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2025年4月の記事一覧

010_初任給の思い出(25.4.25)

 一昨日、NPO法人「市川にオオムラサキを生息させる会」代表であり元柏井小校長の先輩から、オオムラサキの越冬幼虫を4頭いただきました。子供たちの力も借りながら羽化に成功させたいと考えています。でも、食べるのが榎だけ(エノキ茸ではありません)といいます。榎の鉢植えもいただきましたが、学校周辺に自生しているなんて情報はないでしょうか?

 さて、一般企業の場合、給料日を「5」あるいは「10」のつく五十日(ごとおび)に設定することが通例で、道路や銀行が混雑する日でもあります。ですから、今日25日が給料日といった人もいるでしょう。今では給与明細書が手渡されるだけの銀行振込となりました。これは教員も例外ではありませんが、私が教員になりたての頃は現金支給でした。給与袋に何枚かの紙幣と小銭があったように思います。それでも、働いて得た報酬という有り難さを感じていました。大相撲で勝った力士が給金を手にするような感じといったら語弊があるでしょうか。当然ボーナスに至っては給与袋の厚みが違いますから格別です。

 今日初任給を手にする(振り込まれる)人が、それをどう使うかは余計なお世話。でも、世話になった人への感謝の気持ちを何らかの形で表したいものです。私自身、娘が最初にもらった給料で買ってくれたネクタイピンを今も大事に使っています。決して高価ではなかったかもしれませんが、想いはいつまでも大事にしたいと思うのです。

 そういう自分の40数年前はどうだったか?何を渡せばよいのか深く考えもせずに、安物のアクセサリーを母にプレゼントしたような記憶があります。そして、それがタンスの引き出しに大事に(?)しまわれていたことも鮮明に思い浮かぶのです。

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009_鯉のぼりの思い出(25.4.24)

 学校だよりを2号(4/18発行)から紙媒体での配付をHP掲載に移行しましたが、そのアクセスが26とは…。知ってほしいことや思いが伝えられないのでは意味がありません。さてどうしたものか?毎回メールに添付した方がよいか検討中。

 さて、校庭で気持ちよさそうにたなびく鯉のぼり。毎年恒例の景色になっているなんて、他校児童からすれば羨ましい限りですが、その渦中にいると気づきにくいものです。「ありがとう」の語源は「有り難し」。つまり決して当たり前ではないということを、知ってほしいと思います。

 我が家は、弟と私の男兄弟の家庭でしたから、端午の節句前には鯉のぼりや鎧兜を飾って、健やかな成長を願ってくれました。特に、空高く揚げる鯉のぼりは、神様への目印ともいわれます。自宅の庭に知り合いがやって来て、立てた竿に泳ぐ4~5匹を眺めていた幼少の記憶。無風ではだらしなく垂れ下がっているのに、ひとたび風が吹けば、竿先の矢車がカラカラと音を立てて回り、吹き流しや真鯉、緋鯉などが悠然と泳いでいたのです。強風でも吹こうものなら、飛ばされてしまわないか、竿が倒れてはこないかと気をもんだのも半世紀以上前のことです。

 最近では、近隣の農家ですら鯉のぼりを揚げる光景は珍しくなりました。マンションベランダに、慎ましくおもちゃの鯉のぼりが飾ってあると、古き良き時代であったことを改めて思うのです。

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008_困り感に気づく(25.4.23)

 職場を変わる度にカミングアウトしていること、それは自分の難聴について。遺伝性なので、30歳を前に聴力の低下が顕著になってきました。夏場のセミの声を筆頭に、風情ある虫や鳥の声、風鈴の音などは全く認識できません。アラーム音は耳に届かず、鉄琴やオルゴールは聞こえない音が多すぎて、曲として成立しません。

 ですから、大勢の中での会話や内緒話は苦痛以外の何物でもありません。聞き取れないことによるストレスはマックス!補聴器を数年前から使用するようになって、だいぶ心理的に楽になりましたが、決して万能ではありません。

