校長の部屋

校長の部屋

暗さを楽しむ(7/13)

 「地震の時」「虫がいる時」「怖い夢を見た時」、何のことだと思いますか?妻が、独りでなくてよかったと思う時だそうです。冗談半分ですが、不安な時は独りより二人以上のほうが安心できるのは誰も同じではないでしょうか。

 停電時もそんな気持ちでした。今の子供たちには「停電」の記憶などないのかもしれません。東日本大震災の後に計画停電が実施されましたが、児童の多くは、それすら経験していない、あるいは覚えていないのではないでしょうか。

 昭和30年から40年頃はよく停電していた覚えがあります。原因のほとんどが落雷だったのではないでしょうか。ただ、電気の容量をオーバーするとブレーカーが落ちることもたびたびありましたが…。停電すると、居間の仏壇脇からロウソクセットを取り出します。せんべい缶の中には、長いロウソク10本くらいとマッチ、そしてロウソク立ての3点セットが入っていました。祖母が「はい、ロウソク!」と手際よく座卓の上に設置します。家族でいると、それほど怖くはなかったように思います。ロウソクの炎だけでとる食事にも慣れっこでした。どれほどの頻度で停電していたかは定かではありませんが、停電は、そう思えるほど生活の一部にもなっていたような気がします。

 夏の夜、少しだけ電気を落として、暗がりを楽しむのも粋かもしれません。小さな灯りに誘われて、網戸にカナブンやカブトムシが飛んできたりして?!市川小学区では無理でしょうか。

 

自然の匂いや音に敏感であれ!(7/10)

 我が家の狭~い庭のアジサイもそろそろ終わりを告げます。3年前に本校2代前校長の京極先生にいただいたアジサイも毎年きれいな花を咲かせます。アジサイにも様々な種類(名前)があるのですが、いただき物だったため名前が不明です。そこで、我が家では「京極」という名前で通っています。挿し芽で増やせるので、先日友人にもあげた際も「京極」と伝えました。もしかすると、その名前が広がる可能性も…?

 さて、庭に植えてはありませんが、私の好きな花の香りが3つあります。早春に咲く沈丁花、秋の金木犀、そして今の季節に咲いているクチナシです。どれも甘い香りを漂わせます。

 道を歩きながら、花の香りで季節を感じることができます。どこに咲いているのか見えなくても、香りは確かに季節の変化を届けてくれるのです。

 花ばかりではありません。夕立が来る前の匂い、通り雨のあとの土の匂いなど。また市川では、梨が木から落ちて熟した匂いもあります。私はこの匂いとカブトムシが結びついて夏そのものを感じてしまいます。コロナの時代だからこそ、自然の匂い(香り)や音にだって敏感でありたいものです。

 カブトムシといえば、5年生のある教室で、まだ3時間目であるにもかかわらず、昼食を食べている輩がいます。かごの中のカブトムシでした。好物のゼリーだったようで、先生の話も聞かず貪っていました。1年生の教室では5時間目、すでにおがくずを被って寝ていました。困ったものです。

 

ほおずきの思い出

 例年なら今日9日と明日10日は、浅草寺「ほおずき市」が開催されます。しかし、今年は中止です。本来ならばこの両日、浅草寺境内は120店の「ほおずき屋」、その他100店の売店で埋まり、夜を徹して賑やかな声が夜空に響き渡るといいます。一度は行ってみたいものです。

 そういえば昔、祖母が中身を取り出して皮だけになったほうおきを口に入れ、「ブブブッ」だったか「ポンッ」だったかは忘れましたが、音を鳴らすのを不思議に見ていた記憶があります。YouTubeを探してみても、笛のように吹く動画はありますが…。得意だった方、いらっしゃいますか?

