校長の部屋

校長の部屋

179 チンドン屋(2/24)

 ♪バ~カ~ カ~バ~ チンドン屋~ お前の母さん 出ベソ~♪

 友達と喧嘩した時、昭和の子供の常套句!この後、「ついでにお前も出ベソ」と続きます。言われた相手は「そういうお前も出ベソ」と言い返すパターンでした。でも、兄弟げんかでは使っちゃいけません。ただ、ここ何十年も聞いたことがありません。保護者の中にも「言ったことない」「知らない」という人がいるでしょう。今考えると、バカとかば、チンドン屋、出ベソが同じ並びで語られるということがピンときません。その前に、「チンドン屋」自体、見たことのなくて「?」という世代の方が圧倒的に多いと思われます。

 

 チンドン屋は、戦後~昭和30年代にかけての広告業界の花形でした。全国各地で見られた人気のパフォーマーといえます。白塗りの化粧をして、ちょんまげや日本髪。派手な着物の前に括り付けた太鼓や鉦(しょう・かね)をチンチン・どんどんと鳴らしながら街中を練り歩いていたのです。どこかで新装開店があることなど、これを見て子供ながらに知ったのです。当時全国に三千人位いたといわれますが、20年ほど前には二十分の一に減ったそうです。そして今、楽器も多彩になって復権の兆しがみられるとか…。

 コロナが収束して、晴れ晴れとした気持ちでチンドン屋さんが街中を練り歩く姿を眺めたいものです。ちなみに、私はずっと「ばかばか チンドン屋」とばかり思いこんでいました。

178 験を担ぐ(2/22)

 昨日の昼休みにミニバスケットボールクラブの6年生が校長室にやってきました。「県大会でベスト8に入りました」とみんなで報告に来てくれたのです。うれしいですね。中学生になっても全力を傾けて何かに取り組み、きっと活躍してくれるだろうとわくわくさせてくれる6年生です。

 「どういう振りだったの」と自分でも理解しがたい話に展開します。仏壇へのお供え物の基本は、香・花・灯明・水・飲食の5つ。その中の「香」は、一般的な仏事のときに使われる粉状のお香や線香のことを指し、お参りする本人や周囲の人々の心と体が清め邪気を払うとされます。また、良い香りを通して仏様と話ができたり、故人とつながることができたりするともいわれます。(長継山 妙遠寺コラムから一部引用)

 さて、仏壇に線香をたむける際は、火をつけて立てる方もいるでしょうが、我が家は「半分に折る→火をつける→横に寝かせて置く」という流れ。この線香を半分の折ったとき、ピッタリ等分されると何かよいことがありそうな気分になる単細胞の私。ただ、そんなことすらすぐに忘れてしまうため、線香の等分折りとよいことの関係は未だわかっていません。同じように、雑誌などに星座占いを見つけると仕事運・金運などが気になったり、どうでもよいことに験を担いだりすることってないでしょうか?

 そういう今日は「2」のゾロ目。「2」が6つ連なるのは鎌倉時代(1222年2月22日)以来800年ぶり。きっとよいことがあると信じて疑わないピュアな心。あらら?「ピュア」と入力したつもりが「プア」になっていて、「貧しい心かよ」とつぶやきながらバックスペースキーを叩きます。でも、この歴史的ゾロ目だってすぐに忘れてしまうはず。多分!

177 努力とは(2/21)

 3回目の接種券が、私にもそろそろ届くかと思われますが、学校でも感染報告等が途切れることがありません。また、家族の感染に伴い濃厚接触者となって勤務できない教職員もちらほら。この対応にも追われる毎日ですが、笑顔と安心のために学校が一体となって、できることを精一杯取り組んでいます。

 さて、昨日20日で北京冬季五輪が幕を閉じました。この間、2月上旬にスノーボード(女子パラレル大回転)に出場した高校3年生の三木つばき選手の記事がありました。見出しには“「運動音痴」努力でカバー”とあります。この運動音痴は自他ともに認めることらしく、子供の頃の柔道大会では開始3秒で背負い投げを食らい、陸上では周回遅れの最下位。縄跳びの二重跳びもキャッチボールもまともにできなかったといいます。4歳でゲレンデに立って徐々にスノボにはまっていきます。小学校入学前に静岡に引っ越しましたが、その後も長野に通い、しばらくすると長野の民宿に住み込んだほど。「自信があるのは幼いころからの練習量」と言い、「次の五輪で金メダルを目指します」と語っていました。一方、スノーボード(ハーフパイプ男子)で金メダルを取った平野歩夢選手は3度目の正直。超人的な技はチャレンジと努力の賜物以外の何物でもありません。

 逆にフィギュアスケートの羽生結弦選手は「努力しても報われないことがある」と大会後に語っています。イチロー選手も似たようなことを言っていたように思います。これは、最大限の努力を続けてきたからこそ言える、深い言葉です。この歳になっても、私にはまだまだ言えそうもありません!