 先日行った補聴器専門店のテーブルにあったパンフレットに、「…加齢などで聴力が低下した場合は、高音域側の子音だけがうまく聞き分けられなくなる…」に続けて、聞き間違いの例がいくつか挙げられています。「さとうさん」が「かとうさん」、「ひろい」が「しろい」に聞こえてしまうこと。「笑う・洗う」、「石・西」、「寿司・牛」なども難しい例で、「きゃ」「しゃ」「ちゃ」に至っては何度も聞き返すので、家族も時々嫌な顔を見せます。

 このように自分でわかっていてもどうしようもできないことがあります。これは教室にいる子供も一緒です。学習中にフラっと立ち歩いてしまう、黙って聞いていなければいけない場面で声を出して反応してしまう、身の回りの整頓ができない、漢字が記号にしか見えなくて覚えられないなど、困難は多岐にわたります。また、それが相手の目に見えない障がいであれば厄介です。「何やっているんだよ!」と言うか「今、何か困っている?」と問うかで心の緊張は違います。いろいろな子が様々なヘルプマークを付けているかもしれないという視点で、その困り感に寄り添っていける学校・児童・保護者でありたいと願っています。

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007_大丈夫?(25.4.22)

 何十枚もの紙の短冊にリングで綴じられていた「単語帳」を受験生が愛用している姿を今でも見かけます。中高生約4千人への調査を見ると、54%が使っていると回答したといいます。まだ現役バリバリのようです。同じようなものが算数セットにも見られます。2年生がかけ算九九の学習をする際に、覚えたりゲームをしたりする際に用いられているのをよく見かけます。でも、このリングが外れやすくなっていると大変。カバンの中でバラバラになってしまったり、足りないカードが出てしまったり…大丈夫?

 最近、「心配だわ」「大丈夫?」と言われることが立て続けに起きています。ある店舗で買い物をして駐車場に戻ったら、車のキーが運転席ドア下の地面に落ちているではありませんか。「あ~盗まれなくてよかった」と胸をなでおろして別の店舗へ向かいます。そこでまた買い物をして戻ると、助手席側の後輪がぺちゃんこ!JAFを呼んで対応してもらいましたが、タイヤの空気圧センサーのバルブをしっかり締めていなかったのか、空気が漏れ出していたようです。

 別の日の朝、車のキーがいつも保管する場所にないことが判明。前日の夜の行動を思い出してあちこち探しますが見つかりません。妻の声のトーンから怒りを感じ取りながら必死に思い出そうとしますが、さすがに限界を感じた頃、「ベッドの布団を全部どかすから!」という声。しばらくして「ほら、あったじゃん」「何やってんのよ、もう~」と怒り心頭のご様子。委縮しているものだから「ありがとう」「ごめんなさい」が口から出てきません。叱られている時の子供の気持ちも同じなのかもと考えてしまいます。

 火の始末や家の施錠ほか、車の運転に至るまで、注意書きの付箋紙で頭の中がいっぱいになってしまいそう!

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006_キャプテン(25.4.21)

 校長室の書棚にマンガ本が並んでいることは、少し前に触れました。だいぶ以前、『20世紀少年』を読んで浦沢直樹さんの作品にハマりました。『Dr.コトー診療所』も大好きで、全巻置いてあります。1年ほど前には、『スラムダンク』を大人買い!流行に乗り遅れていますが、そんなことは気にしない。「読みたい」と声をかけてくれる子が現れるのはいつのことでしょう。

 昭和の野球漫画の代表格といえば『巨人の星』でしょうか。大リーグボール養成ギプスを軋ませて練習する飛雄馬の活躍を毎回楽しみにしていました。『ドカベン』や『侍ジャイアンツ』も好きでした。いずれも魔球など非現実的な技術が登場する熱血野球漫画といえそうです。

 一方、『キャプテン』(ちばあきお作)は、欠点を持ち合わせるキャラクターが等身大で描かれ、仲間と努力をしながら一緒に成長していく過程が、逆に新しく感じたものです。最初の主人公であった谷口が卒業したのちも、丸井、イガラシといった墨谷二中の代々のキャプテンを主人公とすることで連載を続いていった点も、人気を博した理由かもしれません。

