校長の部屋

2021年6月の記事一覧

056 コロッケだよ~(6/29)

 「今晩はコロッケだよ~」

 ある日の夕方メールが届きます。知人が畑で収穫した新じゃがをいただいたので、早速調理したようです。そういえばその前の日はポテトサラダだったなぁと思い出した次第です。コロッケにはソース、これは私に染み付いた習慣ですが、妻は醤油派で添えた千切りキャベツにも醤油をかけます。互いに半世紀以上馴染んだことは、そう簡単には変えられません。

  

 このコロッケは、とんかつ・カレーライスと並んで、大正時代の三大洋食と言われていたそうですが、形にも家庭の色があるように思います。我が家は「俵型」で、母が作るものもそうでしたからこれまた半世紀以上の歴史があるわけです。ただ、休日の昼食を簡単に済まそうとして、お総菜コーナーで買うポテトコロッケは「小判型」で、どうもこちらのほうが主流とのこと。俵型は、生地が柔らかく破裂しやすいクリーム系のコロッケに多いようです。

 形はどうあれ、家庭の味は受け継がれていきます。昭和の「今日はコロッケだよ~」「やった~」といった親子のやりとりが末永く続きますように!

 さて今週、fried mashed potato の予定はおありですか?

055 パフェの日(6/28)

 もしかすると台風の影響で風雨が強いことも予想された今朝でしたが、青空が広がる晴天。もしもに備えてお手紙も出しましたが、こんなふうに無駄に終わるのはよいことです。

 さて、パフェを注文して食べた経験なんてあったでしょうか。スイーツの王道なのかもしれませんが…。今日は、その「パフェの日」です。パフェとは、なんとパーフェクトの略らしいのです。由来は、野球の完全試合といいます。日本プロ野球で史上初の完全試合(パーフェクトゲーム)が達成されたのが1950年6月28日。巨人の藤本英雄選手です。これにちなんでパフェの日なのだそうで、騙された感じです。

 スイーツのパフェはフランス語。意味は「申し分のない」「完璧な」という意味ですので、「パフェの日」はスイーツと全く無関係というわけでもないようです。でも、キムチパフェや納豆パフェ、とんかつパフェまであると聞くと…。

  

 一方、最近よく見かけるのがフルーツサンド屋!あちらこちらで限定販売をしている様子を見かけます。フルーツをふんだんに使用したサンドイッチは、ビジュアル的にも購買意欲をそそります。ただしお値段も相応のもの。一度試しましたが、フルーツなのかサンドイッチなのか位置づけがつかめず、結局「サンドイッチにこの金額は出せないな」というのが我が家の一致した意見です。でもよく売れているのでびっくり。お中元にもフルーツサンドがあるなんて、これまたびっくりです!

054 さりげない心遣い(6/25)

 今日は午前中に5,6年生の授業参観、午後は林間学校保護者説明会です。5年生の保護者の方は、二度も学校に足を運ぶことになり、遠い方には申し訳なく思います。

 さて、こんな話を聞いたことがあります。仕事帰りに乗った路線バスで、停留所に止まるたび、運転手が車内アナウンスを繰り返すのだそうです。「週末の金曜日です。1週間お疲れさまでした」「寒いですから気を付けて」「自転車にご注意ください」など。学生たちが「ありがとうございました」と笑顔で降りていったといいます。心がポカポカしてきます。

 またこんな話も…。こだわりのスープが売り物のラーメン店。ある客がラーメンを注文したあとに携帯電話が鳴りました。込み入った内容らしく話しながら店外へ。出来上がったラーメンが席に置かれましたが、客はなかなか戻りません。しばらく経って席に着いた客がラーメンに手を伸ばそうとした時、店主はさっとラーメンの器を引いて、湯気の立つ作りたてに取り換えたといいます。店主曰く、「お客さんに、冷めたラーメンは食べさせられませんから」と。この店のラーメンがうまい理由が分かったと、見た人は語っています。

 最後にファミレスでの出来事。ある休日の夕方、店は混んでいる時間帯です。客に料理を運んできた若い店員が「ピザは12時、サラダは3時、チョリソーは10時の方向に置きますね」と説明したといいます。これは、「クロックポジション」という方法ですが、客が白杖を脇に携えているのに気づいて、とっさ出た心配りだと思います。驚きです。

 バス運転手もラーメン店主もレストラン店員も、まさにプロフェッショナル!そして、私たちは教育のプロです。教員ならではの目配り・心配りが自然にできる人、言動に滲み出る人でありたいと、いまさらながらに思います。

