校長の部屋

思いやりという魔法(7/29)

 我が家の近くに小中学校が向かい合ってあります。下校時の歩道は、当然子供があふれかえります。

 少し前に、たまたま下校時にその通学路周辺を車で通った時のことです。信号のない横断歩道で、ランドセルを背負った高学年女児が2人立っています。道路を渡りたいけれども車が止まってくれないので待っている様子が窺われました。一時停止して「どうぞ」と合図をすると、一礼して渡りました。渡り終えて改めてこちらを向いて丁寧に頭を下げた時には嬉しくなりました。「これはこれは、ご丁寧に」「痛み入ります(「家政夫のミタゾノ」風に)」と言いたくなってしまいます。

    buhitter.com家政夫のミタゾノのTwitterイラストより

 ただ、こちらが止まっても、対向車線の車が通過するケースも多い気がします。逆に、渡るのか渡らないいのか判断がつかない場合は困りものです。横断歩道の前でおしゃべりしている人、一時停止したのに「渡る気配なし?」なんてこともあります。手を挙げるというのは、渡りたいという意思の表れですから、大人であっても手を挙げて意思表示してほしいものです。

 さて昨年、「信号機のない横断歩道実態調査」の結果が報道されました。歩行者が渡ろうとしている場面で一時停止した車は17.1%という結果、逆に言えば8割以上の車が止まらないというものでした。ちなみに千葉県の一時停止率は31.0%でした。

 先述の出来事から、以前放映されたACジャパンのCMを思い出しました。仕事の帰りで長時間運転に疲れ気味の男性が、タイミング悪く押しボタン式信号で停車させられます。なかなか変わらない信号にイライラが募る中、横断歩道を渡り切った少年が、「待ってくれてありがとう」と深々と頭を下げるのです。すると、これを見たドライバーのイライラが解消されるというものでした。

 もうすぐ始まる夏休み。夏季休業入りあるいは明け、それぞれの前後に子供の交通事故や水の事故が多く報告されます。ドライバーも歩行者も、相手への思いやりとそれを表す仕草・言葉を大切にしたいものです。互いの気持ちをほぐせる、事例のような「魔法」をかけることができる人、あるいはその魔法に気づける人でありたいと思います。