校長の部屋

2021年6月の記事一覧

051 フル回転!(6/22)

 今日はボウリングの日です。教員になってからも、職員レクをボウリング場で行った時代もあります。もっと昔は、テレビで放映されるボウリング番組をよく見ていましたから、中山律子さんや須田開代子さん、矢島純一さんなど、プロボウラーの名前を思い出します。家にはボウリングゲームだってあり、♪中山~律子さん~♪なんて歌だって流行った時代を過ごしたので、今でもスコアを自分でつけられます。海馬やシナプスが正常に機能している証拠でしょうか?

  

 3連続ストライクを「ターキー」と呼びますが、その昔、3回連続でストライクだった時のお祝いに七面鳥が振る舞われていたからだといいます。4連続は「ハムボーン」で、12連続までちゃんと名前があるみたいですが覚えきれません。

 このボウリングは、紀元前数千年の古代エジプトからあったもの。ピンとボールになる物さえあればどこでもできます。クラスのお楽しみ会などで、ペットボトルボウリングを見かけますから、遊びとしては自然なのかもしれません。

 さて、まん延防止等重点措置が7月11日まで延長されたことに伴い、授業参観や5年生の林間学校への対応など悩みは尽きません。プロボウラーがボールにすごい回転をかけるように、変化する状況の中で私も頭をフル回転させて脳の活性化を図ります。

 まず朝一番、なぞなぞで頭の体操!『イカの頭に酢をかけるとできる食べ物、なーんだ!?』

050 植物の生命力(6/21)

 クチナシの花の季節がやってきました。実家の庭にあったこの花の香りは、幼少の頃の甘美な思い出と結びついているのかもしれません。現在の我が家では、ひと月前まであったカモミール、今が楽しみなラベンダー、一年中香るローズマリーなどがちょっと触れるだけでよい香りを振りまいてくれます。

 匂いとは別に、視覚的な効果を期待して、植物を菓子や料理に添えることがあります。例えば、和菓子の器に添えたモミジ。青いモミジも紅葉したモミジも趣きがあります。南天の葉も使われます。料理の添え物としては山椒の葉。その心遣いに、おいしさも増すように感じるから不思議です。

 さて、比較的簡単に根付くので、私は気に入った紫陽花の茎を挿し木して増やします。ピンク・アナベルや切り花だった紫陽花など。我が家の挿し木2年生のアナベルも今年はたくさんの花をつけています。ホームセンター等で結構なお値段で売っているのを見ると、「うちのものも売ったらこんなに値が付くんだぁ」「食べるのに困ったらいろいろな植物を売ればいいかな」と考えてしまいそうです。

 挿し木した紫陽花以外にも、種から育てたモミジも何種類かあります。大小を問わず数が増えてきて、そろそろ邪魔になってきました。でも自分で育てた植物にはどれも愛着があります。そして、その生命力に驚きます。生命力といえば、もう5年以上前に根元で伐採した中型の木がありますが、先日その切株付近から芽が出ているのを発見!「お前、まだ生きていたんだ?」と思いながらもチョキチョキ。ごめんね!

 1~3年生が世話している植物も、ベランダで元気に育っています。単なる観察に始終せず、小さな生命を慈しむことを大切にしてほしいですし、茎が折れても育っていく逞しさに感じ入ってほしいと思います。

049 梅雨入り記念に…?(6/18)

 梅雨入り記念?に「雨」にまつわる日本語を検索!どうやら何百種類もの呼び名があるようです。それほど細かな違いを感じているともいえます。日本で虹は7色ですがロシアでは4色ですし、フランスでは蝶も蛾もパピヨンで一括り。逆に、エスキモーは雪を表す言葉を100種類も使いこなしていたといいます。

 話は戻りますが、検索中最初に出てきた「叢雨(むらさめ)」ってどんな雨?よくわからないので辞書で調べると、「激しく降ったかと思うと、すぐにやんだり弱くなったりする雨。にわか雨。驟雨(しゅうう)」とあります。「麦雨(ばくう)」は?「麦の熟するころに降る雨。梅雨の別名」です。「こうう」は辞書に「①降雨」「②紅雨」「③香雨」「④膏雨」とあります。①は省略。②は「春、花にそそぐ雨、明るい花の散る様」であり、③は「よいにおいのする雨、雨の美称」、④は「農作物を潤して育てる雨、甘雨、慈雨」と書かれています。