 家でできないことが、外でできるわけがない!という声が聞こえてくるようです。

053 ある平凡な一日(6/24)

 先週、2年生が『新聞紙と遊ぼう』という学習をしていました。「新聞紙で」ではなく…。教室内で新聞紙を布団にして寝転がったり、身に着けたり丸めたりする姿がありました。最後は、みんなでちぎって紙吹雪でフィナーレ…。同日、4年生の算数では『1億をこえる数』を位取りに気をつけながら読んだり書いたりしていました。

 校長室に戻って新聞を開くと、1ページ(15段)全部を使った「道玄坂43」のデビュー・ラストシングルの広告に目を凝らして見入ってしまいました。ある事務所所属の全メンバー43人が参加したユニットらしいのですが、紙面の10センチ四方にも満たない部分(写真の囲み部分の合計)しか使っておらず、あとは真っ白!どんな写真や文句を載せるよりインパクトがあります。

  

 費用対効果を考えると、広告掲載料が断然気になる私。全国版カラーだと、1億を超えはしませんが4千万円をはるかに超える金額とあって驚きです。この広告紙面を枕にしたり掛けたりして寝れば、よい夢がみられるかも?

 目的や課題などが明確な広告やポスター、キャッチコピーを使った戦略は心に突き刺さりますが、そのセンスにも感心します。市川小でも150周年をスタートとして未来につながるキャッチコピーを広く募集しようかなぁ。ラグビーW杯2019日本大会のキャッチコピー『4年に一度じゃない。一生に一度だ。』やサッカーW杯『Road to Russia』などになぞらえて…う~ん、思い浮かばない!

052 未来を信頼する(6/23)

 昨日の午前8時57分、妻から西瓜の絵文字だけがLINEで送られてきました。正解!と送り返したのは言うまでもありません。なぞなぞの答えです。

 さて、学校や学級で掲げる目標に「信頼される学校をつくる」「信頼関係を築く」という文言が使われます。本校においても例外ではありません。ここで使用する「信頼」と混同しがちなのが「信用」です。どのような違いがあるのでしょう。

 「信用」は、「ある人や団体が過去に行った行為やこれまでの業績、出来栄えなどに基づいて、人や団体を信じてもよいと判断すること」を指します。ですから、行動や実績などを確かめたうえで「信用」を感じるわけです。相手に対する一方的な評価と言ってもよいと思います。

 一方「信頼」は、必ずしも過去の実績を判断材料としません。一定の時間を経て「信用」を感じた上で、その後「この人なら大丈夫」というその人や団体の未来の行動を期待する行為や感情を指していると考えられます。未来を信頼するわけです。また、相互の気持ちのつながり〈双方向〉の上に成り立つものであるという点に「信用」との違いが見られます。

 こう考えると、「信頼」してもらうためにはまず「信用」が前提にあります。「信用」なしには「信頼」を勝ち取るのは難しいといえます。

 令和3年度が始まってもうすぐ3カ月になろうとしています。児童や保護者の方にとって昨年度担任していた過去の学級の実績は必ずしも判断材料にはなりませんから、信用の土台をいま積み上げている最中と言えます。その振る舞いを見たうえで、人間性や習慣、感覚といった目に見えないものに対して期待し、その期待に応えてくれるだろうという気持ちの表れが「信頼」となります。

 まずは夏休み前までを大事に指導していきます。双方向の感情づくりですから、不明なことや要望などは直接話し合えると理解が進みます。先週末に個人面談のお知らせを配付しましたが、有意義な時間となるようにしたいと考えます。面談日を待たずとも、不安なことなどがあればぜひお声かけください。

051 フル回転!(6/22)

 今日はボウリングの日です。教員になってからも、職員レクをボウリング場で行った時代もあります。もっと昔は、テレビで放映されるボウリング番組をよく見ていましたから、中山律子さんや須田開代子さん、矢島純一さんなど、プロボウラーの名前を思い出します。家にはボウリングゲームだってあり、♪中山~律子さん~♪なんて歌だって流行った時代を過ごしたので、今でもスコアを自分でつけられます。海馬やシナプスが正常に機能している証拠でしょうか?

