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Bee's Cafe

121_ひと言集(25.11.13)

その1 朝、妻が顔を近づけてきます。何事かと身構えていると、「昨日、ニンニクを食べていないよねぇ?」と尋ねます。『どうして?』「うん、顔からニンニクのにおいがするからさぁ」『するわけないじゃん、失礼な!』といった感じ。さらに続けて、「ガーリック・ホームズってよくない?」『シャーロックホームズに似て語呂はいいけど、イメージ最悪じゃん』「でね、私はワトソン博士!」と、笑いながら話し続けていきます。そして、その日一日中、「ガーリック~」と呼ばれる始末。「ホームズ」って呼ぶならまだしも…?!

その2 寒くなってきて、前ファスナー式の上着を着用する機会が自然と増えます。前を開けておくと寒いかなと思いつつ、でも上まで閉めるほどでもないかと思って、中途半端な位置まで上げて出かけようと玄関に立ちます。すると、「やめなよ。格好悪い、その昭和閉め!」という声が鋭く突き刺さります。昭和島?ボートレースをやる平和島?と、聞き慣れない訳の分からぬ言葉に一瞬の沈黙。以降、「昭和閉め」は封印して、全開か全閉に努めていますが、モヤモヤするぅ。

その3 クリスマスが近づいて、いろいろな店でアドベントカレンダーが売られています。クリスマスまでのカウントダウンを楽しむために、小窓にチョコや菓子を日替わりで入れておくもので、可愛いものばかり。これを見ながら「これ買って、毎日の飲み薬を入れておこうか?」と言います。24日までじゃ、残り1週間分だけお薬ケースの中?

 何気ないひと言に、喜んだり笑ったり気持ちが沈んだり、大人も子供も一緒です。

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120_ユニバーサルデザイン(25.11.12)

 3年生の教室に掲示された俳句の数々。「夏休み 線香花火 だれ落ちる」「秋の虫 なくよなくよと きこえる日」の2首は、趣きを感じて何度か読み返しました。この3年生が、国語で『くらしと絵文字』を学習しています。絵文字は私たちのくらしを便利で楽しくするだけでなく、人々が互いに分かり合い、つながりを深めていくのにも役立っていることを学ぶ説明文です。さらには、絵文字(ピクトグラム)に対する興味関心を高めることを目標にしています。学習の最後には、自分たちで絵文字を作って、発表しあう場面もよく見られます。

 この絵文字は、ユニバーサルデザインの代表選手。ユニバーサルデザインは、「あらゆる人に利用しやすいデザイン」であることを軸にしています。

 ところで、牛乳の紙パックの屋根の部分にあたる上部にくぼみがあることをどれだけの人が気づいているでしょう。正式には、このくぼみは「切欠き」と呼ばれます。これは視覚障害者などが牛乳と他の飲料を区別するためのしるしで、これもユニバーサルデザインの一例です。開け口とそうでない方を区別するためのものとずっと思いこんでいた私。

 牛乳パックのように、身近にあっても気づきにくいユニバーサルデザインもあります。例えば、シャンプーとリンスの容器の突起がそれにあたります。あるメーカーの働きかけによって、現在ではどのメーカーでも容器の突起で判別できるようになっているらしいのです。まぁ、リンスに縁のない私は間違えようがありませんが、子供たちが今日お風呂でチェックしてくれたらうれしいなぁ。

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119_セルフレジ(25.11.11)

 今日11月11日は、記念日がいっぱい!「ポッキー&プリッツの日」は有名ですが、乾電池の+-から「電池の日」とか細長いイメージから「麺の日」。このほかにも「ピーナッツ」「サッカー」「チーズ」「靴下」「下駄」「箸」「折り紙」「もやし」「チンアナゴ」など、挙げたらきりがありません。中国では「独身の日」とか!?

