校長の部屋

175 役割で育つ(2/17)

 今週一週間、教頭不在です。月曜日はは火災報知機の発報からスタートして、戸締り、見回り、業者及び外部対応ほか、担ってきたこと、求められていた役割を思い出させてくれました。校門に立っての挨拶運動も今週は休止。

 さて先日、何年かぶりで鰹節を買いました。既に削ってあるパックものではなく、削り器でその都度カリカリするものです。この鰹節には雄節と雌節があり、雄節は背部、雌節は腹部のこと。さらに、裸節と枯節、産地も枕崎産と指宿産の2種類。そして、選んだのは、枕崎産の雄節(枯節)です。6年生の算数「場合の数」で、“鰹節の選び方には何通りあるでしょうか?”なんて問題を作って樹形図で求める姿が思い描けそうです。ちなみに、削り器は10年以上前に買ったものがありますので大丈夫。削り節パックと違ってその都度削るので風味は抜群ですが、面倒くさいと思うことも…。また、熱々のお好み焼きを舞台にダンスを披露することはありません。そうそう、鰹節削りは子供のころの私の仕事でした。

 もう一つ、子供のころの担当だったのが「お磨き」。以前書いたかもしれませんが、仏壇や神棚の金属製の仏具を金属磨き液できれいにするのです。複雑な形だったり水シミがしつこかったりして大変でした。人差し指が痛くなるくらい頑張っていたような?それでも、「きれいになったね」「さすが」と褒められて、自分が役に立っていることが誇らしかった記憶があります。

 子供たちが家庭において、自分の役割として、あるいは役に立っていることを自認するものは何でしょう。学校でも家庭でも社会でも、自分の存在・有用感を感じられることが、人を伸ばす推進力になるのではないかと思うのです。