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Bee's Cafe

147_アイスモナカ(25.12.22)

 このインフレ経済は、いつまで続く?食料品の大幅な値上げは、年末年始の生活にも大きな打撃を与えます。7年前のコロナ前と比べ、マヨネーズ(450g)は48%UP、チョコモナカジャンボは130円が180円(税別)ですから38%UPと新聞に写真入りで報じられています。だからこそ、一万円札に物申す!“束になってかかって来いよ!!”

 それでも、スーパーのアイスコーナーに引き寄せられてしまうのです。ラクトアイスではなく、アイスクリームを選ぼうと思いますが、先の「チョコモナカジャンボ」が私に呼びかけます。「パリッとしたチョコとまろやかなアイスミルクをモナカで包んだバランスのよさを楽しまない?」と。誘惑に負け、買ってしまった3個×6列の本体。いきなりかぶりつくのはもったいない。きちんと割ろうとしますが、どこで割るか、半分を妻に分けるか葛藤が始まります。一人で全部食べたくても、血糖値という3文字が待った!をかけるわけです。

 ロッテ「モナ王」やシャトレーゼ「たい焼きアイス」など、カップアイス以上に好きですが、コーンに入れたソフトクリームやジェラートもまた魅力的。特にソフトクリームをカップかコーンで選べる場合、絶対にコーン派。そのコーンの尻尾というか底までアイスが入っていた時の、最後の一口のうれしさは格別と思ってしまう私は、いつまでも子供を脱し切れていないようです。

 今年のカウントダウンが始まりました。

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146_お次は…?(25.12.19)

 初めて腕時計を巻いたのは高校入学前だったでしょうか?父からのプレゼントでした。腕時計なんて、当時は高級品ですから、中古だった気もします。でも、とても嬉しく、誇らしかったことを思い出します。

 その時計には小窓があって、カレンダーになっていました。防水機能もあって自動巻きです。腕を振る仕草で、内部のゼンマイが巻き上がる仕組み。逆に、しばらく使わないでいると止まってしまうのです。だから、時々本体を掌にぶつけるようにしてゼンマイを巻くこともありました。

 今とは違って電波時計であるはずもなく、日に何秒も誤差が生じました。1週間で数分狂うわけですから、正確さを求めすぎるものではありません。ある程度時刻が違うことを想定して行動すればよいだけのこと。でも、待ち合わせに遅れた場合の言い訳にすることもできた時代といえます。携帯電話なんてありませんから、公衆電話以外連絡の術がないのも方便になった、そんな緩い時代です。「タイパ」なんて、ないない!

 今は、健康管理の視点からスマートウォッチを装着しています。入浴以外は常時身に着けて、睡眠や歩数などを時々確認します。これによって腕時計が必要なくなり、今は自室の棚に4つ並んで飾られています。どれも高価なカシオ製。その一つがG-Shockですが、先日の新聞に「指に巻くG-Shock」という記事がありました。まさに指時計といえそうですが、スマートリングとは違った厳つさがあるので、邪魔ではないのかなぁとか売れるのだろうかと、いらぬ心配をしてしまいます。

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145_アイサイト(25.12.18)

 相変わらず米の値段が高い!経済専門家は、米が余る時が来ると言っていますが、いつになったら適正価格になるのやら。そもそも適正価格っていくらと考えればよいでしょう。消費者にとっては旨くて安いに越したことはありませんが、生産者の活動に見合った価格も考えねばなりません。というわけで5kg3500円以内に勝手に設定しておきます。

 先日、道の駅で見た米はどれも5kg4500円前後でしたが、「にじのきらめき」という初めて見る品種がありました。大粒でコシヒカリに負けないおいしさといいます。でも、ひらがなの字面がどうしても「にしきのあきら」にしか見えないのです。

 さて、縁あって7~8年スバル車に乗っています。「アイサイト」と言えば、スバルの代名詞といえる安全装備。その事故率の低さは、様々な調査・実験で裏付けられており、追突事故防止に大きく貢献していることは紛れもない事実です。そのおかげで、安心して毎日運転できるわけです。