176 兄弟姉妹(2/18)

 先日14日に日記を書いていると、欄外に「将棋の羽生善治、史上初の七タイトル全制覇(1996)」とあります。藤井聡太竜王の史上最年少での五冠もすごいですが、棋士の脳ってどんな構造なのでしょう。

 一方、スポーツ界の活躍に目を移すと、兄姉よりも弟妹が活躍する例が目立つような気がします。古くはサッカーのキングカズこと三浦知良、フィギュアスケートの浅田真央、柔道の阿部兄妹(一二三選手は第1子ではありません)。なぜでしょう?

 生まれてから常に目の前にいるライバル的存在で、自然と負けん気が強くなり向上心が育まれていくのかもしれません。また、憧れの存在として自然と観察したり真似したりする中で、良いことも避けるべきことも学習しているとも思えます。親も第2子以降は過去の反省点を改善して子育てしていくことになりますし…。

 こう考えると、兄姉(第1子)は損な役回りなのでしょうか。兄や姉だからと言って怒られたり我慢を強いられたりすることもよく言われます。でも、責任感が強かったり、面倒見がよかったり、弱音を吐かずに頑張ったり、まじめで正義感が強かったりするのも兄姉の特徴ではないでしょうか。個々が生まれ持った素質を生かしたり、兄弟構成の特性を生かしたりして、適材適所での活躍ができることが一番です。

 兄弟姉妹がいることのよさ、一人っ子のよさ、それぞれあると思いますが、歳を重ねても仲良く交流できる関係でいたいと思います。また、自分の子供たちにもそうあってほしいと願います。週末ですし、久しぶりに栃木に住む弟にメールしてみることにしましょうか。

 さぁ、今日30年目を迎えるJリーグが開幕します。楽しみが一つ増えます。

175 役割で育つ(2/17)

 今週一週間、教頭不在です。月曜日はは火災報知機の発報からスタートして、戸締り、見回り、業者及び外部対応ほか、担ってきたこと、求められていた役割を思い出させてくれました。校門に立っての挨拶運動も今週は休止。

 さて先日、何年かぶりで鰹節を買いました。既に削ってあるパックものではなく、削り器でその都度カリカリするものです。この鰹節には雄節と雌節があり、雄節は背部、雌節は腹部のこと。さらに、裸節と枯節、産地も枕崎産と指宿産の2種類。そして、選んだのは、枕崎産の雄節(枯節)です。6年生の算数「場合の数」で、“鰹節の選び方には何通りあるでしょうか?”なんて問題を作って樹形図で求める姿が思い描けそうです。ちなみに、削り器は10年以上前に買ったものがありますので大丈夫。削り節パックと違ってその都度削るので風味は抜群ですが、面倒くさいと思うことも…。また、熱々のお好み焼きを舞台にダンスを披露することはありません。そうそう、鰹節削りは子供のころの私の仕事でした。

 もう一つ、子供のころの担当だったのが「お磨き」。以前書いたかもしれませんが、仏壇や神棚の金属製の仏具を金属磨き液できれいにするのです。複雑な形だったり水シミがしつこかったりして大変でした。人差し指が痛くなるくらい頑張っていたような?それでも、「きれいになったね」「さすが」と褒められて、自分が役に立っていることが誇らしかった記憶があります。

 子供たちが家庭において、自分の役割として、あるいは役に立っていることを自認するものは何でしょう。学校でも家庭でも社会でも、自分の存在・有用感を感じられることが、人を伸ばす推進力になるのではないかと思うのです。

174 野暮(2/16)

 月曜日にビジネスリュック・デビュー!「通勤用バッグは手に持つもの」と豪語しましたが、雪道などでの転倒のリスク回避のために、両手の空くリュックを併用することにしました。なかなか快適ではありませんか。