 さて、4年生が社会科で印旛沼の開拓について学びますが、次のような伝説があります。

 731年は春からの日照り続きで水不足。作物は実らず人々は困窮していました。聖武天皇は、諸国の神社仏閣に雨乞いの祈願をさせましたが、一向にその効果がありません。そこで、龍神に由縁のある龍閣寺(栄町)に雨乞いの祈願を命じました。昼夜を問わずに祈り続けた結果、聴衆の中から印旛沼の主と名乗る小龍の化身が現れました。大龍に命を奪われることを承知の上で、雨乞いの願いを聞き入れたといいます。「私が雨を降らせれば、私の命は奪われるでしょう。私の身は三つに裂かれ、印旛沼のほとりに落ちるでしょう。そうしたら、頭は龍閣寺に、腹は印西の地蔵堂に、尾は匝瑳の大寺に納めてください」と言うと姿が消え、黒雲が空を覆いつくし、どっと雨が降り始めました。人々は歓喜の声を上げました。雨は7日もの間降り続いたあと、沼のほとりには小龍の体が3つに裂かれて落ちていました。約束通り、その体を3カ所に葬って祈りを捧げました。頭を納めた龍閣寺は「龍角寺」(栄町)に、腹を納めた地蔵堂は「龍腹寺」(印西市)、尾を納めた大寺は「龍尾寺」(匝瑳市)に名を改めたという言い伝えです(参考:龍角寺縁起)

 朝から雨が降る日は鬱陶しく、外遊びもできず気持ちも湿りがち。逆に、雨が何日も降らないとお湿りを待ち望みます。今の時代、人柱を立てることはありませんが、人の気持ちは誠に勝手です。

048 ケチな了見(6/17)

 よく足を運ぶ道の駅でもらったカレンダー、水曜日欄の赤い字が「闇市」と見えて仕方ありません。よく見れば「閉市」なのですが…。その道の駅で、ある日、他校の校長夫婦とばったり遭遇。

 同じ日、運動のためにウォーキングというか散歩をしていた時のこと。近くのコミュニティーセンターの脇を通りかかると中から音楽が流れてきます。通路に面したガラス越しにダンスフィットネスをしている人たちが見えます。ジムではありませんが、インストラクターと一緒に汗を流しているのです。一緒に歩いていた妻曰く、「聞こえるリズムに合わせてインストラクターのマネしながらこっち側でも踊れるね。やったらどんな反応をするかなぁ?」と。見える、聞こえる、完全屋外、踊りだしても文句は言えないでしょうが…。

 なんか、鰻屋の煙を嗅ぎながらご飯を食べるケチな夫婦の落語(昔話?)を思い出しました。大変ケチな夫婦は、隣が鰻屋であることをいいことに、いつもそのにおいをおかずとしてご飯を食べているのです。鰻など一度も買ったことはないので、鰻屋は大変怒って鰻代を払えと詰め寄ります。すると、ケチな夫婦は払ってやろうと言い出します。そして、竹筒にお金を入れて、鰻屋の耳元で振って音を聞かせます。鰻の焼いた匂いを嗅いだだけだから、お金も音だけでいいだろうという了見。オチは忘れましたが、似ているでしょ?いやだいやだ!

047 忘れっぽいのはステキなこと?(6/16)

 月曜日に梅雨入りをしましたが、梅雨が明ければ本格的な夏到来!

 伝統的な夏の風物詩といえば、風鈴、団扇、花火、蚊取り線香、簾、ラジオ体操…など思いつきます。房州うちわ、江戸風鈴、江戸簾ほか、伝統工芸品といわれるものもありますが、少し前に読売こども新聞にあった『木の昆虫 立体木象嵌の世界』という記事に目が留まりました。というより「木象嵌(もくぞうがん)」に反応したのです。(※「象嵌」とは何かは調べてください)

 Y小で5年生を担任していた頃、社会科で「伝統工芸」を扱いました。伝統工芸の魅力を知って伝え合うために、伝統工芸に指定される「木象嵌」「江戸つまみかんざし」「飾り煙管」「木目込み人形」の職人さんに子供たちが取材・体験をさせていただいたことを思い出します。今も江戸つまみかんざしや行徳神輿、木象嵌、屏風など、市川市で続いていることをうれしく思います。

  

 こんな20年前のことは思い出すのに、ほんの少し前のことを忘れっぽくなったことに危機感を覚える最近です。数日前にテレビドラマを観たことすら忘れて、「俺は観ていない」と言い張ることも…。ドラマの内容ではなく、観たこと自体を思い出せなかったことにショック!「それってさ、2年前にジムを辞めた理由が今思い出せないことより怖いと思うよ」と突き刺さるお言葉!

 ボケそうなので、給食前に「今日の朝食のメニュー」を思い出すようトレーニング?をしています。それでも、校長室から職員室への数歩の間に、「あれっ?何しようと思ってこっちに来たんだっけ」状態に陥ることも…。再度やり直しのために校長室に戻る自分に嫌気がさします。

 あっ、中島みゆきさんの『傾斜』という昔の曲を急に思い出しました。♪歳をとるのはステキなことです~ そうじゃないですか~ 忘れっぽいのはステキなことです~ そうじゃないですか~♪ 飽和量オーバーかもしれない自分を慰めます。