛筆や木を削るのに便利で学校にも携行していたのが「ボンナイフ」。カッターナイフが普及するまでは、昭和の小学生の筆箱に必ず入っていたともいえる文具の一つ。両刃カミソリに似てよく切れてコンパクト。しかも30円くらい。鉛筆の削り方も先生がみんなに教えていた時代です。これを携えて笹やぶに分け入って、奥まったところの笹を根元から切り、自分だけの空間を作って遊んだものです。

 ボンナイフがわかれば、アメリカンクラッカーと聞いてきっと現物が目に浮かぶ人も多いはず。マブチモーターが販売していた水中モーターを模型などに取り付けて、風呂で遊んだ経験もあるかもしれません。舵とスクリューが一体となった赤白のデザインで、当時絶大な人気を誇りました。こんな昭和を代表するような懐かしい品が集まる博物館へ行きたい!

 週替わりで学級閉鎖が続いています。今一度健康管理と手洗い・うがいの励行を!!

311 非日常を楽しもう!(23.11.17)

 今日もキャンプ・ネタにお付き合いください。

 20数年前まで好んで出かけたファミリーキャンプ。ずっと以前のアウトドアブームの頃だったかもしれません。専らオートキャンプ場を利用しましたが、様々な経験をしました。例えば、真夏の勝浦。アリが大量にテントに侵入してきたことと、とにかく暑くて一睡もできないまま朝を迎えたこと。只々子供たちにうちわで風を送り続けていた夜でした。翌日の海の水がなんと気持ちよかったことか。別のキャンプ場では雷雨の洗礼を受けました。雨だけのうちはよかったのですが、稲光がひどくなって近づいてくるのです。テント内は危険だと判断して、車に避難して一晩を過ごしました。あるときは、暴走族の集会のようなものが始まりました。あれはどこだったでしょうか。もしかすると道の駅で車中泊をしたときかも…。

 家族は虫が苦手です。ですから、当時のキャンプ場のトイレはいけません。今ほどきれいではないうえに、そこかしこに蛾が張りついています。安心して用を足せないと言いますし、夜中のトイレは必ずと言ってよいほど同行のために起こされます。懐中電灯を片手に真っ暗な道を、トイレの灯りを目指して歩くわけです。

 キャンプに行ったらBBQといった固定観念もありました。「こうあるべき」という思いから脱しきれずに、料理も一から始めます。今のように家で仕込んでいくとか、簡単に済ませられるメニューにするとかいう発想がないわけですから、妻が大変です。キャンプ場でも調理に精を出し、家に帰れば使った食器類を洗い、シュラフを天日干しするなど、疲れて帰ったのにさらに仕事が待っているという始末。そんなこんなで縁遠くなった気がします。だから、「整えなければいけない」といった考えを捨て去って、ゆったりした時間を楽しんでいる今のキャンパーはさすがです。

 家とは違った環境で生活したり役割を与えられたりする経験・体験は、必ずしもキャンプだけではありません。非日常で思わぬ一面に出会えることも期待できそうです。今日は冷たい雨が降っていますが、週末は青空が広がりそう!それだけでワクワクしませんか?

310 お詫びと謝罪(23.11.16)

 寄せ植えにしたビオラが凛と花を咲かせています。赤門脇のプランターに植えられたビオラだって霜や雪などに耐えて来春まで目を楽しませてくれる優等生。

 「お詫びはするけど、謝罪ではない」と新聞にありました。「お詫び」と「謝罪」は違うんだぁと言いながらググります。「謝罪」とは、罪や過ちを犯したとき、損害や危害を与えてしまったときに謝ることであり、「お詫び」は、相手が憤慨しているときなどにただ謝ることだといいます。グループ行動をしていた一人がはぐれてしまって、心配をかけたような場面で謝る行為は「お詫び」ということになります。また、「お詫び」は「謝罪」を包含するような広い意味を持つといいます。

 テレビの会見で、カメラを前に深く頭を下げる場面を目にしますが、罪や過ちを認めての行為なのか、お騒がせしたことを謝っているだけなのか、語られる言葉も含めて見極めることが必要みたい。普段から言葉が相手にどう伝わるかを意識していたいものです。

 さて、10月末の授業参観やひらたっ子まつりへの意見や感想を取りまとめてもらいました。授業参観に関しては、「よかった」85%、「あまりよくなかった」3%でした。「中まで入れず様子がわからなかった」という声のほか、「ドアを外していたので廊下からも見られた」「奥まで入るように先生が声をかけてくれて有難かった」などがありました。なお、「吹奏楽部の発表の機会がなかった」点については、児童を対象に2学期終業式で演奏する場面を設けます。