 鞄もそうですが、出勤して帰るまでネクタイを外すことがほとんどなくなってしまいました。単に着替えるのが面倒というのも一つの理由。ネクタイを外すのは、年間で運動会や雪かきなどわずか数えるばかり。スーツより高いジャージを身に着けていた頃が嘘みたいです。ただ、ネクタイは結構子供たちの目に留まるようです。「今日は何の柄?」と言いながら胸元を見つめる熱い視線を感じます。一昨日は、バレンタインデーにあやかって、「ネクタイの日」(10/1も該当)でもあったようです。

 さて、テレビを観ていると、「特別に許可を得て撮影をしています」「この後スタッフがおいしくいただきました」と注意書き説明が画面下方に映ることの多いバラエティ番組。温泉にタオルを巻いて入浴するシーンやグルメ食べ歩きシーンではお馴染み。何にでもクレームがつくご時世ですから、注釈は送り手側の先回り、自己防衛なのでしょう。

 商品カタログにも似たような表記が見られます。「写真はイメージです」とか「撮影小物は商品に含まれません」とか。仮にクルマの助手席にカメラが置かれていたとして、購入した車にそのカメラが附属していないことに文句言う人っているのでしょうか?こういう表記自体が野暮、不粋な気がしますが、人を攻撃して自分の心の安定を図る人がいる時代ですから仕方ないと思う反面、嘆かわしい気がします。

 この「野暮」を辞書で引くと、「世情に疎く融通が利かないこと、人情の機微をわきまえないこと」「洗練されていないこと、風雅な心のないこと」とあり、その反対語が「粋」。よし!スーツにお洒落なネクタイをつけ、格好いい鞄やリュックを持って颯爽と出勤。粋に見えるかなぁ。

173 Japan!(2/15)

 日本代表チームが、「○○ジャパン」と呼ばれることが多いことを感じます。いつからでしょうか?集団を一つの枠で括ることを好む日本人の特性なのかもしれません。「なでしこジャパン」は有名で、女子サッカーです。W杯優勝で2011年の流行語大賞にもなりました。同じサッカー男子では、「ジーコジャパン」「森保ジャパン」、野球の「侍ジャパン」もよく耳にします。

 それでは、次の愛称はどんなスポーツかわかるでしょうか。「①フェアリージャパン」「②彗星ジャパン」「③おりひめジャパン」「④雷神ジャパン」「⑤火の鳥ジャパン」「⑥火の玉ジャパン」「⑦スマイルジャパン」など色々あります。

 順番に①新体操、②ハンドボール男子、③女子ハンドボール、④空手、⑤女子バレーボール、⑥ボッチャ、⑦アイスホッケー女子となります。愛称が定着するかしないかは活躍次第?それでは選手が酷です。

 こんなことを考えていると、またもや頭の中で「♪見つめ合う視線のレイザー・ビームで~♪」と音楽が流れだします。『2億4千万の瞳』(郷ひろみ)です。「♪エキゾチッ~ク~ ジャパ~ン!」

 ニッポン、チャチャチャ!あれっ?「にほん」と「ニッポン」、使い方に何らかの法則があるのでしょうか。

172 バレンタインチョコ(2/14)

 今日はバレンタインデー。2月になってすぐ、低学年の女の子に尋ねられました。「校長先生は、本命チョコってもらったことがありますか?」と。何て返そうか悩み、「・・・」の時間がどれだけあったのでしょう。

 本命チョコのほかに、「義理チョコ」「逆チョコ」「友チョコ」「マイチョコ」「ファミチョコ」など、様々な様相を呈してきたことは昨年の今頃に書いた気がします。2年前の調査では、女性の7割が個人的にチョコを用意するそうで、家族へのチョコレートは5割、自分やお世話になった人へのものはそれぞれ2割だったとあります。市販のチョコレートを砕いて湯煎して、思い思いの形やモノに仕上げる手作りチョコも流行りましたが、このご時世ではさすがに渡しにくいし、食べることも逡巡します。

 先日娘から、「少し早いけど」とLINEが届きました。開くと写真付きのメッセージカードです。「ありがとう」と返すと、しばらくして「冷たいままでもおいしいし、あっためると…」とあります。改めて見ると、「LINEギフトを受け取る」という表示があることに気づきます。タップして、木曜日には無事生ガトーショコラが配達されました。でも、もしタップしなかったらチョコはどうなっちゃうのだろうと変な心配がムクムクと…。