 さて、1年生が育てているアサガオは、これから色とりどりの花を咲かせます。種もたくさん採れます。2年生は少し前にミニトマトの苗を植え、毎朝ベランダで水やりする姿が見られます。黄緑色の実がどんどん色づいていった時のワクワク感、食べる前のドキドキ感はたまりません。3年生はホウセンカを育てています。双葉が本葉にかわり、その数がどんどん増えていく様、ぐんぐん丈が伸びる様を、五感を通して感じてほしいと思います。

 今、校長室でもウンベラータ(観葉植物)が元気に育っています。校長室にやってきたときに広げていた葉は、剪定後に黄色くなって全部落ちてしまいましたが、今では私の顔と同じくらいの大きさの新しい葉が太陽の光を浴びています。次々と新葉をつける生命力には驚きます。校長室の天井近くまで茎や葉を伸ばす姿も夢ではありません。

 最後に、この漢字を読めますか?「鬼灯」「酸漿」「鬼燈」・・・答えは、すべて表題&写真!

       

虱の話(風ではありません)

 今日は「質屋の日」、語呂合わせです。そこで、山形県の民話「虱(シラミ)の質入れ」を紹介します。

 むかしむかし、米沢の近くの村に佐兵と言う、とんちの上手な男がいました。貧乏な佐兵の着ている着物はボロボロで、その着物には、いつもシラミがたかっています。ある日、お金が必要になった佐兵は、家の中で一番上等な着物を質屋へ持って行きました。すると、質屋の番頭が、

「おい、佐兵よ。お前の着物には、シラミがいっぱいたかっているぞ」

「うん。確かにたかっているな。だが、お前さんの店では、《何でもお受けします》と書いてあるぞ」
「まあ、それはそうだが」
「そうだろう。それじゃあ着物と一緒にシラミも預かったと、ちゃんと質札に書いてくれよ」
「シラミをか? まあいいが、それでシラミの数は?」
「そうだな。五升(約9㍑)のシラミを預かったと書いてくれ」
「へいへい」
 番頭がその通りに書いて渡すと、佐兵はニヤリと笑って帰りました。
 そして数日後、佐兵はお金を持って着物を引き取りに来ました。着物を受け取った佐兵は、質札を取り出すと番頭に言いました。
「確かに着物は受け取ったが、でも、返してもらう物がまだ足りないぞ」
「足りないって、何が足りない?」
「五升のシラミだ。質札にちゃんと書いてあるものだろう。だからシラミも返してもらわねえとな」
「へっ?」
 シラミの事など冗談だと思っていたのですが、確かに質札に書いて渡したので、客から返せと言われれば返さなくてはなりません。でもシラミを五升なんて、どこを探してもありません。番頭は、頭をかきながら、「まったく、佐兵にはかなわんな」と、シラミの代わりに酒代を渡して許してもらったそうです。   

     《引用》http://hukumusume.com/douwa/pc/minwa/03/18.htm

 虱(シラミ)と言われても「?」という感じかもしれませんが、意外と身近なのが頭髪に寄生して頭皮から吸血するアタマジラミ。“不潔”なイメージがあるかもしれませんが、それは大きな間違い。被害は8歳以下の子供が8割といい、保育(幼稚)園などで頭を寄せ合ってお昼寝をしたり、お風呂やプールでタオルを貸し借りしたりすると、どんなに清潔にしていても簡単に感染してしまうそうです。1年を通じて被害が見られるので、1,2年生は特に頭髪のチェックに気を配る必要がありそうです。

 

ウルトラ5つの誓い

 七夕です。あいにくの天気と折からの感染症予防から、織姫と彦星はステイホームでしょうか?また、九州での豪雨が続き、ご親族や知り合いがいらっしゃる方にとっては心配でならない毎日であることを推察いたします。

 さて、少し前ですが6月20日(土)から「ウルトラマンZ」の放送がスタートしました。「ウルトラQ」から見始め、ウルトラマンシリーズは、「仮面ライダー」シリーズとともに欠かさず視聴しました。さすがに今は???