 一方、ひらたっ子まつりについては、「よかった」87%、「あまりよくなかった」2%という結果です。様々なご意見は、今年度担当された方々と共有して、次年度の企画に生かしたいと思います。お詫びや謝罪ではなく、アンケートに回答いただいた「お礼」です。ありがとうございました。

309 七五三(23.11.15)

 先週、大リーグの大谷翔平選手が、ジュニア用野球グローブを日本の全小学校に3個ずつ寄贈すると発表しました。「野球を通じて元気に楽しく過ごしてもらいたい」という想いを込めてのことだそうです。さあ、このグローブをどうしましょ?発表翌日には、「校長先生、私に頂戴!」と何人もの子におねだりされました。お披露目のあと、玄関のショーケースに大切に保管するという手もありますが、それでは大谷選手の想いをキャッチできません。全児童とキャッチボールでもしましょうか。左利き用も1個あるというからその配慮には恐れ入ります。使い方について何かよいアイディアがあったら教えてください。グローブが届くまでにまだ十分時間がありそうですから…。

 さて、今日は七五三。七五三といえば千歳飴。千歳飴といえば不二家。不二家といったらペコちゃん。ペコちゃんといったらミルキー。そのミルキーの「ミニ千歳飴」を、口さみしさに負けて舌の上に放り込みました。とても懐かしい味のような、ちょっと違うような?昔食べた棒状の千歳飴は、そのまま舐めているには長すぎますが、適当に折って兄弟で分けるには上手に等分できませんし、小さな欠片がパラパラと散ります。それを指先に唾をつけて兄弟で奪い合い。子供たちの健康と成長を祝う伝統行事における千歳飴には、健やかな成長への願いが込められています。ただ、千歳飴を手にする景色は廃れていく傾向はないでしょうか。不二家の店先で、ペコちゃんとポコちゃんが晴れ着姿にもかかわらず寂しがっているように見えてきます。

 家庭の休みに合わせて晴れ着姿の子供を見る日は様々です。天気にも左右されますから大変です。写真も前撮りができるようですから、必ずしも参拝の際に晴れ着とは限りません。おっ、そういえばうちの孫も3歳だけど男の子。孫娘は4歳なので既に終わっていました

 ちなみに、「七五三」を名字にする人もいます。「しめ」と読みます。神社などに見られる「しめ縄」を「注連縄」あるいは「七五三縄」と書くのです。

308 秋キャンプ(23.11.14)

 今日から1泊の予定で計画されていた修学旅行が、インフルエンザの蔓延により延期にせざるを得なくなりました。同時に、6年生は明日まで学年閉鎖に。年が改まる前も含めて期日の調整中です。

 ある日、学校の来客用玄関に1足の靴があります。来客でしょうか。脱いだままの向きですし、揃っているわけでもありません。でも子供用ではないようです。急いでいたのかもしれません。でも、不特定多数が出入りする場所ですから、誰であっても気づかいは必要だと思うのです。

 10月終わりのひらたっ子まつりでは、屋内外を出たり入ったりする子供の姿がありました。お目当てのコーナーにできるだけ早く行きたいと思うのは誰もが同じかもしれません。でも、昇降口の散らばった靴の数々を目にすると、やはり「きちんと揃えてほしいなぁ」と思うのです。日頃の行動がそのまま表れてしまいますから、今後恥ずかしい思いをすることがあるかもしれないと思うと心配です。そんなふうに心が揺れてしまうのは心が狭いからなのでしょうか?

 夏日が続いていたのに急に寒くなった休日を利用して、娘夫婦とキャンプに行ってきました。21世紀になって初めてですから20年ぶり以上。空気が冷たく感じられる晩秋、防寒対策は必須ですが、焚火の炎って身体だけでなく、視覚的にも暖かさを演出してくれるような気がします。炎を見つめているだけで楽しくて童心に戻れます。

 薪ストーブも魅力的です。家にあったら、その前を何時間も離れることなく居座れそうです。窓から見えるチロチロと揺らぐ炎がとにかくよい!また、それに手を翳すのが何とも言えない趣きと喜びがあるのです。石油ストーブにも通じる感覚です。現代の暖房はエアコンや床暖房主流ですが、屋外から帰ってストーブの前に直行するあの感じを忘れたくはありません。時々アウトドアコーナーに行くと、レトロ感たっぷりのだるま型石油ストーブが置いてあります。アラジン製の商品の値段を見てびっくり!曲線を帯びたデザインは素敵ですが、とてもでないけど手が出ません。にもかかわらず、娘たちのテントの前室に据えられていました。羨まし~。