 さて、バレンタインデーが近づくと芸能人が思い出を語る姿があります。私にもあった、「もしかすると」なんていう淡い期待で靴箱や机、ロッカーを探った少年時代!ドキドキするこんな思いは、現代の子供にはないのかもしれないと思うと可哀そうな気がしないでもありません。

171 夢・睡眠(2/10)

 似たような夢を繰り返しみることはありませんか?私の場合、小学生の頃に通い慣れた風景の中を歩いていたり、人前に出るのに衣服がなくて恥ずかしい思いをしていたりする夢をしばしば見ます。また、自分は小中学生くらいなのに、子供や孫がいるという設定など矛盾する夢もよくあります。

 一方で、夢も進化(?)するようです。例えば、電話機はダイヤル式の黒電話からスマホにちゃんと切り替わっています。ほかにはどんなものが…。そんな夢分析なら面白いかもしれません。

 夏目漱石の『夢十夜』がふと頭に浮かびました。全話ではないけれど、「こんな夢を見た」で始まる不思議な話。死ぬ間際の女性に「100年待っていてください」と頼まれる第一夜。侍が無を悟れていないと和尚に馬鹿にされ苦悩する第二夜。6歳になる盲目の子を背負って歩くうちに恐怖が押し寄せる第三夜。もう一度読んでみたくなりました。

 さて、夢の多くは覚えていることの方が少ないと思います。寝ながら笑った瞬間に目が覚めて、面白いので人に話して聞かせたいと思っていたのに、また眠ってしまうと鮮明さを失ってしまいます。起床後わずか5分で夢の記憶は50%失われ、10分経てば90%消えてしまうとか。枕元にメモを用意して書き残すという手もありますが、そこまでする必要性を感じないのも確か。ちなみに夢って色がついているかどうかもよくわかりません。

 何も食べずに生き延びられるのは2週間が限界らしいのですが、睡眠をとらない場合は10日。食べないこと以上に寝ないことは、命を危険に晒すことになるわけです。「寝る子は育つ」とよく言われますが、子供の成長に必要な成長ホルモンは、深い眠りの時に脳下垂体から大量に分泌されます。今晩もぐっすり眠れるといいなぁ。私ではなく、子供たちです!

 明朝は雪景色でしょうか?

170 冬季五輪(2/9)

 4日に開幕した北京冬季オリンピック。2008年の夏季に続く史上初の夏冬五輪開催都市になります。15の種目がありますが、全部は言えそうもありません。ボブスレーとリュージュ、スケルトンって何が違うのでしょう?「日本ボブスレー・リュージュ・スケルトン連盟」のガイドを見て勝手に解釈。簡単に言うとどうやって乗るか、つまり座る・仰向け・うつ伏せの違いかな?フィギュアスケートジャンプだって、ルッツ、フリップ、ループ、サルコウ、トゥループとありますが、解説されてもみ~んな同じにしか見えません。ちなみに、2月12日はボブスレーの日だそうな。

 

 1972年札幌五輪は10歳。ジャンプ70m級金メダル笠谷幸生選手他で表彰台を日本人が独占した日の丸飛行隊!先輩の先生から「札幌オリンピック~オールカラー写真集~」をお借りしました。表紙はなんと、ジャネット・リン!美しい!

  1998年長野五輪は36歳。ジャンプ団体ラージヒル金メダルの原田雅彦選手他!

 2006年トリノ五輪は44歳。フィギュアスケート女子優勝の荒川静香選手のイナバウアー!

 振り返ると懐かしいです。TV中継ではフィギュアスケートが注目されますが、子供たちはどんな種目に興味があるのでしょうか。ホワイトスクールが実施できれば、ウィンタースポーツにもっと関心が向くのかもしれません。

169 厳しさを乗り越えた先に(2/8)

 1年生が国語で「インタビュー」について学んでいます。そして、休み時間に校長室にやってくるかわいい子供たち。「好きな給食は?」「学校で好きな場所は?」「好きな歌は?」と色々。メモをとらずに聞き取って、教室に戻ってから文章にするらしいので、平易な言葉で簡潔に答えるようにしています。「失礼します。今、お時間よろしいですか?」と、たどたどしいながらも堂々としていて頼もしい!