 ところで、「ウルトラ5つの誓い」をご存じでしょうか?「帰ってきたウルトラマン」最終話で、地球を去るウルトラマンが少年に伝えた誓い、これを少年が叫びながら見送るという場面がありました。

  1つ! 腹ペコのまま学校へ行かぬこと

  1つ! 天気のいい日に布団を干すこと

  1つ! 道を歩くときに車に気をつけること

  1つ! 他人の力を頼りにしないこと

  1つ! 土の上を裸足で走り回って遊ぶこと

 この5つの誓いから、ウルトラマンの地球人への深い思いやりと愛情が感じられます。当時の子供たちの間でも有名でした。そして、令和2年4月14日の円谷ステーションには、「ウルトラ5つの誓い2020」が登場したのです。

  ① がんばって おうちのなかに いること
  ② きちんと うがいを すること
  ③ てを あらうときは すきなうたを 1つうたいおわるまで、しっかり あらうこと
  ④ おうちでできる たいそうなどで からだを しっかり うごかすこと
  ⑤ できることを つづけて、ぜったいに まけないこと

 読んでおわかりのとおり、新型コロナ感染症拡大防止のためのウルトラマンから愛あるメッセージです。

 東京都の感染者数が、107、124、131、111、102人と5日連続で3桁となっています。千葉県も数は多くないまでも予断を許さない状況に変わりはありません。旧ウルトラの誓いにあることは、免疫力をつけることと置き換えられます。そして。新ウルトラの誓いでは、一定の生活様式定着を呼びかけています。こうしたことを、自分事として確実に行えることが、第2波、第3波を心配する現在において大人にも子供にも求められていると考えています。

 

球磨川決壊に思う(7/6)

 今日も雨でスタートの一日です。

 本日の新聞の一面には、「熊本豪雨 死者22人 ~心肺停止17人 不明11人~」とあります。この時期、昨年8月には「北九州豪雨」、一昨年は広島や岡山、愛媛などに被害をもたらした「西日本豪雨」、3年前は福岡や大分を中心とした「九州北部豪雨」と毎年のように犠牲者を出しています。また、今回の球磨川同様、大きな河川の堤防決壊で記憶に新しいのが、昨年10月の長野県千曲川、2015年9月の鬼怒川です。

 ♪ 雨 雨 ふれ ふれ かあさんが~ 蛇の目で お迎え うれしいなぁ~ ♪ ってわらべ歌を歌っていた頃が懐かしいですが、現在、雨は油断すると母さんではなく、天国からお迎えが来ることになってしまいます。冗談ではなく、それほど警戒する必要があると感じています。特に、河川が近い地域はなおさらです。

 そう考えると、市川小学校区は大きな河川「江戸川」と警戒河川「真間川」に挟まれた地域です。気候のよい日は、ランニングやサイクリングに江戸川土手はもってこいの場所かもしれません。でも、ひとたび前線停滞・台風襲来ともなると警戒地域に変わってしまいます。実際、市川市の昔の写真などを見ると、洪水で小舟が救命ボートとして使われていた記録が残されています。

 児童の登下校時や授業時間帯に河川決壊・オーバーフローという可能性だって否定できません。コロナ対策の一方で、地震や水害対策も欠かせません。学校では「津波」を想定した避難訓練を行いますが、むしろ「江戸川・真間川決壊」を想定した避難、あるいは引き渡しをどうするか再検討することも忘れてはならないと、今回深く考えさせられた次第です。

 市川市では、「ハザードマップ」を作成しています。確認しておく必要がありそうです。

プラごみ削減はどう進む?(7/3)

 昨日、校長室設置の手洗い場を業者にみていただきました。着任してから此の方、少し長めに水栓を開けておくと、「ゴボッ、ゴボゴボッ!」と嫌~な音がして水が溜まり始めるのです。工事が始まって1時間半、排水管を金属ワイヤーが通って行かないことにより工事保留のまま撤収となり、外構の調査に移りました。その結果、校庭の縁にある側溝に土砂がたまって厚い壁となり、配水を遮っていたようです。来週には用務員さんと一緒に側溝掃除でいい汗を流そうと思います。ですから今、洗面台はパイプが取り外されているため、「うっかり対応」としてバケツを受け皿にしてもらっています。

 さて、7月1日からプラ系のレジ袋が有料となりました。これまでもエコバッグを持ち歩いていらっしゃった方にとっては「何を今さら」という感じかもしれません。焼け石に水にも思えますが、定着すればこれがスタンダードになるわけですし、環境改善に役立てばよいと思います。

 今日の新聞には、学校給食用にストローがなくても飲める牛乳パックやパッケージにプラスチック代替として紙製品が採用されるキットカット(チョコ菓子)のことが掲載されていました。身の回りの商品がどう変わっていくか楽しみです。子供たちが大人になったとき、学校給食の牛乳のストローなどを懐かしく語れるようになるかもしれません。瓶牛乳や三角パックの牛乳が給食に提供されていたことを懐かしく思える方もいらっしゃるでしょう?