 学校の校長も、こうしたキャプテンと似ているかもしれないとふと思ったのです。秘技を持っているわけでもなく、それぞれの思いや特徴を生かして学校を経営していきます。当然、欠点もあります。でも、職員や保護者に支えられながらチームを引っ張っていき、学校としての成長へと導く意識は共通しているような気がします。

 漫画自体がどんな終わり方をしたかは忘れてしまいましたが、ジタバタしながらも泥臭く取り組むことで、自分が好きだと思える学校にしたいと思うのです。そうすれば自ずと…。

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005_万博(25.4.18)

 13日に大阪・関西万博が開幕しました。今回のテーマは「いのち輝く未来社会のデザイン」といい、人間とアンドロイドが共にくらす未来を見ることができるパビリオンもあるそうです。一方で、1970年の大阪万博でも展示された、アポロ12号が月から持ち帰った「月の石」が再登場です。日本館では、2000年に南極観測隊が発見した、火星から飛来した隕石「火星の石」が紹介されています。

 55年前の私は小学校5年生だったでしょうか。三波春夫さんの歌う『世界の国からこんにちは』をテーマソングに、過去の万国博覧会史上最高の入場者数を記録したのです。校長室戸棚に全巻揃っている『20世紀少年』にも万博の描写がありますが、行った友達の話を聞いて子供ながらに羨ましかったのを覚えています。

 ただ、今回は盛り上がりに欠けるような気もします。目的がぼやけているからなのでしょうか。万博アンケートを見ると、「行かない」「多分行かない」が87%を占めたという結果もあるほどです。学習活動だけでなく、スポーツや文化活動などでも、目標・目的が人を動かす原動力になると考えます。学校は、子供たちの「やりたい」「できるようになりたい」を引き出せる場でありたいと考えます。

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004_縁を紡ぐ(25.4.17)

 一昨日、市内での会議を終えて、自宅の最寄り駅に着いた頃には、辺りが黒い雲で覆われて雨が降り出していました。風も強かったので、傘がひっくり返らないように柄を支えながら歩く先に、大きな虹が見えました。しかもその外側にもうっすらとした2本目の虹が掛かっているではありませんか。ダブルレインボー!「奇跡が訪れるサイン」とも言われます。しばらくの間、その場で見とれてしまいました。柏井の空にも見えたでしょうか?

 さて、昭和の小学生は、友だちが悪いことをすると「♪い~けないんだ、いけないんだ、先生に~言ってやろ~」と囃し立てるのが常でした。でも、今もそしてこれまで担任した子供たちからも、そんな声を聞いた覚えはありません。そういえば、「帰りの会」を「反省会」と呼んでいたのも昭和だけ?

 始業式のあった週、二人の保護者の方から声をかけていただきました。「O小学校の△△を知っていますか?私、彼女と同期なんです」と笑顔で教えてくれました。またその翌日には、「この蜂須賀先生って、校長先生ですか?」と、30年も前のF小学校の卒アルを見せてくれました。写っているのは、まだ髪がふさふさした自分。「ここにいるのが私。5年生で転入してきて…」と恥ずかしそうに当時の話をしてくれました。様々な縁で結ばれていることを実感します。

 今日は、6年生が全国学力学習状況調査(国語・算数・理科)に取り組みます。

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003_テレビ爺の春(25.4.16)

 週末朝の情報番組のMCに藤木直人さんが起用されたと報じられた時のこと。『双子なんだよね』「もう一人は一般人?」『似た顔のイケメンが並んでいたらどんなだろう』「そうだね」『あなたが双子でなくてよかった。同じ顔が並んだところを想像しただけでゾッとするわ』といった夫婦の会話。言うに事欠いて、失礼じゃない?ただ一方で、納得する自分もいるから不思議。