  

 3連続ストライクを「ターキー」と呼びますが、その昔、3回連続でストライクだった時のお祝いに七面鳥が振る舞われていたからだといいます。4連続は「ハムボーン」で、12連続までちゃんと名前があるみたいですが覚えきれません。

 このボウリングは、紀元前数千年の古代エジプトからあったもの。ピンとボールになる物さえあればどこでもできます。クラスのお楽しみ会などで、ペットボトルボウリングを見かけますから、遊びとしては自然なのかもしれません。

 さて、まん延防止等重点措置が7月11日まで延長されたことに伴い、授業参観や5年生の林間学校への対応など悩みは尽きません。プロボウラーがボールにすごい回転をかけるように、変化する状況の中で私も頭をフル回転させて脳の活性化を図ります。

 まず朝一番、なぞなぞで頭の体操!『イカの頭に酢をかけるとできる食べ物、なーんだ!?』

050 植物の生命力(6/21)

 クチナシの花の季節がやってきました。実家の庭にあったこの花の香りは、幼少の頃の甘美な思い出と結びついているのかもしれません。現在の我が家では、ひと月前まであったカモミール、今が楽しみなラベンダー、一年中香るローズマリーなどがちょっと触れるだけでよい香りを振りまいてくれます。

 匂いとは別に、視覚的な効果を期待して、植物を菓子や料理に添えることがあります。例えば、和菓子の器に添えたモミジ。青いモミジも紅葉したモミジも趣きがあります。南天の葉も使われます。料理の添え物としては山椒の葉。その心遣いに、おいしさも増すように感じるから不思議です。

 さて、比較的簡単に根付くので、私は気に入った紫陽花の茎を挿し木して増やします。ピンク・アナベルや切り花だった紫陽花など。我が家の挿し木2年生のアナベルも今年はたくさんの花をつけています。ホームセンター等で結構なお値段で売っているのを見ると、「うちのものも売ったらこんなに値が付くんだぁ」「食べるのに困ったらいろいろな植物を売ればいいかな」と考えてしまいそうです。

 挿し木した紫陽花以外にも、種から育てたモミジも何種類かあります。大小を問わず数が増えてきて、そろそろ邪魔になってきました。でも自分で育てた植物にはどれも愛着があります。そして、その生命力に驚きます。生命力といえば、もう5年以上前に根元で伐採した中型の木がありますが、先日その切株付近から芽が出ているのを発見!「お前、まだ生きていたんだ?」と思いながらもチョキチョキ。ごめんね!

 1~3年生が世話している植物も、ベランダで元気に育っています。単なる観察に始終せず、小さな生命を慈しむことを大切にしてほしいですし、茎が折れても育っていく逞しさに感じ入ってほしいと思います。

049 梅雨入り記念に…?(6/18)

 梅雨入り記念?に「雨」にまつわる日本語を検索!どうやら何百種類もの呼び名があるようです。それほど細かな違いを感じているともいえます。日本で虹は7色ですがロシアでは4色ですし、フランスでは蝶も蛾もパピヨンで一括り。逆に、エスキモーは雪を表す言葉を100種類も使いこなしていたといいます。

 話は戻りますが、検索中最初に出てきた「叢雨(むらさめ)」ってどんな雨?よくわからないので辞書で調べると、「激しく降ったかと思うと、すぐにやんだり弱くなったりする雨。にわか雨。驟雨(しゅうう)」とあります。「麦雨(ばくう)」は?「麦の熟するころに降る雨。梅雨の別名」です。「こうう」は辞書に「①降雨」「②紅雨」「③香雨」「④膏雨」とあります。①は省略。②は「春、花にそそぐ雨、明るい花の散る様」であり、③は「よいにおいのする雨、雨の美称」、④は「農作物を潤して育てる雨、甘雨、慈雨」と書かれています。

 さて、4年生が社会科で印旛沼の開拓について学びますが、次のような伝説があります。

 731年は春からの日照り続きで水不足。作物は実らず人々は困窮していました。聖武天皇は、諸国の神社仏閣に雨乞いの祈願をさせましたが、一向にその効果がありません。そこで、龍神に由縁のある龍閣寺(栄町)に雨乞いの祈願を命じました。昼夜を問わずに祈り続けた結果、聴衆の中から印旛沼の主と名乗る小龍の化身が現れました。大龍に命を奪われることを承知の上で、雨乞いの願いを聞き入れたといいます。「私が雨を降らせれば、私の命は奪われるでしょう。私の身は三つに裂かれ、印旛沼のほとりに落ちるでしょう。そうしたら、頭は龍閣寺に、腹は印西の地蔵堂に、尾は匝瑳の大寺に納めてください」と言うと姿が消え、黒雲が空を覆いつくし、どっと雨が降り始めました。人々は歓喜の声を上げました。雨は7日もの間降り続いたあと、沼のほとりには小龍の体が3つに裂かれて落ちていました。約束通り、その体を3カ所に葬って祈りを捧げました。頭を納めた龍閣寺は「龍角寺」(栄町)に、腹を納めた地蔵堂は「龍腹寺」(印西市)、尾を納めた大寺は「龍尾寺」(匝瑳市)に名を改めたという言い伝えです(参考:龍角寺縁起)