 そういう私の通勤バッグに忍ばせた黄色いバッグを紹介!ウータン副校長のエプロンではありません。

   

 

悲しい思いをする子が出ないように(7/2)

 先日、インターネットの記事の見出し「コロナ感染は自業自得」に目が留まりました。調査をした3~4月時点で「新型コロナウイルスに感染するのは本人が悪いから」と考えていた人の割合が、日本は11%と諸外国に比べて突出していました。(イギリスやアメリカが1%台、中国でも4.8%)この結果だけをみると、本来ならば「被害者」のはずの人が過剰に責められ、まるで悪者のように非難されたり差別されたりする傾向が日本では強いということになりそうです。

 心理学の専門家は、こうした傾向はコロナに限らないと言います。今では、だれが感染してもおかしくない状況にあって、もし本校で感染者がみられたとすると、「どこの誰だ?」と個人を特定するまで執拗な詮索がされるかもしれないと思うと心配です。

 コロナ感染者を受け入れた病院の近くにある学校の児童が、塾などで「コロナ小の子」と言われたといいます。コロナ感染者に過剰に反応するのは児童生徒より、むしろ大人かもしれません。その大人の言動が子供に刷り込まれて、心無い言葉となり無責任な行動を誘発するようにも思えます。

 有事における必要な情報は保護者・地域の皆様に伝えるとともに、関係機関と連携を図って対応します。そして、子供の人権が守れるように努めますのでご協力ください。珍しくまじめな話でした!

 そういえば、学校だよりで紹介した「ミツバチの一枚画コンクール」に3名の応募がありました。今週中に送らせていただきます。また、1年生の教室前廊下にはアサガオの鉢が、昨日までの強風を避けて取り込まれていました。きれいな花が満開になるのはこれからですね。左奥の七夕飾りがされた笹竹が見えますか?

   

 

半夏生(7/1)

 昨日の夕飯後に、京都名産「水無月」(和菓子)を食べました。京都では古くから6月の最後の日に食べる習慣があるそうで、1年の半分の穢れを落とし、残り半分の厄払いの意味があるそうです。残り半分を食べていた時です。細かく切っていた漆塗?のフォークが「ボキッ」!折れてしまいました。縁起悪っ!私の残り半年はどうなることやら?

         

 さて、今日は「半夏生」という、節分や彼岸、八十八夜などと同じ「雑節」なのだそうです。恥ずかしながら、調べ物をしていて初めて知った次第ですから正しい読み方を知りませんでした。「はんげしょう」と読みます。スーパーのどのチラシにも書かれています。

 半夏生とは、夏至から数えて11日目(7月2日ころのこと)を指し、この頃に「天から毒が降り、地から毒が生える」という言い伝えがあったため、農家は半夏生までに田植えを終わらせるという習慣まであったといいます。

 また、関西では半夏生の頃に豊作を祈ってタコを食べる習慣があります。これは、作物がタコの足のように大地にしっかり根を張ることを祈願するという意味が込められているのです。タコにはタウリン(ファイト~、イッパ~ツ!)が豊富に含まれるため、蒸し暑さなどから疲れが増してくるこの季節に食べるのは理にかなっているようです。讃岐地方では半夏生にうどんを食べる習慣があるそうです。こうしたことから始まって、7月2日が「タコの日」「うどんの日」とされたようです。

 さて、コロナ禍の中、気が付くと今年も半年が終わってしまいました。新年度から数えても3か月です。振り返ってみたときに「何をしたのだろう」「成果と言えるものは何だろう」と焦りも感じています。コロナという外的要因への対処に始終することなく、その中でできることを「自分から積極的に楽しむ」という姿勢を残り半年、貫いていきたいと思います。その気持ちが「ボキッ」と折れてしまわないように!