 さて、スーパーやコンビニなどの多くでセルフレジ化が進み、有人レジでも、支払いは機械といった場所がほとんどです。有人レジが混雑するとセルフレジを利用しますが、導入当初はどうやってスキャンをすればよいのか迷ったり、バーコードにうまく反応しなかったり…。後ろに並ぶ人が多いときは、小心者は焦ってしまいます。支払い機だって店舗によってまちまちですから、高齢者が時々困っている様子を見かけます。

 そんな中、技術の進歩をまざまざと見せつけてくれるのが、ユニクロの商品会計システム。一般的なセルフレジとは一線を画しています。買い物かごに入れたままでも機械の右の凹みに置けば、自動的に読み取ってくれます。あとは支払い方法などを機械の画面で選択していくだけ。不思議なのは、ICタグがどこに付いているか。探してみると、素材などを記した紙の商品タグや値段シールの裏側に貼り付けられているではありませんか。

 誰もがわかりやすい・扱いやすい、これが快適さにつながるわけです。レジだけでなく、学校の諸活動や手紙、資料などにも通じることかもしれないと考えながら、思うだけなら誰でもできるって!自分で突っ込みを入れています。

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118_明けない夜はない(25.11.10)

 「明けない夜はない」という言葉があります。戯曲『マクベス』の中のセリフが由来とされる説もありますが、どんなに辛く苦しいことがあっても、今頑張ればきっと幸せが待っているといった励ましとして使われます。同じ意味で「止まない雨はない」と言われることもありますが、「すまない、悪気はない!」となるとフレーズは似ていても怒りを買いそうです。

 さて、娘からLINEで写真が届きました。『セーターになりたかった毛糸玉』という絵本が写っています。結婚前かすぐ後かは忘れましたが、私が妻に初めてプレゼントしたものの一つで、娘たちにも読み聞かせした本なのです。どういう経緯で娘がこれを手に入れたいと思ったかはわかりませんが、プレゼントしてもらったとコメントを添えています。本の登場人物がみんな優しくて心がほっこりします。毛糸玉たちにとっては、セーターになることが花形というのは面白い発想ですし、様々な苦難を経て落ち着く先が素敵で、まさに「明けない夜はない」と言えそうです。ぜひ図書館などで探してみてください。

 柏井小では、先々週から1か月間の読書月間が始まっています。読書郵便やしおりコンテスト、昼の図書クイズ、朝会での図書委員会の発表、教職員による朝の読み聞かせなど、図書や読書への興味・関心を喚起するために様々な取り組みを行います。私自身もどこのクラスで読み聞かせをすることになるのかワクワクします。だって、くじ引きだといいますから…。せっかくだから、『セーターになりたかった毛糸玉』を読んでみようかと考えています。どんな反応があるかなぁ。

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117_お菓子な食べ方(25.11.7)

 大リーグWSでドジャース優勝。延長18回戦った日は大谷9打席全出塁。山本は3勝を挙げてMVPなど楽しめました。一方、藤井壮太が王座失い6冠に後退というニュースは小さな扱い。自分の周りに目をやると、11月に入る前からクリスマスケーキやおせち料理の予約のポスターがスーパーに貼り出され、車や玄関先の正月飾りも売り出されています。今年もあと2か月を切り、時間の流れの速さを否が応でも感じます。

 さて、血糖値が気になるにも関わらず、食事までの間の口さみしさに負けて、飴や菓子に手が伸びて叱られることがよくあります。そんな魅力的なお菓子にも栄枯盛衰がありますが、菓子をつまみながら昔よくやった遊びを思い出しました。

 ポッキーのチョコだけを舐めてプリッツ変身させる。

 とんがりコーンを指にはめてから、順に食べる。

 アーモンドチョコのチョコだけを口の中で溶かし、アーモンドと分けて味わう。

 ポテコ(なげわ)を指にはめる。

 ハッピーターンの粉だけを舐める。

 オレオは分解して食べる。

 笛ラムネのように、パイン飴を吹いて音を出そうとする。

 コロンの中のクリームだけを先に吸う。

 アポロやきのこの山は上下を分解して別々に食べる。

 トッポのチョコの芯を折らないように、全神経を集中させて周りだけをかじりとる。

 今考えるとおかし(お菓子)な食べ方ですが、子供心理では遊びの延長?!そういえば、日光で買った「甚五郎せんべい」が一回り小さくなったような気がするのは私だけ?

