校長の部屋

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155 なぜ「七輪」なの?(1/8)

 我が家でホットプレートを出して焼き肉をしたのは何年前のことでしょう?終わった後の匂いと油による部屋の汚れが嫌で禁止になりました。「ベランダで焼いてくれるならいいよ」「一人で焼いて食べるのかはどう?」と言いますが、寒さに耐えながら食べるだけの勇気はありません。夕飯の買い物中に「何が食べたい?」と尋ねるので、「焼き肉」「もんじゃ焼き」「お好み焼き」と立て続けに答えるもすべて却下!

 七輪ならどうだろう?炭火で焼き肉はできる。暖もとれる。薪をくべれば焚き火にもなる。うん、いい考え!購入前に「七輪」を下調べしてみると、能登半島や愛知県三河、香川県が三大生産地です。一般的なものは、珪藻土を固めなおして成型する手法ですが、切り出た珪藻土の塊を一つ一つ彫るように作られたものもあり、金額も桁違いです。

  

 では、どこが「七つの輪」なのでしょう。諸説ある中で共通しているのは「七輪」ではなく「七厘」であったこと。「厘」は野球の打率で見かけますが、1の1000分の1です。よって、7厘は0.007ということになります。つまり、7厘というわずかな金額で調理ができること、あるいは少量の炭で調理ができることから「七厘」と呼ばれ、次第に「七輪」に転化していったようです。今では使うのを目にすることがほとんどなくなりましたが、七輪で焼いた魚や肉はどこか特別な味わいがあるように思うのです。

 そんなわけで年末に買って、晦日の夜に寒風に吹かれながら焼き肉をしました。焼肉の願いは成就しましたが、暖はとれません!

154 テレビを観ながら…(1/7)

 年末年始は撮り貯めた番組を観ることが多くありました。録画番組も底をつき、キムタク主演の「教場」(教場Ⅱ放映の前に再放送)をリアルタイムで観ていた際、CMになってリモコンを操作。スキップボタンや早送りボタンを何度も押すのに反応しません。「電池がないのかぁ?」「なんでぇ?」と一人ぼやく始末。リアルタイムで観ることがいかに少なかったかよくわかります。似たようなことは、眼鏡を額に上げていたのにもかかわらず、新聞を読むときにかけていない眼鏡をずらそうとする行為にも…。大丈夫か?と心配してしまいます。

 さて、正月のテレビで欠かせないのはスポーツ。中でも天皇杯サッカーと箱根駅伝。今年は、箱根復路10区までトップだった創価大を、残り2キロで駒沢大が逆転した場面はドラマでした。襷をもらって3分以上の差があったにもかかわらず諦めなかった駒沢。トップでの襷に想像以上の重圧があったであろう創価。抜き去る瞬間、抜かれた瞬間のそれぞれの思いを想像してしまいました。さらに、青山学院大は復路優勝で、総合4位というチーム全体の意地、意志の強さにも感動しました。一方、ほんの僅かな差で繰り上げスタートとなってしまった場面にはウルウル…。

   

 ところで、こうしたアスリートですらコロナ感染が報道されます。コロナは、決してお年寄りや基礎疾患がある人だけが危険なのではありません。誰が感染するかわからないからこそ、予防を欠かすことなく、差別もなくすことが大事だと考えます。

 明日からの緊急事態宣言が決定しそうです。そうであっても、諦めず最後まで全力で取り組む強さを、子供たちと共有したいと思っています。

153 百考は一行に如かず(1/6)

 昨日の冬休み明け朝会で話した内容です。『百聞は一見に如かず』ということわざがあります。でも、この続きをご存じでしょうか?あること自体知らなかったというのが正直なところです。

 『百見は一考に如かず』(見るだけでなく、考えないと意味がない)となるそうです。さらに、

 『百考は一行に如かず』(考えるだけでなく、行動すべきである)

 『百行は一果(効)に如かず』(行動するだけでなく、成果を出す)

 『百果は、一幸に如かず』(成果を上げるだけでなく、それが幸せや喜びに繋がらなければならない)と続きます。まだ先があります。「百幸」は…?