 今朝の放送朝会では、放送と映像の両方を使って話をしました。「今○ら」の丸の中に何を入れますか?と。「今さら」「今から」「今なら」が考えられます。あと半年、「今から」「今なら」という新たな気持ちで取り組んでほしいと思います。子供たちには、餌をもらうだけ、口を開けて待つだけでなく、自分から餌をとりに行く強い意志を大事にしてほしいと願います。たとえうまくいかなくても、価値ある失敗にきっとなるはずです。

 タコに戻りますが、高値で、「タコの日」だからといって積極的に買い物かごに入れるというのは憚れます。誰かが口に入れてくれるタコなら遠慮なくいただきますが、私はそそくさと別の餌を積極的に求めることにして…。

 

これからの時代のトレンドは?(6/30)

 あっという間に1年の半分が過ぎようとしています。6月30日は、「美少女戦士セーラームーン」(知らない人も多い?)の主人公・月野うさぎの誕生日らしいですよ。

 さて、なんとなく「手をつないであげようかなぁ」っていう気分になることが、妻にはあるようです。ただ、夏場は互いに手が熱くて汗ばんでくるような感じがあるので、妻は私の肘の外側の皮の部分をつまむのです。ここって結構伸びますし、体温からは切り離されたような部分なので快適みたいです。でも、傍から見ると、何しているの?と思われそうなので、人目のないところでの「肘つまみ」です。ただ、コロナ時代にはいいのかもしれません。

 もっとおすすめなのは「ごぼうつなぎ」です。ソーシャルディスタンスを保つにはもってこいです。長いままのごぼうを買って、先端と反対側とをつかんで歩けば、まさにリレーのバトンがちょうど渡された状況の出来上がりです。長ネギでもいいのですが、ビニールに包まれていないことが多いので、ネギが傷みそうなのと手が臭くなりそうな理由で却下!

 ←日記に記した絵です

 上の文章を妻に見せて「いいかな?」って確認しました。しばらくしてから「ねぇ、どうする?肘つかみやごぼうつなぎが流行っちゃったら」と。「そうだねぇ」と応じる呑気な二人でした。トレンドになりそうな気配が…?

 

 

相談箱の投書から(6/29)

 金曜日の学級懇談会に、多くの方がご出席くださいました。また、役員選出においてもご理解とご協力、ありがとうございました。

 土曜の午後に母が入院する病院へ生活用品を届けに行ったら、新型コロナに感染した方が入院しているという話がありました。電車内や街中は、少し前と違って多くの人が動いています。無症状の感染者がその中にはいるかもしれません。自分だって例外ではありません。市内の小中学生が感染している報告が先週あったように、学校・保護者・児童それぞれができることをきちんと実践していくことが求められていると強く感じます。

 さて、校長室前の相談箱に手紙が投函されるようになってきて嬉しく思っています。先週は、「運動会をやりたいです」「ホワイトスクールをやってほしいです」「なぜ、シャーペンを使ってはいけないのですか」など。中には、「佐藤健とガッキーと山Pが好きすぎて困っています」といった悩みまで。

 私も山Pが好きで、懲りずに再放送の「野ブタ。をプロデュース」(2005年)を録画して観ていたくらいです。少し前のことですが、テレビを見ていたら、山Pこと山下智久さんが出演している海外ドラマの撮影風景を放送していました。山下さんは英語ペラペラ。監督からの注文にも自然に対応しています。格好いいだけでなく、英語力や人間性など中身も素晴らしいことがうかがわれました。

 話は戻りますが、投書への回答は、校長室前に掲示させてもらっています。該当の児童だけでなく読んでもらえると嬉しいなぁ。ただし、「佐藤健・ガッキー・山P大好き」については解決策を見出せませんので、応援だけさせてもらいます。

 

スイカ&トウモロコシを食べてこその夏の入り(6/26)

 今週月曜日帰宅すると、富里に住む知人からお中元のスイカとトウモロコシが届いていました。晩ご飯の後、早速いただきました。今年の初スイカは甘い!赤い部分が残らない位スプーンですくってモグモグ。まるで虫かごに入った、カブトムシの食べ残し状態です。

 さて、スイカの食べ方は人ぞれぞれ。切り方にもよりますが、スプーンなど使わずに豪快にかぶりつくという方もいるでしょう。知りたくもないでしょうが、私の食べ方紹介コーナー!!