 さて、休日も小久保教頭先生とメールでやりとりすること度々。コロナ感染が確認されると、出かけてても足を止めて返信。それがスキットメールに何分後かに反映されます。その姿が怪しく映ったのか、スマホ画面を覗く視線があります。しばらくすると、「♪ルールルルルー」と口ずさむ声に…?それって、由紀さおりさんの『夜明けのスキャット』ではありませんか。どうもスキットメールの「スキット」という文字に反応したようですが、恥ずかしいなぁ。

 話は変わりますが、トイレの窓辺に置いたシクラメンが花茎を高く持ち上げて次々と花を咲かせています。場所を変えず3年目か4年目。決してよい環境ではないので健気です。ただ、花はなかなか中央に集まりません。数々の葉っぱを掻き分けて真ん中に寄せ集める作業が結構大変。店先に並んでいるシクラメンの鉢植えは、栽培業者がどんな工夫をしているのか知りたくなります。

 一方ビオラは、寒い朝には土と一緒に凍っています。厳しい環境にありながら、少しずつ暖かさが感じられるようになると、株を大きくして5月が終わる頃まで元気に花を咲かせてくれます。2年以上にわたるコロナ社会ですが、これを乗り越えたときにどんな世界が開けるのか楽しみでもあります。だからこそ今を、この一歩を、そのチャレンジを大事にしたいと思うのです。

 インタビューで、「コロナが終息したら、一番やりたいことは何ですか?」と尋ねられたら…う~ん?

168 されどわれらが日々(2/7)

 朝、忙しく支度をしていると、「面白いことを教えてあげようかぁ?」と言います。「スマホの顔認証って、歯ブラシを咥えているとしてくれないんだよ」「メガネの有無は判別してくれるのに…」と。家以外にいるときはマスクをしているため、私の場合、常にパスコード入力です。この時だけは指紋認証の便利さを感じます。

 さて、自宅の本棚にひっそりと置かれている文庫本が一冊。『されどわれらが日々』(柴田翔)という作品。学生運動を題材にした小説ですが、高校生か大学生の頃に読んで何故かしら感銘を受けた記憶があります。同著者の『贈る言葉』もすぐに読んだほどでしたが、夢中になった理由が、今読み返してもわからず不思議です。でも、なぜか捨てずにとってあるのです。

 読書しても、私はしばらく経つと内容をすっかり忘れています。ということは、同じ本を何度でも楽しめると言い換えることもできます。経済的?いや、どこか欠落していると考えたほうが…。登場人物が多いとわからなくなって、何ページも前から復習することもしばしば。

 AIが予想した新型コロナ第6波のピークが2月上旬ですが、もう少し時間がかかりそうです。土曜日の新規感染者は、全国10万人、東京都2万人…。スーパーコンピュータがはじき出したオミクロン株の感染確率は、マスク着用で15分会話した場面において、50㎝以内の間隔だと約10%で1m離れればほぼ0%だとか。人との距離をできるだけ確保しながら、2月後半そして3月卒業式に向けて、昨年秋のような激減も期待してやみませんが…。

167 ランドセル(2/4)

 先週、1年生が「反対の言葉」を学習していました。

 先生「大きいの反対は?」

 児童A「小さい!」

 大勢「いいで~す」

 児童B「はいはい!」と挙手して、「中くらい!」

 児童C「中くらいの反対って何だぁ?」(笑)

 子供の発言は面白いですし、意外性があったり心がほっこりしたりします。

 

 さて、前任校の信篤小には、二宮尊徳(金次郎)が薪を背負って本を読んでいる石像がありました。建て替え前の国分小玄関前にも立っていましたが、現在この像を見かける場所は限られます。

 この像からイメージするのが、ランドセルを背負った小学生。このランドセル文化は日本固有のもので、明治時代に遡ります。ランドセルは、鎖国中でも交流のあったオランダから江戸時代にやってきたランセル(背負いカバンの意味)が元になっているといわれます。軍隊で使われていたカバンでしたが、これが通学用に使用されたのは、学習院初等科が起源。背嚢(はいのう)と呼ばれるリュックサック型らしいのです。

 学習院といったら貴人の子息が通う学校でしたから、お付きの者に荷物を持たせたり馬車で登校したりして、自分で荷物を持つ習慣はありません。これではひ弱になってしまうという意見で使われだしたのがランドセルだったといいます。本革に始まり、人工皮革の「クラリーノ」が出たのは私の小学校卒業が近かったように思います。「天使のはね」と呼んで、さらに軽さを売りにしている商品もありますし、色も多彩。男は黒で、女は赤といった2色時代ではありません。

 新入生が真新しいランドルに背負われて登校するまで2か月!今日は、保護者説明会です。昨年同様、感染防止対策で、一堂に会して話を聞く場は設けません。笑顔満開の春に期待します!