 さて先週は、体育館で始業式、入学式と立て続けに大きな行事が行われました。エアコンが完備され、床の張り替えも済んできれいです。ただ、照明のLED化はまだのようで(違っていたらごめんなさい)、昔ながらの白熱灯が下がっています。その照明を保護する金属枠に、体育用ボールが1個挟まっているのが妙に気になります。3月までテレビで放映された『ホットスポット』を観ていましたが、人間の姿をした宇宙人が、何個も挟まったボールをジャンプして回収する場面があったのです。たった1個のためですが、誰か宇宙人を連れてきて、取ってくれないかなぁ。

 こんな話をする私は、テレビっ子ならぬテレビ爺。4月からの春ドラマを楽しみにして、録画しては別日に夕食を食べながら観る生活を送っています。録画視聴のよさは、長いCMをスキップできる点。だから、リアルタイムで観ているときにも、リモコンでスキップ操作をしてしまいがち。習慣って怖い!

 今日から1年生の給食が始まります。その様子は、Topicsでお伝えする予定です。

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002_新鮮な思いに心躍る(25.4.15)

 春の5Kってご存じ?頭文字がアルファベットの「K」で始まる花粉・黄砂・寒暖差・強風・乾燥だといい、これが原因で自律神経を乱して、体調不良を引き起こすのだとか。隣の席の青木教頭先生の花粉症もまだまだ辛そうです。

 以前北方町に住んでいたので、時々船橋法典駅を利用しましたが、柏井地区には縁がありませんでした。ただ20年ほど前、ある研修を終えた後、「法典の湯」が新しくできたので行ってみようと話がまとまりました。数人で駅から歩いて着いた先にはまだ灯りが見えません。駐車場と思しき場所で回数券を販売している人に尋ねると、まだ営業開始前の段階だったのです。意気消沈!それでもくつろぎを求めて、タクシーを拾っていったのが塚田の「湯楽の里」でした。こんな感じで近くまで来ていたり通勤の車の通り道になったりしていたのですが…。

 先週、青色防犯パトロールで学区を巡回しました。普段は走らない道を案内していただいて、柏井のよさを感じながらも、その広さには驚きを隠せません。南東は船橋市、北東は鎌ヶ谷市に隣接しますが、北側の柏井4丁目からだと子供の足でどのくらいかかるのでしょう。朝の登校時に通学路を歩いてみましたが、頭の中に地図がないせいか、道のつながりがわからず無駄に歩き回っていました。お陰でうっすらと汗をかいてしまいました。でも、満開の梨の白花やそら豆の紫花を堪能できた充実したお散歩タイム。

 さて、子供たちはこの柏井地域のよさを自分の言葉でどんな風に表現してくれるでしょう。私自身も新たな発見を求めていきます!

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001_気まま、思うままに(25.4.14)

 私にとっては41年目の新年度がスタートして3週目に入りました。HPに自力で変更を加えたら、位置がどうもおかしい…。とりあえず、校長室から気ままに自分の思いや考えを綴っていきますのでお付き合いください。

 数えると私自身11回目の異動となります。ずっと以前の離任式が4月1日に行われていたのを知る者も数えるほどになりました。それがいつの頃からか3月末日に変わり、現在では児童への安全配慮から、修了式に行うようになった経緯があります。

 さて、初任から5年務めた初めての異動日、4月1日に皆に見送られながら、校長先生か教頭先生の運転する車で異動先まで送ってもらった日のことを思い出します。車を降りて、相手先の先生に「よろしく」と引き継がれるのです。思い出すと、まさに荷馬車に乗った牛になったような寂しさ。今なら ♪ドナドナドナ~ドナ~♪と、声高らかに歌ってしまいそうです。

 ですから、何度経験しても異動は心細く不安なものです。今回着任した教職員もきっと同じ気持ちです。子供との出会いに不安と期待が入り混じった不思議な気持ちで過ごす4月。うれしいのは保護者や地域の方々の温かな声かけ。何気ない一言に勇気と希望が膨らみます。新しい職員を含めて、今年度のメンバーをご支援ください。どうぞよろしくお願いいたします。

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