校長の部屋

5月11日(月)

 現在の天皇が即位して丸1年が経ちました。元号が平成から令和に変わる時に、多くの人が新たな志を胸にしたのではないでしょうか?でも1年経った今、その実現に向けた歩みはどうであったか自省しています。目標は立てても行動が伴わない弱さを痛感することが、4月以降も続いています。

  さて、小池東京都知事の会見を見る機会がしばしばあります。最近は少なくなったように思いますが、脇で手話通訳する方も映し出されます。しかし、手話通訳者はマスクを着用していません。口元が隠れるということは、聴覚障害者にとって大きな壁になるからです。つまり、手の動きがメインに見える手話でも、口の動きや表情が情報の伝達に欠かせない重要な要素を持つのです。吉村大阪府知事が4月初旬までは、マスクをして記者会見をしていましたが、途中から「聴覚障害の方が、マスクを取って話してほしいとのことなので…」とマスクを外したことも同じ理由に当たります。

 私も遺伝性難聴者です。一般的な会話でも聞き取れなかったり聞き違えたりすることがよくあります。アラーム音やセミや虫、鳥の声は認識できません。テレビを視聴する際も字幕は必須です。ですから、映画を観るのも洋画中心になってしまいます。また、相手の口元を見ながら理解する習慣がいつからともなく当たり前になっていますですから、マスクを着用していなければならない現状や電話での会話に憶病になってしまうのです。

 話は戻りますが、手話では「心配」と「危ない」の手の動きは同じなのだそうです。その違いは文脈で判断できることもありますが、基本的には口の動きで意味を理解します。そこに表情もプラスされると豊かな表現になります。先日見たある記事では、手話通訳者が透明フィルムのマスクを着用していました。困ったときに何とかしようとアイディアが出され、物づくりが始まります。発明も「困った」「もうとこうだったらいいのに」という思いから生まれるものです。

 他人の言葉を言い換える、この手話通訳者の負担は大きいようです。記者会見などの場合、2人以上の複数配置が原則で、15分で交代するというルールがあると初めて知りましたし、長時間、手話通訳を続けると首、肩、腕に痛みが出る頸肩腕(けいけんわん)障害になることがあるともいいます。 

 社会には様々な障害を抱える人々が一緒に生活をしています。聴覚障害・視覚障害・身体障害・知的障害以外にも、困り感を抱える方は何とかそれを克服しようとして努力しています。周りの人も支援を続けています。

 子供たちの中にも違和感や困り感のある子がいるのではないかと思います。そうした思いに寄り添い、どういう支援が必要なのか保護者の方と一緒に考えていくことが大事です。

 相談事などあればご連絡ください。「表情豊かに」対応できるよう努めます。

 

 今回は長々と書き連ねましたが、できるだけ端的に書きたいと思っています。