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008_困り感に気づく(25.4.23)

 職場を変わる度にカミングアウトしていること、それは自分の難聴について。遺伝性なので、30歳を前に聴力の低下が顕著になってきました。夏場のセミの声を筆頭に、風情ある虫や鳥の声、風鈴の音などは全く認識できません。アラーム音は耳に届かず、鉄琴やオルゴールは聞こえない音が多すぎて、曲として成立しません。

 ですから、大勢の中での会話や内緒話は苦痛以外の何物でもありません。聞き取れないことによるストレスはマックス!補聴器を数年前から使用するようになって、だいぶ心理的に楽になりましたが、決して万能ではありません。

 先日行った補聴器専門店のテーブルにあったパンフレットに、「…加齢などで聴力が低下した場合は、高音域側の子音だけがうまく聞き分けられなくなる…」に続けて、聞き間違いの例がいくつか挙げられています。「さとうさん」が「かとうさん」、「ひろい」が「しろい」に聞こえてしまうこと。「笑う・洗う」、「石・西」、「寿司・牛」なども難しい例で、「きゃ」「しゃ」「ちゃ」に至っては何度も聞き返すので、家族も時々嫌な顔を見せます。

 このように自分でわかっていてもどうしようもできないことがあります。これは教室にいる子供も一緒です。学習中にフラっと立ち歩いてしまう、黙って聞いていなければいけない場面で声を出して反応してしまう、身の回りの整頓ができない、漢字が記号にしか見えなくて覚えられないなど、困難は多岐にわたります。また、それが相手の目に見えない障がいであれば厄介です。「何やっているんだよ!」と言うか「今、何か困っている?」と問うかで心の緊張は違います。いろいろな子が様々なヘルプマークを付けているかもしれないという視点で、その困り感に寄り添っていける学校・児童・保護者でありたいと願っています。