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088 どっち?(10/12)

 次のような話を目にしました。

 子供にバスケットボールを教えていて、フリースローの成功率を上げたいと考えたコーチがいるとします。Aコーチは、正しいシュートの仕方を丁寧に教えます。Bコーチは、フォーム等にはこだわらず10本中10本が決められるように何度も繰り返させます。正しいシュートの方法を身につけることが大事か、形より決められるという結果を重要視するか。筆者は後者のBと主張しています。

 シュートフォームの良さはフリースローの成功につながることはありますから、私はAさん寄りの指導をしてきました。でも記事には、「コーチにとっての正しい方法が、子供にとって正しい方法であるとは限らない」「バスケのシュートは、正しい方法が一つではない」とあります。

 これは学習にも通じそうです。例えば算数で、4×7のかけ算の問題をどのように解くのかが大事か、それとも正しい解答にたどり着くことが大事か、という問いになります。正しく28を導くには、様々な正しい方法があります。九九で導いたり図に表したり、あるいはたし算に直したり…。つまり、正しく解くことができたならば、いろいろな方法のどれか一つあるいは複数を適用している証拠となります。より効率的と考える求め方に到達するかどうかはあまり問題ではないといえます。

 この記事では、「親や教師が、子供がどう考えているかを重視しすぎて、子供が正しい解決策にたどり着いているかを十分に見ていないときに間違いが起こる」と指摘しています。さらに、「結果にもっと焦点を当てて、学習プロセスにはあまり焦点を当てないようにしたい」とも。「結果がすべて」と言って「プロセスを無視」しているように聞こえますが、実はそうではないようです。プロセスを限定することに異を唱えているのではないでしょうか。 

 学習の中では、様々な方法があり、それを友達と交流することを行います。ただ、あるやり方がまるで一番であるかのようにまとめたり、特定の解法でないと丸がもらえなかったりすることを諫めているように思うのです。皆さんはどうお考えでしょう?