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116_修学旅行を終えて②(25.11.6)

 毎朝、薬やサプリなど6錠&1袋服用しています。飲み忘れがないように、薬入れケースを使用して自己管理。当然、修学旅行にも携えていきましたが、危うく飲み忘れるところでした。修学旅行中は、子供たちも飲み忘れないように、朝晩の食事時などに養護教諭の前で薬の確認をしながら服用しました。ある子は、口に水を含んでから手で摘まんだ1錠を放り込み、ごっくん。そしてまた次の1錠といった具合に飲んでいます。「先に舌の上に薬を置いてから水を飲むといいんじゃない?」と言うと、「だって薬の味がするから…」という回答です。ごもっとも!今だからこそ10錠あっても一回で飲めてしまいますが、小学生くらいの時には1粒ずつでしたし、粉薬はオブラートに包んで、目を白黒させながら喉を通していたことまで思い出します。

 1日目は晴天で、男体山がとてもきれいでした。紅葉も進んでいましたが、思ったより奥日光は寒くはありません。2日目は曇天でしたが、雨が本降りになったのは学校に到着する少し前でしたから、天気に恵まれたと言ってよさそうです。

 学校に帰ると、ほかの職員が用意してくれた菓子類を食べながら反省会となりますが、テーブルにはデザートや飲み物が何種類もあります。各々好みがあるので、「せーの」の合図でほしいものを指さします。飲み物は一回ですんなり決まりましたが、ゼリーは桃・みかん・メロンなど。おそらく桃に人気が集中するとよんだ私はメロンを指さすと、案の定桃に3本の指が向いています。その後3人でじゃんけんをするといった具合。和やかな中、ふと思ったのです。「まるでドラフト会議の指名みたい?!」と。

 何はともあれ、子供たち誰一人脱落することもなく、無事に帰校できたことが何よりうれしい!

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115_修学旅行を終えて①(25.11.5)

 日光へ修学旅行に行ってきました。何回目だろうと指折り数えると…25回は下りません。例えば、華厳の滝の水量が多い少ないといった比較も容易にできます。ちなみに今年は少なかったのですが、初めて見る子には、湯滝の美しさとは違う強烈な印象を与えたかもしれません。そんな2日間を通じて思ったことを、思いつくままに綴ってみます。

 今年の6年生は50人ですが、その少なさをいろいろな場面で改めて感じます。まずはバスの座席に余裕がたっぷりあること。華厳の滝の観瀑台に下りるためのエレベーターにクラスごとに乗るとギュウギュウ詰めにならないこと。何度もある集合場面で「これで全員揃ったの?」というくらいこじんまりしていることなどが挙げられます。ただ機動力抜群とも言えそうです。

 コロナ禍以降、校外学習のお決まりといえばDVD視聴。以前は、バスレク係がクイズやゲームをいろいろ考えたり歌を歌ったりしましたが、バスでのシートベルト着用が当たり前となったことも影響してか、それらがほとんどありません。行きは『STAND BY ME』。3Dを駆使した映像美がドラえもんに目新しさを与えてくれましたし、帰りは『鬼滅の刃~無限列車編~』という、これまた見たことのないものでした。ともにチラチラと画面に目をやりますが、音声を認識できない私は、映像だけで想像を巡らすしかありません。そして思うのです。大音量でもないのに聞き取れる子供たちってすごい!と。そうそう、バスでのおやつタイムに、バスガイドさんがお茶を淹れてくれたのも超久しぶりでした。

 戦場ヶ原ハイキングはインタープリターが同行しますが、やはり熊が気にかかります。今までならば左右の景色の中に鹿を探して歩きましたが、今回は木の上も含めて熊が潜んでいないか、ガイドの話そっちのけでキョロキョロしてしまったのです。<明日に続く>

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114_秋のにおい(25.11.4)

 タンスの抽斗や衣装ケースの中身も冬物に入れ替えて、来たる寒さに備える11月。中に入っていた防虫剤も新品に交換です。この防虫剤は昔、天然のクスノキから抽出された成分の樟脳(しょうのう)や化学合成のナフタリンが中心でした。今でも公共の乗り物などの中で、鼻にツンとくる防虫剤の匂いを感じることがあります。「そのスーツは、今シーズン初めて袖を通すのだな」と、何となくほんわかした気持ちになるのです。

 寝具の毛布も1枚増えました。お日様の暖かさをいっぱいに吸いこんだ布団。あるいはある程度の重量感に包まれながら、秋から冬へと移ろう季節の香りを布団から感じます。このように、匂いから秋を感じることもあるものです。

 では、秋の匂いは他に何があるだろうと思い巡らせます。心誘われるキンモクセイの香りは、その代表というか筆頭に挙げられそうですし、逆に銀杏は、食べれば美味しいけれど臭いイメージしかありません。市川霊園のイチョウ並木を歩いて、雌雄判別しながらバケツに集めて、臭いと格闘して洗、乾燥させて食べたことも何度かあります。