166 節分と鬼(2/3)

 節分です。担任のころ、教室で豆まきしたことを思い出します。現在の教室は、掃除用ロッカーや背面ロッカーなどが耐震対策で固定されていますが、昔はロッカーに関しては動かせました。年度末の大掃除でロッカーを動かして後ろ側を見ると、綿埃のほかに鉛筆やキャップ、定規などに紛れて、節分豆がたくさんあったものです。給食もコロナで手づかみを極力なくしていますから、豆を一粒ずつ手に取って…なんてことができそうもありません。

 鬼が登場する話といえば、『泣いた赤鬼』が大好きです。『桃太郎』や『鬼滅の刃』は鬼退治です。そういえば、鬼の絵を描くとだいたい角を生やして虎のパンツを穿かせますがなぜ?調べるとちゃんと理由があったのです。鬼が出入りするとされる不吉な方角を「鬼門」と言いますが、これは陰陽道で北東の方角に当たるそうです。さらにこの「北東」を十二支に当てはめると「丑寅」になるのです。つまり、鬼の頭に「牛」の角を、下半身に「虎」柄のパンツとなったようです。

 さて、夜布団に入るとすぐに寝ついてしまうよい子の私。しかしながら、鼾(いびき)がすごいらしく、夜中に「あっち向いて!」「うるさい!」と言われている声が聞こえたような気がしたり、小突かれたりして目が覚めます。また、足が冷たいときに布団の中で温まりそうな場所を探して足を動かしているうちに領域侵犯をしたようで、「キンチョールかけるよ!」と怒られました。こんな風に書くと「鬼嫁」みたいに思えてしまいますが、決してそんなことはありません。むしろ、安眠を妨害する私のほうが「鬼」なのかも…。明朝、目を覚ましたら布団の中に節分豆が散らばっていないことを祈ります。

165 ボリボリ!(2/2)

 昨日の放送朝会で児童に伝えたお願いは、次の3つ!

(1)立春は新しい1年の始まりと同じなので、少しだけ高い目標を定めてあと2か月取り組もう。

(2)寒い中、少しずつ動いている小さな命や季節の変化に目を向けよう。

(3)自分の行動を見直して、「感染しない・感染させない」を徹底しよう。

 さて、以前学校だよりで取り上げた「うまい棒」が、4月から値上げされるそうです。10円から2円アップするらしいのですが、1979年の発売開始からの価格維持が43年目にして…。これまでは、内容量を変えながらも価格据え置きでしたが、原材料の高騰には勝てなかったようです。

 「ソース」「サラミ」「カレー」の3種類の味からスタートして、翌年には「チーズ」ほか2種が加わりました。その後、「ロブスター」「カニチャンコ」「オムライス」なんてものもあったそうです。ポピュラーな「コーンポタージュ」は1992年の登場ですから30歳かぁ。プレミアムも出されていますが、どれも大人にも人気!ただ、ボリボリかじる姿を人に見られたくはありません。小腹が空いたとき、隠れてこっそり堪能です。

 

 先週は学校給食週間で、千葉県の郷土料理がいくつか提供されましたが、「ボリボリ(Boli boli)」という名のパラグアイ料理があることを発見。トウモロコシとチーズの団子が入ったスープ(写真)です。肉料理が中心のお国柄で、伝統的なパラグアイ料理では少量の野菜しか使わないそうです。マテ茶をよく飲むのは、血圧降下や脂肪吸収抑制、野菜不足を補うためなどの効果があるからとか。  (参考・写真引用:いちまる厨房「世界の地方料理」)

164 一番の学校に(2/1)

 電車の車窓から見えた遠くに広がる雲が、まるで山並みのように見えて少しだけ気分がよい朝です。

 2週間ほど前に5,6年の男児4人が先生と一緒に校長室を訪れました。許可をもらいに来たのですが、ドキドキの緊張MAXだったようです。ベルマーク委員会の児童でしたが、用件は「ベルマークのことをもっと知ってもらって、たくさん集めたい」「みんなに役立つものを買うために協力してほしいことを、放送朝会でパワーポイントを使ってアピールしたい」という内容。少し突っ込んだ質問をさせてもらったのはダミーで、心の中では「即承認」。だってうれしいではありませんか。先生に言われたわけでなく、自分たちでやりたいことを考えてそれを全校に訴えさせてほしいと頼みに来るという行動を起こしたことが…。というわけで、今日実施します。

