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005 困った子?いえ、困っている子です(4/25)

 南門脇のつつじが咲いて鮮やかです。

 私は柏住民です。最寄駅から船橋へ出て学校へ向かいます。前任校の場合は、船橋駅から快速で一駅でした。平田小へはその一つ手前。本八幡駅が最寄りとなる勤務場所も何度かありましたが、残念に思うことが1つ!それは、帰宅時にタッチの差で前の電車が発車して、次が「西船橋」行きだったとき。些細なことですが、そんな気持ちになるときってないでしょうか。

 私自身についてもう少し話をします。私は遺伝性の難聴で、「聞こえ」に関する様々な困難を抱えています。聞こえない音に、電子音・ホイッスル・鳥の声・蝉の声、内緒話などがあり、高音域は全く反応できません。少年サッカーの指導に長く携わってきましたが、笛の音が聞こえませんから、吹いている様子や審判・選手の動きを見ながら笛が鳴ったことを知りました。もしプレーヤーだったら、ホイッスルを吹かれてもプレーをやめないためイエローカードの対象です。ですから、人との会話は大きなストレス。特に、周りに様々な音が混じっている部屋で協議をするような場面が苦手なのです。それでも相手の口元を注意深く見て頭をフル回転させて会話に参加しましたが、今はいけません。コロナでマスク着用の上にアクリル板が設置されようものなら逃げ出したい気持ちになります。当然のことながら、テレビ視聴には字幕が欠かせません。

 これはほかの障害についても言えます。HSCや化学物質過敏症、起立性調節障害、吃音ほか。一見「普通」に見えるかもしれませんが、本人の中にある困り感は半端なものではないことが予想されます。発達障害も同様です。得意・不得意の特性と、人とのかかわりのミスマッチから様々な困難が発生します。これもまた、外見からは分かりにくく症状は十人十色なので、「自分勝手でわがまま」「なまけ」「親のしつけが悪い」などと捉えられ、「困った子」のレッテルを貼られたり批判されたりすることも少なくありません。

 その困り感を周囲に伝えることができたり、周りが気づいてあげたり、個性や思いを理解したりしてサポートすることができればどんなにか重苦しい気持ちから解放されることか。二次障害も防げます。もしかすると、教室の中などにカミングアウトできずに困っている人がいるかもしれません。「困った子」ではなく、「困っている子」という認識で対応することが大事だと考えます。