校長の部屋

063 粋と野暮(7/8)

 門の前に立って子供たちを迎えますが、通勤される人たちも含めて「おはようございます」を言う回数をカウンターを持って数えてみたい気もします。主に低学年児童へのあいさつには配慮が必要です。できるだけ顔や目を見て声をかけますが、さすがに集団で門に向かって来ると1対1でのあいさつは不可能です。ある意味集団に対してあいさつをしてしまう場面がありますが、そんな時必ずと言ってよいほど、行き過ぎてから戻ってきたり集団が行き過ぎるまで待っていたりする子がいます。自分に対するあいさつを求めているのです。ですから、教室で30数人もの児童に話をしたとしても、自分に言われていると思っていない子もいるのは確かです。

 さて、先日のニュースで、昭和4年から90年以上続く銭湯が店じまいをすることを報じていました。家風呂があっても銭湯通いを日課としてきた人も多いようで、惜しむ声がたくさん聞かれました。常連さんにとっては、番台に座る店主との何気ない会話も楽しみの一つだったと思います。また、常連同士の裸のつきあいも1対1の深い関係といえます。一方、教卓は番台ではありませんから1対1というわけにはいきません。でも、そういう気持ちを感じられるような温かな問いかけや工夫は大切にしたいものです。

  

 ニュースの最後に映された銭湯入口の木札が気になりました。板の表に「わ」、ひっくり返すと「ぬ」というひらがなが大きく書かれています。これは、「わ板(=沸いた)」と「ぬ板(=抜いた)」を表したものなのです。洒落と粋を感じます。ただ、こうした洒落や粋が身の回りから減っていくような気がするのは時代の流れなのか、少し寂しい気がします。こんなことを考えるのは「野暮」?