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2023年9月の記事一覧
273 忘れないように(23.9.22)
毎朝忘れ物がないかを確認する4点。それは「ハンカチ」「財布」「定期券」「スマホ」で、ズボンを叩いたり指差し点検したりしています。これに加えて、補聴器と扇子も忘れてはならないもの。補聴器のつけ忘れは頻繁に指摘されます。玄関を出る直前に「耳は?」という声に慌てて部屋へ戻るという始末。入浴前に外すと、一部消音されたような感覚に陥ります。特に、バックの時に注意を促すクルマの電子音の聞こえ方は明らかに違います。また、扇子もまだ手放せません。 駅に着いたときには汗びっしょりですから、ハンカチで汗をぬぐって扇子で火照った顔に風を送ります。だから、忘れたことに気づいた時のショックは…。
さて、夏休み明けに2年生の男児が校長室にやってきました。お母さんからの手紙と「なぞかけ」の作品を受け取りました。「稲穂9号」に掲載した内容に応えてくれたもので、家族で学んだようです。“「新学期の平田小学校」とかけて、「コロナ規制解除後のスポーツ観戦」ととく。その心は「賑やかな声が戻ってきました」”と難しい漢字も使われています。ありがとう!
また、今週初めに3年生の女児が、担任に付き添われて私のもとにやってきました。夏休みに取り組んだ絵画を新聞に投稿したら掲載されたという報告です。話をしながらも嬉しそうにしていますし、自信にもなっているようにも見受けます。早速印刷して校長室前に掲示しました。また、新しい作品ができたら見せてくれるようで楽しみ!
また、3年生全員に配付できるように、今年作られた「市川かるた」が学校に届いています。これを使って遊ぶこともできますし、学校周辺や市川市全体を社会科で学ぶ3年生だからこそオリジナルの札を作ることもできるのではないかと秘かに期待しています。グループやクラスで協力して、平田小バージョンができたら全校に紹介しますよ。忘れなければ…。
272 死語(23.9.21)
来週25日から10月10日までの2週間を、平田小の「人権週間」としています。違いを認め、互いを尊重する心を育むことをねらいとします。図書の時間に全校同じ絵本を読み聞かせから、意見の交流をします。各学年数名の感想を掲示する予定です。
さて、小学校では、「朝の会」「帰りの会」ですが、中学や高校では「ホームルーム」といいます。急に大人になったような気持ちに浸れて、この響きが魅力的だったことを思い出します。この小学校の「帰りの会」は、半世紀前には「反省会」と呼んでいました。一日の学校生活で嫌なことがあると、「反省会で言ってやろ~」といったセリフになります。そういえば、いたずらなど場面を目撃した時に、「い~けないんだ、いけないんだぁ、せ~んせぃに言ってやろ~」とリズムに乗せて相手に言うのも昭和の子供でした。こんな言葉、もう何十年も聞いたことがありません。
「かつては使用されていたが、今は使用されなくなってしまった言葉」を「死語」と呼びますが、今風の言い回しを私が理解できないように、私世代が使う言葉もある年齢を境に通じないと思います。例えば、立ち上がったり腰掛けたりするときなど力を入れる場面で、「よっこいしょ」と言うことがあります。この言葉、戦後四半世紀以上過ぎてグアム島で発見された残留日本兵の横井庄一さんに掛けて「よっこいしょういち」なんて言ったものです。恥ずかしいのですが、今でも口から出てしまいます。「男女の二人連れ」を「アベック」と言いました。現在でもスポーツ界では「アベックホームラン」「アベック優勝」などというように使われます。この「アベック」はフランス語由来で、英語の「with」と同じらしいです。また、「若者」は「ヤング」と。漫画本に「ヤングマガジン」や「ヤングジャンプ」などまだ名残りがあります。「チャンネルを回して~」「10チャンネルにして!」などとついつい口にしてしまうのも気をつけないと…。
271 花火(23.9.20)
孫が幼稚園で作った赤トンボを貼り絵にした作品(ハガキ)が送られてきました。可愛らしく、できることがどんどん増えていくのをうれしく思います。でもよく考えたら、敬老の日に向けて「おじいちゃんやおばあちゃんに手紙を送りましょう」といった活動だったようです。だから、「ずっと元気でいてね」という言葉が添えられていたのかぁ。気づくのが遅い!すでに敬老の対象者なのだと思い知らされた悲しくもうれしい出来事でした。
さて、8月はじめに母が亡くなりました。90歳、ろうそくの炎が消えるような最期でした。思い出はたくさん。西日に厳しい暑い台所で揚げ物をする後ろ姿。学校から帰るとミシンや編み機の前で何かを作っていた姿。布や糸で何にでも変身させてしまう魔法の手。家には近所の人が出入りして他愛ない話で笑っていた顔。わかっていたこととはいえ寂しくなります。