 焚火の前を離れて小さなレンタルテントに入ったとき、きちんと履物を揃えました。だって夜中、真っ暗な中をトイレに行きたくなることだってありそうでしたから…。

307 長い時を経て(23.11.13)

 昨日今日と寒い。ついに暖房の登場とともに、アンダーウェアも暖かいタイプに切り替えのタイミングです。

 顔は判別できるのに名前が出てこない。俳優の名前は特に強く感じます。「ほらっ、あの番組に出ていた人!」といいながら肝心な番組名も出てこない。「三文字の苗字でさぁ…」なんて会話がなんて多いことか!一緒に働いていた先生の名前だって、すぐにど忘れしてしまいます。その時は出てこない名前が、何か別のことをしているときにふと思い出すのです。ただ、教員ってつくづく得な職業だと思います。だって、誰に対しても一応「先生」って呼べば、名前をド忘れしていたとしても会話がちゃんと続きますし、間違いがありませんから…。

 さて、阪神タイガースが38年ぶりの日本一と報道されているのは知っていましたが、先日の天声人語を読んで、前回の日本シリーズ制覇が自分の教員人生スタートの年なのだと改めてわかったのです。そして、JRがまだ国鉄と呼ばれていたころで、電電公社が民営化されてNTTに、日本専売公社がJTと名称変更して発足した年だといいます。また、日航ジャンボ機墜落や新幹線上野駅開業があり、「8時だヨ!全員集合」が終わったのです。確かにそうだった、かも?

 こう考えると、平田小創立からの70年間を振り返ると数多の出来事があるわけです。平田小の先輩、坂崎千春さんからもお祝いのイラストをいただきました。1階の「平田小のあゆみ」掲示板に飾ってあります。貴重な作品ですから、ぜひご覧ください。そして、学校の歴史と同じように年齢を重ねてきた人が身の回りにいることにも気づくべきです。過去に学び、人を敬い、自らを高めようとする子供たちであるための一歩となります。阪神タイガースの日本一だって、「ダメ虎」と呼ばれていた時代も含めて、長~い年月をかけてチームが円熟してきた証し。阪神ファンの皆さん、遅ればせながらおめでとうございます。

306 ご縁がありますように(23.11.10)

 少し前に『アルルカンと道化師』(池井戸潤 著)の文庫本を買いました。単行本で読んだような気がするのですが自信がありません。しかも、ビニルカバーがされていますからページを手繰って記憶を呼び覚ますこともできません。背面の作品紹介の短文を読んでも記憶はあやふやなまま。本屋に行くたびに買うかどうかを悩んだ末、購入に至ったという次第。にもかかわらず、少し読み始めたら聞き覚えのある名前と場面設定。んん?読んだことある!もったいないので、今読んでいる本を読み終えたら、改めて読み始めます。これも何かのご縁ですから…。

 さて、日本テレビ系列で12日(日)まで「カラダWEEK」というキャンペーンを開催しています。カラダを整え、キモチを整え、イキイキとしたウェルネスな毎日を過ごせるようなきっかけを発信しています。第八中学校ブロック4校で一昨日、児童生徒や教職員等の健康やけがの防止などを目的に合同研修会を行いました。講話を聴きながら実際に体を動かして理解を深めました。「姿勢の改善」が中心でしたが、骨盤を動かすことって難しい!こうして得た知識を子供たちあるいは家庭に広めていけたらと思いますが、まずはもう一度自分で確認しないと…。だって、もう体験したことの半分は忘れていますから!

 この研修のもう一つの目的は、同じブロック内の小中学校教職員の顔見知り計画!同じ学校内の狭い人間関係にとどまらずに、話したり一緒に体を動かしたりする時間を共有することで、今後も相談しあえる関係を広げることが大事だと思います。管理職や教務主任、事務職員などは頻繁に顔を合わせて情報交換していますが、学級担任にはなかなかその機会がありません。ましてや顔も名前も知らなければ、声すらかけられません。せっかくだから少しでもお近づきになれたら…縁を結べたら…、そう思うのです。

305 大人の秘密基地(23.11.9)