 記憶の奥にある銀杏の臭さといえば、国府台陸上競技場と体育館の間の大樹です。陸上大会の計時係にでもなろうものなら、後ろからプ~ンと漂う匂いに顔をしかめながら仕事をしなければならなかったわけです。今はなくなってしまい懐かしい反面、鼻が曲がることはなくなったので良かったのかもしれません。

 硫黄のにおいに包まれていた奥日光の一晩は、6年生の記憶のどの部分に刻まれたのでしょう。

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113_ある日~森の中~♪(25.10.30)

 全県の校長が集まる研修会を終えてJR千葉駅へ。そごうの跡地にはヨドバシカメラの看板があり、その近くにはビックカメラも大型店舗を構えます。競合は消費者にとっては嬉しいことに思えますし、敢えてすぐ近くにぶつけるということは、企業側のメリットも相応にあるのでしょう。年末に向けて商戦激化は必至です。

 ところで、「♪まぁるい緑の山手線、真ん中通るは中央線、新宿西口駅の前…」というヨドバシカメラのテレビCM音楽を急に思い出したのもこの時のこと。「♪ごんべぇさんの赤ちゃんが風邪ひいた~」とか「♪おーたまじゃくしはカエルの子~」も同じメロディーで、この曲の原曲はアメリカの南北戦争・北軍の行進曲だったらしいのです。時は1861年まで遡ります。

 その百年後に生まれた私が小学生だったころ、口ずさんだ替え歌はいくつもあります。小柳ルミ子『瀬戸の花嫁』を「♪瀬戸ワンタン、日暮れ天丼、夕波こなみそラーメン」としたり、『ブルー・シャトウ』を「♪森とんかつ、泉にんにく、か~こんにゃく、まれ天ぷら…」と歌ったりしました。『森のくまさん』は「♪ある貧血、森のな浣腸、クマさんにんにく、出会ったんこぶ(短足?)…」という具合に。ただ、何が面白かったのか、今思うと不思議ですが、それが小学生!そういえば、今秋のドラマ『良いこと悪いこと』では、同級生が殺人や不審死を遂げる要素に、『森のくまさん』の替え歌が使われています。

 クマによる被害が多数報告される今、文科省は不審者の学校侵入ならぬ、クマ侵入・遭遇について学校に対応策を求めそうな雰囲気です。四コマ漫画『かりあげクン』では、ピクニックでクマに遭遇した際、リュックからおもむろに取り出したのが金太郎あめ。切り口をクマに見せて退治しようとする滑稽さを、今は笑えない人がたくさんいるのです。

 今日から日光へ出かけます。クマさんに出会うことがありませんように!(明日はお休みします)

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112_梅干し(25.10.29)

 家のあちこちに置かれたボックスティッシュ。ふと思うのです。普段何気なく使っていますが、なぜ一枚取ると自動で次の一枚が出てくるのかと。これを考えた人ってエライ。覗いてみると、半分折りにされたティッシュが折り重なって箱に入っています。こうなると、考案したのは誰かという疑問が沸き起こりますし、こうした目の前の当り前にありがたみを感じる感性は持っていたいものです。

 ところで、日本人のソウルフードって何でしょう?梅干しをその一つに挙げる人は多いかもしれません。実際、おにぎりの具の人気投票でも10位以内を常にキープしているのではないかと思うほど人気があります。そして、好き嫌いは別にして、梅干しを知らない日本人はまずいないと言ってもよいくらいです。いや、もう好き嫌いの範疇ではないのかもしれません。ただ、世界的に見たら知らない人が圧倒的に多いわけで、口に放り込もうものなら強烈な酸っぱさとしょっぱさに衝撃を受ける外国人続出です。

 こんな梅干しが、給食にそのまま提供された記憶がほとんどありません。○○の梅肉和えとかいう使われ方はしても、皿にポツンと乗った真っ赤な梅干しは…。コロナ前に「セルフおにぎり」というメニューがあって、大判の海苔と一緒に出たかも…。

 冷蔵庫などに当たり前にある梅干しが脚光を浴び、ありがたみを感じる時が、災害時以外にもやってくる日が訪れるかも…?でも、災害はやってこないで!