 計画委員会の朝の挨拶運動も、自分たちが効果を感じて、「続けたい」と子供が言い出したそうです。毎週水曜日には、密になることを避けて、分担しながら活動をしています。こうしたやる気が醸成されたら、(学校番号だけでなく)「真の一番」の学校になると思います。

 さて、中古車バブルの時代だそうです。「なに、それ?」と思われるかもしれませんが、どこの自動車メーカーも半導体不足から新車契約をしてから納車まで3か月~半年待ち、あるいはそれ以上のようです。現在乗っている自車が問題なければ楽しみに待てますが、故障や事故等で急に買い替えが必要となった人には時間的余裕がありません。すぐにでも必要な場合もあります。ですから納車期間の短い中古車市場が活性化しているというのです。当然、中古車の需要が多いため、買い取り額はこれまでよりよい条件が提示されます。ディーラーに下取りしてもらって新車契約となれば、ディーラーと客はウィンウィンです。ですから、買い替えユーザーは比較的多いような気がします。ただこれは、私の勝手な思い込みかもしれませんので、間違っていたらごめんなさい。

163 なにをしちゃおう(1/31)

 1月が終わります。今年度も残り2か月。登校するのは36日(6年生は32日)を残すばかり。この間に、ヨシタケシンスケさんの絵本題名のように「なにをしちゃおう」とワクワク感をもって取り組んでいきたいと思います。

 さて、マイボトル持参が定着しても、ペットボトル飲料は生活に欠かせないものになっています。私も水筒持参で出勤しますのでお茶などを買いはしませんが、会議等の場に出されたペットボトルはお持ち帰り対象です。校長室の冷蔵庫にもいただきものが3~4本。夏場は、2ℓ入りのスポーツドリンク。スーパーでも500㎖を超える量の、お得感のあるものが増えています。

 逆に、195㎖というコンパクトな企業向けのお茶もあるようです。コロナ禍で売り上げを伸ばしているとか。来客にお茶を出す労力軽減、働き方改革、感染予防が主な理由でしょうか。その場で飲み切れる量ですし、仮に持ち帰る場合でもカバンに収まりやすいというわけです。さらに、他の既存商品より味を濃いめにして、飲み切り後の満足感を高めているようです。店舗では見かけない商品なので、これをきっかけとしたコミュニケーションにもなることまで見越しているといいます。

 このペットボトルの形状も様々です。水やお茶に始まり、ジュースや炭酸飲料など中身も様々。そこで、耐圧用あるいは耐熱用、無菌充填用のペットボトルなど工夫されているのです。また、蓋を閉めるための螺旋が入ったペットボトルの飲み口をよく見てみると、螺旋に対して縦に溝が数本入っていることに気づきます。これは、炭酸飲料の圧力でペットボトルが爆発したり蓋が飛んだりしないようにするためにあるのです。蓋を開けると、「プシュー」という音がしますが、この溝からが炭酸ガスが抜けている音だといいます。つまり、圧の抜け道だったのです。

 身の回りには、よく見ないと気づかないことや知らなかったことがいっぱいあります。何にも考えずにのほほんと暮らしていては、「知る楽しみ」が逃げてしまうかも?「やりたいことがいっぱいあってどうしよう」と思える2か月にしたいなぁ。

162 むか~し昔…(1/28)

 今年も左耳にしもやけができました。耳まで隠れる帽子はやはり必要です。

 さて、孫が遊びに来ると、真っ先にミニカーが置いてある場所に行きます。そして、車をつかんで「ブ~ゥ、ブンブ~ン」と声を出して動かします。壁に貼られた自動車の写真や絵にも「ブゥ~ン」と声にして反応します。これを見ていてふと思ったのが、十数年後に同じようにミニカーで遊ぶ子は「ブ~ン」なんて言わないんだろうなぁということです。だって、EVが普及して「ヒュー」「ス~」など、音とも言えないような奇妙な音を発する車ばかりになっているでしょうから。

