校長の部屋

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195 通勤地獄なんて死語?(3/10)

 車を使用する必要があって自家用車で通勤した際、観光バス8台とすれ違いました。校外学習のために学校に向かう途中でしょう。大規模な学校ではなく、座席の間隔をあけて座るためです。11列あるので1台に最大22名計算といったところです。来年度の校外学習も同様の対応が求められそうです。もう少し走行すると、国府台経由市川行きの路線バスが前を走っていました。ふと見ると「急行」の表示があります。急行ってバス停を間引いて停車すること?

 さて、新型コロナウイルス感染症に後押しされる格好で、テレワークが当たり前の昨今です。この4月から1年間のテレワークが決まっている会社もあると聞きます。ただ、教員や医療関係者のほか、テレワークがそぐわない職種もあります。混雑しない時間帯の出勤を推奨されることもありますが、これもなかなか難しい問題です。

 この「時差出勤」、50年以上前からあったようです。「通勤地獄」といわれた当時の国電のラッシュアワーの写真は、高度経済成長期の日本の縮図ともいえます。朝のラッシュで国電が遅れて混乱するとかけが人が出るとかあったようです。乗客の「シリ押し係」としてアルバイト学生まで動員された時代です。

  

 今後、緊急事態宣言が解除されても、できるだけ空いた時間帯の出退勤を心がけ、不要不急の活動は自粛を継続したほうがよさそうです。

194 ラジオの思い出(3/9)

 3月9日というと、「レミオロメン」の歌を思い出します。せわしく過ぎる日々の中で、『♪瞳を閉じればあなたが まぶたの裏にいることで どれほど強くなれたでしょう あなたにとって私もそうでありたい』という歌詞に未だ近づけない自分がいます。

 半世紀前は、こうした曲をラジオで聴いていました。ラジオは映像がない分、何かをしながらでも有益な情報が入ってくる手段になりますし、パーソナリティーの巧みなおしゃべりも楽しみの一つ。

 さて、いつ頃のことか定かではありませんが、海外の短波放送受信がブームだった頃があります。BBCは英国会議事堂の時計塔ビッグベンの鐘の音が合図でした。短波を少しでも感度よく受信しようと、ダイヤルを回して周波数を調整し、雑音に負けないように耳を澄ますことには「宝探し」のようなワクワク感がありました。当時、ナショナルのクーガーという機種が欲しくてカタログをいつも眺めていた記憶が蘇ります。

    

 それから数年してラジカセが流行ります。カセットテープに音楽を録音するのは、専らラジオ番組。ボタン2つを同時に押してスタートですが、失敗してパーソナリティーの声が入ってしまったり、逆に音楽の冒頭が切れていたり…。深夜番組「セイ・ヤング」を聞きながら布団の中で笑いを堪えたりいつのまにか寝てしまったりした頃も懐かしい!

  

 カセットテープを差し込むタイプの初代ウォークマンが登場したのは、そのずっとあとのことですが、まさに音楽を持ち歩く時代の到来でした。

 今では、ワイヤレスイヤホンが普及し、インターネットラジオ「radiko(ラジコ)」があり、災害時にも有効といわれます。ラジオで聴く歴史番組も多数あるようです。「大切なことは耳から学べ」と言われますが、残念なことに私には無理かな。その分、生身の人間の心の声にも耳を澄ましたいと思います!

193 今日は「ミモザの日」(3/8)

 今日3月8日は、イタリアでは男性が女性にミモザを贈ることが習慣になっていて「ミモザの日」と も呼ばれます。また、「国際女性デー」でもあります。ミモザは春を告げる花として、ヨーロッパでは大変人気があり、ミモザ祭りが開かれる国もあるようです。このミモザの花言葉は、「優雅」「友情」。

  

 我が家のミモザもどんどん花を広げています。蕾の状態から開花までがとても長い植物なので、やっと咲いたという感じです。ドライフラワーにしてもきれいなので好きな花です。

 「国際女性デー」は、素晴らしい役割を担ってきた女性たちによってもたらされた勇気と決断をたたえる日だそうで、日本でも「女性の生き方を考える日」とされています。少し前に、東京オリ・パラ大会組織委員会の会長だった森喜朗氏の発言が女性蔑視だと大きな話題になりました。安易に「女性蔑視発言」で終わってしまうことに違和感をおぼえますが、ジェンダーについて立ち止まって見つめる良い機会になったことは確かです。

 話は戻りますが、黄色のミモザの花言葉は「秘密の恋」。ん~?縁がなさそうです!

