校長の部屋

2020年6月の記事一覧

タイポグリセミア(6/15)

 今日は千葉県民の日です。天気予報を見ると、最高気温33℃(昨日比+10℃)だそうです。これからの季節は、熱中症にも気を付けなくてはなりません。

 ところで、昨日の「サザエさんじゃんけん」、風呂に入っていて見損ねてしまいました。でも便利な世の中。ネットで検索すればすぐにわかります。前人未踏?の「6週連続パー」はなく、サザエさんが出した手は「チョキ」。私は「パー」を出す予定でしたから負けてしまったことになります。来週からは新作のスタートらしいですね。

 さて、まったく話題は変わりますが、下を読んでみてください。


こんちには みさなん おんげき ですか? わしたは げんき です。

この ぶんょしう は いりぎす の ケブンッリジ だがいく の けゅきんう の けっか

にんんげ は もじ を にしんき する とき その さしいょ と さいご の もさじえ あいてっれば

じばんゅん は めくちちゃゃ でも ちんゃと よめる という けゅきんう に もづいとて

わざと もじの じんばゅん を いかれえて あまりす。


 読めてしまうのが不思議です。文章中のいくつかの単語で最初と最後の文字以外の順番が入れ替わっても正しく読めてしまう現象をタイポグリセミア(Typoglycemia)というのだそうです。ただ、途中がデタラメでよいかというと決してそうでもないですが。

 なぜこんな話をしたかというと、新型コロナ感染症拡大で疫病除け妖怪「アマビエ」が、世間に広く知れ渡るようになったことに始まります。「アマビエ」なんて知らない私は、「アマエビ」と呼んでいたのです。アマビエの画像を見ても「どう見てもアマエビには見えないのに、どうして注目されるの?」と不思議でなりませんでした。最初と最後の文字は同じではありませんが、同じ文字の配列が思い込みにつながったのでしょう。

 もう一つ。つい先日配付した「学校再開日程の変更について」というおたよりです。チラッとHPで再確認したら、なんと最初のあいさつ文に間違いがあるのを発見!「市川市教育員会」とあるじゃないですか。「委(市川市教育委員会)」が足りない!熟読する部分ではないので、さらっと流してしまいがちですが、迂闊でした。全員に配付してしまいましたので、訂正はHPだけでお許しください。

 いよいよ明日から全員登校です。個々が「密」に気を付けた「新しい生活様式」を考えるとともに、教職員による環境づくりには特に気を配ってまいります。今週もよろしくお願いいたします。

校長の髪型Q&A(6/12)

 昨日、梅雨入り宣言がありました。今朝はきれいな青空ですが、いつまでもつことやら。

 さて、よく子供から質問されるのが頭髪について。流れる汗や強い日差しを遮ることのできないこの頭に、どうも興味がある子が多いようですので、Q&Aで書いてみます。

 

Q いつからその髪型なの?

A 15年前の写真ではすでにこんな頭(髪の密度はもっと濃かった)でした。床屋でバリカンで刈れる一番短い長さにしていましたが、伸びるのが早くて毎月行くのがもったいないので、自分で切ります。最初はアダプターなしのバリカンでしたが、ずいぶん前からカミソリで剃り剃り!

Q なぜ坊主にしているの?

A 髪質が硬く、伸ばしたままにすると真っすぐになってまとまらないのです。寝ぐせも酷い。特に、朝の貴重な時間を髪のセットに時間がとられるのがもったいなくて短くしています。 

Q お風呂に入ってシャンプーは使うの?

A 剃ったその日と翌日は石鹸で十分。顔を洗いながら額、頭とごしごしすれば、ハイおしまい。でも3日目からはシャンプーのお世話になります。リンス?コンディショナー?必要ありません。

Q どのくらいの頻度で、誰が切るの?

A 3~4日に一度、風呂場で剃ります。「自分でやると後頭部は見えないでしょ?」と言われますが、右手で剃りながら左手で剃り残しの確認をすれば大丈夫なのです。最後は、頭全体を撫でて、引っ掛かりがないつるつる状態なら終了です。

Q 昔はどんな髪型だったの?

A 髪の量も多かった20代はアイロンパーマやパンチパーマをかけていました。先日お迎えに来ていたお父さん(=サッカー部の教え子)に、スマホの画面を見せられました。そこには30年以上も前のサッカー部の子供たちとの集合写真がありました。私の頭にも、当然溢れんばかりの髪。今と比べると笑ってしまいます。ちゃんと30年分歳とっていると納得せずにはいられません。

Q 坊主頭で困ることはあるの?

A これからの季節、直射日光が暑い!日焼けした腕や背中の皮が剥けるように、頭皮だってピリ~ってジャガイモの皮剥き状態ではがれてくるのです。そのあとしばらくは白い皮が残って、人には見せたくない日が続きます。

(追記)夏場は、頭を蚊に刺されます。蚊の羽音とともに頭に止まった感触があると「ペチッ」。血を吸われていたなんてこともよくあることです。

Q ほかの髪型がよかったと思うことはないの?

A 前髪などをかきあげる仕草が格好良く見える人がいます。ところで、今日の私の髪型はオールバックですが、気づいてくれたでしょうか?

