校長の部屋

163 目配り、気配り、心配りを期待するのは欲張り?(1/21)

 各校の校長は、何度となく面接に臨むことがあります。その際、秋もこの1月も、感染防止対策として自分の目の前にも、個々の職員のところにもアクリルの衝立だらけです。しかもマスク着用となると、話がよく聞こえませんし、表情もわかりづらい。「もう一度お願いします」と言わないといけない場面が多くあるのです。

 また、研修会でグループ討議をする場合も心配の種です。一部屋に数グループが入って、ほかの声が聞こえる中でのマスク越しの話し合いも聞き取れないと話がかみ合わなくなってしまいます。だから、面接も研修会も参加することに負担感を感じ、ずっと前から憂鬱で不安になります。

   

 周囲からの配慮を感じると、少し気持ちが楽になります。例えば、「もしかしたら耳が悪い人が、この中にいるかもしれない」と思って対応してくれる場合とそうでない場合とでは、理解度が全然違います。ただし、聞き取りやすい声と大きくても聞き取りにくい声とがありますが…。

 レストラン店員、バスやタクシー運転手、弁護士、スポーツ選手など、耳に障害を持った人も様々な場で活躍しています。ホイッスルが鳴っても聞こえずにプレーを続ける選手、筆談する店員など、孤立させないために周囲の理解はとても大切です。

 私たちの身の回りには、気づきやすい障害もあれば目で見てもわかりにくい障害もあります。一見しただけではさぼっているように見えてしまう障害だってありますから、大人も子供も、様々な不安を抱えて押しつぶされそうになっている人は少なくないと思います。

 今回は「聴覚障害」で書きましたが、皆が気付こうとする、小さな変化を察知して対応しようとする気持ちがあれば、障害の種類や程度は関係なく、それを乗り越え、生活しやすい社会になるのではないかと思うのです。きっと、そうしたことで救われる子が、市川小にだっているはずですから。

 5年生は、総合的な学習の時間で「パラリンピック」について調べています。今後、考えたことをパワーポイントで発表するそうで楽しみです。また、各教室を散歩?していた時、手話でこんにちはと挨拶してくれた3年生の女の子もいました。どんな思いで手話をやっているのかなぁと興味津々です。