 でも、そのアイサイトによく怒られます。運転手をモニタリングしているので、大きなあくびをして瞼を閉じがちになると、居眠り運転と認識されて音と光で注意喚起されます。また、沿道に気になるものがあってちょっとだけ見ていると、低速であってもわき見運転を注意されるのです。すかさず「はいはい、すいませんね~」と不貞腐れて独り言を返します。ただ、運転者の体調急変などにも対応するシステムがあるのは、年齢を重ねるにしたがって強い味方となりそうです。アイサイトも妻も…。

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144_予防接種(25.12.17)

 校庭の夜間照明を点けてサッカー部の指導をしていた頃が懐かしく思い出されます。白い息を吐きながら、ベンチコートをまとって一緒にボールを追いかけていたっけ。ここ柏井小でも練習する選手を見かけます。帰り際に校庭を横切っていると、「さようなら」と元気に挨拶する声がうれしくて、応援する気持ちとほんわかした心の温かさを感じながら車に乗り込みます。

 さて、インフルエンザが蔓延する中、10日ほど前にやっとインフルエンザの予防接種を打ちました。針の跡が紅く腫れ、痒がる妻の姿を見て、昔の予防接種の記憶が蘇ってきました。

 私の小中学生時代ですから半世紀以上前のこと。現在は副反応への懸念から、保護者同意による任意接種となったインフルエンザや風疹などの予防接種は、感染症対策として学校で「集団接種」として行われていました。みんなが腕まくりをして列を成す中、先に打ち終わった友達に小声で「どうだった?痛かった?」などと聞くのです。「ぜ~んぜん」と強がる奴、顔をしかめている奴など反応は様々でした。

 ツベルクリン反応検査、いわゆる私たちが「豆注射」と呼んでいた接種もありました。2日後くらいに注射部位の赤みの大きさを測ってBCGを接種するかしないかを決めるような段取りだったように思います。いずれも注射をしたその日の入浴は控えるように言われましたが、今は基本的に問題ないとされます。ワクチン製造技術や浴場の衛生状態などが要因だったのかもしれません。

 時代も医療も新しく変わっていく中、私自身は加速度的に旧型が進行していくようです。

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143_ツーツーツー・トントントン(25.12.16)

 こっちのけんとの『はいよろこんで』のサビ直前の歌詞に、モールス信号が出てきます。この歌詞が生まれた背景を知る人も多いのではないでしょうか。

 さて、ヘランケラーの「見えない・聞こえない・話せない」の三重苦は有名ですが、「神様が、見る・聞く・話すのいずれか一つの復活を与えてくれるとしたらどれを望むか」という質問に自分ならどう答えるでしょう。おそらく「見る」が多数を占めるような気がしてなりません。でも、ヘレンケラーは「聞く能力」を欲したといいます。これは、言葉によるコミュニケーションの原点が「聞く」にあるからなのかもしれません。11月下旬に閉幕したデフリンピックでも活躍した手話は、「聞くための手の言葉」といえます。

 障害に限らず、人の悩みは尽きません。そんな時、一人で抱え込まずに誰かに相談するだけで心が少し軽くなることがあります。大人であれ子供であれ、「助けを求める権利」が誰にもあることを心に留めておきたいものです。

 明後日が最終回のドラマ『小さい頃は、神様がいて』の前話で、消防士の息子が母親にこう言います。「SOSは早ければ早いほどいいんだよ。そして、強く伝えること!何度でも決して諦めない!それが大事なんだよ」と。決して子供に限ったことではないのです。だから、受信する側もアンテナも高くしたいものです。そのためにも「SOSの出し方教育」「ゲートキーパ」で検索できる動画をぜひご視聴ください。

 さてこの季節、新聞のページをなかなかめくれません。スーパーのビニール袋の口が開きません。指先が乾燥しているせいでしょう。一人困って、ついペロッと唾をつけたくなりますが、感染症が流行中の今、それは危険極まりない!かといって、こんなことでSOSは出せないし…。だから決して諦めない!

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