校長の部屋

私はクルマ大好き!(5/28)

 今回は「クルマ好き」の方しかわからないかもしれませんが…と最初に断っておきます。

 私は、卒業アルバムの将来の夢に、車を一日中運転していられる職業を挙げるくらい、小さな頃から自動車が大好きでした。ミニカーを買ってもらうと、畳の縁の模様部分を道路に見立てて、「ブーン」と自分で言いながら走らせます。車庫入れも縦列駐車もおてのもの。プラモデルもよく作りました。戦車や戦闘機、船、バイクなどいろいろな模型がある中で、ひたすら自動車。

 自転車に乗れるようになると、自転車の名前は、(前にも書いたかもしれませんが)スーパージェッターが乗る「流星号」。ハンドルの中心にあるボルトにはマジックインキで「G」と書きました。なぜかしらここだけは「マッハ号」でした。近所の友達と自宅のある八千代台から印旛沼・成田まであてもなく出かけました。小学生でしたから、今考えるとよく親が許したものだと。もしかすると、内緒で出かけたのかもしれません。

 18歳を過ぎれば、自動車運転免許は私たち世代の必須アイテム。大学に入ってすぐ教習所通い。晴れて免許取得ができてからは、父親の510ブルーバードを借りて通学やドライブを満喫。今思うと危ないこともしていたような記憶がチラッと蘇ります。

 そのあとは、中古の初代アコード。私の4つ違いの弟がホンダに就職した後に2代目アコード、インスパイアを父が買ったのを機に頻繁に貸してもらって運転していました。自分で買えるようになってからは、三菱ミニカが初のマイカーとなったことに始まり、ジェミニ・イルムシャー、ビッグホーン、初代エスティマ、95プラド、ランクル100、スイフトスポーツ、アウトバックといった遍歴です。

 いろいろ弄りもしました。ホイール、タイヤ、サスペンション、エアロ、電装系etc。その散財を今でも妻に責められます。ですから今は、毎月のお小遣いでやりくりできる範囲にとどめています。

 「クルマは動けばいい」という考えの方もいらっしゃいますが、私にとっては大切な相棒です。これは、自転車が愛車だった頃と何ら変わりません。だからいつもきれいにしてあげます。さすがに毎週洗車というわけにはいきませんが。さぁ、今週末もピカピカにしてあげます。

 子供たちが登校する日も近づいています。不安もあるでしょうが、笑顔で帰れる学校であるよう全力で努めます。