遠野物語

 第八中学校の廊下には、沢山の生徒の絵が飾られています。空想画や修学旅行の想い出など多彩ですが、中でも宮沢賢治の物語を画にした作品は、ほのぼのとした内容を伝え、画を見ながら廊下を歩くだけで癒やされます。しかし、特に不思議な雰囲気を発している作品の数々は、柳田国男の『遠野物語』を描いたものです。『遠野物語』を作品化しているだけあって、怪しさと、これは何を描いているのだろうという興味を引く作品ばかりです。せっかくの作品なので、より深い鑑賞へつなげて欲しいと思い、画と共にその元になったと想われる『遠野物語』の話を掲載いたします。

『遠野物語』は、青空文庫を利用させていただきました。

ザシキワラシ】一七 旧家《きゅうか》にはザシキワラシという神の住みたもう家少なからず。この神は多くは十二三ばかりの童児なり。おりおり人に姿を見することあり。土淵村大字|飯豊《いいで》の今淵《いまぶち》勘十郎という人の家にては、近きころ高等女学校にいる娘の休暇にて帰りてありしが、或る日|廊下《ろうか》にてはたとザシキワラシに行き逢《あ》い大いに驚きしことあり。これは正《まさ》しく男の児《こ》なりき。同じ村山口なる佐々木氏にては、母人ひとり縫物《ぬいもの》しておりしに、次の間にて紙のがさがさという音あり。この室は家の主人の部屋《へや》にて、その時は東京に行き不在の折なれば、怪しと思いて板戸を開き見るに何の影もなし。しばらくの間《あいだ》坐《すわ》りて居ればやがてまた頻《しきり》に鼻を鳴《な》らす音あり。さては座敷《ざしき》ワラシなりけりと思えり。この家にも座敷ワラシ住めりということ、久しき以前よりの沙汰《さた》なりき。この神の宿《やど》りたもう家は富貴自在なりということなり。

○ザシキワラシは座敷童衆なり。この神のこと『石神《いしがみ》問答』中にも記事あり。

一八 ザシキワラシまた女の児なることあり。同じ山口なる旧家にて山口孫左衛門という家には、童女の神二人いませりということを久しく言い伝えたりしが、或る年同じ村の何某という男、町より帰るとて留場《とめば》の橋のほとりにて見馴《みな》れざる二人のよき娘に逢えり。物思わしき様子にて此方へ来《き》たる。お前たちはどこから来たと問えば、おら山口の孫左衛門がところからきたと答う。これから何処へ行くのかと聞けば、それの村の何某が家にと答う。その何某はやや離れたる村にて、今も立派に暮せる豪農なり。さては孫左衛門が世も末だなと思いしが、それより久しからずして、この家の主従二十幾人、茸《きのこ》の毒に中《あた》りて一日のうちに死に絶《た》え、七歳の女の子一人を残せしが、その女もまた年老いて子なく、近きころ病《や》みて失せたり。

山男】二八 始めて早池峯に山路《やまみち》をつけたるは、附馬牛村の何某という猟師にて、時は遠野の南部家|入部《にゅうぶ》の後のことなり。その頃までは土地の者一人としてこの山には入りたる者なかりしと。この猟師半分ばかり道を開きて、山の半腹に仮小屋《かりごや》を作りておりしころ、或《あ》る日|炉《ろ》の上に餅《もち》をならべ焼きながら食いおりしに、小屋の外を通る者ありて頻《しきり》に中を窺《うかが》うさまなり。よく見れば大なる坊主なり。やがて小屋の中に入り来たり、さも珍しげに餅の焼くるを見てありしが、ついにこらえ兼《か》ねて手をさし延べて取りて食う。猟師も恐ろしければ自らもまた取りて与えしに、嬉《うれ》しげになお食いたり。餅|皆《みな》になりたれば帰りぬ。次の日もまた来るならんと思い、餅によく似たる白き石を二つ三つ、餅にまじえて炉の上に載せ置きしに、焼けて火のようになれり。案のごとくその坊主きょうもきて、餅を取りて食うこと昨日のごとし。餅|尽《つ》きてのちその白石をも同じように口に入れたりしが、大いに驚きて小屋を飛び出し姿見えずなれり。のちに谷底にてこの坊主の死してあるを見たりといえり。