 『百幸は一皇に如かず』(自分だけでなく、みんなの幸せを考えることを大事にすべきである)です。

 まず子供たちは、「一考」あるいは「一行」を大事にするところからスタートです。そして、自信をつけ、自慢できることを増やしてほしいと願っています。私は、「百幸」と「一皇」に向けた「一行」をその都度大事にしたいと思います。

152 楽器売上率上昇ナンバー1は?(1/5)

 千葉県を含めた4都県知事が緊急事態宣言の要請を政府に行いましたが、年末年始の感染者数や重症者数、死者の数は尋常ではありません。今日から始まった3学期ですが、これまで以上に皆が意識を高くもって行動することが求められます。「これまで大丈夫だったから、これからも…」なんていう感覚では感染をさらに拡大させてしまいます。「できることを徹底する」ことを学校でも努めていきます。

 さて、このコロナ禍で〝おうち時間〟が増え、料理の時間が増えたりフィットネスを始めたりと、私たちの生活に様々な変化が起きています。楽器演奏もその一つで、前年と比べて売り上げが伸びた楽器の第1位は、なんと「ウクレレ」(山野楽器では売上2倍以上)だというから驚きです。

 ところで、年末に校門で登校を見守っていると、バッグの中に小ぶりのギターを抱えて登校する男児がいます。尋ねると「ウクレレです」「5歳から習っています」と教えてくれました。弾く姿を見てみたいものです。でも、見たらきっと自信喪失すること間違いなし。だって、子供の上達の速さは加速度的!そういう私ですが、年末年始も練習を欠かさなかった点だけは褒めてください。

 さて、12月に行った「学校評価(保護者アンケート)」へのご協力ありがとうございました。今回はウェブへの切り替えにあたり、念のため紙媒体も配付しましたが、回答率96%と驚異的数値(ウェブと紙の両方で回答は考えにくい?)。うちウェブ回答が79%でした。回答の手軽さとともに教頭の集計作業も簡素化されたようです。年2回のアンケートに限らず、ご意見をお寄せください。いつでも受け付けています。なお、今回の集計結果やいただいたご意見は、後日学校だよりに掲載させていただきます。

151 あけましておめでとうございます(1/4)

 新年あけましておめでとうございます。

 年末に千葉商科大学にお邪魔しました。屋上のソーラーシステムを見せていただくためです。

 千葉商大は、国連のSDGsと共通する教育研究活動をしており、全館の屋上に太陽光パネルを設置しています。聞くところによると、発電した電気量が使用した電気量を上回っているそうで、学生と教職員の協働で達成できたそうです。また、市川市と包括協定を結び、環境学習の普及にも取り組んでいます。

 今後、市川小では学校建て替えの計画策定を控えますので、未来の学校・地域の学校を子供たちと一緒に考える良い機会だと考えています。そして、思いを実現したいと秘かに企てています。環境や福祉等に配慮した学校を、子供たちはどのように思い描くのでしょう?学習として構成する価値がありそうです。

  

 そんな思惑を胸に見学したソーラーシステムでしたが、その驚き以上に、スカイツリーの向こうにそびえる美しい富士山に目を奪われてしまう愚か者でした!

150 笑顔咲く年末年始を!(12/25)

 どこの地域でも、駄菓子を扱い子供たちが集まる店があります。私の場合は、文房具屋兼駄菓子屋によく足を運びました。思い出すのは、小箱に丸ガムが4つ入ったオレンジフーセン(写真)。当時5円でした。当たり付きなのでたくさん買っていた友達のことを作文にしたこともあります。

  

 50年前の遠足!私のおやつの定番は、ボンタンアメ、都こんぶ、マーブルチョコレート、サンキストレモンタブレット、アーモンドキャラメルの5つ。「食べきれるだけ」「量を考えて」なんて曖昧さは微塵もなく、「△円以内」とビチッと決められる中で、値段を考えて品物を選ぶ面白さがありました。

 さて、今日は2学期の締めくくり。相変わらず放送で行う朝会では、パワーポイントを使って絵本『十二支のはじまり』を読み聞かせしました。たった10日間でも行動目標を決めて取り組むように伝えました。

