校長の部屋

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100 平凡な毎日が楽しい(10/14)

 5月のGW明けから始めたつぶやきのページ。毒にも薬にもならない内容で毎日更新して100回目を迎えました。びっくりです!だから、今日は敢えて平凡な日常を記します。

 月曜日に、1年生と江戸川堤へ虫捕りに出かけました。草が生い茂る中、バッタなどを真剣に追いかけ回しました。網を持って私と一緒に探していた子、虫を触ることを躊躇している友達の空の虫かごに、別の子が入れてあげる姿。楽しい1時間はあっという間。

  

 帰校後は、校長室に来た子と紙飛行機を廊下で飛ばして競いました。虫捕りも紙飛行機も、何十年ぶりだろうと思うくらい童心にかえって楽しんじゃいました。

 昨日は2年生がグループごとで街探検をしました。パン屋さんでいただいたラスクを、給食の時間に食べていましたが、昼休みにはお裾分けしてくれました。2片ですが、心のこもったプレゼントです。コンビニのバックヤードまで見せてくださったことを感激して話してくれる子もいました。その2年生が似顔絵を描いて届けてもくれました。小さなメモにはひらがなで、「校長先生へ いつもありがとうございます。かっこいい校長先生にあこがれています。」とあります。嘘でもうれしいですね。ましてや「かっこいい」なんて。妻や娘にだって言われた記憶がないような???

99 視力1.1はなぜない?(10/13)

 学校の健康診断や眼鏡を作る時などに行う視力検査では、視力表を使います。この視力表には、ひらがなやランドルト環と呼ばれる一ヵ所が欠けた輪が一面に書かれています。ただ不思議なのは、その視力表は0.1から1.0までは0.1ずつ増えていくのに、1.0の次にあるのは1.1ではなく、1.2、1.5、2.0となっていることです。

   

 視力とは、ランドルト環の開いている方向を識別することによって、2点が離れていることを見分けられる最小の「視角」を測定するものなのだそうです。日本では直径7.5mm、太さ1.5mmの円の一部が1.5mm幅で切れている環を5m離れたところから見て正確に切れている方向が分かる能力を「視力1.0」としているといいます。 よく理解できませんが、視力1.0以下では0.1の差は大きいものの、1.0を超えるとその差が小さくなるため、例えば1.1を測る必要性がないというのです。

 私は遠近両用眼鏡を使っています。でも、手元の小さな文字を見るときは眼鏡をはずしてしまいます。それを忘れて、よく見えないので眼鏡を額に上げようとして空振りすることもしょっちゅう。逆に、妻は老眼だけなので細かい文字を見るときは眼鏡をかけないと見えないようです。食事の時も「よく見えないから、何を食べているのかわからない。おいしさも半減する~」と言って、途中から眼鏡をかけることもしばしば。

 そういえば、1年ほど前に父が眼科で視力検査をした時のことを思い出しました。ランプが点いたランドルト環を見て、「右」「上」「左」と順調に進みます。検査員「次はどうですか?」 父「はい、どこも開いてない!」と即答。思わず吹き出してしまいました。

 母は、88歳(米寿)の誕生日を今日迎えました。父の米寿のお祝いはみんなで祝いましたが、今日は直接伝えられません。でも…記念日

98 決して「毒妻」ではありません!(10/12)

 「ねぇ、廊下側のシャッターを開けて!」「あと昇降口側もお願い」

 妻との会話です。この廊下側というのは、家の廊下ではなく「道路に面した東側」、昇降口側は「玄関面にした北側」の意味です。日常的に使われるので慣れてしまいました。

 庭の水やりから戻った私が、「ほら、ここ蚊に刺された、痒い!膨らんでる」と言うと、「ホクロじゃないの?」「違うよ!」「だいたい、(眼鏡かけていないから)見えていないし~」と、見る気すらなさそうなご様子。

 スマホのミュージックアプリで音楽を車内オーディオに飛ばして流していると、右手が伸びてきてスキップ!南沙織、柏原芳恵、中森明菜、小泉今日子、ゴダイゴ、イーグルス、井上陽水など古き懐かしい歌が流れているのに…。「こんな古臭い唄、ひとりの時に聴いて!」とつれないお言葉。

 先週末の天気が、長期予報で「晴れマーク」だったのに、台風14号の発生・接近で完全に「傘マーク」に変わってしまいました。きれいな夕陽を見たいと言って計画をしていた妻は、この変化を「絶対あなたのせい!」と断言です。

 こうして書いている毎日のブログ、「今日のはつまらなかった!」「最後をきれいにまとめようなんて意図が見えすいている」「関心ないことだと、斜め読みで頭に残らない。今日はどんな内容だったっけ?」と、妻は辛口の評論家。

 今日は「私が主人公で、なかなか面白かった」と言うかも…。

97 好きな食べ物=バナナ!と即答(10/9)

 スーパーで「バナナ98円」なんて表示を見ると買いたくなってしまうのが性。私にとってバナナは、まさに「フルーツの王様」的な存在。スイカも好きですが、一年中安価で食べられるのはバナナだけ。でもこのバナナ、なんと人間とDNAが50%同じだとか?意味不明です。

   

 バナナの75%は水分で、一日に必要とされるビタミンCの15%を提供してくれます。ただし、バナナの食べ過ぎは禁物です。成分に含まれるカリウムを多量に摂取すると不整脈が発生するそうです。その食べ過ぎレベルは480本。誰も食べません!フィリピンではバナナケチャプがあるらしいです。

 バナナは腹持ちがいい割に低カロリー。スポーツの前や会議の前に食べるとよいと言います。テニスの錦織選手が休憩中にバナナを食べていたのを目にしたことがあります。私もランニングの前は、水分とバナナで糖分摂取することもたまにあります。 

 そういえば、小学生のころ、給食で出されるバナナは丸ごと1本。デルモンテ、チキータ、ドールとかいうシールが貼ってあるものをゲットするといいことがあるような気がしたものです。そうそう、バナナの曲がった内側の皮をめくって、スプーンで食べるバナナボートがおしゃれと思っていた時もありました。現代の給食では、バナナ1/3だったり半分だったりですから、剥いて一口!あっ、なくなっちゃった。

 

96 親の笑顔は、子供にとって最高の栄養!(10/8)

 先日、施設にいる母のもとへ行ってきました。母は、右半身麻痺で「話せない」「字が書けない」「歩けない」ため、様々な代理手続きに時間・手間とともに複雑さが加わります。しっかり者の妻がいる時は安心なのですが、一人対応もしばしば。相手の話を十分理解できないまま家に戻ると、「なんでちゃんと聞いてこないの」と怒られます。「ガキの使いじゃあるまいし」という心の声まで聞こえてきそうです。

 さて、そんな私ではありますが、自分が親となって、子供の笑顔にどれだけ助けられてきたでしょう。幼少の頃の無邪気な笑顔、大きくなってからも見られる笑顔は、どんな言葉にも代えがたい宝物です。

 そして今は、父や母の笑顔も喜び・励みになっています。先日の訪問時も窓越しに、あるいはディスタンスをとりながら話しかけた際に見られる優しい笑顔。報われる瞬間です。ある漫画の一コマに、「(親が笑顔で頑張っていれば子供はわかってくれる。)笑顔こそ、子育ての最高の栄養」という一節がありました。私が60歳間近になった今も、父や母の「笑顔の子育て」は続いているようで、なんか嬉しいような面はゆいような…。

 私のシワシワ笑顔は、市川小の子供たちにどう映るのでしょう。家では、わずかであっても妻の栄養になっていることを願うばかりです。ただ、それを帳消しにしてしまう心無い言動には要注意!