 教員になったころに比べると社会は大きく変化しました。デートの待ち合わせに遅れても、携帯電話などありませんから電車の遅れや道に迷ったことを言い訳にできました。ノートパソコンやタブレットは影も形もない時代から、しばらくしてからワープロが登場。その後、厳ついデスクトップ型PCへと変遷していきます。ゲーム機の進化もすごいのではありませんか?少し遡った頃に流行ったのが、喫茶店のインベーダーゲーム。なぜかこの類は苦手なので、どんなにゲームや映像が進化しても興味がありません。だから電車に乗って、スマホゲームに夢中になっているそこそこの年齢の人を見ると不思議な気持ちです。階段を下りながらも熱中しているのですから…。

 

 インベーダーゲームと同じ頃だったか、出かける際の紙袋(写真)がおしゃれだった時があります。トロイのカーディガンも流行ったような…。わかる世代にはわかる!懐かしい!こうしたことを思い出して口に出したときに、「そうそう!」相槌を打ちながら相手が聞いてくれると話が弾みます、こんなことにすら幸せを感じる年齢になったとしみじみ…。

161 いつから?(1/27)

 一昨日25日は「中華まんの日」でした。1902年の同日に旭川でマイナス41℃という観測史上最低気温が記録されたことにちなみ、寒い日にホカホカの中華まんで温まってほしいという願いから制定さてたとか。肉まんやあんまん、カレーまん、ピザまんなど、高校の部活帰りに日替わりでいろいろ食べていた冬の夕方を思い出します。一般的には「肉まん」のようですが、近畿圏では「豚まん」と呼ぶことが多いようです。肉と言ったら「牛肉」という文化の地である関西だからこそ、敢えて「豚まん」とするようです。

 さて、普段から通る道なのに、建造物が取り壊されて更地になった後、「はて、ここには何があったっけ?」と思い出せないことはないでしょうか?同じように、「いつからこんな風に?」と、物の現状が当たり前になりすぎて忘れてしまったことも多くあります。

 例えば、今でこそ新聞のカラー広告や写真は見慣れていますが、モノクロからカラーへの転身はいつごろからなのでしょう?文字も大きくなって読みやすくなっています。印刷技術の進歩は目覚ましいものがあります。でも未だに原理がよく理解できない技術が3Dプリント。

 歯磨き粉の容器も随分変わりました。まぁ、「歯磨き粉」という言葉自体、「粉」だった時代を知らない人には?なのでしょうが、話はチューブの材質について。昔は金属製。絞り出すために、底のほうから丁寧に丸めて小さくして最後まで使い切る几帳面(=鬱陶しい)な性格の私。今のPE(ポリエチレン)は簡単・きれいに使えて便利ですが、いつから変わった?

 そういえば先日、この歯磨きチューブが終わりに近づいて、出が悪くなったので、2~3回ブルンブルンと振って遠心力を利用。でもキャップが半開きだったらしく、中身が洗面所の壁にベチョ!

160 潰れそうで潰れない店(1/26)

 昨日の朝日新聞の投書欄に、本校6年生の声が掲載されました。いくつかの新聞社に分けて全員の作品を応募していますが、頑張った形だと思うとうれしくなります。

 さて、コロナによって老舗や人気店までが閉店に追い込まれていく一方で、一見閑古鳥が鳴いていそうな昔ながらの店構えの店舗を見かけることがあります。例えば、時計屋、靴(草履)屋、金物屋、ふとん屋、ボタン屋…。失礼ながら、潰れそうで潰れない店ってあるのだと不思議に思うのです。

 その秘密の一つに、不動産収入などが別にある場合が考えられます。これは正しいかも。また、店舗には客はいなくても、需要と供給で別の施設等と事実上の提携関係にある場合。さらには、限られた顧客に高利益率の商品やサービスを提供している場合もありそうです。愛好家が全国に数多くいて、インターネットで繋がっているなんてことも情報番組で見た記憶があります。競合相手が極めて少なくて付加価値が高ければ生き残れそうです。

 私の親戚には、ゴム印作りの職人や石鹸工場を営む人がいました。押印省略・PCによる文書作成や液体洗剤・泡石鹸などが主流になると、次第にニーズが少なくなって廃業しました。こう考えると、現在勢いのある仕事でも10年後やそれ以降どうなっているかは不確実といえます。

 こうした中で、教員は生き残っていかなければならない職であると考えています。ただし、今と同じ線路の上を闇雲に走っていたのでは先が見えてしまいます。新たな試みと適切な決断、不断の努力が不可欠です。でもこれは、どんな仕事でも同じだと思うのです。しぶとく生き残って、進化を遂げ、成果・実績をあげることが、いつの時代も求められているのだと思います。気負うことなく、一つ一つ丁寧に!