校長の部屋

私が小学生だったころ(6/8)

 今日から分散登校2です。今日はABグループ、明日はCDグループ(5年生は別)です。

 今日は私が小学生だったころ、ですから50年も昔の話をします。
 当時のクラスメイトの男子の筆箱には、必ずと言ってよいほど「ボンナイフ」が入っていました。鉛筆を削るための必需品。電動鉛筆削りなんて影も形もありませんでしたから。鉛筆のキャップに、ゴルフクラブ型が流行った時があります。消すゴムのかすを練って丸めてボールにします。机の穴に何打で入れるのか競いました。学校の池にいる鮒を理科の実験で解剖し、取り出した浮袋で遊んだような記憶もあります。

 学校の敷地内では、「肝油ドロップ」が時々販売されていました。肝油の容器が魅力的だった思いが蘇ります。当時、ゼリー状の肝油は、学校給食でも提供されるような栄養補助食品でした。ブリやタラの肝臓からとる油で、ビタミンAやDが豊富に含まれていたのだそうです。現在の肝油は、魚からではなく別の原料から作っているといいます。
また、毎月、学研の教材屋さんが「科学と学習」という冊子を販売していました。やはりその付録も魅力的だったのです。

 校門を出ると、ひよこを売っているおじさんがいました。黄色だけでなく、ピンクや水色のひよこも売られていました。でも、こんな学校は日本中探してももうどこにも見つからないでしょうね。

 学校から帰った後の遊びは、専ら公園での野球かビー玉、メンコや泥団子。時々、酒屋から日本酒一升瓶の王冠を集めてきて、珍しさを競い合ったり、交換したりして遊びました。

 昭和20年代から30年代にかけて、日本の小学生の9割に寄生虫がいたといいます。学校では定期的に検便を行いましたし、回虫退治の虫下しを飲みました。私のころは、美味しくないチョコ味でした。

 瓶牛乳のキャップ開けの針、当たりが出るともう1本もらえる「ホームランバー(アイス)」や「パイゲンC」、夏の朝のにおいとラジオ体操のカード、♪新しい朝がきた~♪というラジオ体操の歌。こんなどうでもいいことを時々思い出しノスタルジックな気分に浸るのは歳を取ったせいでしょう。

 さて、ご家庭では保護者あるいはおじいちゃん、おばあちゃんの昔話をする機会はあるのでしょうか。子供には全くわからないことであっても、聞いてみたいと思う子は少なくないのではないかと思うのですが…。