 1週間前に、私が今年1年を振り返った漢字は「二」であるとお伝えしました。息子、娘と順に家を離れて二人の生活になったからです。食事をするのも、出かけるのも、愚痴を言うのも、み~んな二人だけに…。子供がいる時はうわの空で聞いていた話も、相手が一人だと聴くことが大事だと痛感。これは、家族が何人いても同じだったはずなので反省しきり。

 家族と一緒にいる時間が増える年末年始。たくさん話をしてたくさん聴いて笑顔を咲かせてください。よい年をお迎えください。来年もどうぞよろしくお願いします。

149 ノスタルジックな気分(12/24)

 今日はクリスマスイブ。私の頭の中には山下達郎の曲が流れています。JR東海のCM?の深津絵里さんや牧瀬里穂さんがかわいかった。

 さて、ある先生に、『昭和の懐かしオモチャ』という本をお借りしました。写真入りで半世紀前を思い出します。今回のテーマは、「昔のおもちゃ」なので、上述のCM同様、わかる人は「あったあった!」と頷き、知らない人にはチンプンカンプンという内容です。

スカイ・キャッチ…プラスチックの円錐筒形バスケットに玉を入れてバネではじき出し、その玉をもう一人がもう一対のバスケット部分で受け取るというもの。

 

ソフトグライダー…組み立て式グライダーで紙飛行機のように飛ばすもの。大好きだった。

 

ライト・プレーン…プロペラに連結したゴムを巻いて、それを動力に飛ばす飛行機。

安全ブーメラン…なぜ流行ったかは不明。ベニヤ板を鋸で切って作ったことも度々。飛行機同様、人の迷惑にならない空き地がどこにでもあったからこそ遊べた。

ローリング・ルーラー…歯車の穴にペンを突っ込んでギヤ穴の中でグリグリと回すと不思議な模様が簡単に描けた。

 

ゲイラカイト…欲しかったけど、普通の凧で我慢した。

銀玉鉄砲…銀玉を詰めて空き地で撃ち合う、男子必携のおもちゃだった。BB弾鉄砲の前身。

水中モーター…紅白の筒に電池を入れて船の底にくっつけると、スクリューが回って風呂で遊んだ。

 

ママ・ポッピー…ポップコーンを作れるおもちゃ。欲しかったけど…。ホットケーキが作れる「ママ・レンジ」という物もあったなぁ。

 このほかにも、デラックス野球盤や人生ゲームでも遊びましたし、ロケット型のゲルマニウムラジオを買って公園の金属部分に端子を挟んで音が鳴ることを喜んでいた頃が懐かしい!

 子供たちがサンタにお願いするクリスマスプレゼントは何だったのでしょうか。年末年始に家族や知り合い、友達と遊ぶ機会が何度となく訪れます。ゲーム機だけじゃない何かピースも楽しんでほしいと思っています。

148 半袖半ズボンの小学生(12/23)

 先週からぐっと気温が下がって、朝起きるのが辛くなってきました。ここ数日、プールの水は凍ったままです。ポケットに手を突っ込んで登校する子の中に、半袖のTシャツ1枚で登校してくる子供たちを何人も見かけます。

 今朝は、市川グランドホテル前の交差点に立ってみました。真間方面からと新田方面からの歩行者用信号が同時に青になるときがあります。青だからといって確認しないで渡ると自転車と衝突する危険があります。注意喚起したいと思います。その様子を見ていたら、コートの右肩に鳥の糞が…。う~ん、今日は運がよい日かも?