192 スケベ心が…(3/5)

 毎日鏡を見るたびに、ウサギの目になっている自分に気づきます。花粉症で点眼薬は手放せません。

 5月の中旬から「校長の部屋」を続けていますが、このペースだと卒業式前に200回。「よく毎日書けるね」と声をかけられることがあります。皆さん、ホームページをまめにチェックしているんだぁと感心してしまいます。「毎日読んでます」なんて言葉をいただくと、10回に1回くらいはクスッと笑いも提供できたらいいなぁとスケベ心が沸々と…。

 さて、昨晩最寄駅から自宅へ向かって歩いていると、歩道上に黒い物体が横たわっているのが見えます。近づいて初めて人であることがわかりました。意識と呼吸の確認をしながら119番!近くにいた中学生には学校からAEDを借りてきてもらいました。通りかかる人も心配して、交通整理などをしてくれます。学校の先生もすぐに駆け付けてくれました。心強いというのはこういう時に感じます。そして、救命訓練を受けていることで多少であれ慣れていることの大切さを痛感しました。

 ニュージーランドで大地震が連続しています。国内で発生した最近の地震も、3.11直前と似ていると指定する専門家もいます。先の例同様、有事に備えて準備や訓練することには意味があります。後悔しないためにも、土日どちらかで防災用品・食料等の確認をしようと考えています。

 最後に、たまたま目に留まったネットの記事から。メールの誤変換に、相手の意図を読み取ってください。

■LINEで、待ち合わせ場所が最寄りの駅の『洗濯機』とある。どこ?

■『帰りに噛み切ってくるから遅くなるよ』と来た。なにを?

■車で駅まで迎えに来てくれた相手から、『地球上に着いたよ』と無事生還?のメール。

■メールの結びに『良い終末を!』と添えられていた。

 どうぞ、よい週末をお過ごしください。

 

191 アクリル板に想う(3/4)

 先日の雨を含んだ畑に、霜柱が立つ寒い朝です。

 職員室にプラスチック板の飛沫防止用の透明パーテンションを置いてみようと考え始めてから随分経つのにまだ踏み切れずにいます。放課後等に、学年で話し合いや会議を行う際に、少しでもリスクを減らさないと、教員が感染してしまった場合の影響は計り知れないものがありますから…。たとえアクリル板で仕切られ、目の前の顔がぼやけたとしても、気持ちは透明感をもって明るく接していける職員です。でも、使用頻度と必要性を考えると…悩みます。

 一方、児童向けには机上にコの字型で設置するタイプもありますが、学習や作業等の妨げになりますし、それより先に学習の形態・方法への配慮が優先だと考えました。

 さて、国会でもアクリル板の設置が当たり前になりましたが、大きな透明ボードを見るたびに水森亜土さんを思い出してしまいます。この名前を聞いてピンとくる方もいらっしゃるでしょう。透明なアクリルボードに、歌いながら両手で同時にイラストを描くパフォーマンスで、50年くらい前にテレビに登場していた方です。イラストは水森亜土さんのLineスタンプだそうです。

  

 昨晩、1歳半の孫が遊びに来ました。何にでも興味を示して手に取るので目が離せません。でも、雛人形には近づきもしません。きっと顔が怖かったのかも。孫を寄せ付けない威圧感があるのでしょうか?私たちも、アクリル板のような仕切りを人との関わりの中で感じさせないように接していきたいと思います。