校長の部屋

143 わら半紙(更紙)はどこ行った?(12/16)

 休みの日には、手賀沼周辺の道の駅に旬の野菜を買いに行くことがしばしばあります。夏場はトマトや枝豆、生姜など。これからのシーズンは泥ネギや大根、チジミ小松菜といった感じです。先日、サニーレタスをかごに入れて「この野菜から今日のメニューわかったらさすが。1万円あげる!」と言います。「うーん、春巻きっ!」と答えるや否や「もとい!」「やっぱり、今のなし」と言う妻。当たっていたようです。

 さて、今日は「紙の日」だそうです。明治8年のこの日、東京・王子の紙工場が営業運転を開始したことにちなみます。30数年ほど前、学校の紙といえば「わら半紙(更紙)」が主流でした。消しゴムを使うと黒く汚れてしまったり、湿気で簡単に穴が開いてしまったり…。そして、いつの間にか中質紙やコピー紙がわら半紙より安価になって、今では学校にわら半紙は影も形もありません。ただ、教育現場からお菓子作りの場に活躍の拠点を移したようです。程よく水分を吸収する性質は、ケーキのスポンジを焼く敷紙になるそうです。印刷がインクジェットやレーザーに変わり、安さという武器を失っても、他のニーズを満たして適材適所で生き残っているのを知って何だかうれしくなりました。

 使用するサイズに関しても、社会ではAサイズが当たり前になってからも学校はBサイズ中心の印刷物でした。今もまだまだ現役です。学年だより、保健だより、図書だより、献立表、み~んなB4!あれっ、学校だよりだけが仲間外れのような…?