校長の部屋

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105 ある~日、森の中~クマさんに~♪(10/21)

 6年前から日記をつけています。「3年日記」というもので、以前にもここに書いたかもしれません。去年の今頃、2年前の何月何日は何があったのか一目瞭然。思い返してクスクス笑ってしまうこともあります。時々イラストも交えておくと、絵が目印となって記憶を蘇らせてくれるのです。

 去年の10月某日の欄には、ゴキブリの絵と「ギャー」という文字がありました。キッチンに小さなゴキブリ遭遇記念日です。排水溝から侵入したのか、妻の声にびっくりした日記の文字は大きく歪んでいます。

 突然目の前にゴキブリが現れた時の驚きは想像に難くありませんが、会社出勤して扉を開けたらクマとご対面なんて心臓が止まる思いがしたでしょう。石川県加賀市の商業施設での出来事です。富山では子熊が庭の柿の木に登ってもぐもぐやっている映像も今朝ニュースで見ました。このようにクマの出没を伝えるニュースが今年は多いような気がします。冬眠前に栄養を蓄えようと人里を訪れるそうですが、自然や気候の変動が森に与える影響が多大なのかもしれません。とても心配です。

 そういえば、最近は道路をヘビが歩いている姿を全く見かけなくなりました。ここ市川市は、クマやヘビよりも不審者注意といったところでしょうか?

104 心洗われるCM(10/20)

 8月下旬から、無印良品は『気持ちいいのはなぜだろう』をキャッチコピーとして全世界で発信しているそうです。時々足を運ぶ店舗のレジの後ろには巨大なパネルが飾られており、静けさ中に強烈なメッセージが感じられます。

 「掃除」をテーマとして取り上げ、文化や文明を超えたごく普通の営みの中に潜むくらしの本質、あるいは大切なもの・姿勢を伝えていることがわかります。

 例えば、奈良・長谷寺。350年以上にわたり毎日続けられてきた、朝5時から始まる礼堂の床拭き。

 毎年8月7日に白装束に身を包んだ僧侶や信者たちによって行われる、東大寺・大仏の「お身拭い」。

 

 新年を迎える前に、村人が一斉に川に集まって、毎日使ってきた絨毯を洗うイランの大掃除。

 中国の天津で行われた清掃員による高層ビルの一斉窓拭き。

 竹ぼうきをいくつも配した巨大掃除マシンできれいにされる中国の山東省の並木道。

 巨大船を高圧清浄機で掃除するドックの様子。

 すべてに心が洗われるような荘厳さを感じます。Withコロナの今だからなのか、ごくあたり前のくらしがとてもいとおしく感じられるから不思議です。何気ない毎日の営みを、改めて立ち止まって見る心のゆとりを大事にしたいと思います。書籍が出たようなので手元に置こうかなぁ。 

103 市川小の宝物は何ですか?(10/19)

 14号門を入って左に進んだところにミカンとユズの木が並んでいます。そのミカンが色づいてきました。食べ頃になるのが待ち遠しい食いしん坊です。ヤマモモの木になった実を摘んで食べたのはどこの学校だったろう?ザクロがあったのは…?市川小の敷地内にも記念植樹がいくつも見られます。

  

 さて、先日、本校同窓会長と民生委員のお二人が来校され、「150周年行事」について話をしました。

 市川小の開校は1874(明治7)年6月ですから、2023(令和5)年度が150年目に当たります。八幡小や行徳小と一緒に歴史を刻んでいますが、この2校は3月開校なので、市川小の前年度に周年行事が行われるようです。この150年という区切りは、50年、100年と同じように大きな節目です。今後、児童の思いや考えも取り入れながら計画していきたいと考えています。2023年度といえば3年後です。つまり、現3年生が6年生になったときです。ただし、時期に関してはさらに意見を伺いながら検討する必要がありますが…。

 これに向けて、学校の中に眠っている「市川小ならではの宝物」を探してみます。何十年も日の目を見ることのなかった逸品が発見できるかもしれません。青い目の人形(広報いちかわ参照)も捨てられるはずがないのですが…。

