校長の部屋

2020年5月の記事一覧

5月16日(土)

 インターネットのニュースで、「レナウン倒産」という文字を見てびっくりしました。新型コロナウイルスの別の怖さです。一方で、不謹慎ながら子供のころ聴いたレナウンのCMソングが頭の中で流れたのです。「♪レ~ナウ~ン、レナウン娘が~(略)ワンサカ ワンサ ワンサカ ワンサ イェーイ イェーイ イェイ イェーイ♪」というフレーズが、当時子供心に新鮮でした。妻は私よりもよく覚えていて、歌いながら「まさに、『ザ・昭和』よねぇ」と呟いていました。1960年に作られたというので、60年前になるのですね。

 さて、とりとめもない話でしたが、今日新しいパソコンが家に届き、早速学校のPCにアクセスして「校長の部屋」を更新してみました。これまで使用していたWindows7ではソフトのインストールが対応できずアクセスできなったので、学校が休みなのにもかかわらず、ウキウキしながら更新作業をしたのでした。

 ただ、有線マウスをつなぐUSB差込口が右側にないので、専らタッチパッドです。タッチパッドの使用はほぼ初心者。よってスマホで、「右クリック」「スクロール」「ドラッグ&ドロップ」などのやり方を調べてながら頑張りました。

 

5月15日(金)

 今週初めに、避難場所の確認を兼ねて屋上に上りました。ドアを開けて外に出た途端、黒い影が頭上をビュンと横切りました。カラスです。2羽いて、鳴きながら交互に威嚇している様子です。つがいで、おそらくどこか近くで子育てをしているのでしょう。この時期のカラスは怖いです。

 さて、別の扉から屋上に再び出ると、何やら奇妙な物体が鎮座しているのが見えます。近づくと風化した犬の石像のよう。もしかしてずっと以前の卒業制作?興味が湧いて、職員に聞いてみましたが誰も知りません。40年以上前に市川小を卒業した妻にメールで聞いたら、「屋上は昔はきれいだったのに」「毎日のように屋上でドッジボールをやった」という回答は届いたものの、犬に関しては「知らない!」とそっけないものでした。

 親子何代も市川小学校卒業生というご家庭もあると思います。もし、この石像のことをご存じでしたら教えてください。その日は、頭をなでるだけにして下りてきました。

 

5月14日(木)

 真っ青な空がプラタナスやツインタワーの上に広がっています。今日も暑くなりそうです。

 

 さて、自動車につけられているナンバープレート。先日11日から「市川ナンバー」が登場したようです。これまでの「習志野ナンバー」からご当地ナンバーとなるわけです。梨と江戸川の図柄入りも選択できるみたいです。

 このナンバープレートの数字に拘る場合があります。誕生日や記念日という場合もありますし、語呂合わせから「703(なおみ)」「841(やよい)」「310(佐藤)」「510(後藤)」「1122(いい夫婦)」「1173(いい波)」「2983(肉屋さん)」「3150(最高)」など様々です。富士山ナンバーに「3776(標高)」を付けた車も見たことがあります。風水で最高に縁起が良いのは「168(イロハ)」なのだそうです。

 エンジェルナンバーなるものがあることも知りました。「810」です。言われはあるようですが、「ハート」と読むこともでき、かわいらしさをアピールしたい時にも使用することができそうです。

 このほか、「358」も縁起が良い数字といいます。旧約聖書にも登場する聖なる数字として知られているらしいですし、江戸幕府の初代将軍徳川家康を別にすれば、一般的に知られているのは、3代家光、5代綱吉、8代吉宗の3人となっていることも理由の一つのようです。このほかにも諸説あります。

 そう言う私のうちの車ですが「924」です。どんな数字だと思いますか?