通夜の日に、市川・松戸・流山などで花火大会がありました。葬儀が終わって駐車場から見える大輪は、手前に松戸、その向こうに市川の花火。親族で静かに眺めたのです。ですが自宅への帰途、花火帰りの渋滞にはまりました。普段なら40分もあれば帰れるのに、この日は2時間半。家に着いてどっと疲れが出たのは言うまでもありません。
数年前、市川の花火大会をとある学校の屋上から眺めたことがあります。360度最高の眺望なので期待したのですが、大輪は数センチの大きさでしかありませんでした。だから、平田小からだったらきれいに見えるのではないかと秘かに期待していたのです。暑くても屋上より展望台の方がよいのではないかと…。残念ながら叶いませんでしたが、誰かに頼んで見てもらおうかと真剣に考えていたくらいです。
最近は手持ち花火もしなくなりましたから、火薬のにおいが懐かしいです。その代わりと言っては何ですが、四十九日の法要を終えた今日も線香のにおいは絶えません。
270 節度、寛容、そして…(23.9.19)
以前、子供の声がうるさいという住民からの苦情で公園が閉鎖されたニュースがありました。走り回れる場所がどんどんなくなっていく中で、元気に遊びたい子供たちと、静かに暮らしたい人たちがいます。共存するためにはどうしたらよいのでしょう。
「△時までは外に遊びに行かないようにしているのです」と、保育園の先生から話を聞いた記憶があります。近隣の公園まで手をつないで歩く園児を時々見かけますが、「外」というのは公園の場合もありますし、園庭という場合だってありそうです。夏場に、暑いので音楽室の窓を開けて吹奏楽部員が練習をしていたら苦情電話が寄せられるケースもあります。体育館から響くバスケットボールの音もしかり。終いには飼育小屋で早朝から鳴くニワトリの声にも「何とかしてくれ!」と無理な要求をされることだってあります。
生活のリズムは人ぞれぞれですから、昼夜関係なく配慮は必要です。でも、子供の遊ぶ声は騒音なのでしょうか。ややもすると、うるさいという意見ばかりが強調され、採りあげられるがゆえにその対応に追われるということもありそうです。明らかに迷惑をかける行為以外は許容されるべきという考えもありそうです。だって、誰もが子供だった頃があるのですから…。
こうしたことの根底には、「顔が見えない」「相手を知らない」という関係性があるのかもしれません。ある人はこんな風に言っています。“うるさいとは、音の大きさだけでなく、自分の心理状態や相手との関係を通してフラストレーションを感じるかどうかだ”と。つまり、好きな音楽は大音量で聴いても心地よいが、興味のない音楽は騒音だと感じる人は少なくないはずです。結局は、「節度」と「寛容」、そして普段からの挨拶などを通したコミュニケーション。相手を思い浮かべ想像するだけで、聞こえ方に変化が起こるかもしれません。
代表委員が朝の挨拶運動を始めて2週目になりました。こうしたあいさつを通して、「地域顔見知り計画」を進めていきたいと思うのです。大人と子供、大人同士など…。
269 無意識の思い込み(23.9.15)
教室前の掲示板に、夏休みの思い出の作文が見られます。みんな色々なところに連れて行ってもらったようで楽しかった様子が行間からにじみ出ています。
さて、ある研修会で講師の方から「アンコンシャスバイアス」について話を聞きました。ヒト・モノ・コト・自分に対する「無意識の思い込み」を指すそうです。過去の経験や見分に影響を受けて、ある事実に対する無意識の認知が本能的に働きます。それが言動となって表れ、相手や周囲に何らかの影響を及ぼすということは日常にあふれ、誰にでもあるのです。
例えば、パイロットと聞けば男性を思い浮かべる、単身赴任といえば男性を思い浮かべるといったことはないでしょうか。逆に、客室乗務員と聞けば女性を思い浮かべてしまいます。少し前に歌手のブラザーコーンさんが乳がんを発表しましたが、これも女性だけの病気だと思い込みがちです。血液型がA型だと聞けば几帳面などという言葉でくくってしまうのも無意識の思い込み。こうした思い込みで話をすることで歪み(ひずみ・ゆがみ)や誤解などが生じ、ひいては人間関係や仕事に大きな支障が出ることだって考えられそうです。
また、「バラ色の回顧」という言葉も聞きました。私自身のあるあるです。過去のことを実際よりも肯定的に記憶したり思い返したりしたくなる傾向のことです。「昔はよかった発言」は私だけではないはずですし、その逆に「今はいいよね。昔はさぁ…」と、いかに自分は大変だったかを声高に語りそうな自分が怖いです。
2学期は5年生を対象にした介護に関する授業を外部講師が行ってくれますが、介護の対象を老人と決め込んではいませんか?いずれにしても、様々なパターンで存在するアンコンシャスバイアスに気づこうとし、対応することが大切だと思います。自分を見つめ直すよいきっかけになりました。
きっと家庭や地域にも思い込みは潜んでいるはず。