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2023年9月の記事一覧
268 今、この一瞬を(23.9.14)
ふと思います。平田小学校の焼却炉は、以前どこにあったのでしょう?小型焼却炉からのダイオキシン類の発生が不安視されるとして、21世紀を前に廃止・撤去されました。
掃除の時間になると、教室からごみ箱を持って屋外の焼却炉に燃やすごみを持っていきます。用務員さんが待ち構えていて、次々と炉の中に投入していきます。時々下部の蓋を開けて、燃え残りがないようにしていました。学期末になると、燃やしたいごみが山のように集まります。順番待ちになりますが、燃やしているのが大好きな私は一気に引き受けて、焼却炉を操る花形となるのです。自分では焚火というかキャンプファイヤーの火の管理をしているくらいの楽しさだったことを思い出します。溜まった灰を掻き出すなどしていると、あっという間に時間が過ぎていったのです。そんな焼却炉が姿を消してからごみの分別や減量が叫ばれるようになったわけです。
話は変わりますが、今年度は久しぶりに市内陸上競技大会が10月13日に開催されます。体育の授業の延長線上に位置づけ、種目などを絞って半日開催となります。対象児童は5,6年生のみで、百m走・走り幅跳び・走り高跳びの3つです。保護者の中にも、かつて国府台スポーツセンター陸上競技場で走ったり跳んだりした経験のある人が多いでしょうから寂しく感じるかもしれません。今日は説明会をして部員募集です。私たち世代の教員は、相撲部や水泳部、陸上部を学校対抗の季節行事ととらえていましたから気合を入れて臨んだものです。働き方改革が叫ばれる一方で、一抹の寂しさがあるというのが正直な気持ちです。
これまであったものが消え去ったり、形を変えて生まれ変わったりすることが繰り返されます。今ある姿が2~3年後に必ずあるとは言えません。諸行無常の響きあり~。
267 むかしむかし(23.9.13)
昨日の朝、正門から工業高校のグランドの方に向かって物凄いスピードで動く動物が…。旗当番の方と「あの尻尾はタヌキ?」と言葉を交わしました。まだまだ朝から暑いですが、早朝の車のルーフやボンネットにはうっすらと露が下りています。季節は確実に秋に向かっています。
さて、5年生の林間学校はもう2か月も前のこと。時の流れの速さに驚いてしまいます。河口湖近くでロープウェイに乗って天上山から雨に煙った富士山を眺めました。この天上山には、昔話の「カチカチ山」伝説があるようです。展望台そばに設置させた看板の記載をそのまま紹介します。どんな話だったか思い出してみてください。
昔々ある日のこと、おじいさんは畑でいたずら好きのタヌキを捕まえました。おじいさんは家に帰り、おばあさんにタヌキ汁を作ってくれるように頼むと、再び畑に出かけました。ところがその隙にタヌキはおばあさんを騙して殺し、ばばあ汁を作りました。おじいさんはタヌキに騙され、ばばあ汁を食べてしまいます。
そうと知ったおじいさんは、おいおいと泣きました。それを見かねたウサギがやってきて、おばあさんの仇討ちを始めるのです。タヌキの背負った薪に火をつけて大火傷を負わせ、火傷の跡に辛子を塗り、舟遊びに誘ってすぐに沈む泥船に乗せて溺死させ、おばあさんの仇討ちを果たすというお話です。
この昔話の舞台と言われているのがここの天上山です。(中略)背中に火をつけられたタヌキが「あちち」と叫びながら駆け下りたのがロープウェイの眼下に見えた崖、泥船に乗ったタヌキが沈んでいったのが河口湖と言われています。それにしても昔話「カチカチ山」…ちょっと残酷な話です。
こう考えると、「赤ずきん」も最後にオオカミのお腹を切り裂いておばあさんと赤ずきんを助けて、代わりに石を詰め込んで…と終ります。シンデレラや白雪姫も原作では、私たちが知らない怖い終わり方をしているようですが、様々な地域に伝説としての語り継がれる怖い話、悲しい話、心温まる話などを求めて旅するのもいいなぁ。ちなみに平田・新田・菅野の地域に昔から言い伝えられる話はあるのでしょうか?
