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2025年4月の記事一覧

011_醍醐味(25.4.28)

 早春から4月にかけた庭の「醍醐味」、それは植物の芽出しではないかと思いながら、早いもので若葉の頃となりました。咲き誇る花々も美しいですが、土の中から小さな芽が顔を出し、枯れているようにしか見えなかった枝に黄緑色の膨らみをみつけ、咲きだす前の蕾のふくらみに愛おしさを感じます。今はまさに、アジサイの蕾が周りを覆った葉の中に見つけることができます。それを見ながら、満開になったころを想像するだけで嬉しくなるのです。

 こうしたことは、子供の成長にも置き換えることができます。子供のちょっとした変化に目をやり、それを感じて嬉しくなる。褒めたり称えたりする言葉が自然と口から飛び出し、それを栄養にして子供がさらに伸びる。うまくいかないと萎れてしまうこともありますが、親や教員の「醍醐味」とも言えそうです。

 さて、校歌の2番に「♪真白き梨の袋着て~」という歌詞があります。会議室前に梨の写真が校歌の歌詞とリンクするように掲示されていますが、この写真(品種)の間違えをご指摘いただきました。白い袋を被せるのは「二十世紀梨」なのだそうです。梨などの果樹は、病害虫から果実を守ったり表皮をきめ細かくしたりするために袋かけが行われます。二十世紀梨の場合、その袋かけには5月上旬の小袋かけと6月上旬ころの大袋かけがあるそうで、この小袋が白いといいます。

 3年生が先週、社会科の学習の一環で受粉作業をする梨畑の見学をしました。200年も維持管理してきた畑地に、1年を通して足を運ぶことができます。様々な作業を直接目の当たりにできるというのは柏井小の特長。農業に携わる人の思いや苦労・工夫、延いては醍醐味を、私も一緒に学んだり感じたりする機会にしたいと願っています。

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010_初任給の思い出(25.4.25)

 一昨日、NPO法人「市川にオオムラサキを生息させる会」代表であり元柏井小校長の先輩から、オオムラサキの越冬幼虫を4頭いただきました。子供たちの力も借りながら羽化に成功させたいと考えています。でも、食べるのが榎だけ(エノキ茸ではありません)といいます。榎の鉢植えもいただきましたが、学校周辺に自生しているなんて情報はないでしょうか?

 さて、一般企業の場合、給料日を「5」あるいは「10」のつく五十日(ごとおび)に設定することが通例で、道路や銀行が混雑する日でもあります。ですから、今日25日が給料日といった人もいるでしょう。今では給与明細書が手渡されるだけの銀行振込となりました。これは教員も例外ではありませんが、私が教員になりたての頃は現金支給でした。給与袋に何枚かの紙幣と小銭があったように思います。それでも、働いて得た報酬という有り難さを感じていました。大相撲で勝った力士が給金を手にするような感じといったら語弊があるでしょうか。当然ボーナスに至っては給与袋の厚みが違いますから格別です。

 今日初任給を手にする(振り込まれる)人が、それをどう使うかは余計なお世話。でも、世話になった人への感謝の気持ちを何らかの形で表したいものです。私自身、娘が最初にもらった給料で買ってくれたネクタイピンを今も大事に使っています。決して高価ではなかったかもしれませんが、想いはいつまでも大事にしたいと思うのです。

 そういう自分の40数年前はどうだったか?何を渡せばよいのか深く考えもせずに、安物のアクセサリーを母にプレゼントしたような記憶があります。そして、それがタンスの引き出しに大事に(?)しまわれていたことも鮮明に思い浮かぶのです。

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009_鯉のぼりの思い出(25.4.24)

 学校だよりを2号(4/18発行)から紙媒体での配付をHP掲載に移行しましたが、そのアクセスが26とは…。知ってほしいことや思いが伝えられないのでは意味がありません。さてどうしたものか?毎回メールに添付した方がよいか検討中。

 さて、校庭で気持ちよさそうにたなびく鯉のぼり。毎年恒例の景色になっているなんて、他校児童からすれば羨ましい限りですが、その渦中にいると気づきにくいものです。「ありがとう」の語源は「有り難し」。つまり決して当たり前ではないということを、知ってほしいと思います。