 妻は運転免許を持っていません。ですから移動の手段は専ら徒歩と電車です。でも、我が家の財布を握る(昔は「大蔵省」って言いましたね)のは妻ですので、車を買ってもらったときに「オーナー様の誕生日」を番号にしたわけです。「今まで以上に車に愛着が湧くよ」と言っています。私は妻から車を借りて運転しているというわけで、一人で出かけるときには、「クルマに傷をつけないでね!」と言われて送り出されます。

 街中で見かける車のナンバー、上段に市川330とか530のように書かれているようでしたら、下段の番号は希望ナンバー申請をしたものですので、番号に込められた思いを想像してみるのも面白いと思いますよ。

5月12日(火)

 私の初任校は中国分小学校です。36年前になります。当時5年生を担任し、サッカー部を担当しました。学級経営や学習指導は、今考えると最悪だったと思います。だから子供たちや保護者の方、教職員にたくさんの迷惑をかけてきました。ただ、その時は自分にその認識はありませんでしたから、たちが悪いといえます。そうした自分を包み込むようにみんなに育てていただいて今があります。

 そして、いくつかの学校と県・市行政を経験し、縁あって市川小に着任しました。着任後すぐにある男性が学校に訪ねてきてくれました。初任のころのほかのクラスの5年生でサッカー部だった子です。思いがけないことに嬉しくて嬉しくて、妻にも報告しました。

 また、先日の保護者連絡日には、中国分小サッカー部だった子の奥さまや当時担任した学年の子が素敵なお母さんとなって声をかけてくださいました。巡り巡る縁に感謝するとともに、背筋がピンと伸びる思いがします。

 

 話は変わりますが、2年生のH君が私の似顔絵を描いて担任に提出してくれた作品を預かりました。たった一人だとしても、投げたボールを返してくれたことに感激しました。直接伝えられませんが、ありがとう!校長室入口の掲示板に貼らせてもらっていますよ。

 子供たちが登校するようになったときに出会う様々な場面、笑顔を楽しみにして、今しばらく頑張っていきます。

        

5月11日(月)

 現在の天皇が即位して丸1年が経ちました。元号が平成から令和に変わる時に、多くの人が新たな志を胸にしたのではないでしょうか?でも1年経った今、その実現に向けた歩みはどうであったか自省しています。目標は立てても行動が伴わない弱さを痛感することが、4月以降も続いています。

  さて、小池東京都知事の会見を見る機会がしばしばあります。最近は少なくなったように思いますが、脇で手話通訳する方も映し出されます。しかし、手話通訳者はマスクを着用していません。口元が隠れるということは、聴覚障害者にとって大きな壁になるからです。つまり、手の動きがメインに見える手話でも、口の動きや表情が情報の伝達に欠かせない重要な要素を持つのです。吉村大阪府知事が4月初旬までは、マスクをして記者会見をしていましたが、途中から「聴覚障害の方が、マスクを取って話してほしいとのことなので…」とマスクを外したことも同じ理由に当たります。

 私も遺伝性難聴者です。一般的な会話でも聞き取れなかったり聞き違えたりすることがよくあります。アラーム音やセミや虫、鳥の声は認識できません。テレビを視聴する際も字幕は必須です。ですから、映画を観るのも洋画中心になってしまいます。また、相手の口元を見ながら理解する習慣がいつからともなく当たり前になっていますですから、マスクを着用していなければならない現状や電話での会話に憶病になってしまうのです。

 話は戻りますが、手話では「心配」と「危ない」の手の動きは同じなのだそうです。その違いは文脈で判断できることもありますが、基本的には口の動きで意味を理解します。そこに表情もプラスされると豊かな表現になります。先日見たある記事では、手話通訳者が透明フィルムのマスクを着用していました。困ったときに何とかしようとアイディアが出され、物づくりが始まります。発明も「困った」「もうとこうだったらいいのに」という思いから生まれるものです。

 他人の言葉を言い換える、この手話通訳者の負担は大きいようです。記者会見などの場合、2人以上の複数配置が原則で、15分で交代するというルールがあると初めて知りましたし、長時間、手話通訳を続けると首、肩、腕に痛みが出る頸肩腕(けいけんわん)障害になることがあるともいいます。 

 社会には様々な障害を抱える人々が一緒に生活をしています。聴覚障害・視覚障害・身体障害・知的障害以外にも、困り感を抱える方は何とかそれを克服しようとして努力しています。周りの人も支援を続けています。

 子供たちの中にも違和感や困り感のある子がいるのではないかと思います。そうした思いに寄り添い、どういう支援が必要なのか保護者の方と一緒に考えていくことが大事です。

 相談事などあればご連絡ください。「表情豊かに」対応できるよう努めます。

 

 今回は長々と書き連ねましたが、できるだけ端的に書きたいと思っています。