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111_競馬が新鮮!(25.10.28)

 たくさんの花を咲かせたキンモクセイが甘い香りを放ち、秋の深まりを感じさせてくれます。また、地面に落ちた花は、その一角を鮮やかなオレンジ色に染めています。1980年代には「クルマに~ポピ~♪」で有名なテレビCMがありましたが、私は緑の容器のキンモクセイを好んで使っていました。このキンモクセイ、昔の家は汲み取り式トイレだったので、便槽の近くに植えることでキツイ臭気を隠したといいます。なるほどと感心しながらも、花の季節が終わるとうっそうとした葉だけが生い茂る様は、決して可愛くなく残念な樹木だと思ってしまうのです。

 さて、少し前に始まった日曜劇場『ロイヤルファミリー』を毎週観ています。競馬の世界を舞台に、夢を追いかけ続ける熱い大人たちの絆が描かれていくようです。最終回の有馬記念優勝に向けて展開していくのだろうと勝手に想像しています。その有馬記念は、中山競馬場で12月下旬に行われる一年を締めくくるレースであるのは言わずもがな。ただ、出走馬の選定は奥が深そうであることがなんとなくわかりました。未知の世界である、競馬に携わる様々な人々の努力や思いが伝わってきて新鮮です。

 以前中山競馬場付近に住んでいたことはありますが、開催日の近隣道路が渋滞して迷惑だくらいの位置づけでした。ですから、競馬場に入ったことはありません。でも、きっかけはドラマではありませんが、12月半ばに友達数人で足を運ぶことになっています。初めての馬券購入も教えてもらいながら、会場全体の雰囲気を楽しめれば、ドラマの見方も違ってくるかもしれません。

 ただ、競馬場も独特のニオイがあるのではないかと予想しているのですが…?!

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110_風呂とコーヒーとタバコと(25.10.27)

 長袖と上着がちょうどよくなって、秋冬の装いです。衣替えも慌てて行いました。こうした季節の変わり目を顕著に感じるのがお風呂とコーヒー。我が家は2階に風呂があり、人が出入りできる大きめの窓があります。夏場は全開にして露天風呂感覚。でも、涼しくなってくると、その窓の隙間が狭くなっていくとともに、窓や鏡、壁面に水滴がいっぱい付くようになります。ここで登場するのが、夏場は鳴りを潜めていた結露取りワイパー。これが活躍し始めると、私の中では秋から冬への突入なのです。

 もう一つのコーヒー。コーヒー豆を挽いて淹れるのが、朝のルーティーン。でも、冬に近づくにつれて静電気がひどくなり、フィルターをセットしたドリッパーに挽いた粉を移すのが大変になるのです。まとわりつく粉が、時間のない朝のストレスにもなるわけです。

 さて、息が白くなってくる頃に決まって思い出すのが、初めてタバコを吸った日のこと。台所の棚に赤いパッケージのタバコを見つけて、興味津々のまま庭に出て軽く浅く、慣れてくると強めていったのが始まりでした。やめて久しいですが、何十年吸い続けたタバコのツケがCOPDとなって肺を壊しているようです。自覚症状はありませんが、元には戻りませんから、医師の注意事項は守らないと。

 このタバコの値段は、1980年頃の180円から、あれよあれよという間に300円(2006年)、440円(2010年)になり、2018年には大台の500円。今や600円といいますから驚きです。今秋の値上げリストには見られませんでしたが、嗜好品のタバコは今後いくらまでいくのでしょう?

 コーヒーとタバコで時間を潰せた時代が懐かしい反面、やり直しがきかない後悔も少なくないのです。

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109_最幸!(25.10.24)

 頭を剃るためのシェービングフォームがなくなりかけているので、向かったドラッグストア。棚には、「お買い得」の2缶セットが1280円。その隣に並ぶ1缶売りは630円です。えっ、変じゃない?黙って見過ごせず、すぐに定員さんに確認しました。しばらくして「すいません、1248円でした」との言葉と一緒にその缶を買い物かごに入れたのでした。「お得」の文字に目を奪われてよく確認しないでいると、損してしまうこともあるという例でしょうか。

 物の価格は天井なしに右肩上がりですが、「高い」という文字のつく言葉を考えると、「高齢」「高温」「高級」「高層」「崇高」「高騰」など数々あることに気づきます。この「こう」という音を、縁起のよい「幸」に換えるだけで印象もガラリと変わって聞こえる言葉があり、ポジティブな当て字として使われる場面は少なくないようです。

