校長の部屋

校長の部屋

049 梅雨入り記念に…?(6/18)

 梅雨入り記念?に「雨」にまつわる日本語を検索!どうやら何百種類もの呼び名があるようです。それほど細かな違いを感じているともいえます。日本で虹は7色ですがロシアでは4色ですし、フランスでは蝶も蛾もパピヨンで一括り。逆に、エスキモーは雪を表す言葉を100種類も使いこなしていたといいます。

 話は戻りますが、検索中最初に出てきた「叢雨(むらさめ)」ってどんな雨?よくわからないので辞書で調べると、「激しく降ったかと思うと、すぐにやんだり弱くなったりする雨。にわか雨。驟雨(しゅうう)」とあります。「麦雨(ばくう)」は?「麦の熟するころに降る雨。梅雨の別名」です。「こうう」は辞書に「①降雨」「②紅雨」「③香雨」「④膏雨」とあります。①は省略。②は「春、花にそそぐ雨、明るい花の散る様」であり、③は「よいにおいのする雨、雨の美称」、④は「農作物を潤して育てる雨、甘雨、慈雨」と書かれています。

 さて、4年生が社会科で印旛沼の開拓について学びますが、次のような伝説があります。

 731年は春からの日照り続きで水不足。作物は実らず人々は困窮していました。聖武天皇は、諸国の神社仏閣に雨乞いの祈願をさせましたが、一向にその効果がありません。そこで、龍神に由縁のある龍閣寺(栄町)に雨乞いの祈願を命じました。昼夜を問わずに祈り続けた結果、聴衆の中から印旛沼の主と名乗る小龍の化身が現れました。大龍に命を奪われることを承知の上で、雨乞いの願いを聞き入れたといいます。「私が雨を降らせれば、私の命は奪われるでしょう。私の身は三つに裂かれ、印旛沼のほとりに落ちるでしょう。そうしたら、頭は龍閣寺に、腹は印西の地蔵堂に、尾は匝瑳の大寺に納めてください」と言うと姿が消え、黒雲が空を覆いつくし、どっと雨が降り始めました。人々は歓喜の声を上げました。雨は7日もの間降り続いたあと、沼のほとりには小龍の体が3つに裂かれて落ちていました。約束通り、その体を3カ所に葬って祈りを捧げました。頭を納めた龍閣寺は「龍角寺」(栄町)に、腹を納めた地蔵堂は「龍腹寺」(印西市)、尾を納めた大寺は「龍尾寺」(匝瑳市)に名を改めたという言い伝えです(参考:龍角寺縁起)

 朝から雨が降る日は鬱陶しく、外遊びもできず気持ちも湿りがち。逆に、雨が何日も降らないとお湿りを待ち望みます。今の時代、人柱を立てることはありませんが、人の気持ちは誠に勝手です。

048 ケチな了見(6/17)

 よく足を運ぶ道の駅でもらったカレンダー、水曜日欄の赤い字が「闇市」と見えて仕方ありません。よく見れば「閉市」なのですが…。その道の駅で、ある日、他校の校長夫婦とばったり遭遇。

 同じ日、運動のためにウォーキングというか散歩をしていた時のこと。近くのコミュニティーセンターの脇を通りかかると中から音楽が流れてきます。通路に面したガラス越しにダンスフィットネスをしている人たちが見えます。ジムではありませんが、インストラクターと一緒に汗を流しているのです。一緒に歩いていた妻曰く、「聞こえるリズムに合わせてインストラクターのマネしながらこっち側でも踊れるね。やったらどんな反応をするかなぁ?」と。見える、聞こえる、完全屋外、踊りだしても文句は言えないでしょうが…。

 なんか、鰻屋の煙を嗅ぎながらご飯を食べるケチな夫婦の落語(昔話?)を思い出しました。大変ケチな夫婦は、隣が鰻屋であることをいいことに、いつもそのにおいをおかずとしてご飯を食べているのです。鰻など一度も買ったことはないので、鰻屋は大変怒って鰻代を払えと詰め寄ります。すると、ケチな夫婦は払ってやろうと言い出します。そして、竹筒にお金を入れて、鰻屋の耳元で振って音を聞かせます。鰻の焼いた匂いを嗅いだだけだから、お金も音だけでいいだろうという了見。オチは忘れましたが、似ているでしょ?いやだいやだ!

047 忘れっぽいのはステキなこと?(6/16)

 月曜日に梅雨入りをしましたが、梅雨が明ければ本格的な夏到来!