 1995.8.15広報.pdf (過去の広報いちかわ)

102 頭の中で漢字変換ができない…(10/16)

 文書作成が、ペン書きから「ワード」「一太郎」などの機械処理にかわってどのくらい経つのでしょう。今や手書きによるものは、メモや手紙だけになってしまいました。だからなのか、漢字が頭の中になかなか浮かんできません。歳のせいかもしれませんが。

  

 ワープロを使い始めたのは‘80年代。その頃はまだ「味がある」という勝手な理由で手書きのお便りにこだわっていました。そのうちパソコンに役目を奪われる頃から、自然とキーボード入力が中心の生活になりました。そのせいか、最近では手書きの場合、漢字がすぐに浮かばないことが多くあります。そのときはスマホやパソコンでの変換が頼り。「そうそう、これこれ」と思うことが多くなり、頭の回転の鈍さを痛感しています。

 先日、3年生が漢字テストをしているときに教室にお邪魔しました。問題にある「ひにく」という字が咄嗟に出てきません。隣の子の解答用紙を見て「そうそう、これこれ」状態。「先生~、校長先生がカンニングしてます!」って言われそうです。

 その時ふと思ったこと。なぜ「皮」と「肉」が「欠点や弱点を意地悪くとして遠回しに非難すること」という意味になるのだろうと。校長室に戻って早速検索!いやはや、便利な時代です。

 皮肉は、中国禅宗の達磨大使の『皮肉骨髄』が語源。『皮肉骨髄』とは、「我が皮を得たり」、「我が肉を得たり」、「我が骨を得たり」、「我が髄を得たり」と、弟子たちの修業を評価した言葉。骨や髄は、「要点」や「心の底」のたとえで「物事の本質」。皮や肉は表面にあることから「本質を理解していない」という非難の言葉。ここから「皮肉」だけが批評の言葉として残ったと「語源由来辞典」にはありました。

 そうかぁ、妻から皮肉ばかり言われるのは、物事の本質がわかっていない私への低評価だったのね。今更ながらに納得!

101 捻るとジャーのありがたみ(10/15)

 「すべての人に清潔な水を」

 電車内で見つけた中吊りにあるキャッチコピーですが、何のことだかおわかりになりますか?ウォーターエイドへの寄付を呼びかけるポスターです。「すべての人にとって清潔な水と適切なトイレが『当たり前にあるもの』になるようご協力ください」とあります。

  

 インターネットでも検索すると、海外の水事情が事例を交えて紹介されています。世界には、清潔な水を使うことができない人々が7億8500万人もいるそうです。例えば、朝6時に起きて4時間以上かけて水を汲みに行っても、得られるのは清潔からは程遠い少しの水。下痢に悩まされることもしばしばある地域があることを紹介しています。

 4年生が、社会科で「水」の学習をしました。どれだけの量を使い、どうやって家まで届けられるのか、人の営みと供給のための工夫を学びます。ただ、私たち日本人は、蛇口を「捻るとジャー」という水道の便利さを当たり前に享受しています。だから、ありがたみを実感する機会がないまま学習が終了することも。先進国であっても、「生水は飲まない」「水は買って飲むもの」という国だってあります。震災時などしか水の貴重さを感じることができないのは幸せなのかどうかわかりません。

 トイレだって然り。 清潔な水洗の洋式トイレしか見たことのない子もいるでしょう。日本でも50年も前は、汲取り式のボットン便所(写真下)や大便をすると「お釣りが返ってくる」という表現、糞尿を貯めておく「肥溜め」なんて当たり前にありました。私は、和式トイレの便器ぎりぎりまで糞尿があふれていて用を足せないという夢を見ることがあります。汚い話となってしまいますが、夢の中で用を足していたら…と思うと…。こういう話をすると「市川は都会だったからさぁ…」と妻は知らないふりをします。すみません。思い切り話が逸れました!