校長の部屋

校長の部屋

199 特別をありがとう(3/25)

 17日発行の学校だより、Webの閲覧数が約600。ずっと200前後でしたが最後だからでしょうか?校門で挨拶していると、「お母さんが楽しみに読んでます」と伝えてくれる子もいました。ありがたいことです。そして、このブログも今日でおしまい。読んでくださったり声をかけてくださったり、ありがとうございました。最初は、気が向いたときにアップするつもりでしたが、いつの間にか毎日の日課になっていました。先日はある場で、他校の校長からブログの字の間違いの指摘がありました。そそくさと訂正したのは言うまでもありません。(その節はどうも…)

 さて、このあといよいよ修了式です。市川小での2年間はあっという間でした。そして、ずっとコロナの真っ只中で試行錯誤を繰り返していたように思います。ただ、苦しんでいたとかもがいていたとか、そんな思いは全然ありません。正面を向いて、左右・上下・後ろも気にしながら真剣に向き合ってきました。人がどう思うかより、目の前の子供たちのために自分は何ができ、何をしたいかを大事に考えてきたつもりです。

 つい先日見たドラマ『エンディングカット』にこんなセリフがありました。「自分の目を通してちゃんと見ること!ちゃんと見ないと、わかったつもりになっちゃう。だから、向き合おうとすることが大事なんじゃないかな」と。市川小の子供たちは理解力に優れています。だから、その答えの背景を、自分の目で見て、自分の頭でしっかり考えて、説明できるくらいの深い理解につなげてほしいと願っています。

 また、歌手のあいみょんさんが、「(様々な制限ばかりでネガティブにとらえがちなコロナの時代について)ポジティブに考えると今の18歳(※番組『あいみょん18祭』の特集)は羨ましい。だって、特別な時代の特別な人で、特別な経験をしているから」といったニュアンスのコメントを残していました。これは小学生についても同じ。今、子供たちは、私たちは特別な時代、変革期にいるのです。その流れの中でどのように生きるか、どんな道を選択するか、可能性は無限大と思ってはだめですか?

 明日から書きたいことがあったらどうしよう?このあとどうしちゃおう?まるでヨシタケシンスケさんの絵本の題名みたいだなぁ。学校に、子供たちにかかわってくださった皆様に感謝を伝えます。ありがとうございました。

198 仲間(3/24)

 一緒にやってきた校長先生方で一緒に定年退職を迎える方が10名以上いらっしゃいます。会議で顔を合わせるだけの人もいれば、同じ学校の同僚だった人、同じ場所で同じ時間を過ごした人、いろいろです。それでも一緒に笑ったり、同じことに腹を立てたり、意見が対立したり…。一緒に踏ん張る仲間がいたからこそ、苦しい時も乗り切れた様な気がします。

 そんな「仲間」が子供たちの周りにもあるのです。その最たるものが学級集団。この1年間で集団の力、集団の中における自分の力は伸びたでしょうか。発揮されたでしょうか。他者の存在を尊重する気持ちが培われたでしょうか。

 さて、半世紀が過ぎたのに「小学校の頃のあいつはどうしているだろう」と懐かしく思うことがあります。怒るといつも「も~反省会(で言うぞぉ)」が口癖だった真下君。大きな家の庭で初めてジンギスカンというものを食べさせてくれた池本君。スポーツ万能だった中川君。喧嘩して殴っちゃった小川君。想いを寄せた帰国子女の相原さん。ほかにもたくさん。こんな風に名前を出してしまって大丈夫だったか不安になります。だって、世間は狭いから!知り合いの知り合いがよく知る人だったなんてことがしばしばですから。小学校時代に八千代から成田まで自転車で一緒に冒険した一学年下のヨッチャンは、近隣市で学校事務職員をしていて会合でバッタリなんてことも…。

 市川小の子供たちも、嬉しかったこと、辛かった出来事と、活動した仲間を懐かしく思い出すことがきっとあります。だからこそ、「深刻になるな!真剣であれ!」と思うのです。

197 ワクワク(3/23)

 日曜劇場『DCU』に主演の阿部寛さんを見ながら、「いいなぁ、こんなかっこいい旦那さん」とボソリ。えーえー、どうせ彫りが深くないですよ。背も高くないですよ。筋肉もなくなっちゃいましたよ。

 そこで、筋トレにこれから励もうと考え、トレーニングチューブを買いました。でもよく考えると、新型コロナの少し前にジムをやめた時に買ったダンベルやバランスクッションほか、筋トレを決心したのは何度目?その時々に買った物って今は埃を被っていないか?こんなことではだめだと再度志しを立てるのでした。めざすは一年後のシックスパック!?

