沿革
【学校名『信篤』の由来】
中国の書物[論語]の中の「篤信好学・守死善道」(深く信じて、学問を好み、命がけで道をみがく)から引用したと言われています。
【校章】
明治から大正にかけて、原木山妙行寺にはたくさんの参拝者がありました。その原木山にはたくさんの鳩が飛びかい、参拝者にかわいがられていたようです。その鳩をかたどって信篤小の校旗がつくられたといわれています。又、昔の校旗には稲穂もかたどられていたということですが、それは、この地域が田園地帯として稲作が盛んだったということからきたもののようです。
―創立90周年 記念誌よりー
【沿革】
明治 6年 | 2月 | 職員1名、児童数63名で行徳小学校原木分校として原木山妙行寺に設置。 | |
明治 8年 | 原木小学校と改称。同時に安養寺に高谷小学校を設置。 | ||
明治20年 | 原木小と高谷小が併合して高谷尋常小学校と改称。 | ||
明治29年 | 7月 | 12日 | 高谷小が、原木・高谷両地区境に校舎を新築し、信篤尋常小学と改称。 初代校長「大畑 忞」(開校記念日とする) |
大正 5年 | 信篤尋常高等小学校と改称。(高等科を設置) | ||
大正 6年 | 10月 | 大津波により校舎全壊。 | |
大正 7年 | 3月 | 新校舎落成。 | |
昭和 2年 | 体操場新築落成。 | ||
昭和 7年 | 帽章制定。 | ||
昭和16年 | 信篤国民学校と改称。二宮金次郎像建立。 | ||
昭和22年 | 4月 | 行徳町立信篤小学校と改称。 | |
昭和25年 | 学校経営全般に関する公開研究会開催。 | ||
昭和30年 | 3月 | 市川市合併により市川市立信篤小学校と改称。 | |
昭和31年 | 7月 | 12日 | 創立60周年記念式典挙行。校歌制定。 |
昭和34年 | 5月 | 6日 | 給食室を完備し、完全給食を実施。 |
昭和35年 | 講堂落成式挙行。(京葉道路完成) | ||
昭和41年 | 10月 | 29日 | 創立70周年記念式典挙行。校旗制定。 |
昭和44年 | 市教委より図工科研究学校指定。(東西線西船橋まで開通) | ||
昭和45年 | 4月 | 二俣小学校分離併設。8月移転独立。 | |
昭和46年 | 信篤小学校入学前指導所が信篤幼稚園として独立し、信篤小学校に併設。 | ||
昭和48年 | この頃児童数が急増し、毎年プレハブ教室を増設。 | ||
昭和53年 | 7月 | 10日 | 高谷1-8-1より現在地 原木2-16-1の新校舎に移転。 |
昭和54年 | 1月 | 創立80周年記念式典・新校舎落成記念式典挙行。記念歌碑除幕挙行。 | |
昭和54年 | 4月 | 信篤幼稚園分離独立。土俵開き。 | |
昭和55年 | 観察池完成 | ||
昭和58年 | 10月 | 市教委指定社会科公開研究会を開催 | |
昭和62年 | 10月 | 創立90周年記念式典挙行 | |
昭和63年 | 3月 | 記念碑(校名由来)除幕式挙行 | |
平成 元年 | 11月 | 県教委より県教育功労賞(団体賞)を受賞 初代校長「大畑 忞」教育基金制定を記念して胸像建立 |
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平成 2年 | 11月 | 市教委指定国語科公開研究会を開催 | |
平成 3年 | 大畑文庫開館 | ||
平成 5年 | 11月 | 県教委・市教委指定心身障害児理解推進公開研究会を開催 | |
平成 8年 | 10月 | 創立100周年記念式典挙行 | |
平成11年 | 4月 | 千葉県より福祉教育推進校に指定された。 | |
平成12年 | 4月 | 千葉県より福祉教育推進校(2年目)に指定された。 | |
平成13年 | 4月 | 千葉県より福祉教育推進校(3年目)に指定された。 | |
平成15年 | 4月 | 「創意と活力のある学校づくり」に取り組む。 | |
平成16年 | 4月 | 研究 主要教科(算数・国語)に取り組む。 | |
平成17年 | 1月 | 市教委より市川市学校版環境ISO認定を受ける。 | |
平成22年 | 3月 | 校舎増設 (普通教室6室) | |
平成22年 | 4月 | 特別支援学級「なのはな学級」開設 | |
平成24年 | 11月 | 葛南教育事務所管内「学力向上交流会」開催 | |
平成26年 |
千葉県教育委員会「特色ある道徳教育推進校」指定 公開研究会開催 |
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平成28年 |
創立120周年記念式典挙行 |
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平成29年 |
給食室屋根工事 プールサイド床下工事 |
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平成30年 |
放送室床改修 |
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令和 元年 |
受水槽改修工事 |
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令和 2年 |
通級指導教室「すみれ教室」新設 大畑一枝先生没後35周年記念式典挙行 |
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