 朝から雨が降る日は鬱陶しく、外遊びもできず気持ちも湿りがち。逆に、雨が何日も降らないとお湿りを待ち望みます。今の時代、人柱を立てることはありませんが、人の気持ちは誠に勝手です。

048 ケチな了見(6/17)

 よく足を運ぶ道の駅でもらったカレンダー、水曜日欄の赤い字が「闇市」と見えて仕方ありません。よく見れば「閉市」なのですが…。その道の駅で、ある日、他校の校長夫婦とばったり遭遇。

 同じ日、運動のためにウォーキングというか散歩をしていた時のこと。近くのコミュニティーセンターの脇を通りかかると中から音楽が流れてきます。通路に面したガラス越しにダンスフィットネスをしている人たちが見えます。ジムではありませんが、インストラクターと一緒に汗を流しているのです。一緒に歩いていた妻曰く、「聞こえるリズムに合わせてインストラクターのマネしながらこっち側でも踊れるね。やったらどんな反応をするかなぁ?」と。見える、聞こえる、完全屋外、踊りだしても文句は言えないでしょうが…。

 なんか、鰻屋の煙を嗅ぎながらご飯を食べるケチな夫婦の落語(昔話?)を思い出しました。大変ケチな夫婦は、隣が鰻屋であることをいいことに、いつもそのにおいをおかずとしてご飯を食べているのです。鰻など一度も買ったことはないので、鰻屋は大変怒って鰻代を払えと詰め寄ります。すると、ケチな夫婦は払ってやろうと言い出します。そして、竹筒にお金を入れて、鰻屋の耳元で振って音を聞かせます。鰻の焼いた匂いを嗅いだだけだから、お金も音だけでいいだろうという了見。オチは忘れましたが、似ているでしょ?いやだいやだ!

047 忘れっぽいのはステキなこと?(6/16)

 月曜日に梅雨入りをしましたが、梅雨が明ければ本格的な夏到来!

 伝統的な夏の風物詩といえば、風鈴、団扇、花火、蚊取り線香、簾、ラジオ体操…など思いつきます。房州うちわ、江戸風鈴、江戸簾ほか、伝統工芸品といわれるものもありますが、少し前に読売こども新聞にあった『木の昆虫 立体木象嵌の世界』という記事に目が留まりました。というより「木象嵌(もくぞうがん)」に反応したのです。(※「象嵌」とは何かは調べてください)

 Y小で5年生を担任していた頃、社会科で「伝統工芸」を扱いました。伝統工芸の魅力を知って伝え合うために、伝統工芸に指定される「木象嵌」「江戸つまみかんざし」「飾り煙管」「木目込み人形」の職人さんに子供たちが取材・体験をさせていただいたことを思い出します。今も江戸つまみかんざしや行徳神輿、木象嵌、屏風など、市川市で続いていることをうれしく思います。

  

 こんな20年前のことは思い出すのに、ほんの少し前のことを忘れっぽくなったことに危機感を覚える最近です。数日前にテレビドラマを観たことすら忘れて、「俺は観ていない」と言い張ることも…。ドラマの内容ではなく、観たこと自体を思い出せなかったことにショック!「それってさ、2年前にジムを辞めた理由が今思い出せないことより怖いと思うよ」と突き刺さるお言葉!

 ボケそうなので、給食前に「今日の朝食のメニュー」を思い出すようトレーニング?をしています。それでも、校長室から職員室への数歩の間に、「あれっ?何しようと思ってこっちに来たんだっけ」状態に陥ることも…。再度やり直しのために校長室に戻る自分に嫌気がさします。

 あっ、中島みゆきさんの『傾斜』という昔の曲を急に思い出しました。♪歳をとるのはステキなことです~ そうじゃないですか~ 忘れっぽいのはステキなことです~ そうじゃないですか~♪ 飽和量オーバーかもしれない自分を慰めます。