 伝統的な夏の風物詩といえば、風鈴、団扇、花火、蚊取り線香、簾、ラジオ体操…など思いつきます。房州うちわ、江戸風鈴、江戸簾ほか、伝統工芸品といわれるものもありますが、少し前に読売こども新聞にあった『木の昆虫 立体木象嵌の世界』という記事に目が留まりました。というより「木象嵌(もくぞうがん)」に反応したのです。(※「象嵌」とは何かは調べてください)

 Y小で5年生を担任していた頃、社会科で「伝統工芸」を扱いました。伝統工芸の魅力を知って伝え合うために、伝統工芸に指定される「木象嵌」「江戸つまみかんざし」「飾り煙管」「木目込み人形」の職人さんに子供たちが取材・体験をさせていただいたことを思い出します。今も江戸つまみかんざしや行徳神輿、木象嵌、屏風など、市川市で続いていることをうれしく思います。

  

 こんな20年前のことは思い出すのに、ほんの少し前のことを忘れっぽくなったことに危機感を覚える最近です。数日前にテレビドラマを観たことすら忘れて、「俺は観ていない」と言い張ることも…。ドラマの内容ではなく、観たこと自体を思い出せなかったことにショック!「それってさ、2年前にジムを辞めた理由が今思い出せないことより怖いと思うよ」と突き刺さるお言葉!

 ボケそうなので、給食前に「今日の朝食のメニュー」を思い出すようトレーニング?をしています。それでも、校長室から職員室への数歩の間に、「あれっ?何しようと思ってこっちに来たんだっけ」状態に陥ることも…。再度やり直しのために校長室に戻る自分に嫌気がさします。

 あっ、中島みゆきさんの『傾斜』という昔の曲を急に思い出しました。♪歳をとるのはステキなことです~ そうじゃないですか~ 忘れっぽいのはステキなことです~ そうじゃないですか~♪ 飽和量オーバーかもしれない自分を慰めます。

046 略語にKP!(6/14)

 強い日差しが頭皮を刺すように降り注ぐ季節になりました。今朝のようにポツポツ降り出した雨に反応する天然アメダスが、汗でびしょびしょになりますし、日差しを遮る帽子が必要になります。ただ、自主的禿げ頭のよいところは、寝癖がつかないこと。濡れてもすぐに乾くこと。白髪が全然目立たないことなど。「私のつむじはどこでしょう」クイズもできます!

 さて、なんでも略して話す言葉は、日常会話だけでなくメディアからも聞こえてきます。決して新しいわけではありませんが、「レンチン」「味変」とラジオで聞いて違和感をおぼえるのはおじさんだからでしょうか。週刊誌の見出しに「女子アナ・ステマ疑惑」とあったのは少し前のこと。ステーションモール(略すと「ステモ」)とかまつ毛に関する略語などかと思いきや、「ステルスマーケティング」のことだったのですね。意味も調べないとわかりませんでした。

 ただし、言葉を略すのは今に始まったことではありません。「スーパー」は「スーパーマーケット」ですし、「テレビ」は本来「テレビジョン」。「ロケ」「コネ」「パンフ」「マイク」「リハビリ」「リモコン」「ワープロ」「通販」「学割」「原発」など数えだしたらキリがありません。そういえば、娘が中学生だったころ、「百均」と言っているのを、「百円均一と言いなさい」と妻がたしなめていたのは遠い昔。「セブン」と聞いても、「ウルトラセブン」を思い浮かべる人はまずいない…。そういえば、ネット上で「知らないとおやじ認定される若者言葉」という記事を読みましたが、一つもわかりませんでした!表題にある「KP」って「乾杯」だそうです…。

 逆に、死語になるスピードも増しているということになります。ただ、言葉と違って「坊主」という髪型に流行り廃りはありません!

 明日15日は、37回目の県民の日でお休みです。

045 じっと我慢?(6/11)

 数日前、我が家に扇風機が登場しました。就寝中に活躍しています。

 これから心配される熱中症、どうも江戸時代からあったようです。三浦豊彦氏の『徳川時代の熱中症予防と20世紀初頭の高温職場の食塩補給の歴史』という論文らしきものをちらりと目にした程度の知識です。また、江戸時代においては,熱中症を表す言葉として,霍乱(かくらん)や中暑(ちゅうしょ)、暍(えつ)が用いられていたといいます。漢方医学の分野では現在も用いられているそうです。

 熱中症は、暑さによって引き起こされる脱水症ともいえ、重篤な場合は40度近い発熱やけいれん、意識障害などが加わります。現在、救急搬送でも受け入れ先病院がない状況がある中、熱中症搬送が加わった場合の混乱ぶりは、予想に難くありません。ですから、個々で予防をしっかりして自分の命と医療現場の負担減を図ることが大事です。

 さて、江戸庶民の避暑方法ベスト5を見つけました。第5位「金魚の鑑賞」、第4位「温かい甘酒」(飲む点滴・甘酒は夏の季語)、第3位「打ち水」、第2位「団扇を使う」、堂々の第1位「我慢」だそうです。日中は用事や仕事がない限り、直射日光を避けて日陰でじっと耐えていたようです。「耐える」以外は結構大事かも…。

  

 学校で我慢はちょっと。エアコンも修理を進めていますが、首の後ろを冷やす器具や多めの飲料水持参など、今年も対応をしっかり行っていくことが望まれます。