①切断面に対して垂直にくり貫く

②2面なら両側から、3面あれば三方の皮近くの白い部分の上から丸~くくり貫いて貫通させる

③徐々に赤い実の下の方を食べ進める

④頂上近くの尖った部分がやっとのことで支えられた状態になるが、ここはまだ食べない

⑤その頂上部分を崩して、皿あるいはスイカの片隅に置いておく

⑥頂上部分を避けながら、スイカの赤い部分を全部食べる

⑦最後に、一番甘いスイカの中心部(尖った頂上部分)を堪能する

⑧満足気にごちそうさまをする

   

 この食べ方、当然ですが自分の家でしかできません(品がないので人様にお見せできません)。私が小学生のころから身についている「貧乏食べ」なのですが、なぜか息子も同じような食べ方をするようになっていました。ちなみに、ここ数日は「スイカの穴を掘ると、テーブルに汁が飛ぶから細かく切っておいたよ」といらぬ配慮をいただいており、楽しみを奪われたような気分?

 恥ずかしくてちょっと人には見せられないっていう習慣?ルーティーン?が、皆さんにはありませんか。

給食提供の工夫(6/25)

 今日は、子供たちも私も楽しみにしている給食について書いてみます。

 初日22日の給食で、ごはんと赤魚のみそ焼きが透明パックに盛られた状態で教室まで運ばれたことはブログでお伝えしました。翌23日(火)のメニューは大人気の「揚げパン」でしたが、これも1個1個が紙袋に入れられていました。提供される給食はおいしく安全であることが大前提ですが、配膳中・食事中における感染症対策も栄養士は考えています。配膳のためにかかる人数と時間、これを極力少なくするための工夫の一つです。そして、それを理解しながら手間を惜しまず協力してくれる給食室の調理スタッフにも頭が下がります。

 ちなみに、昨日も今日もごはん系ですので、透明パックでの配膳です。みんなが大好きなカレーがしばらく登場しないのは、大皿にご飯を盛り、カレールーをかけるという作業を避けたいという理由からのようです。もう少し我慢します。

 

私のためらい(6/24)

 今の私にとって、市川駅周辺は「迷い」が強くなる地域?です。

 一昨日の退勤時に、学校周辺道路で父親と手をつないで歩く1年生くらいの男児を見かけました。ランドセルは背負っていませんが、市川小の児童と思い、お父さんにも会釈をしました。すると怪訝な顔で見られてしまいました。「違ったんだ」とばつの悪い空気が私を包み込んだのでした。

 分散登校の際にも似たようなことがありました。市川駅前14号の交差点に立っていたのですが、「おはよう」と声をかけ、曲がる車を止めて横断歩道を渡るように促したところ、「こっちに行きます」的な合図をくれました。どうも真間小の児童だったようです。

 自転車に乗る子供、親子連れで歩く子供などいろいろ。子供たちの顔をまだ覚えていない私は、会っても挨拶を躊躇ってしまいます。「市川小で~す!」というオーラを発してください。そうしたら、迷える仔羊は自信をもって声をかけたいと思います。

 別件ですが、学校の活動が通常に戻ってくると、忘れ物や落とし物が増えていきます。トップには大事だと思われる落とし物の画像を貼ってあります。ご確認ください。(児童に放送で呼びかけましたが、持ち主が現れませんでした)

 

校章の由来判明(6/23)

 先日出勤すると、校長室の机上に1枚の紙が乗っています。地域の方(児童のおばあ様)からのメール文でした。以前のプラタナスを読んで、校章のルーツを教えてくださるものでした。市川小の玄関前(旧校舎?)には、月桂樹の大木が歴史を刻むようにそそり立っていたといいます。校章の制定にあたって、この月桂樹を学校の象徴として校章のデザインに取り入れたのだそうです。そういえば、14号門入ったところに記念植樹の月桂樹が植えられていますね。校歌の最後にも ♪かざす ほまれの 月桂樹~♪ と歌われています。

   

 ところで、市川小の校歌、きちんと聴いたのは入学式の2回だけ。いつもなら4月の「今月の歌」で流れるので、自然とメロディを覚えるのですが、残念なことに今年はまだ声にできるような状況ではありませんから…。