 例えば、「最高」を「最幸」と記すと、どんな印象になるでしょうか?「高齢」を「幸齢」とすれば、なんだか明るい気持ちにさせてくれます。「健康」を「健幸」と書いて、「健幸都市」を標榜する地域も見られます。先日見た買取専門店の看板には「幸価」とあったくらいです。高くはなくても、納得・満足のいく良心価格だといいなぁと他人事なのに思ってしまいます。

 今日は陸上大会。練習の成果を発揮して、誰かと競う意識より自己ベスト更新を狙ってほしいのです。その結果、入賞できたら最幸です!

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108_タブレットを使えば…(25.10.23)

 中学校の美術の時間に、校外での写生会がありました。画板に画用紙を挟んで、ミニ椅子をもって出かけた先で風景画に取り組んだのです。先生に見つからないように、ベーゴマ遊びをするための樽とシートも携えて…。

 教員になってからも、校内外を問わず様々なテーマで絵を描きました。2時間連続を数日使って下絵や彩色をします。風が吹けば紙が宙を舞い、雨だと活動ができません。描く対象によっては元の姿を留めないものもあって、完成するまで子供も私もハラハラドキドキでした。室内でも、リコーダーを吹く友達だったり足を組んでポーズをとったりする姿をデッサンする場合もありました。ペアで交代したり私がモデルになったりしましたが、同じ姿勢を保つのは結構疲れますし、ポーズが微妙に違ってきます。

 でも今は、タブレットが大活躍です。自画像だって鏡を脇に置いて、チラチラ見ながら描くことがなくなりました。風景も写真に収めておけば、あとは教室の机の上で活動は進みますから便利この上ない!でも、なんか味気ないと思ってしまうのは、やっぱり昭和人だからなのでしょう。

 先日は4年生が、教室でタブレットに何やらタイピングしています。どうも様々な条件に加えて、オチのある話を作っている模様。下書きをノートや原稿用紙に記して先生にチェックしてもらうより、創作活動も指導もはるかに効率的ですし、何より楽しそう。そろそろ始まるであろう6年生の卒業文集もタブレットに記録して先生に送れば、授業時間中でなくても担任は添削指導ができてしまうわけです。使い方次第で可能性は広がっていきそうです。

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107_健康法(25.10.22)

 図書館で借りた『教場』シリーズ。読みながら、主人公の風間公親と木村拓哉の顔が重なってしまいます。とにかく教官の千里眼ともいえる言動には驚きます。まさに「一を見て百を知る」といった感じです。逆に私はというと、「十を見ても、まだ一すら見えてこないタイプ」かもしれません。

 そんな私にもやってきた食欲の秋。涼しくなってくると、味覚が研ぎ澄まされるのでしょうか。魅力的な食べ物も多いので、つい「もう少しだけ…」なんて気持ちになってしまいます。一般的には、三食規則正しく摂ることが推奨されますが、一日二食あるいは一食を提唱する健康法もあります。

 タレントの片岡鶴太郎さんは、朝5時半から2時間半かけて朝食を食べるといいます。しっかり咀嚼し、野菜などの旨味や豊かさを舌の上で噛みしめるそうですが、そんな仙人のようなマネは私には到底できません。三食の腹八分ですら難しいくらいですから。

 昔から「腹八分の医者いらず」と言われるように、人それぞれの「適量」があるわけです。それこそが健康を保つうえで大事なのでしょう。江戸時代の儒学者・貝原益軒が綴った『養生訓』に書かれた教えの一つらしいのですが、3百年以上前の健康ハウツー教訓が、今に受け継がれているわけです。

 その内容を総括すると、「若い頃は知恵が足りず、社会にも順応できずに、悔いを残すことが多い。けれど長生きすれば、自分に知識が増えて学が付き、楽しみも多くなるなど良いことが増える。だから養生して、長生きして人生を楽しもう」「老後の一日、千金にあたるべし」(朝日新聞be「知っ得なっ得」参考)ということのようです。これを読んで「人生これから」なんて考える単純な私は、やっぱり「一すら見えていない」薄っぺらかも…。

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106_何が楽しみ?(25.10.21)