 さて、昭和40~50年代の子供は真冬でも半袖半ズボン(今は「半ズボン」なんて言わないでしょうが…)でした。6年生の時の友達に「デグチ君」がいました。彼はランニングシャツ(タンクトップ)で雪の日も過ごしていたのを思い出します。長ズボン(古っ)を履いている子は風邪気味と思われていた時代です。そういえば、のび太君やカツオ君はいつだって半ズボンですね。それでも寒いのは今も一緒。だから、私は時々毛糸のパンツを半ズボンの下に履きました。紺と黄色で母の手作りです。ただやっかいなのは、ズボンと毛糸のパンツの丈が同じくらいだということ。ですから、半ズボンの裾から毛糸のパンツがはみ出してくるのです。体育の時間の服装は、先生はみんな白い「トレパン」、女子は「ブルマ」でした。

 ただ、大体の男子が小学校を卒業するタイミングで、半ズボンから長ズボンへ切り替えられました。制服で長ズボンを履くようになることもあって、自然なタイミングだった気がします。

 そうそう、市川小では体育の時間に「体操の隊形に開け!」というかけ声に「やー」と言って広がったと妻は言います。最初は「うそ~」の一言。でも同世代の方から裏付けがとれました。いつまで続いていたのでしょうか?

147 唾がジョワ~汚!(12/22)

 今日で年内の給食が終わってしまいます。明日から弁当を作ってもらいます。弁当箱は、役所でも学校でもきちんと洗って帰りました。「えらいですね」とよく言われましたが、洗わずに持って帰っても自分で洗うことになります。洗うのが遅ければ、こびり付いたものが落ちにくくなるので、食べ終わったら洗うようにしていただけなのですが…。曲げわっぱの弁当箱を褒められたこともありましたが、量が入るので、食の管理が重要な今は小ぶりの弁当箱に。ただ、えらいのは、行政勤務の7年間欠かさず弁当を作ってくれた妻であって、感謝以外の何物でもありません。

 さて、給食後には歯磨きをします。ありがたいことに校長室には小さくても手洗い場があります。でも、事務職員は自席でシャカシャカと何分もやっています。これは、どうしても私にはまねのできない ことです。水を含まなくても、歯磨きを始めるとすぐに唾液がたまってきます。ですから、すぐに吐き出せる場所でやらないわけにはいきません。歯ブラシを咥えたままテレビの前で歯磨きするような人もいるようですが、なんで大丈夫なのだろうと不思議でなりません。

  

 歯医者でも同じです。口の中に物を入れられるともうダメ。特に、脱脂綿を上下の歯で咬んで奥歯の被せ物を固定させるとき。脱脂綿の違和感!必死に頭の中を「無」にしようとしますが、舌になんとも言われぬ酸っぱさを感じてしまったら唾がジョワ~。

だから、歯医者に通わなくてもよいように、今日も手洗い場で丁寧に歯磨きシュッシュ~。

146 実家は無くなっても…(12/21)

 昨日は、鉢植えで大きく育ったヤマモミジを地植えするためにほぼ半日を費やしました。そのせいで腰が…。

 さて、八千代の実家を売却した跡には、きれいな家が2軒建ちました。正月には兄弟がそれぞれの子供を連れて集まっていた生家でしたから、帰省といえる距離ではないにしても思い出の場所がなくなってしまったことは寂しい限りです。妻の実家も同様で、二人とも今の家以外、もう帰る場所はありません。

 私が幼少のころ、風呂は薪を炊いていました。薪割りだってしたものです。ガス風呂になったのは中学生になったころでしょうか。銭湯に行ったのは数えるほどでしたが、風呂上りに飲む瓶のコーヒー牛乳やフルーツ牛乳は不思議と魅力的でした。腰に手を当てたりして…グビグビ。

  

 結婚した当時のアパートは、浴室内に風呂釜があって狭いうえに追い炊き機能がなかったかも。住む家が替わるたびに風呂もランクアップして、今では足を伸ばして入れるまでになりました。

 年末を迎え、大掃除の予定を考え中?いえいえ、ほとんど妻の計画に沿ってやっている感じです。そんな私が小学生のころからずっと続けてきた年末の掃除が、仏壇や神棚の調度品の「お磨き」というもの。今の仏具などと違ってすべて金属です。主に真鍮だったのですが、1年経つとくすんでくるので薬剤(ピカール)をつけて磨き上げるのが私の役割でした。「さすが」「見違えるほどきれいになったよ」と褒められ、役に立っているのがうれしくて続けていたように思います。その役割が、2年前からなくなってしまったことも寂しく思っています。

 ぜひ、子供たちにも部屋の片づけプラスαを担って、「有用感」を高めてほしいものです。