 富里に住む友達の家を久しぶりに訪問しました。以前父母の住まいだった隣接する土地に、息子夫婦の家を建てる準備がされていました。家の周囲が畑や林に囲まれ、遠くに落花生を収穫した後の「ぼっち」が点在するような田舎の風景の中にあります。行ったときは、ユンボで木の根っこを掘り返していましたが、作業着は似合っても元校長。とにかく所有する機具類が都市部と全然違いますし、買い物は車がなければ行けません。広大な敷地には大木が茂り、我が家の周辺では見られない様々な植物が当たり前にあります。何十年ぶりに自生したアケビを目にしました。高枝バサミでチョキチョキして、手のひらに熟したこぶし大のアケビを乗せます。白い中心部を指先でつまんで口の中に入れると、スイカの甘さにも似たねっとり感が広がります。種を地面にペッと吐き出しますが、スイカの種飛ばしどころではありません。だって種ばかりだからですから、実を食べるというより舌先で味わうといった方が正しいかも。

 この友達とは家族ぐるみのおつきあいが、子供が生まれたころから続いていますからすでに35年になるでしょうか。夏は、目の前に生えた真竹を切って節を抜いて何本もつなぎ合わせた手作りの流しそうめん。近くの田圃へ行って、ドジョウを捕まえたりクレソンを採ったり。子供たちもいろいろな材料を使って、裏の敷地に小屋(子供たちにとっては家)を作りましたし、その脇にテントを張って寝させてもらいました。大人にとっても子供にとっても秘密基地のような場所だったのです。だから、自然に恵まれたその地は、今も大人の遊び空間といえます。

 ただそれは、そこに住まう者でないから言えること。木を切らなければ繁茂し、雑草を抜いても抜いても減らない。今の時期は落ち葉もすごいらしいですから、一日くらい作業しても何も変わらないようです。旅行するには北海道は素敵な場所であっても、簡単に住めないと言われますが、それと同じかもしれません。だから、仕事を辞めたら週1~2回足を運んで、腰を痛めない程度に庭仕事や畑仕事に精を出そうと企んでいる私。その日の晩酌は格別だろうなぁ。

304 潔く!(23.11.8)

 11月なのに桜が咲くなど、夏日が続いたある日の昼休み、「ザクロを食べますか?」と尋ねられました。校庭のザクロを収穫して冷やしたものが職員室にあります。まるで透明感を増したルビーのような輝きです。甘酸っぱさが口に広がります。種がなかったら最高なのにと自分勝手なことを考えてしまいます。

 ある日10時ピッタリに百貨店に入り、目的の場所へ足を運びました。店舗の奥まった場所にあるため、途中にあるテナントの店員が、前を通りかかる度に恭しくお辞儀をしてくれます。右、左、右、左…というように順番に頭が垂れますからちょっと恥ずかしい!こちらもお辞儀を返さなきゃいけないかと、律儀な?私は考えてしまいます。一方で、どこかの社長にでもなったかのようで気分は上々?!目的の店舗に近づいたころ、時間にして1~2分のことですが、店内に流れる音に変化がありました。すると、それぞれのテナント前に立っていた店員さんは、何事もなかったかのようにそそくさとその場を離れていきます。その潔さがまた面白く映りました。

 柏の百貨店では三連休中、出店しているレモンケーキ専門店がありました。あれっ、駅に近い高架脇の小さなお店じゃない?バイヤーが声をかけるほど有名みたいです。店の名前も覚えていませんし、買ったことはありませんが…。その高架下を歩いてくると、必ず目に入る看板があります。「平田っ子 二つある道 よい道へ」と書かれた標語です。ここに子供たちの3つの姿が見えてきます。1つは、道が二つあるいは複数あることに気づくということ。これがベースにあって、どの道を行くか根拠を持って判断すること。最後に、選んだ道を歩むという行動に移すこと。さらに言えば、どのように歩いていくかという行動の質も大事です。

 「~だったらいいなぁ」と思うことがあれば、その時点で道は最低でも2つあるわけです。理想形を追うことと従来通りに甘んじること。願いを叶えるためには、計画を練って手だてを講じる必要があります。そして行動化。まさに「したい人1000人、始める人100人 続ける人1人」といった感じ。

 立冬なのに暖かく、潔さのない今日のようなお話になってしまいました。

303 教科担任制(23.11.7)

 大笑いした新聞投書がありました。

 5歳になる孫に、「バァバ、お母さんごっこをしよう」と誘われたそうです。「私がお母さんをやるから、バァバは犬でも猫でもいいよ」と言います。たまに、「ご飯でもくれ、ワン!」などと言っていればよいだろうと考えて、楽そうな犬をやることにしたのだそうです。すると孫は、いきなりおもちゃを遠くに投げて言ったのです。「取って来い!」と。ごっこ遊びも様変わり中?