 さぁ、1年生とどちらが先に歌えるようになるか競争です。

初体験(6/22)

 スイカが食べたくて、富里方面へドライブがてら出かけました。今年は、出来が悪いのかコロナのせいかわかりませんが高い!手を出せずに多古にあるアジサイ寺に寄って帰りました。

 さて、昨日は初めての体験が2つありました。

 その一つは、ワイシャツのアイロンがけです。普段は妻が大変な思いをしてやってくれています。時々「あー、ワイシャツのアイロンがけが溜まっちゃった」と言いながらも。昨日は、「自分でできるようになりなさい」と言われてご指導を仰ぎました。まず襟。そして、胸、背中、肩、袖と進みます。半袖はまだしも長袖は気を使います。アイロンのしまい方まで全部。これって本当に大変な作業です。自分でできることは少しずつ頑張らないといけないと、頭ではわかったのですが。

 もう一つは、ヤングコーン。そう、中華料理やサラダに使われる、あのヤングコーンです。でもトウモロコシのように生で売っているものをグリルで焼いて、皮だけを剥いて髭根みたなものも食べてしまいます。トウモロコシとは少し違った味わいですが、これまで食べていた小さなヤングコーンとは別物です。もし見かけたらどうぞお試しあれ!

 こうした初めてのことには心が動きます。子供も同じです。ただ、初めての題材をどう提供するかで心の動き・振れ方が大きく違うでしょうから、準備(下ごしらえ)を大事にしなければなりません。

 そういえば職員室前の木通(山女・朱実など)が1つだけ大きくなっていますよ。

一眼国≪落語≫から(6/19)

 児童の登校が再開して初めての本格的な雨になりました。1年生の昇降口前では、傘を縛るのに手間取る子供たちの姿も見られました。雨の日、あるいは雨が上がった後に傘で遊んでいて思わぬ事故に遭うといったケースが少なくありません。気を付けてほしい一つです。

 さて、今日は落語から!江戸時代の落語には、「大入道」「三本足の女」「首無し」など化け物の噺が盛んに口座で演じられていたといいます。江戸には芝居小屋、見世物小屋、軽業小屋などが立ち並び、大道芸人の活躍の場であったようです。中には、「さぁ、いらっしゃい。世にも珍しい怪物だぁ。目が3つで歯が2本だよ。」という呼び込みに惹かれて入ってみると、下駄が片一方だけ放っぽり出してあったなどという見世物小屋もあったようです。

 こうした見世物小屋を開いている男が、ある旅人から「ここから何百里か行ったところにひとつ目の人間が生活する国がある。その国を『一眼国』というらしい。」と教わります。そこで男は企みます。「ひとつ目の人間を生け捕りにして見世物小屋で出せば大儲け間違いなし」と考えて、その国を探しに出かけます。やっとのことで一眼国を見つけますが、逆に自分が捕まってしまいます。代官所でお白洲に座らされ、顔を上げたとたんにひとつ目の役人が言います。「こいつはふたつ目をしているぞ。調べは後回しだぁ。珍しいから見世物小屋に連れていけ。」と。

 これが、「一眼国」という落語です。落語には物事を多様に見る教えが笑いの中に多く含まれています。この噺からは、自分が当たり前だと思い込んでいることも、立場が変われば違っているかもしれないということを示唆していることに気づきます。

 例えば右利きの人が多いので、サウスポーが特別のように思われがちですが、左利きが多い世界があれば右利きがサウスポー扱いになります。もしかしたら、別の世界では「目が2つ」は当たり前ではないのかも?そういえば、手塚治虫のマンガに「三つ目がとおる」という作品がありました。普段は絆創膏で隠されている、額にある目が現れると、弱弱しかった主人公が特殊な力を発揮するのです。なつかしいなぁ。

 いよいよ来週から給食が始まります。楽しく話をしながら、というわけにはいきませんが。

 

ある学級担任の似顔絵(6/18)

 毎日、全学級を回って子供たちの顔を見たり、先生と子供のやり取りを聞いたりするのが楽しみです。
 先日ある学級にお邪魔した際、担任の顔のパーツごとに、描く人を代えて素早く描くチームゲームをしている場面に出くわしました。数分後に出来上がった作品が下の写真です。これは誰でしょう?職員室にいる先生に聞いたら、「2,3年生くらいですね」「佐々木先生か井田先生では?」という回答でしたが…。もっと上の学年です。