○北上川の中古の大洪水に白髪水というがあり、白髪の姥《うば》を欺《あざむ》き餅に似たる焼石を食わせし祟《たたり》なりという。この話によく似たり。

山女】三 山々の奥には山人住めり。栃内《とちない》村|和野《わの》の佐々木|嘉兵衛《かへえ》という人は今も七十余にて生存せり。この翁《おきな》若かりしころ猟をして山奥に入りしに、遥《はる》かなる岩の上に美しき女一人ありて、長き黒髪を梳《くしけず》りていたり。顔の色きわめて白し。不敵の男なれば直《ただち》に銃《つつ》を差し向けて打ち放せしに弾《たま》に応じて倒れたり。そこに馳《か》けつけて見れば、身のたけ高き女にて、解きたる黒髪はまたそのたけよりも長かりき。のちの験《しるし》にせばやと思いてその髪をいささか切り取り、これを綰《わが》ねて懐《ふところ》に入れ、やがて家路に向いしに、道の程にて耐《た》えがたく睡眠を催《もよお》しければ、しばらく物蔭《ものかげ》に立寄りてまどろみたり。その間|夢《ゆめ》と現《うつつ》との境のようなる時に、これも丈《たけ》の高き男一人近よりて懐中に手を差し入れ、かの綰ねたる黒髪を取り返し立ち去ると見ればたちまち睡《ねむり》は覚めたり。山男なるべしといえり。

オシラサマ】六九 今の土淵村には大同《だいどう》という家二軒あり。山口の大同は当主を大洞万之丞《おおほらまんのじょう》という。この人の養母名はおひで、八十を超《こ》えて今も達者なり。佐々木氏の祖母の姉なり。魔法に長じたり。まじないにて蛇を殺し、木に止《とま》れる鳥を落しなどするを佐々木君はよく見せてもらいたり。昨年の旧暦正月十五日に、この老女の語りしには、昔あるところに貧しき百姓あり。妻はなくて美しき娘あり。また一匹の馬を養う。娘この馬を愛して夜《よる》になれば厩舎《うまや》に行きて寝《い》ね、ついに馬と夫婦になれり。或る夜父はこの事を知りて、その次の日に娘には知らせず、馬を連《つ》れ出して桑の木につり下げて殺したり。その夜娘は馬のおらぬより父に尋ねてこの事を知り、驚き悲しみて桑の木の下に行き、死したる馬の首に縋《すが》りて泣きいたりしを、父はこれを悪《にく》みて斧をもって後《うしろ》より馬の首を切り落せしに、たちまち娘はその首に乗りたるまま天に昇《のぼ》り去れり。オシラサマというはこの時より成りたる神なり。馬をつり下げたる桑の枝にてその神の像を作る。その像三つありき。本《もと》にて作りしは山口の大同にあり。これを姉神とす。中にて作りしは山崎の在家権十郎《ざいけごんじゅうろう》という人の家にあり。佐々木氏の伯母が縁づきたる家なるが、今は家絶えて神の行方《ゆくえ》を知らず。末《すえ》にて作りし妹神の像は今《いま》附馬牛村にありといえり。

マヨイガ】六三 小国《おぐに》の三浦某というは村一の金持《かねもち》なり。今より二三代前の主人、まだ家は貧しくして、妻は少しく魯鈍《ろどん》なりき。この妻ある日|門《かど》の前《まえ》を流るる小さき川に沿いて蕗《ふき》を採《と》りに入りしに、よき物少なければ次第に谷奥深く登りたり。さてふと見れば立派なる黒き門《もん》の家あり。訝《いぶか》しけれど門の中に入りて見るに、大なる庭にて紅白の花一面に咲き鶏《にわとり》多く遊べり。その庭を裏《うら》の方へ廻《まわ》れば、牛小屋ありて牛多くおり、馬舎《うまや》ありて馬多くおれども、一向に人はおらず。ついに玄関より上《あが》りたるに、その次の間には朱と黒との膳椀《ぜんわん》をあまた取り出したり。奥の座敷には火鉢《ひばち》ありて鉄瓶《てつびん》の湯のたぎれるを見たり。されどもついに人影はなければ、もしや山男の家ではないかと急に恐ろしくなり、駆《か》け出《だ》して家に帰りたり。この事を人に語れども実《まこと》と思う者もなかりしが、また或る日わが家のカドに出でて物を洗いてありしに、川上より赤き椀一つ流れてきたり。あまり美しければ拾い上げたれど、これを食器に用いたらば汚《きたな》しと人に叱《しか》られんかと思い、ケセネギツの中に置きてケセネを量《はか》る器《うつわ》となしたり。しかるにこの器にて量り始めてより、いつまで経《た》ちてもケセネ尽きず。家の者もこれを怪しみて女に問いたるとき、始めて川より拾い上げし由《よし》をば語りぬ。この家はこれより幸運に向い、ついに今の三浦家となれり。遠野にては山中の不思議《ふしぎ》なる家をマヨイガという。マヨイガに行き当りたる者は、必ずその家の内の什器《じゅうき》家畜何にてもあれ持ち出でて来べきものなり。その人に授《さず》けんがためにかかる家をば見するなり。女が無慾にて何ものをも盗み来ざりしが故に、この椀自ら流れて来たりしなるべしといえり。