 

 今週、市川小に来て初めて私の頭を触る子がいました。お地蔵さんではないので、願いを叶えることはできませんが、思いに寄り添うことはできますよ。お賽銭はサービスしちゃいます。でも、勝手に触らないでくださいね。デリケートなもんで。

 ほかにも質問があったらお寄せください。答えられる範囲で回答させていただきます。

サザエさんじゃんけん(6/10)

 おはようございます。今日も暑くなりそうです。マスクをした口周りが蒸れる蒸れる!

 さて、アニメ「サザエさん」の「また来週~」の一言への感傷的な思いは以前綴りましたが、最後のじゃんけんの勝敗も月曜日のモチベーションにつながります。勝てばよい週になりそうな予感がするという方も少なくない(私だけ?)と思います。

 この「サザエさん」ですが、先日6月7日放送回のじゃんけんで、史上初となる「5週連続同じ手(パー)」が出され、愛好家たちが騒然としているというネットニュースを読みました。30年近い歴史を誇るサザエさんのじゃんけんで、5回連続で同じ手は初の出来事なのだそうです。こうしたことを長年研究している人がいることにも驚きを隠せません。「サザエさんじゃんけん研究所」なるものが存在するのです。

 新型コロナの影響で、新作の放送を休止し再放送を行っている「サザエさん」ですが、本編以外の部分で新鮮な話題を提供してくれています。

 ところで、14日の「サザエさんじゃんけん」で、あなたは何を出しますか?6連続を予想して「チョキ」?それはないだろうと思う私は「パー」にします。

屋上の犬の像は…(6/9)

 昨日よりも暑くなって真夏日となりそうです。昨日午後、トンボの生態を研究しているグループが、市川小のプールからヤゴを捕獲していました。他校で捕らえたという4cmもあろうかというヤゴや羽化してきれいな黄緑色の体を輝かせているトンボも見せていただきました。子供たちの生長がイメージされました。

 さて、屋上の犬の像が何者か、何となくわかってきました。教室訪問をしている際に、階段の踊り場にある掲示物(写真)に目が留まりました。よく見て歩くと、まだまだ見過ごしているものを発見できそうです。


 犬の像は、もともとは「日時計」だったようです。犬は棒を咥えていて、その棒の影の長さで時刻がわかる仕組みです。棒は影も形もありませんが。もしかすると、床に目盛りもあったのでは?

 この「日時計」の隣に「天体観測ドーム」があったことは、110周年記念誌に掲載された写真からわかります。昭和55年10月、ソニー理科教育振興資金懸賞論文優良賞に輝き、翌年7月にその賞金30万円で「天体観測ドーム」が作られました。「日時計」が作られたのはその翌月のことです。さらに、昭和56年10月には先の懸賞論文で優秀賞に輝いたのです。そして、賞金100万円で児童用顕微鏡を40台購入したと記録に残ってます。その頃の市川小には「野草園」や「屋上菜園」などもあり、理科教育に力を入れていたことがわかります。校長室にあるヒミツの小部屋の金庫には、ソニー理科教育振興資金懸賞論文が今も大切に保管されています。

 過去を大切にしながら、児童、保護者、地域の力で、現在の市川小もみんなに自慢できる学校にしたいですね。

私が小学生だったころ(6/8)

 今日から分散登校2です。今日はABグループ、明日はCDグループ(5年生は別)です。

 今日は私が小学生だったころ、ですから50年も昔の話をします。
 当時のクラスメイトの男子の筆箱には、必ずと言ってよいほど「ボンナイフ」が入っていました。鉛筆を削るための必需品。電動鉛筆削りなんて影も形もありませんでしたから。鉛筆のキャップに、ゴルフクラブ型が流行った時があります。消すゴムのかすを練って丸めてボールにします。机の穴に何打で入れるのか競いました。学校の池にいる鮒を理科の実験で解剖し、取り出した浮袋で遊んだような記憶もあります。

 学校の敷地内では、「肝油ドロップ」が時々販売されていました。肝油の容器が魅力的だった思いが蘇ります。当時、ゼリー状の肝油は、学校給食でも提供されるような栄養補助食品でした。ブリやタラの肝臓からとる油で、ビタミンAやDが豊富に含まれていたのだそうです。現在の肝油は、魚からではなく別の原料から作っているといいます。
また、毎月、学研の教材屋さんが「科学と学習」という冊子を販売していました。やはりその付録も魅力的だったのです。

 校門を出ると、ひよこを売っているおじさんがいました。黄色だけでなく、ピンクや水色のひよこも売られていました。でも、こんな学校は日本中探してももうどこにも見つからないでしょうね。

 学校から帰った後の遊びは、専ら公園での野球かビー玉、メンコや泥団子。時々、酒屋から日本酒一升瓶の王冠を集めてきて、珍しさを競い合ったり、交換したりして遊びました。

 昭和20年代から30年代にかけて、日本の小学生の9割に寄生虫がいたといいます。学校では定期的に検便を行いましたし、回虫退治の虫下しを飲みました。私のころは、美味しくないチョコ味でした。

 瓶牛乳のキャップ開けの針、当たりが出るともう1本もらえる「ホームランバー(アイス)」や「パイゲンC」、夏の朝のにおいとラジオ体操のカード、♪新しい朝がきた~♪というラジオ体操の歌。こんなどうでもいいことを時々思い出しノスタルジックな気分に浸るのは歳を取ったせいでしょう。

 さて、ご家庭では保護者あるいはおじいちゃん、おばあちゃんの昔話をする機会はあるのでしょうか。子供には全くわからないことであっても、聞いてみたいと思う子は少なくないのではないかと思うのですが…。