 遠足のお菓子は、決まった金額内で買い揃える楽しみがありました。行くのは決まって近所の駄菓子屋。ボンタン飴とサンキストレモン(タブレット)、都昆布は私の定番。チョコベビーも好きでした。

 町の駄菓子屋はとんと見かけないし、聞かなくなりました。駄菓子屋は、好きなものを選びながらお金の価値を学ぶ場でもあり、大人子供を問わず人と交流できる社交場だった気がします。しかし、いつの頃からかコンビニに取って代わられて姿を消してしまいました。ただ、ショッピングモール内に昭和の雰囲気漂う駄菓子屋をよく見かけ、人気を博しているようにも見えます。

 今月末に日光方面へ修学旅行に出かける6年生も、バスの中で食べるおやつを買うなど、そろそろ準備に取りかかる頃だと思います。最新のクマ情報では、寒くなったせいか10月に入っての奥日光での目撃が激減しています。そうであっても、決して油断はできません。

 さて、日光修学旅行を実施する小学校で、東照宮が行程に入っていない計画はおそらく皆無と思われます。陽明門の前で必ず集合写真を撮りますし、事前に調べた眠り猫を楽しみにする子もいます。その眠り猫が、想像以上に小さなことに落胆する子や三猿を見つけられない子も目にします。

 あるイラストに、「三猿が表すものを右から順に書きなさい」というコメントがあって、美容に意識の高い男子高校生が「洗顔・化粧水・乳液」と解答する画に笑いましたが、歴史のある重要文化財だってこまめな手入れは欠かせません。もしかすると、三猿のお肌の艶がなくなってはいることに気づくかもしれません。

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105_COSMOS(25.10.20)

 秋は、様々な学校行事も集中する時期。校外学習あり、修学旅行あり、音楽会あり…。高校の文化祭では、学級の結束が強まったりカップル(古い?!)が生まれたりするなど、小中高を通じて非日常をめいっぱい楽しんだ記憶でいっぱいです。

 11月に開催する校内音楽会は、「集団への所属感や連帯感」或いは「自主的・実践的な態度」を培うことも目標にしながら練習に取り組むわけです。これを前に、教室から今月の歌『COSMOS』を歌う声が響いてきます。秋桜ではなく宇宙の方。

 娘が中学校の合唱部で歌っていたのを思い出します。全国大会で歌った曲かどうかは定かではありませんが、数多くの学校が様々なアレンジで挑戦していました。高音の奥に響く男声が印象的で、よく覚えているのかもしれません。ホールで聴く歌声は、言葉のとおり心震え、合唱界における21世紀最初のヒット曲と言われたのも頷けます。一方、私が口ずさむと、どうも心壊れる曲になるそうです。

 作詞・作曲したミマスさんは、“イマジネーションをふくらませて、元気よく、皆さんの歌で「宇宙」を作ってください”と言います。また、ボーカルのSachikoさんは、“心に感じたことを大切にして、気持ちよく歌えば、あなたの心は空まで届くような気がします。同じ歌、同じ歌詞でも、歌う人一人一人、その意味合いやイメージは違ってくると思います。その一人一人の想いの違いが重なって、新しい、たった一つの「COSMOS」が、またそこに生まれると、私は思います”とメッセージをくれます。(ともにHP原文のまま)

 音楽会で全校が心を一つにして歌うので、どんな宇宙が体育館に広がるかが楽しみです。

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104_時代とともに(25.10.17)

 昭和の時代、多くの家庭にあったのが分厚い電話帳。電話台や公衆電話に定位置をもっていたものです。それが「ハローページ」「タウンページ」という愛称で呼ばれるようになったのはいつからでしょう。固定電話が当たり前でしたから、地域別の五十音順に電話番号が調べられたわけです。例えば、水漏れ修理をお願いしたいとなれば、職業別電話帳の「タウンページ」を開いて、該当する職業・店舗を見つけ出して「ダイヤルを回す」わけです。特殊詐欺など聞かない時代でしたから、ある意味情報の垂れ流しとも言える冊子だったわけです。

 卒業アルバムだって、ページの最後に個々の氏名・住所・電話番号がしっかり印刷されていましたから、これを買い取る業者もいたらしいです。そう考えると、ネットの普及につれて情報検索はPCやスマホにとってかわられたのは必然なのかもしれません。

