校長の部屋

204 彼岸の墓参り(3/23)

 黒の礼服は冠婚葬祭には欠かせません。「慶」での着用は、先週の卒業式が久しぶりで、近頃は「弔」で使用する機会が増えました。この「弔」ですが、最近は大人でも子供でも、人が亡くなったり葬儀に参列したりした体験のある人は少ないのかもしれません。ましてや火葬場で骨を拾った経験に至っては…。

 40年近く前に祖母が亡くなり、その時初めて骨を拾いました。小さかった体が焼かれると、「これだけ?」と思うような骨だけが鉄板の上に広がっていました。係の方が「これは喉仏の部分の骨、これは…」と説明をしてくれました。そして、親しい親族から順に二人のペアで長い箸を使って、骨壺に収骨していきます。残った骨粉まで、係の人が箒と塵取りで丁寧に集めてくれました。

  

 先日、ドラマを見ていたら火葬された骨を家族が拾う場面がありました。不謹慎ながらプッと吹き出してしまいました。思い出し笑いです。本人の名誉のために言いませんが、その人は、骨を拾うときに一人1本の箸(二人で一膳)を持って行うと思っていたようです。「難しい、どうしよう」と困っていたと後から聞きました。だから、先にやっている人が、普通に一人一膳の箸を持っているのを見て、ホッと胸をなでおろしたみたいです。

 焼香も知らない人は周りに合わせて見様見真似になります。宗派によって、香を目の前に掲げる回数に違いがあるようです。慣れたいものではありませんが、知っていればその場への臨み方も違ってきそうです。人の死は悲しいことです。でも、普段当たり前になりすぎている「命」や「生」について考えるきっかけであることも確かだと思います。

 この彼岸にお墓に手を合わせながら、日頃のお礼と「生」への想いを念じてきました。