 さて、毎朝家や学校で新聞に目を通しますが、必ずといってよいほど四コマ漫画を読みます。読売新聞は『コボちゃん』、朝日新聞は『ののちゃん』です。ののちゃんは小学3年生で、苗字は「山田」。’91年秋から『となりのやまだ君』で連載がスタートし、’97年4月から主人公を変更して改題・掲載されていて今日に至ります。最近気づいたのですが、ののちゃんの学年は一部教科担任制なのです。体育はタブチ先生、図工はヤスダ先生が教えています。担任が藤原先生なので3クラス編制なのでしょう。

 本校でも、5学年と6学年で一部教科担任制を行っています。学級数が違ったり、教科による週指導時数が違ったりするので、組み合わせと時間割編成は想像以上に大変です。ミシン縫いによるエプロンやナップザック制作では、午前中4コマ全部家庭科室で同じ教員が指導をしている姿がありますが、指導者にとって或いは児童にとってのメリットや効果を検証する必要がありそうです。

 昨日から24日まで平田小の読書週間ですし、全国的には9日までが読書週間。『私のペースでしおりは進む』が今回全国の標語らしいです。平田小のテーマは、学校だよりでお知らせしたとおりですが、学校図書館や公共図書館を積極的に利用して、とっておきの1冊に出会ったり、読書の幅を広げたりできるといいなぁ。

302 土曜日って(23.11.6)

 朝の電車で爆睡中の高校生や社会人を時々見かけます。遅くまで仕事だったのか、夜更かしをしたのか。極限まで睡眠時間を削らざるを得なかった頃、吊革につかまりながら寸暇を惜しんで寝ていたことを思い出します。ですから金曜の夜はうれしくてたまりませんでした。

 そんな土曜日と日曜日の朝のNHKニュース。キャスターの一人は井上次郎アナウンサーです。上手ですが、何より安心する顔立ちなのです。朝から見たくない顔や聞きたくない声があると同じように、癒される顔や声もあるようです。

 また、土曜日の新聞別刷りに、様々なタイプのクロスワードパズルが掲載されますが、必ず鉛筆を持ち出して取りかかります。朝から脳が活性化するのを感じます。でも、数独の場合はスルー。好きじゃないから…。最後に残った文字を並べ替えて出来上がりという懸賞問題もあります。ある人は、「ロ」「イ」「ウ」「ン」「ハ」「-」の6文字を見て、閃きます。嬉々として、「ウーロンハイ」と書いて応募したそうです。でも正解は「ハロウィーン」だったとか。

 土曜日には特別感があります。一日が終わっても、もう一日休みという「おまけ」があることの喜び。何をしようかと高揚感に溢れます。先週は金曜日が祝日でしたから、さらにお得感!逆に日曜日の夕方以降は、気持ちは沈滞。多くの人が折り合いをつけて月曜日からの仕事や学業に臨みます。私たち教員の場合、子供の顔を見て声を聞くと、自然と気持ちが盛り上がるからこれまた不思議!

301 あやかる(23.11.2)

 10月29日から今日までの約1週間は、我が家の「命日週間」なのです。なんということでしょう!2日おきに義母、父、義父と続きます。ですから初日に3人分のお墓参りを済ませました。そして今日11月2日は「いい字」の語呂合わせで「習字の日」だといいます。

 さて、年末に、ボクシングの井上尚弥選手(バンタム級4階級制覇・スーパーバンタム級2団体王座)が、世界スーパーバンタム級4団体統一戦に臨みます。圧倒的な強さから「モンスター」の異名をもちますが楽しみでなりません。

 過去の日本人ボクサーで特に印象が強いのが、やはり具志堅用高さん。試合のたびにテレビにかじりついて観たほどです。そのほか、輪島功一さんやガッツ石松さんの試合も魅力的でした。影響されやすい質の私は、家でシャドウボクシングもどきをやって汗をかいたこともあります。近くにボクシングジムがあれば通っていたのではないかと思うくらいです。これは、きっと漫画『あしたのジョー』や『がんばれ元気』の影響があったに違いありません。