 さて、先日新聞に、千葉工大未来ロボット技術センターの古田所長の話が掲載されていました。「私は子供のころに病気で車いす生活を送ったとき、車輪が足になってどこへでも行けたらいいなあ、いつか巨大ロボットのようなワクワクする技術をつくりたいなあと思ったのが、勉強を始めるきっかけでした」と述べています。さらに、「私たちがやりたいことは、ロボットそのものをつくることではなく、ロボットによって社会や未来をつくることなのです」という言葉は教員にも子供たちにも通じる部分があります。

 私も筋トレを目的にするのではなく、その先にある未来を見つめたいと思います。そう言いながらも、ムキムキボディーを妄想してワクワク?

196 巣立ちを見届けて(3/22)

 先週の卒業式、集合写真撮影の時にマスクをとった子供たちの顔を改めて見ました。顔の印象づくりに口元がとても重要な役割を果たしていることがよくわかります。卒業アルバムの写真撮影の頃と比べても、成長して顔が少し変わったということもありますが、イメージがちょっと違いました。ただ、証書を渡すときの私の一言に、素敵な微笑みやはにかみが頼もしく見えました。

 私自身も市川小学校で迎える最後の卒業式だと思うと感慨深いというか思い入れというか、そうした感情は隠せません。というわけで、卒業生に向けてのメッセージとして歌のさわりを歌ってしまいました。永井龍雲という歌手の『道標ない旅』という曲です。40年も昔の、チョコレートのCMソングでした。

 担任した学級の子供たちに向けて、下手な歌をフルコーラス披露したことがありますが、今回の犠牲者、その数なんと約500人!児童・保護者・教職員。これだけの聴衆がいれば恥ずかしさより気持ちよさのほうが…って、自分が主人公になってはいけません。歌詞にあるメッセージを後から確認してくれていたらうれしいです。

 今回、体育館に参加する保護者のほかに、1名は教室でライブ視聴ができるようにしましたが、これは個人的にお願いした、ある会社の皆さんの協力があってこそ。予行練習及び当日に10名もの人員をつぎ込んでくださったのです。課題はありますが、感謝以外のなにものでもありません。学校職員だけでは到底無理です。でも、学校職員だけでもできることは何かを見極め、来年度につなげる努力をすることが大事だと思っています。

195 愕然・呆然・唖然(3/18)

 いよいよ今日、卒業証書授与式です。寒い!しかも雨!でも、これは予想されていたので仕方ありません。素晴らしい式になるよう全職員で支えます。

 さて、14日に6年生に配られた卒業アルバムを手にしました。真っ先に自分の写真に目が行ってしまいました。「なんだぁ、このじぃさんは!」と愕然・呆然・唖然。客観的にみると、自分はこう見えているんだとモヤモヤしながら納得できない。もう少しは…と思いながら去年のアルバムと比較。1年の年月が「老化」「劣化」という言葉に置き換えられてしまうほど違いが明確です。「うん、きっとこれは眼鏡をかえたせいだ」と老化に目を向けず、すり替えようとする私。

 何が嫌かって、校長室にある写真の一つにこの写真が加わるということ。去年写したモノを写真屋さんにお願いしちゃおうか、それとも似顔絵を額に入れてしまおうか。当人にとっては切実な悩みです。

 そういえば、つい先日テレビで見た俳優の吉田栄作さん。53歳らしいのですが結構な年齢に見えてしまいました。(ごめんなさい)きっと紫外線の浴びすぎ?私の老(劣)化も、若かりし頃の屋外での紫外線を浴び続けた代償なのかもしれません。いらない勲章です。