 我が家は、弟と私の男兄弟の家庭でしたから、端午の節句前には鯉のぼりや鎧兜を飾って、健やかな成長を願ってくれました。特に、空高く揚げる鯉のぼりは、神様への目印ともいわれます。自宅の庭に知り合いがやって来て、立てた竿に泳ぐ4~5匹を眺めていた幼少の記憶。無風ではだらしなく垂れ下がっているのに、ひとたび風が吹けば、竿先の矢車がカラカラと音を立てて回り、吹き流しや真鯉、緋鯉などが悠然と泳いでいたのです。強風でも吹こうものなら、飛ばされてしまわないか、竿が倒れてはこないかと気をもんだのも半世紀以上前のことです。

 最近では、近隣の農家ですら鯉のぼりを揚げる光景は珍しくなりました。マンションベランダに、慎ましくおもちゃの鯉のぼりが飾ってあると、古き良き時代であったことを改めて思うのです。

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008_困り感に気づく(25.4.23)

 職場を変わる度にカミングアウトしていること、それは自分の難聴について。遺伝性なので、30歳を前に聴力の低下が顕著になってきました。夏場のセミの声を筆頭に、風情ある虫や鳥の声、風鈴の音などは全く認識できません。アラーム音は耳に届かず、鉄琴やオルゴールは聞こえない音が多すぎて、曲として成立しません。

 ですから、大勢の中での会話や内緒話は苦痛以外の何物でもありません。聞き取れないことによるストレスはマックス!補聴器を数年前から使用するようになって、だいぶ心理的に楽になりましたが、決して万能ではありません。

 先日行った補聴器専門店のテーブルにあったパンフレットに、「…加齢などで聴力が低下した場合は、高音域側の子音だけがうまく聞き分けられなくなる…」に続けて、聞き間違いの例がいくつか挙げられています。「さとうさん」が「かとうさん」、「ひろい」が「しろい」に聞こえてしまうこと。「笑う・洗う」、「石・西」、「寿司・牛」なども難しい例で、「きゃ」「しゃ」「ちゃ」に至っては何度も聞き返すので、家族も時々嫌な顔を見せます。

 このように自分でわかっていてもどうしようもできないことがあります。これは教室にいる子供も一緒です。学習中にフラっと立ち歩いてしまう、黙って聞いていなければいけない場面で声を出して反応してしまう、身の回りの整頓ができない、漢字が記号にしか見えなくて覚えられないなど、困難は多岐にわたります。また、それが相手の目に見えない障がいであれば厄介です。「何やっているんだよ!」と言うか「今、何か困っている?」と問うかで心の緊張は違います。いろいろな子が様々なヘルプマークを付けているかもしれないという視点で、その困り感に寄り添っていける学校・児童・保護者でありたいと願っています。

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007_大丈夫?(25.4.22)

 何十枚もの紙の短冊にリングで綴じられていた「単語帳」を受験生が愛用している姿を今でも見かけます。中高生約4千人への調査を見ると、54%が使っていると回答したといいます。まだ現役バリバリのようです。同じようなものが算数セットにも見られます。2年生がかけ算九九の学習をする際に、覚えたりゲームをしたりする際に用いられているのをよく見かけます。でも、このリングが外れやすくなっていると大変。カバンの中でバラバラになってしまったり、足りないカードが出てしまったり…大丈夫?

 最近、「心配だわ」「大丈夫?」と言われることが立て続けに起きています。ある店舗で買い物をして駐車場に戻ったら、車のキーが運転席ドア下の地面に落ちているではありませんか。「あ~盗まれなくてよかった」と胸をなでおろして別の店舗へ向かいます。そこでまた買い物をして戻ると、助手席側の後輪がぺちゃんこ!JAFを呼んで対応してもらいましたが、タイヤの空気圧センサーのバルブをしっかり締めていなかったのか、空気が漏れ出していたようです。

 別の日の朝、車のキーがいつも保管する場所にないことが判明。前日の夜の行動を思い出してあちこち探しますが見つかりません。妻の声のトーンから怒りを感じ取りながら必死に思い出そうとしますが、さすがに限界を感じた頃、「ベッドの布団を全部どかすから!」という声。しばらくして「ほら、あったじゃん」「何やってんのよ、もう~」と怒り心頭のご様子。委縮しているものだから「ありがとう」「ごめんなさい」が口から出てきません。叱られている時の子供の気持ちも同じなのかもと考えてしまいます。

 火の始末や家の施錠ほか、車の運転に至るまで、注意書きの付箋紙で頭の中がいっぱいになってしまいそう!

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