 活躍するスポーツ選手などにあやかってつけられた子供の名前、つまり「あやかり名」は少なくないはずです。「由伸」とあれば、ジャイアンツファンで高橋由伸にあやかったなと思ってしまいます。日本シリーズ第1戦で投げたオリックスの山本由伸選手はきっと…?大リーグで活躍する大谷翔平選手や佐々木朗希選手に名前をもらった子もいるでしょうし、「裕次郎」なんて俳優名(古っ!)もありました。2023年の赤ちゃんの名前ランキングでは、ドラマ『silent』の影響で、「紬」「湊斗」「想」がランクアップしたとか…。

 先月26日にはプロ野球ドラフト会議がありました。1位指名をもらって歓喜の選手、最後まで名前が上がらずに悔し顔の選手だっています。ただ、ドラフト上位に名前を連ねることが目的ではなく、あくまでもスタートラインに立っただけ。ドラフト外の選手が大活躍することだって、野球界以外でもざらにあります。子供たちには、自分の名前を「あやかり名」にするぞというくらいの気概をもって、様々な方面で挑戦してほしいものです。

 そういえば、昨朝白門に立つ千葉さんをお見かけしました。健康のために朝日を浴びながら歩いてきたとのこと。子供たちとも笑顔で会話を交わしていました。もうすぐプレゼント用のメッセージ綴りが完成します。

300 ジャパン・モビリティ・ショー(23.11.1)

 早くも11月に突入です。校長室の行事黒板は、校内外のイベントなどでびっしりです。

 校内に自動車メーカー「スバル」のクルマが大好きな男児がいます。自分で車をデザインして見せてくれたりそのメーカーに特化した書籍を持ってきたり…。さらに、国語や図工、家庭科と学習の中にも想いが表れ、その徹底ぶりに感心してしまいます。

 そのスバル社が、空を移動できるエア・モビリティを目玉にした出展がされたと、新聞で報じられました。長く親しまれた「東京モーターショー」から、名称を「ジャパン・モビリティ・ショー」に改め、4年ぶりに開催する大規模な展示会の記事。先の土曜日から一般公開が始まりました。海外からの出展はわずかですが、これまで以上に未来を展望した姿・技術を感じる展示が見られます。

 何を隠そう、自動車好きの私は振替休業日に足を運んで、一人で見てきました。前回行ったのは、確か10年前。息子と一緒に行きましたが、人で溢れていてブースによっては近寄れない所もあったように思います。今回は平日ですからさほど混雑しないだろうと思いましたが、いやいや「月曜日なのに、皆さん休んでいていいの?」と思うくらいビッグサイトの中は混雑していました。かといって、展示された車に近寄れないほどではありません。

 この10年間で大きく変化したと思うことが2つあります。まずは、乗用車からトラック・バスに至るまでEVが多いこと。だから、ダイハツのブースに旧車ミゼットやシャレードを見かけたときには、懐かしいとともにホッとしたほど。そしてもう一つの変化は、見て回った身体の疲れ具合。高々1時間半見て回っただけなのに、家に帰って疲労度マックス!グッタリでした。

 さて冒頭の男児、同じ日に会場にいたそうです。午前9時から午後7時まで隈なく見て回ったといいますから驚きです。むしろ、引率したお母さんの疲労度は、私の比ではないはず。本当にお疲れさま。ただ、子供のためならできてしまうのだから、親ってすごいと思います!

299 蓮根和風ハンバーグ(23.10.31)

 10月も最終日。ハロウィンパーティーを計画しているクラスもあるようです。我が家もポストの前をそれらしくカラスウリで飾ってみました。

 朝、駅に向かっていると、若い女性がぬいぐるみを抱えて前から歩いてきます。近づいてくると、それがプルートであることに気づきます。結構大きい!単にぬいぐるみ好きかなとも思いましたが、どこかへ向かっている様子。さすがに近くの小中学校の教職員ではないでしょう。もしかして、ぬいぐるみに見せかけた別のものではないかと思案を巡らせます。大きめの物入れ?前で抱えるバッグ?どうもしっくりしません。聞くわけにもいかずそのまますれ違いましたが、二度目会うことはないでしょう。あ~、何だったのだろう。ただ、朝から脳が目覚め、活性化につながりました。

 先週水曜日だったでしょうか、午後になって妻からメッセージが届きました。「今日は、レンコンのハンバーグをおろし大根で食べようと思っていたのに、まさかの給食丸かぶりだわ」とあります。昼過ぎにHPの給食のページを見て、慌てて送信してきたようです。献立表を家に持ち帰っていませんから、たまに昼と夜が連続でカレーなんてことも起こります。でも、味が全然違いますからあまり気になりません。でも、さすがにレンコンハンバーグ、しかもソースまで同じとなると…。

 果たして帰宅後の夕飯は、レンコンも挽肉も使われたもの。挽肉とレンコンのはさみ焼き、そしてピーマンの肉詰めです。からし醤油もしくはおろしポン酢、好きなほうで食べられるようになっています。使う食材は同じでもアイディア次第で別のものに生まれ変わります。料理がからっきしダメな私からすると、魔法使いに見えます。尊敬のまなざし!きっと脳内が活発な刺激で満ちているのだろうと思うのです。

 今晩のおかずは何だろう?

