校長の部屋

172 電気のない生活にどこまで耐えられる?(2/3)

 ミャンマー国軍によるクーデターが大きく報じられています。情報が遮断された国民の生活不安は、今の私たちには想像できません。1989年に国号を「ビルマ」から変更しましたが、その後しばらくして「ミャンマー」という言葉を交互に増やしながら、滑舌よくどこまで言えるかというゲームが流行った時がありました。速く繰り返すと「マンマー」なんてことが…。国情に対して失礼でした。すみません。

 さて、今年に入って、供給に対する需要の割合を示す「使用率」が98~99%まで上昇し、かつてないほどの電力需給が逼迫しているというニュースを目にしたのは2~3週間ほど前のこと。原因は、燃料不足と悪天候による再生可能エネルギーの供給低下を挙げており、今後節電を迫られることもあるかもしれません。

 普段、当たり前のように使っている電気が突然使えなくなるということだってあり得ます。様々な自然災害、あるいは事故などの人為的なミスによって、停電は全国各地で一年中発生する可能性があるからです。どんなことが考えられて、起こりうる不自由で不安な生活に私たちは耐えられるでしょうか。

 まず、家電が使えなくなります。冷蔵庫やエアコン、電話、スマホ、パソコンなど。特に、オール電化の家はどうなのでしょう?トイレだって高機能化が進んで、電気がないと水が流れないタイプもあります。交通網も大打撃を受けます。信号機が機能しなくなりますし、鉄道も混乱を避けられません。空気や水と同じように、電気の便利さに慣れ切った私たちは、その「有難さ」を意識の底に沈めていられる今の生活は良いのか、それとも困ったことなのか?

 数年前に公開された「サバイバルファミリー」という映画がありましたが、今回の報道で、改めて正確な情報と電力供給の大切さを考えさせられました。準備を怠ることなく…。