 
 また、雑談の中で6年生の先生が教えてくれたうれしいことを一つ紹介します。

 低学年も記録を残している「音読カード」ですが、そこの何を読んだかという欄に「プラタナス」と書いてあったそうです。聞くところによると、学校だよりを音読に利用したとか。これからはもっと平易な表現にして、漢字も読みにくいものを使わず、音読しやすいものにしようかと秘かに考えています。

 内容によっては、高学年ならわかるもの、あるいは低学年でも保護者の方から子供たちに伝えていただきたいこともあります。よろしくお願いします。

子供の危機管理能力を(6/17)

 少し前から、スーパーにアメリカンチェリーや国産サクランボが並んでいます。今日、朝食にサクランボが6個器に入っていました。妻がヨーグルトを食べて食器を片付けていたので、サクランボを1個、2個と口に入れて、4つ目を堪能していると、「え~っ?」と妻が少し大きな声を出します。「なんで私の分まで食べてるのよ。3個ずつだったのに」と怒られました。「だって、片づけていたから自分の分だと思って…」と言い訳をすると、「まずごめんねって謝るところでしょうが」とまたまた怒られました。こんなことは日常茶飯事。お恥ずかしい。

 さて、今朝のテレビニュースで北九州の小学校でのクラスターの報道が流されていました。本校だって他人ごとではありません。消毒や手洗い、その他環境づくりもできる限りのことを行っているつもりです。遊具やボールの消毒はどこまで?配付物や返却物は全部先生がする?など考えだしたらきりがありません。同時にできることには限界があります。

 だからこそ、どういう行為にどういうリスクがあるのかを具体的に知らせるとともに、どのような場面で感染したりさせたりしてしまうのか、発達段階に応じて理解して行動できるようにしていかなければなりません。漫然として守られているだけの子供ではだめなのです。

 校庭や公園にある遊具での事故があると、その遊具は危険だからといって撤去してしまうことがあります。でも違うと思います。遊具の安全点検等を徹底しながらも、その危険性と使い方を丁寧に指導して安全に使えるようにすることこそが生きる力となるはずです。日常生活は危険との隣りあわせといってもよいくらいです。ですから、危険なものから遠ざけるだけで解決する問題ではありません。

 現在の新型コロナ感染症拡大防止も同様です。学校生活や教育活動では避けて通れないことがたくさんあります。当然、私たち大人はリスク軽減を図ることに注力しますが、「箱入り」にしておけないのであれば、子供たちの危機管理・危険回避の能力を育てることこそ今求められているのではないでしょうか。

 北九州の小学生に話を戻しますが、児童は同じクラスで一部は席が近く、一緒に下校したり遊んだりしていたといいます。学校の中でも外でも、「大人の目が離れると気が緩んでしまう」「注意され続けないと行動できない」ということも考えられます。遊び方や遊んだ後の手洗いなど考えて行動できるようであってほしいと願います。

 これらは私の考えです。一つの考え方としてみていただければ幸いです。今日も子供たちが笑顔で帰宅できるように皆で取り組んでいきます。

蝶の羽化と生命力(6/16)

 今日から全員登校になり、学校らしくなってきました。だからといって元の生活が戻ったと勘違いしないようにしたいものです。今後の行事や取組について早い段階でお知らせできるように協議をしているところです。

 さて、2年生の教室前廊下ではヤゴが脱皮をしながら成長していますし、3年生の教室ではモンシロチョウやアゲハチョウの幼虫・さなぎが見られます。昨日はアゲハやモンシロチョウが羽化した姿も確認できました。今日、教室で子供に聞いたら、「窓の外に放してあげたんだよ」と教えてくれました。

 

 またあるとき、湯沸室の奥でつつましく生活をしていたアマリリスをかわいそうに思った先生が避難勧告をだし、今や校長室の住人となっています。そして蕾が膨らんできました。

 生命力の強さに驚くばかりです。子供たち強さを様々な場面で目にすることができるのを楽しみにしています。