298 米菓(23.10.28)

 先週電車に乗ったら、車両のどこに目をやっても『サク山チョコ次郎』の広告で溢れていました。中吊りや動画など、チョコとビスケットの間にミルククリームの入った菓子のコマーシャルだらけ。チョコ側の面には、チョコジローのいろいろな表情29種類が浮き彫りになっており、ビスケット面にはおしゃべりする言葉が96種類。それぞれにシークレットがあるようです。「組み合わせは、何通りでしょう?」と投げかければ、6年生の算数の問題にもなります。似たような菓子がこれまでもあったように思いますが、これほど大々的な宣伝は初めてかもしれません。でも、その日以降は一度も見かけません。あの日だけの広告だったのか、あるいはその車両だけだったのか不明です。ただ、甘いものが欲しくなる季節です。手元に置こうものならすぐに1袋食べ切って、罪悪感に苛(さいな)まれそうです。

 一方、米菓の代表といったら柿の種と答える人も少なくないはず。一粒ずつ食べる人もいるでしょうが、私の場合は手のひらに少量出してそのまま口へ入れるものだから、容器に出して一緒に食べる場面では「一粒ずつ食べなさい」と、毎回指導が入ります。あっ、チョコでコーティングされた柿ピー食べたい!

 さて、スーパーなどでいろいろな品種の新米が並ぶ季節になりました。食の多様化によって、一人が一日に食べる米の量は明らかに少なくなっています。でも、やはり日本人として生まれた以上、コメの味を楽しまないというのはとても残念なこと。大事な主食であることに変わりはありません。自宅近隣の田んぼは、ほぼ刈り取りが終わった跡が広がります。

 そういう私の場合、米の味の違いが正直ほとんどわかりません。「やっぱりこのおコメは美味しい」と言われると、硬さ以外はどれも同じように感じてしまうこの舌が恨めしい。恥ずかしい話、朝食がパンかご飯かで昼までの腹持ちが違うことにしか関心が向きません。

 来週7日に5年生が、田植えからかかわった稲の刈り取りと脱穀を体験します。集まった白米は、調理してみんなで食べるといいますから、たくさん収穫できるといいなぁ。

 今日の授業参観とひらたっ子まつり、よろしくお願いします。

297 食いしん坊万歳(23.10.27)

 朝晩の冷え込みと寒暖差による体調不良が気になるところです。少し寒くなると、たちどころにパジャマや夜具に反映されます。長袖を着て、靴下のほかフリースの上着まで登場した先日は笑われました。布団だって「重み」が大事。羽毛布団の暖かさはよいのですが、軽いのはいけません!ずっしり包まれている感が好きな私は、やっぱり古い人間なのでしょう。

 さて、教員になりたての頃は自宅から車で通勤していました。朝に弱い私は、車の中で母が作ってくれたおにぎりを頬張っていたのです。3つあれば、それぞれに具材が違いました。「最後に食べたのが○○だったら、今日はよい一日になる」などと縁起を担いでいた20代。

 子供たちが好きなおにぎりの具は何でしょう?同じ質問に、多くの人がシャケを一番に挙げています。2位以下梅干し、昆布、おかか、たらこと続きます。手軽に作れて手軽に食べられるのが人気のおにぎりですから、おにぎりバーといった専門店もあるくらいです。

 先日、我が家では珍しくツナマヨのおにぎりが出てきました。海苔無しでしたが、温かいご飯に入ったツナマヨもなかなかよいものです。ふと、「ツナマヨを具にしたとき、おにぎりで食べたいか、手巻きずしで食べたいか」という問いが浮かびました。酢飯で食べるのもいいしなぁ。選ばせようとすること自体愚問なのかもしれません。