○このカドは門にはあらず。川戸にて門前を流るる川の岸に水を汲《く》み物を洗うため家ごとに設けたるところなり。

○ケセネは米|稗《ひえ》その他の穀物《こくもつ》をいう。キツはその穀物を容《い》るる箱なり。大小種々のキツあり。

六四 金沢村《かねさわむら》は白望《しろみ》の麓《ふもと》、上閉伊郡の内にてもことに山奥にて、人の往来する者少なし。六七年前この村より栃内村の山崎なる某《なにがし》かかが家に娘の婿を取りたり。この婿実家に行かんとして山路に迷い、またこのマヨイガに行き当りぬ。家のありさま、牛馬の多きこと、花の紅白に咲きたりしことなど、すべて前の話の通りなり。同じく玄関に入りしに、膳椀を取り出したる室あり。座敷に鉄瓶《てつびん》の湯たぎりて、今まさに茶を煮《に》んとするところのように見え、どこか便所などのあたりに人が立ちてあるようにも思われたり。茫然《ぼうぜん》として後にはだんだん恐ろしくなり、引き返してついに小国《おぐに》の村里に出でたり。小国にてはこの話を聞きて実《まこと》とする者もなかりしが、山崎の方にてはそはマヨイガなるべし、行きて膳椀の類を持ち来《き》たり長者にならんとて、婿殿《むこどの》を先に立てて人あまたこれを求めに山の奥に入り、ここに門ありきというところに来たれども、眼にかかるものもなく空《むな》しく帰り来たりぬ。その婿もついに金持になりたりということを聞かず。 ○上閉伊郡金沢村。

狐《きつね》】六〇 和野《わの》村の嘉兵衛爺《かへえじい》、雉子小屋《きじごや》に入りて雉子を待ちしに狐《きつね》しばしば出でて雉子を追う。あまり憎《にく》ければこれを撃たんと思い狙《ねら》いたるに、狐は此方を向きて何ともなげなる顔してあり。さて引金《ひきがね》を引きたれども火|移《うつ》らず。胸騒《むなさわ》ぎして銃を検せしに、筒口《つつぐち》より手元《てもと》のところまでいつのまにかことごとく土をつめてありたり。

川童】五八 小烏瀬川《こがらせがわ》の姥子淵《おばこふち》の辺に、新屋《しんや》の家《うち》という家《いえ》あり。ある日|淵《ふち》へ馬を冷《ひや》しに行き、馬曳《うまひき》の子は外《ほか》へ遊びに行きし間に、川童出でてその馬を引き込まんとし、かえりて馬に引きずられて厩《うまや》の前に来たり、馬槽《うまふね》に覆《おお》われてありき。家のもの馬槽の伏せてあるを怪しみて少しあけて見れば川童の手出でたり。村中のもの集まりて殺さんか宥《ゆる》さんかと評議せしが、結局|今後《こんご》は村中の馬に悪戯《いたずら》をせぬという堅き約束をさせてこれを放したり。その川童今は村を去りて相沢《あいざわ》の滝の淵に住めりという。

○この話などは類型全国に充満せり。いやしくも川童のおるという国には必ずこの話あり。何の故にか。

神の始】二 遠野の町は南北の川の落合《おちあい》にあり。以前は七七十里《しちしちじゅうり》とて、七つの渓谷おのおの七十里の奥より売買《ばいばい》の貨物を聚《あつ》め、その市《いち》の日は馬千匹、人千人の賑《にぎ》わしさなりき。四方の山々の中に最も秀《ひい》でたるを早池峯《はやちね》という、北の方|附馬牛《つくもうし》の奥にあり。東の方には六角牛《ろっこうし》山立てり。石神《いしがみ》という山は附馬牛と達曾部《たっそべ》との間にありて、その高さ前の二つよりも劣《おと》れり。大昔に女神あり、三人の娘を伴《とも》ないてこの高原に来たり、今の来内《らいない》村の伊豆権現《いずごんげん》の社あるところに宿《やど》りし夜、今夜よき夢を見たらん娘によき山を与うべしと母の神の語りて寝たりしに、夜深く天より霊華《れいか》降《ふ》りて姉の姫《ひめ》の胸の上に止りしを、末の姫|眼覚《めさ》めて窃《ひそか》にこれを取り、わが胸の上に載せたりしかば、ついに最も美しき早池峯の山を得、姉たちは六角牛と石神とを得たり。若き三人の女神おのおの三の山に住し今もこれを領したもう故《ゆえ》に、遠野の女どもはその妬《ねたみ》を畏《おそ》れて今もこの山には遊ばずといえり。