266 あなたの心はどこにある?(9/12)
「♪ぼくのせんせいは~(フィーバー)」で始まる『熱中時代』。水谷豊さん扮する先生が、体当たりで挑む学園ドラマでした。小学校教師を主人公にしたドラマを見たことがなかったので、毎週楽しみに視聴した高校時代。当時の最高視聴率が46%以上というから人気の高さがうかがえます。もしかすると、私が学校の先生を選んだのはこのドラマの影響があったのかもしれないと、今更ながらに思います。70歳を過ぎても『相棒シリーズ』などで活躍する水谷さんですが、『太陽にほえろ』第1回では犯人役でした。そして『傷だらけの天使』では、「兄貴ぃー」と萩原健一さんに呼びかける独特のセリフが人気でした。
昨年11~12月に、現役中高生千七百人強に尋ねた「なりたい職業や興味ある業界」で、男女ともに「教師・教員・大学教授」が第1位だったといいます。興味ある業界でも「教育」が1位、2位の最上位にランクイン。ブラック扱いされ、志願者が減っている教員ですが、子供たちの前に毎日立つ私たちが、何よりも働きがいややりがいを大事にしている姿を見せていかなければならないと思ったのです。
7月の終わりに、全国を飛び回って法話をしている薬師寺・大谷徹奘 師の講演を聞く機会がありました。奈良・薬師寺は墓を持たず葬儀も行わない寺だそうですが、話の巧みさに引き込まれ、あっという間の時間でした。その中で、“幸せとは身近な人と笑いながらご飯を食べることなのです” “最近は多様性という言葉が言われますが、相手を大切に思って話をすることこそ多様性ではないでしょうか” “自分の在り様をよく観て自分と対話する、自分の命をどう使うか”など印象的な言葉がいくつもありました。和尚のように頭を丸めて参加した講演会でしたが、人の話を聞けなくなったり謙虚さをなくしていたりしてはいないか、子供たちの前に初めて立った時の気持ちを忘れてはいないかなど、この歳にして改めて見つめ直す機会をもらった気がしたのです。
265 スポーツの秋(23.9.11)
「バレー男子日本代表が46年ぶりに世界大会で表彰台」というニュースが夏休みに入ってすぐの新聞に掲載されました。世界のトップ16チームによるバレーボール最強国決定戦、ネーションズリーグ男子大会のことです。
小学生のときに熱狂したバレーボール。『サインはV』や『アタックNo.1』がそのきっかけでした。そして、1972年のミュンヘンオリンピックに向けて取り組むチームを描いたドキュメントアニメ『ミュンヘンへの道』でさらに夢中になり、五輪の優勝により中学校ではバレー部に入ろうかと本気で思った私。松平監督のもと、セッター猫田のトス回しや大古の強烈なスパイクにわくわくし、ネットよりはるか高い位置でブロックを決めてガッツポーズしていた夢の中の自分を思い出します。川合俊一選手や中垣内祐一選手らよりずっと前の時代。最近では、『ハイキュー!!』が面白かったです。『2.43清陰高校男子バレー部』という漫画もあるらしいので、さわりだけでも読んでみたい。
さて、教員なったころは教職員の親睦行事としてバレーボール大会が毎年行われていました。中学校の体育館を会場に学校対抗戦です。特別時程を組んで、午後から行われていました。頑張りすぎてアキレス腱を痛め、翌日には松葉杖をついているなんていうこともよく耳にしました。学生時代にバレーボール部に所属していた先生がスパイクを打つときは、まるで空中で止まってコートの空いているところを探してるように見えたものです。自分ではそこそこにできるつもりでいても、そんな先生には敵うはずもありません。
秋には教職員陸上大会もありました。二人三脚や砲丸投げ、パン喰い走など分担してエントリーしましたが、若いからと出された100m走は、思う以上に辛いものがありました。子供たちの陸上大会に向けて指導はしましたが、自分が走るとなると100mって長い!遠い!50mから先にあると足がもつれる!これまた、早く走れるつもりでいたのにそんな妄想は木っ端みじん。他人の背中が遠くなって追いつかないわけです。
決して時間に余裕があったわけではありませんが、こうした交流が今はないのがさみしい気がするとともに、古き良き時代として懐かしく思い出されます。
264 なぜ二才?(23.9.8)
夏が終わりに近づくと、ビール缶が秋色の装いに身を包み、菓子のパッケージには栗や芋のイラストが多くみられるようになります。そして9月を境に、よく行くスーパーからアイス「白くまくん」が姿を消しました。残念!
さて、校長室の入り口そばに、子供たちが見られるようにクイズを掲示して頻繁に更新するようにしています。時々見てくれて、ドアをノックして解答を言ってくれる子もいます。新学期に備えて、夏休みに入る直前に新しい問題に交換しました。すると夏休み中のある日、用務員さんが問題の中にある言葉に触れながら、「今の子供たちは『青二才』なんて言う言葉を知っているのでしょうか」と疑問を投げかけてきました。確かに使う場面はほとんどありません。時折、漫画やSNSで見かける程度でしょうか。経験不足の若者を表す慣用句ですが、そもそもどうして「二才」なのか不思議です。ですから、もう少し掘り下げてみることにしました。
すると、「年が若く、経験が不足している物事に未熟な男性のこと」を指すそうです。そうした男性を生意気だと見下す意味のほか、謙遜したり叱咤激励したりする場面で用いられることもあります。でも男性を指す言葉だと知り、言葉が生まれた頃の時代背景を考えてしまいます。「青」が似たような意味で使われる言葉には「青春」や「青臭い」などがあります。一方、「二才」というのはなぜでしょう。ブリやスズキ、ボラなどの出世魚では、生まれて2年目の幼魚を、成長途中で経験が未熟な魚として「二才魚」「二才」と呼ぶことからくるという説ほかがあるようです。
こうして改めて考えてみると、慣用句「一か八か」もなぜ「1」と「8」という組み合わせなのでしょう?語源は賭博にあり!また、うそを数多くつくことや全くのデタラメを「嘘八百」と言いますが、この「800」は数が極めて多いという意味で、「八百万の神」「八百八町」などでも使われています。ドラマ『ハヤブサ消防団』の舞台も八百万町という山間集落です。
年はとっても、小さなことにもハテナを感じる心や頭をいつまでも大事にしたいと思います。青二才ならなおさらのこと…。