 愚問ついでに、もう一つ。私が見るインスタに、最近やたらと「千葉の知られざる名店・名所」の類が現れます。先日何気なく見ていたら、厚切りロースかつ定食を提供する本八幡の店が紹介されているではありませんか。その店の前を歩くこともよくあり、昼前から列ができているのを見たこともあります。食べに行きたいと思って妻に話すと、「その値段なら、私はう・な・ぎ!」ときっぱり言われました。価値観の問題ですが、仮に同じ3千円を出すなら、とんかつ?それとも鰻?私にとっては究極の選択。

 食べ物がおいしく感じる季節は、危ない危ない…。

296 新聞(23.10.26)

 「字違い句」と聞き慣れない言葉が、読売新聞の編集手帳にありました。「なごり雪と名古屋行き」は一字違い。「三連休とせんねん灸」は二字違い、といった言葉遊びです。違いがないものならば、「5期ぶりとゴキブリ」がすぐに思い浮かびます。

 こんな遊びもあります。てんし(天使)→てんき(天気)→たんき(短期)→あんき(暗記)→あんじ(暗示)→あくじ(悪事)→あくま(悪魔)→あたま(頭)→ふたま(二間)・・・というように、1文字ずつ変えて別の言葉を作るといったもの。隙間時間に一人で頭の体操をしたり、渋滞した車の中で家族が順番に言い合ってイライラを解消したりできそうです。

 今月11日の定例研では、4年1組が「新聞を学習にどのように用いるか」という提案授業を公開しました。そのあと教室に足を運ぶと、壁新聞づくりをしています。紙面には、社会科学習の発展で、「千葉県の魅力」を読者に伝える内容がぎっしり書かれるとともに、新聞の切り抜きが貼られています。グループ内で分担はあるものの、紙面を構成していく上で協議・検討がされたことが窺えます。掲示された際には多くの人に読んでほしいと思います。

 さて、先週19日の新聞に楽譜の一部が掲載された一面広告がありました。『新聞で紡ぐ希望のうた』というものです。全国の73の新聞にそれぞれ異なる楽譜が掲載されています。つなぎ合わせると一つの曲になり、「いきものがかり」が歌うといいます。明るいニュースばかりを取り上げるわけにはいかないが、それでもどこかに希望を見つけて、明日もまた前を向いて生きてほしいという想いが込められた歌です。23日夜、楽曲が公開されました。『新聞で紡ぐ…』で検索すると6分の動画と『誰か』という素敵な歌が聴けます。高学年で歌わないかなぁ?

 校長室に届く新聞も、読後の有効活用がされています。例えば、習字の作品を1枚ずつ挟むホルダーとして…。

295 成長曲線(23.10.25)

 足繁く通う道の駅で先日、車から自転車を下ろしている人を見かけましたが、これ自体はよくあること。でも横顔が知り合いの校長先生に似ているのです。食い入るように見つめていると、やっぱりそうです。確信して駆け寄り、声をかけました。たまたま寄ったのだそうですから、まさに偶然!こんなふうに思わぬところで意外な人に会うことはあるものです。ずっと以前、九十九里に子供を連れて海水浴に行ったときも市内の先生とバッタリ。ある人は、ハワイの海で声をかけられたとか…。どこで誰に会うかわかったものではありません。知り合いの知り合いなんて関係もありますから言動は慎重に!悪いことはできません。

 さて、今日は孫の話。4月から幼稚園に通い始めて、おしゃべりする内容も行動も会うたびにレベルアップ。成長曲線は右肩上がりです。毎朝幼稚園に行くときに会う近所の方が、いつも母子に元気な挨拶をしてくれるのだそうです。孫が母親に「誰かなぁ、お友達?」と尋ねたので、「ご近所さんだよ」って教えたといいます。翌朝、会ったとたんに「ママ見て!見て!ママの金魚さんだよ~」と大きな声で言ったのを聞き、母親は赤面したといいます。なんともかわいい孫です。

 その孫の運動会があるというので見に行きました。小学校のグランドを借りています。園児でしかも年少ですから、勝ち負けなんか考えていません。ゴールで待つ担任の先生に向かってみんなまっしぐら。玉入れは父親と一緒に参加しましたが、1個も入らずに半べそ状態。何に対しても一生懸命な姿は健気です。

 我が子の時もそうですが、小学校の運動会に祖父母が見に来ることは、コロナ前は当たり前でした。孫を見るまなざしは優しさに満ちています。そして、その成長のスピードをうれしく思うのです。たとえ成長とともに健気さは変化していったとしても…。週末の授業参観やおまつりで、成長真っ只中の子供たちを見てください。