 時代とともになくなっていくものに、和室を加えられるかもしれません。昔は和室が居室であり、応接間でもありました。でも、若年層を中心とした和室離れが目立つ中、ほぼフローリング中心で、リビングの一角に畳コーナーという形で残るだけということもあります。ただ、あの新しいイグサの匂いが好きな私には、ちょっと残念な気がします。とは言いながら、15年も経つのに一度も畳表を替えていませんから何かを言えた義理ではありません。

 畳の需要を心配する傍ら、子供たちが成人する頃の職業の趨勢も気になります。

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103_ピンセル、シッテル?(25.10.16)

 14日夜は、サッカー日本代表がブラジルから勝利を奪う歴史的な日になりました。興奮冷めやらないまま床に就いて浅い眠りの連続もまたうれし!

 一方、日本のプロ野球もメジャーリーグもプレーオフを経て、シリーズチャンピオンをねらう真っ只中。野球ファンなら見逃せない試合ばかりでしょう。定年退職をした後、再任用で務める現在の私は、プレーオフに進出したようなものかもしれません。「1試合1試合を大切に」とか「ファイナルまで頑張る」といった言葉が似合いそうです。ただし、チャンピオンを目指すわけではありませんから、「教員人生の後半こそ楽しい」と思えるような活動を、児童を含めたたくさんの人と創り上げていきたいと思うのです。

 さて、もう40年も前のことです。放課後、当時の校長先生と校内を回りながら画鋲の刺し方を教えてもらったことを思い出します。「画鋲はね、こうやって斜めに刺して、針と縁(へり)の2点で止めるんだよ」と。こうすることで、画鋲を抜く際も楽なのです。以来、ずっと実践してきた健気な私。まっすぐ押し当てられた画鋲を抜く作業ほど大変なものはありません。ましてや時間が経過しすぎて、錆びていようものならかたくて指先崩壊です。付属の画鋲抜きがあればよいのですが、そういう時に限って見つからないのは世の常。「かたい」といえば、慌ててトイレに駆け込んだ時のズボンの紐は、固結び状態になってしまうと世界一かたい!

 話を戻しますが、『ピンセル』という言葉を聞いてピンとくる人はどれくらいいるのでしょう。「どんなに深く刺さった画鋲でも、面白いように抜ける」という謳い文句の安全画鋲抜取器。自分で買ったことはありませんが、使っていた先生は結構いたような気がします。さすがに最近は目にすることもないと思いながら、普段めったに開けないレターケースを開けてびっくり!古びてはいますが、緑色の背中に「Pincel」の文字があります。昭和のレトロ文具といったところでしょうか。何だか嬉しくなってしまいました。

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102_光(25.10.15)

 戦闘開始から2年となるパレスチナ自治区のガザ。66万人が学校に通えず、死者6.8万人のうち子供だけで2万人を超す状況といいます。天井のない監獄と呼ばれ、衣食住にわたりまともな生活ができていないことが映像などから伝わってきます。先週、日本人2人のノーベル賞発表のニュースは、各方面に光をもたらしたと思います。同じように「ガザ停戦合意」「人質解放」の文字は予断は許さないまでも、多くの人々に小さいながらも確実な希望の光になっている気がします。

 話は変わりますが、「トッキュー」という音だけを聞くと、「特急」しか思い浮かびませんが、海上保安庁が誇る海難救助のスペシャリスト「特殊救難隊」のこととわかると、「あぁ、海猿かぁ」と納得です。そう呼ばれるのは、選び抜かれた36人の精鋭だけだといいます。ただ、人命救助に全力を尽くす隊員、あるいは隊員になるための厳しい訓練は、ドラマの中でしか知らないというのが現実。春のドラマ『PJ~航空救難団~』も、航空自衛隊の「人命救助の最後の砦」とされる救難団を目指す学生と教官の話で、とてつもない厳しい訓練が展開されていました。

 産経新聞の記者が、この海猿とともに過酷な訓練に挑戦したという記事を目にしました。自分の限界に挑み続けることに身をもって体験しながらも、「救助しているのか、されているのかわかりませんでした」と嘆き、「過酷すぎた」と感想を漏らしています。必ずしも肉体的な限界を求められる職業でなくても、大変さはついて回ります。要は、働くことの奥に何を見出すか、自分が求めるのはどんな光なのかが問われるのだと思います。

 先日、諸外国と比較した日本の教員の多忙さをOECDが公表しましたが…。

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